夕刻、弘前に帰ってきた。昨日、出発する際は、もの凄く寒く、羽田に降り立った時の温度差に辟易したものだが、今日は、青森空港も、日の光が差していて暖かかった。
さて、昨日の上京の話である。大学時代の友人が、亡くなられたお父様の蔵書を、読書人倶楽部に寄贈してくださる、というところまでは昨日も書いた。それで、実際、どんな本があるのかを見に行ったのだ。
中野駅からバスで10分ほどの、閑静な住宅街に、その友人のご実家はあった。ご両親が亡くなられてから、もう随分と経ったようだが、このたび、その家を取り壊すことにしたのだそうだ。ついては、本を処分したい。でも、捨てるのは忍び難い。そこで、読書人倶楽部で引き取れる本があれば寄贈したいとのことであった。
行ってみて驚いた。お父様は、相当趣味の広い方だったらしい。歴史の本から宗教の本、それに漢詩や俳句の本まで、様々なジャンルの本がある。中には、神田あたりの古書店に持ち込めば、かなり高額で売れそうなものもあった。
しかしまぁ、読書人倶楽部は古書店ではないし、僕だって目が利くわけでもない。実際のところ古書の価値など、正確にはわからない。以前、経営した書店を閉めたあとに、何かの文学全集の初版を、神田に持って行ったことがあるのだが、びっくりするくらい安い値段をつけられた。何か足下を見られたようで、悲しい思いをした。だから、友人にも、古書店行きを、あまり強くは薦めなかった。
ただ、残念なことに、読書人倶楽部にも、お引き受けする決まりがある。原則としては、文庫・新書の類いは、お受けしないことにしている。それをはじめると、きりも際限もなくなりそうな気がするからだ。
でも、友人宅に並べられた文庫を見ると、読書人倶楽部に並べることはできないが、かといって、ただ燃えるゴミに出してしまうには、勿体ないような物がたくさんある。岩波文庫の昭和初期の頃のもの、今は確実に絶版になってしまっているもの、既に倒産した出版社のもの等々、これから先は二度と手に入らないだろうという逸品が山ほどある。
そこで、はたと思いついた。ペンクラブでとりあえず引き取ろうと。ペンクラブが毎年行っている「古本・お宝市」に出品すれば、少なくとも、その本を求めている人の目にとまり、生きながらえることができるのではないかと。
友人も、それを了解してくれた。読み古された本というものは、ある人にとっては紙の塊でしかないかもしれないが、別のある人にとっては、とても貴重なものとなる場合だってある。そういう出会いの場を創ることが大切だよね、ということで、僕とその友人は考えが一致した(ように思う)。
実は、弘前読書人倶楽部は今、もう一件、大量の本の寄贈のお申し出をいただいている。やはり読書家だった方の遺品だ。段ボールで200箱くらいにもなるそうだ。こちらは、既に箱詰めも終わっているみたいなので、内容を吟味することはできない。とりあえず送ってもらってから、仕分けをさせていただくことにした。
かように、読み終えた本の処分に困っておられる人は多いと思う。本をゴミとして捨ててしまうことに抵抗を感じておられる方も多い。読書人倶楽部としても、そういった本を愛する人のお手伝いをしたいとは思う。しかし、現状では、スペース的にも財政的にも限界がある。何か、蔵書量に伴って、財政が豊かになる、スペースを広げられるといったビジネスモデルを確立できないものだろうか。