今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2016年09月

ある若者の死


 「嘘だろ」。M君の訃報に接したとき、自分の耳を疑った。だって、M君はまだ若い。下土手町商店街振興組合の事務局長として、ユニークな地域情報誌「てくてく」 の編集長として、ばりばりと仕事をこなしている、まさに弘前をリードする若者の一人だった。
 僕も、商店街で書店を経営していた時には、組合の青年部仲間として、一緒に働いた。元日の午前0時から商店街を一斉にオープンさせる「夢参道」だとか、翌2日から始まる「富籤抽選会」とか、夜も正月なく、販売促進イベントに勤しんだ。
 販促ばかりではない。当時の下土手町青年部は、けっこう活発に活動していた。夏には鰺ヶ沢の海に行って、バーベキューなどを楽しんだ思い出もある。
 そんな仲間のM君の通夜に行ってきた。奥様とも、お母様とも、久々にお会いした。辛かった。
 先々週は、同年代の友人のご子息の通夜に参列した。これもまた、悲しい話であった。父親も涙にくれているのを見て、やはり、いたたまれなくなって、読経も聞かずに退席した。
 天寿を全うしたからそれでいいというつもりは毛頭ないが、やはり、若い人を送る式の重苦しさは、高齢者の通夜葬式とは全く違う、独特なものがある。これからまだまだ活躍してもらわなければならないのに、という無念さが、会場全体にのしかかっている。
 いや、生と死の境は、ひょっとしたら、僕らにとっても、すぐ目前まで迫っているのかもしれない。大学時代のサークル仲間が今、重篤な病と闘っている。そこまでのことではないが、高校でも大学でも、同期の連中と話をすれば、必ずといっていいほど、病気の話になる。60歳を過ぎれば、誰もが、身体のどこかそこかに、疾患の一つ二つは抱えているらしい。
 他人事ではない。僕も糖尿病患者だ(自慢することではないが)。その上、昨日も書いたように、重度の不眠症に陥っている。
 今、このブログを書いている瞬間だって、眠くてたまらない。でも、布団に入れば、きっと目が醒めてしまうに違いない。
 そのことがストレスになる。体力を消耗する。あるいは判断力を鈍らせる。重大な事故を引き起こす・・・。いつ、命と引き替えの事態にならないとも言い切れない。
 僕は、以前にも書いたとは思うが、とにかく長生きしたいのである。たとえ寝たきりになろうが、本を読めて、テレビを視られて、落語を聞ければ、それで人生は幸せだとすら思っている。
 とにかく、いつまでも生きていたい。そのためには、取り敢えず、今日こそ早く、そしてぐっすりと眠りたい。
 うーん、まずい。段々と目が冴えてきた。こりゃあ今夜も・・・。(5297)

夜が怖い


 その昔、ピーターという名前の歌手がいた。今でこそ、マツコ・デラックスやら、ミッツマングローブやら、得たいの知れない女装パフォーマーなるタレントが、芸能界を闊歩しているが、ピーターは、いわば、その走りのような存在だった。
 僕には、そっちの気は、全くないけど、確かに美人(美少年?)であった。容姿に反して、低温の効いた野太い声だったような記憶がある。  
 代表曲は、「夜と朝のあいだに」。この曲は、今でも、カラオケで歌うことができる。
 中に、♬夜と朝の間に ひとりの私 指を折ってはくりかえす 数はつきない ♬ というフレーズがある。まさしく、今の僕が、そんな状態だ。
 もう一曲、そんなにヒットしなかったけれど、ピーターには、「愛の美学」という曲もある。これは、もはや、ほとんどメロディーすら忘れてしまった。
 ただ憶えているのは、最後に、♬眠られぬ夜は長い♬ という歌詞がリフレインされることだ。まさしく、今の僕がそのような状態なのだ。
 もともと睡眠は深い方ではなかった。このブログでも、睡眠障害だと、何度もカミングアウトしてきた。なかなか寝付けない。眠ってもちょっとした物音ですぐ目を醒ます。夜中に何度もトイレに起きる・・・。
 でも、先週来、それがさらに極端になった。
 夕方までは、ものすごく眠い。運転をしていて、信号待ち一瞬でも、コックリいきそうになることがある。ところが、布団に入ると、何故か目が冴えてしまう。
 早くぐっすり眠ろうと、いつもは一錠服用している睡眠導入剤を、最初から1.5錠飲む。それでも眠れない。そこで、数時間後に、あと版錠飲む。結果として、ここ数日間は、今までの倍、毎日2錠ずつ飲んでいる。これがやがて、3錠・4錠と増えていくのかと思えば怖い。
 今日は、毎月の糖尿の定期検診の日だった。血糖値の結果に話が進むのを避けたいという意識もあって、糖尿病の主治医に、思い切って睡眠障害の相談をした。
 「最近、ほとんど眠られなくて困っているんです」
 「何か、悩み事でもあるのか?」
 「いや、全くありません。でも、眠りたいと思って、早くから布団に入るんですが、なかなか寝付けないんです」
 「早くから布団に入るのがよくない。眠くなってから布団に入ればいい」
 「酒を飲んで、そのあとで薬を飲んでも眠れないんです」
 「酒は逆に睡眠の妨げになる」
 「いや、酒を飲まずに、薬だけ飲んでも眠れないんです」
 「・・・。だったらその睡眠導入剤をもらっている医師に相談するしかないね」
 と、結局、何の解決にもならないまま、また夜を迎えてしまった。今日も、高校の同期の友人と飲んで帰ってきた。これから薬を服用して布団に入る。今夜こそ心地よい睡眠を得られるのだろうか? ああ、夜が怖い。(9428)

本は重い


 既報の通り、明日から、弘前ペンクラブ主催の「古本・お宝市」が始まる。今日は、その準備に、汗を流した。
 「汗をかく」とは、政治家、特に国会議員がよく使う言葉ではある。「一生懸命やります」の比喩で、実際にはたいして汗を流してはいないことが多い。
 ところが、今日は、文字通り汗をかいた。市街地のはずれのTさんの倉庫から、段ボールで100箱近い本を、会場となるNHK文化センターまで運んだ。倉庫では軽トラックに本を積み込んで、会場入り口に着いたらそれを下ろして、さらに中まで運び入れて・・・。
 今さら言うこともないかもしれないが、本というものは、一冊一冊は軽い物だが、段ボール一杯に詰め込められると、けっこう重いものなのだ。ましてや、リンゴとか野菜が入っていた大ぶりの段ボール箱となると、かなりの重量になる。運搬は6人がかりで行ったとはいえ、それはそれで、僕にとっては相当の重労働ではあった。
 そのあとは、本を、明日からの販売用に陳列するという作業を行った。雑多に詰め込まれている箱から、手当たり次第に取り出し、取り敢えず台の上に積み上げ、それをある程度のジャンル毎に並べ替える。と、これも文章にする以上に、煩雑な作業であった。
 第一、ほとんどが、昨年の古本市以来、1年間も誇りをかぶってきた本だ。箱に入っているとは言え、誇りにまみれている。手もシャツもズボンも真っ黒になってしまった。
 このイベントは、そもそもは、ペンクラブの会員が、不要になった本を持ち寄り、廉価で市民に販売し、その収益を、歳末助け合い運動に協力をしようというところから始まった。そのうちに、会員以外からも、不要な本を募るようになった。結果、売れる本の数より集まる本数の方が多かったりして、年々在庫が増えていくような傾向にある。
 今日特に気がついたのは、文学全集の多さだ。新潮社、講談社、中央公論社、集英社など、日本文学全集だけでも、何種類もある。世界文学全集や、個人全集までも含めれば、それだけで、スペースの大部分を占めてしまうくらいの量だ。いかに、文学全集が、それぞれの家庭において邪魔にされているかということが窺い知れる。
 でも、それぞれが、決して安くはないその文学全集を買いそろえた時には、いろいろな思いがあったのだろう。手放すときも然りである。それを考えると、明日からの古本市で、新しい所有者が現れることを切に期待するのである。
 とにかく、今日は、慣れない肉体労働で疲れた。だけど、本は確かに重いけれど、本の入った段ボール箱を運ぶのは楽しい。ましてや、箱から取り出して陳列するのはもっと楽しい。並べている時に、自分の感性に合う本を見つけた時は、さらにさらに楽しい。
 やっぱり僕には、まだ本屋の血が流れているのだろう。本に触っている時が、一番充実しているような気がする。
 古本市は、土曜日の3時まで開催する。僕も、時間を見つけて、ちょこちょこと販売の手伝いに行こうと思っている。皆様も是非ご来場下さいませ。(4757)

新聞掲載予告


 弘前読書人倶楽部が、T日報紙の取材を受けた。T紙は、津軽でも南部でも下北でも、隈無く読まれている、青森県ナンバー1の新聞だ。 
 今回は、読書人倶楽部が所在する、”和徳町”の特集の中で、採り上げて貰えるのだとのことだ。老舗の多い和徳界隈の中で、新参者の読書人倶楽部に注目してくれるなんて、なんとも有り難い話だ。
 そう、和徳は江戸時代から栄えた商人の町だ。映画「津軽百年食堂」のモデルになった山忠食堂を始め、古くからの商店が、軒を並べるというほど大袈裟なものではないが、けっこう残っている。
 最近では、弘前を代表する郷土料理”けの汁”発祥の地として、町おこしに取り組んでいる。傍から見ていても、元気な町会の一つだ。
 そんな和徳町の西の外れに、弘前読書人倶楽部が開業したのは、今から5年前である。あの東日本大震災があった年の6月だ。
 その時は、T紙にも、弘前を拠点とするM紙にも、大きく採り上げていただいた。だけど、その後は、さしてこちらから取材を依頼することもなく、新聞記事とは無縁の活動を続けてきた。
 一度だけ、青森県出身の児童文学家、鈴木喜代春先生の講演を、読書人倶楽部で開催した際には、T紙にお願いして取材に来ていただいた。鈴木先生は、2010年に、T紙が主催する東奥賞を受賞されていたからだ。(うーむ、わざわざT紙とイニシャルにする必要はなくなったかな) その鈴木先生も、今年の5月に亡くなられてしまった。
 今日の取材では、蔵書数や会員数など、基本的な質問から始まり、蔵書の傾向や、会員にはどんな人が多いかなど、かなり突っ込んだことも訊かれた。僕と幹事のTさんが応対した。
 最後に、「この倶楽部の特色は?」という質問があった。僕らは即座に、「コーヒー、ビール、ワインなどを飲みながら本を読めることです」と答えた。更に、「四方を本に囲まれた環境で、会員同士が交流を深めるサロンのような場所です」とも付け加えた。
 そして、記者にもワインを勧めたのだが、「車で来てるから」とやんわり断られた。残念。取材に来た人を差し置いて、取材される側が飲み始める訳にもいかない。これでワインが入ると、もっと饒舌に、倶楽部のことをあれこれと話せたのに・・・。
 掲載は10月1日の予定だそうだ。さてさて、どんな記事になるんだろうか。9月30日に世間を揺るがすような大事件が起こって、ボツにならないことだけを祈っている。(9919)
 

スキャンダルは禁物


  今日、昼飯を食べていたら、食堂のテレビから、とんでもないニュースが聞こえてきた。会津若松市の市議会議員が、自らの奥さんの生活保護不正受給に加担して逮捕されたというのだ。喉つまりをしそうになった。
 何でも、奥さんはフィリピン人とのことで、収入があったにもかかわらず、無いことにして、生活保護費を騙し取っていたらしい。日本語を書けない奥さんに代わって、申請書類を議員が書いたというのだ。これは、もう、言い逃れはできない。
 しかし、解せないこともある。生活保護は故人では無く、世帯の収入が基準となる。そのために偽装離婚をする人もいると、とかく噂が絶えない。だったら何故、市議会議員の配偶者が、生活保護の対象になり得るのだろう。まさか、会津若松市は、議員報酬0なんだろうか?
 僕も、これまでも、何件か生活保護申請等について相談に乗ってはきたが、書類を書いたり、不正を指示したことは一度も無い。一人では心細いという申請者に同行して、一緒に市の担当者の話を聞くケースがほとんどだ。
 だから、この手のスキャンダルとは絶対に無縁だ。第一、僕に奥さんはいない。あっ、そんな問題じゃあなかったかな。
 富山市の議員の政務活動費不正受給にもあきれた。「2000円」という手書きの領収書に、小さく”2”を書き足して「22000円」の領収書に偽装するなど、幼稚というかセコいというか、阿呆丸出しだ。そのニュースをテレビで視た時には、思わず声に出して笑ってしまった。
 やってもいない議会報告会の会場費や、資料印刷費などを計上するというのも愚かだ。議会報告会を行ったか行わなかったかなんて、調べればすぐにわかることではないか。そんなことにも気がつかないなんて、倫理観はいうまでもなく、知能も相当低い人達なんだろう。
 一体、あの人達は、何の必要があって、そうやってチマチマとちょろまかしたんだろう。富山市議会議員の報酬は、弘前のそれよりも遙かに高いはずなのに。
 政治に金がかかるというのは、少なくとも市議会議員のレベルでは嘘だ。いや、本当に議会報告会や調査に金がかかるというなら、それはそれで、政務活動費というものがあるのであれば、堂々とそれを使えばいい。何も領収書を誤魔化さなくたっていいではないか。
 酒やつきあいに金がかかるというのなら、わからないでもない。でも、それは、当たり前に自分の報酬の中で賄うべきもので、それをもって「政治に金がかかる」というのは詭弁にすぎない。
 こういうスキャンダルにも、僕は全く無縁だ。第一、政務活動費なるものを貰ったことがない。だから、どんなニュースが流れても、安閑としていられる。
 友人は「おまえも貰えばいい」と言ってくれる。でも、今のところ、議会報告会を年に4回開催しても、県外まで研修を受けに行っても、政務活動費無しでもなんとかやっていくことができている。その自負心は失いたくない。
 でも、もしやっていけなくなったら? その時は、飲みに出かける回数を減らせばいい。それが一番難しそうだけれど。(16703)


 
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