「嘘だろ」。M君の訃報に接したとき、自分の耳を疑った。だって、M君はまだ若い。下土手町商店街振興組合の事務局長として、ユニークな地域情報誌「てくてく」 の編集長として、ばりばりと仕事をこなしている、まさに弘前をリードする若者の一人だった。
僕も、商店街で書店を経営していた時には、組合の青年部仲間として、一緒に働いた。元日の午前0時から商店街を一斉にオープンさせる「夢参道」だとか、翌2日から始まる「富籤抽選会」とか、夜も正月なく、販売促進イベントに勤しんだ。
販促ばかりではない。当時の下土手町青年部は、けっこう活発に活動していた。夏には鰺ヶ沢の海に行って、バーベキューなどを楽しんだ思い出もある。
そんな仲間のM君の通夜に行ってきた。奥様とも、お母様とも、久々にお会いした。辛かった。
先々週は、同年代の友人のご子息の通夜に参列した。これもまた、悲しい話であった。父親も涙にくれているのを見て、やはり、いたたまれなくなって、読経も聞かずに退席した。
天寿を全うしたからそれでいいというつもりは毛頭ないが、やはり、若い人を送る式の重苦しさは、高齢者の通夜葬式とは全く違う、独特なものがある。これからまだまだ活躍してもらわなければならないのに、という無念さが、会場全体にのしかかっている。
いや、生と死の境は、ひょっとしたら、僕らにとっても、すぐ目前まで迫っているのかもしれない。大学時代のサークル仲間が今、重篤な病と闘っている。そこまでのことではないが、高校でも大学でも、同期の連中と話をすれば、必ずといっていいほど、病気の話になる。60歳を過ぎれば、誰もが、身体のどこかそこかに、疾患の一つ二つは抱えているらしい。
他人事ではない。僕も糖尿病患者だ(自慢することではないが)。その上、昨日も書いたように、重度の不眠症に陥っている。
今、このブログを書いている瞬間だって、眠くてたまらない。でも、布団に入れば、きっと目が醒めてしまうに違いない。
そのことがストレスになる。体力を消耗する。あるいは判断力を鈍らせる。重大な事故を引き起こす・・・。いつ、命と引き替えの事態にならないとも言い切れない。
僕は、以前にも書いたとは思うが、とにかく長生きしたいのである。たとえ寝たきりになろうが、本を読めて、テレビを視られて、落語を聞ければ、それで人生は幸せだとすら思っている。
とにかく、いつまでも生きていたい。そのためには、取り敢えず、今日こそ早く、そしてぐっすりと眠りたい。
うーん、まずい。段々と目が冴えてきた。こりゃあ今夜も・・・。(5297)