今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2016年12月

2016年を総括すれば


 今日も、何事も起こらず終わってしまった。2016年も、あと、3時間足らずで終わる。
 自分の思いの中では、劇的なニュースに乏しい年だったと、昨日のブログに書いた。今日は、もう少し冷静に、データで自分の1年を振り返ってみよう。
 まず、歩行数である。今年年頭に、一年を通じて、平均1日7000歩を目標と定めた。それが、どうなったか。
 いやぁ、ギリギリではあるが達成出来たのである。平均7033歩。エッヘン。
 しかしながら、反省点も多い。毎日のブログの末尾に、前日の歩行数を記してきたので、お気づきの方もいらっしゃるだろうが、年末に入って、ガクンと数値が落ちた。2000歩台とか3000歩台という日も目立ったことだろうと思う。
 これは、年間での目標達成が確実になったせいでもある。そういう自分に対する甘さが、僕の欠点だとは、よーく自覚している。
 そんなこともあるので、歩行数に関しては、来年は、新たな目標設定を考えてみよう。明日か明後日には発表したい。
 休肝日は、年間ちょうど100日を数えた。毎日飲んだくれているような記憶しかないが、意外に品行方正だったのだ。エッヘン。
 でも、歩行数とか休肝日とか、健康面での目標数値は達成したのだが、その割に、体重も血糖値も落ちない。目標の立て方に問題があるのか、それとも、他に原因があるのか・・・?
 そんなこともあるので、来年は、体重についても、目標値を定めてみよう。明日か明後日には発表したい。
 ブログは、365回更新したと思っている。帰宅が遅くなって、日を跨いだこともあったかもしれないが、とにかく1日も休まなかった。エッヘン。
 お陰様で、全国のブログランキングというものがあって、”議員”というジャンルでは、ベストテン前後をウロチョロしているようだ。有り難い話である。
 いつだったか、コメント欄でそういうランキングに入っていることを教えていただいて以来、僕も俗物なので、けっこう気にするようになった。ランキング上位の議員のブログも覗いてみた。皆さん、真面目に政治の話題を採り上げていらっしゃる。ブログを、議会報告とか主義主張の発表の場としている方が多い。
 それに比べれば、僕のは、個人の日記の範疇を超えていない。反省というよりも、僕にはこういうことしか書けないと、改めて自覚させられた次第である。
 まぁ、僕の取り柄は、毎日更新するというくらいしかない。来年も365回の更新を続けていこう。
 
 今年も、たくさんの皆様にご愛読いただきまして、有り難うございました。相変わらずの泥酔更新も多く、誤字・脱字・誤変換のオンパレードだったことを、1年分まとめてお詫び申し上げます。それに懲りず、来年も、是非読んで下さいますよう、お願い申し上げます。
 良いお年を。(7826)
 

 

無事是佳年


 うーん、困った。自分の十大ニュースを、いや、せめて五大ニュースでも書いてみようと思ったのだが、これが意外に難題だ。
 世の中では、アメリカ大統領選挙や、東京都知事選挙、参議院選挙も行われたし、数多の不倫報道もあった。台風や地震、そして火災など、大きな災害もあった。あっ、忘れるところだった。オリンピックの年でもあった。
 だけど、僕が頭を悩ましているのは、100%自分自身の重大ニュースのことだ。僕の身の周りに、何が起こったかということである。
 10とか5に絞りきれないというのではない。逆だ。思い浮かばないのだ。いったい、今年僕は、何をやってきたんだろう?
 そこで、手帳を開いてみた。何もやってこなかった訳ではない。
 1月には、議会の常任委員長として初めての行政視察に行った。雪と風で飛行機が欠航し、急遽新幹線に切り替えるといった、てんてこまいの視察であった。
 3月と4月には、読書人倶楽部がらみのことで上京した。東京へは、9月と12月も行く機会があった。
 つがるプロレスの興行も3回行なった。特に、4月の旗揚げ戦には、附属中学校の後輩にあたる船木選手にも出場していただいた。
 趣味の世界では、相変わらず落語に明け暮れた。7月のヒロロ寄席では、僕を落語の世界に強く引きずり込んだ柳家喬太郎の噺を、たっぷりと楽しんだ。その他にも、大相撲夏巡業、新日本プロレス弘前大会、クラシックコンサート、狂言等を満喫した。
 一方で悲しい別離もあった。死別もあれば喧嘩別れもある。喧嘩をしても、仲直りできた場合もあるし、そのままになっている人もいる。
 だけど、手帳を見ながら1年を振り返って思い出すということからして、もう駄目なのだ。いつもの年なら、年末になると、「これが僕のベストニュースだ、10大ニュースだ」というものが、自然と頭に浮かんでくる。それが、今年はない。
 感性が麻痺してきているのだろうか? それとも、記憶力が低下してきているのだろうか?
 でも、考えてみれば、大きな病にも罹らず、怪我もせず、トラブルにも巻き込まれなかった。それが何よりだ。「無事、これいい年」とでもしておこう。
 いや、待てよ。あと1日ある。明日、もしかしたら、絶世の美人との運命の出逢いがあるかもしれない。それを期待して、今日は早く休もう。(3127)
  

非・断捨離


 苦手なものは、多数ある。異性と話すことも、地道に努力することも、三日坊主にならないよう根気よくものごとを進めることも、皆苦手だ。
 中でも、最も苦手なことの一つが清掃だ。部屋の中も、鞄の中も、いつも乱雑になっている。
 子どもの頃から、掃除当番を、よくサボっていた。中学時代には、掃除を抜け出して、映画に行ったこともある。それも、「バーバレラ」というちょっとHなSF映画。ませた餓鬼であった。
 さすがに年の瀬である。今日は、意を決して、部屋の片付けに着手した。手をつけたはいいが、なかなか捗らない。今は、かえって、朝より乱雑になっている。このブログを更新した後も、しばらく時間がかかりそうだ。
 日頃から整理・整頓を心掛けていればいいようなものだが、その整理・整頓も苦手だ。本でも書類でも、分類もせずに、いたるところに高々と積み重ねている。こまめに、ファイリングしている人や、本棚が整然としている人をみれば、素直に尊敬してしまう。
 昔は、記憶力が、その整頓ができないという悪癖をカバーしてくれていた。あれはあそこにあったはず、という大雑把とはいえ、記憶の残像が頭に残っており、たいがいは的中した。
 ところが、最近は、その力が急激に衰えた。だから、いつもいつも、探しものをしている。2時間前に置いた財布の場所すらわからなくなることもある。結果、あったはずのものが無い! と自分で自分に八つ当たりするはめになる。
 僕が、整理・整頓が苦手な理由の一つに、”捨てられない”という性分がある。書類や本もそうだが、例えば僕のPCの受信箱には、6000件を超すメールが残ったままになっている。
 これでも、数ヶ月前に一旦消去を試みた。何年も前のメールを、一つ一つ読み返して、不要と思われるものは、断腸の想いでゴミ箱に入れた。当然、消去できなかったものもある。いやむしろ、そっちの方が多かった。
 それも途中で止めた。冒頭述べたように、根気がないのだ。(自慢してどうする?)
 正直言って、女房の雑誌も服も、まだ捨てられずにいる。来年は7回忌だ。もう捨てても、叱られることはないとは思うのだが・・・。
 「断捨離」という言葉がある。僕は、この言葉と、まさしく正反対の生き方をしているみたいだ。断てない(酒を)、断れない(甘い誘いを)、捨てられない(物を、過去を)、離れられない(刹那的な快楽から)・・・。
 あーあ。我ながら情けない。なんて嘆息をついていたら、眠くなってきた。今日中に部屋を片付けてしまおうという決意も、責任も、義務も、いとも簡単に捨てられそうだ(2982)

役所が変わっていく


 12月28日なのである。今年も、あと3日で終わる。
 と、この日に及んで、とうとう、今年の歩行数の最少を記録してしまったようだ。まだ、3000歩にも遠く達していない。
 とにかく、今日は、朝から晩まで車で移動した。読書人倶楽部に行くのも、友人の家に行くのも、昼食を摂りに行くのも、市民劇場に行くのも、市役所に行くのも・・・。せめて市役所まででも自宅から歩けば、それだけで往復4000歩にはなる。でも、時間に追われる一連の流れで、今日は、全て車になった。
 その市役所である。久しぶりに行った。
 久しぶりと言っても、全回行ったのが先週の水曜日なので、ちょうど1週間ぶりだ。こういう仕事をしていると、1週間も足を運ばない期間というのは、ほとんどない。
 行ってみて驚いた。庁内にあるA銀行出張所の位置が変わっていた。
 いや、驚くべきことではないかもしれない。事前に通知はあった。でも、実際目の当たりにすると、驚きは禁じ得ない。
 それに伴い、これまでは離れた場所に設置されていた、A銀行とM銀行のATMが、一区画にまとめられた。これは便利である。
 便利と言えば、この後、庁内にコンビニエンスストアも開店するらしい。確かに、急に文具が必要になったときとか、午前中の会議や打ち合わせが予定外に長引いて、軽く昼食を済ませたい時など、コンビニがあれば重宝する。
 僕は、これまで、議会の開会中は、家からの途中にあるコンビニで、毎日、スポーツ新聞と栄養ドリンクを買って登庁していた。庁内にコンビニがあれば、その寄り道の手間も省ける。
 しかし、と、天邪鬼の僕は考える。行政サービスの面で、利便性が向上するのは大切だ。ただ、一民間企業の収益のために公有財産を使用させることには、まだ合点がいっていない。いいとも、悪いとも、自分の中で結論が出せないでいる。コンビニは、早い話がフランチャイズである。地元の事業者がフランチャイジーとなったとしても、売り上げの大半以上は、本部に吸い上げられる。中央大資本への資金の流れのもととなるスペースを、市役所が提供することになる。市長のよく言う、経営型行政運営というのは、そういうことなのかと、首を傾げたくなる気もしないでもない。
 そのことについて、まだ釈然としていない。便利になるからいいとは、両手をあげて賛同しかねているのが、今の僕だ。
 かと言って、頭から反対だというのでもない。オープンすれば、いろいろと利用する機会もあるだろう。なんとも中途半端な気分なのである。
 ともあれ、市役所がどんどん変わっていく。今ですら、何課がどこへ行ったのか迷うこともある。これは、慣れるまでは大変だ。議員でもそうなのだから、市民はさぞや当惑するかもしれない。(5972)
 

訃報


 僕の住む町の町会長さんが亡くなられた。行年84歳だった。
 僕は、ここ数年、その町会長の下で、副会長を務めさせていただいてきた。特に2年前からは、規約を改正して、副会長はたった一人となってしまった。
 とは言え、”副”とは名ばかりで、あまりお手伝いをできなかったのが実情だ。今さらながら、申し訳ない気持ちで一杯だ。
 2ケ月前くらいに入院された時、 お元気になられるまではということで、僕が代行を勤めることになった。しばらくして、退院しても復帰は難しそうだと聞いた時も、わざわざ臨時総会を開くのもなんなので、取り敢えず僕が代行して、来年度の総会で、正式に新しい会長を決めましょうということにした。その間、例えば市の広報を仕分けする等の作業は、町会長のご家族が続けてくれることになっていた。
 そこに今日の訃報だ。一気に代行の仕事が発生した。
 まず、ご自宅を弔問した。次に、通夜葬式等の日程が書かれた通知を、班長さんの家に持って回り、班内の回覧をお願いした。更に、会計役員の家を訪ね、香典その他の件を相談した。
 我が町会の規約には、葬儀の際の盛花については、なんの定めもない。これまでは出してこなかったようだ。
 でも、現職の町会長が亡くなったのである。規約に無いからといって、黙っていることもできない。かといって、僕の一存で決めるわけにもいかない。
 そこで、2名いる監事のお宅を訪問し、ご了解を得た。お一人からは、町会として精一杯の弔意を表わすために、立派な花を出せと厳命された。
 ついでに、監事のお二人には、今後のことを早急に決めるため、年明け早々の役員会の招集についてもお伺いを立てた。会長がお亡くなりになられた以上、いつまでも”副”が代理というわけにもいかないだろうからだ。
 しかし、どこの町会でも、なかなか町会長のなり手がないという話は、よく聞こえてくる。それだけ大変な仕事のようだ。
 会長は、生前、僕に次の会長をやれと言って下さったことがある。だけど、現実には、僕には無理だ。その器ではない。老若男女が暮らす町会を束ねていくには、豊富な人生経験と人望が必要だ。
 それにまた、かなり多忙な職務だとも聞いている。うちの町会に限らず、何人かの町会長さんの話を伺っていると、とてもズボラな僕には務まりそうもないとは、かねてから思っていた。
 だから、現在の代行としての僕の役どころは、早く次の体制をまとめることだろうと思っている。 
 いやいや、そんなことよりも、今は、町会長のご冥福をお祈りすることが先だ。在りし日のお姿を思い出して、静かに手を合わせよう。合掌。(7228)
 
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