今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2017年02月

学力格差 驚くべきデータ  今日の一般質問から


 弘前市議会は、今日から一般質問が始まった。今議会では、19人の議員が登壇する。
 初日のトップバッターは、S議員。S議員は、子どもの学力向上対策について、これまでも何度も採り上げてきている。
 今日も、学力格差の問題を質問した。中央公論誌に掲載されたという引用し、勉強が好きで、1日3時間以上学習しても、家庭環境によっては、全く勉強をしない子どもに、成績では敵わない、という話をしたのだ。
 うーん、びっくり。ふーん、やっぱり・・・。どっちだろう。でも、話を聞いているだけでは、良く理解できないところもあったので、休憩時間に、Sさんから、その中央公論を借りてきた。
 それによると、まず、家庭の社会的経済的状況を、SESという指標で整理したのだそうだ。この指標は親の所得や学歴を合成して算出したもので、それらが高いほど、その数値も高くなる。さらに、その中には、子どもに対する、どの段階の学校まで進んで欲しいかといった学歴期待値や、子どもに新聞を読ませているとか、絵本の読み聞かせをしてきたかといった、文化的な側面も含まれているのだそうだ。
 そして、そのSESを、低・中の下・中の上、高の4段階に分類して、それぞれの子どもの平日の家庭での勉強時間とテストの正答率の相関を見る。すると、3時間以上勉強したSESの一番低いランクに属する子どもの平均よりも、最も高いランクに属していて、全く勉強しなかった子どもの正答率の方が高かったという結果が出たとのことだ。
 実際には、全く勉強しないといっても、程度差はあるだろう。最低宿題くらいはやっているのかもしれない。それに、勉強の量と質は、単純に時間だけでは計れない。とはいえ、これは、やっぱり驚きである。
 S議員は、親の所得格の差が学力格差につながっていることを改めて指摘した。そして、教育委員会に対し、その格差を埋めるような施策の実施を求めた。
 それと、先ほども書いたように、親の教育に対する意識の差もある。むしろこちらの方が、根深いかもしれない。簡単には変えられないからだ。
 実際に、「なんも勉強なんてしなくていいから、家の後を継いでくれさえすればいい」、という親御さんも決して少なくはないと思う。それを否定するものではない。ただ、そういった周囲の環境というか空気が、学力の格差となって顕れているという事実が、厳然としてあるというだけだ。
 自分の幼少期を顧みれば、そのSESとやらは、おそらく低くはなかった。親の所得とか経済力はわからないが、少なくとも、”本”だけは、売るだけあった。童話でも、図鑑でも、漫画でも、手を伸ばせば、いつでも読むことができた。文化的環境としては、とても恵まれていたと思う。
 その割りに、学力が伸びなかった理由は簡単だ。ついさっき、童話でも、図鑑でも、漫画でも・・・と書いてはみたが、その中で、漫画の割合が異様に高かったからに他ならない。(6726)
 

小売業の受難


 「さくら野百貨店が倒産した!?」 朝一番で、びっくりするようなニュースが飛び込んできた。共につがるプロレスの共同代表を務めるF君の事務所を訪ねた時の話だ。
 さくら野弘前店へは、ついこの間、4月の大会の前売り券販売を依頼してきたばかりだ。もし本当なら、大変な(?)ことになる。僕らも債権者ということになるのか。F君と僕は、すぐにさくら野に車を飛ばした。
 行ってみたら、通常通りに営業している。正面入り口からは、普通にお客様が出入りしている。
 よくよくネットで調べてみたら、倒産したのは、さくら野仙台店を運営する会社なのだそうだ。弘前店・青森店・八戸店・北上店を経営する会社全く別経営ということで、まずは安心した。
 それにしても、僕は、自分でも経験しているせいか、”倒産”とか”破産”という言葉には、過敏に反応してしまうきらいがある。とても他人事とは思えないのだ。どんな会社であれ、そこに至るまでの苦難、決断の思さ、またここから歩まなければならない更なる道のりは、並大抵のものではないということは、よくわかっているつもりだ。
 ただ、今回のニュースを見ると、年商70数億円に対して、負債額は31億円。日銭を稼げる仙台駅前であれば、まだまだやりようがあったのではないかとも感じる。取引金融機関とか仕入れ先との関係が、よっぽど上手くなかったのか・・・なんて詮索しても始まらない。僕が口を挟むことではない。
 所詮、他人事だ。ん? 8行前と、言ってることが正反対だ。まぁ、前言を簡単に翻すのは、僕の得意技の一つだ。
 新聞には、原因の一つは、百貨店業界の構造的不況と書かれていた。それはまさしくその通りだろう。政府が〇ベノミクスの成果だといっているほどには、特に地方においては、消費の回復は進んでいない。
 しかし、構造不況は、百貨店業界だけではない。極端に言えば、店舗型小売業全般に言えることではないか。 
 ネット通販やカタログ販売などで、外出しなくても、者を購入できるようになった。それ以前に、人々が、物を所有するということに、こだわりをもたなくなった。今日のネットで、ファッションレンタルが増えているというニュースを見かけた。出版業界、書店業界の売り上げは下がる一方なのに、図書館の貸し出し冊数は伸びているという話も聞く。
 買わなくても、借りればいい。手元に置いておかなくても、必要に応じて必要な時だけ入手できればいい。そんな世の中になってしまった気がする。合理的と言えば合理的ではあるが、そこに一抹の寂しさを感じざるを得ない。これでは経済が縮小する一方ではないかと心配もする。
 そう言いながら、書店で目にとまった本を、あとで図書館から借りればいいやと、買わずに帰って来てしまった。まぁ、言ってることとやってることが違うのも、僕のもう一つの得意技だ。(3444)
 
 
 

重い重い思い 今日のブックトークから


 今日は、弘前読書人組合2月例会、ブックトークの日だった。今日の講師は、参議院議員の田名部匡代さん。昨年の選挙で当選した、若手(僕より)美人女性国会議員だ。
 といっても、政治や選挙の話をしてもらったのではなく、あくまで”本”の話だということは、先日にも書いた通りだ。
 実は僕は、田名部さんとは初対面ではない。遠い昔、書店をやめてすぐの頃、ある民主党議員の選挙の手伝いをしたことがある。その時の体験や、そこで得た人と人とのつながりが、今の僕を支えてくれていることは間違いないのだが、だからと言って、僕が民進党員だとかサポーターだとかといったことは全くない。
 匡代さんとも、その頃に初めてお会いした。握手をしたとき、なんて白く柔らかくふくよかな手なんだろうと感激したものだった。
 以来、僕も、市議会議員とはいえ、政治の世界の末席に身を置くようになって、様々な機会でお会いすることも増えた。会えば、挨拶くらいはしていただけるようにはなった。
 でも、”本”の話は、初めてである。考えてみれば、国会議員でも、首長でも、ちょっとした会話を交わすことはあっても、本のことは話題にしたことがない。先週は、K市とF町の首長に、つがるプロレスの宣伝はしておいたくらいなのだが・・・。
 さて、今日のブックトークである。田名部さんは、現在、国会図書館小委員長を務めておられるそうだ。国会図書館というのは、いわば日本の知の拠点であり、最前線である。残念ながら僕は、まだ一度も行ったことがない。
 そんな、まくら(?)から入って、幼いころの読書体験を話しはじめた。ヘレンケラーやナイチンゲールの伝記を読んで、人のために役に立つ仕事をしようと思ったのだそうだ。
 ご自身の印象に残っている本として紹介してくれたのが、「アルジャーノンに花束を」だ。確か、読書人倶楽部の蔵書にもあったはずだ。相当に深く読み込んでいるようだ。
 最近読まれたとものては、「無罪請負人」 を挙げた。小沢一郎や鈴木宗雄を担当した弁護士の著書だそうだ。
この辺りには、多少、ほんのちょっとだけ、政治的なニュアンスも感じられた。でも、読んでみたいと思った。


 最も、力を入れて紹介していたのが、「13歳、私を無くした私」という本。13歳の時から実の父親に性暴行を受けて育ってきた著者の、悲惨な叫びを描いた本なのだそうだ。
 ・・・話を聞いているだけで胸が苦しくなった。とても重い話だった。
 辛い、悲しいと、声に出せるうちはいい。声にも出せない苦しみ、人に(肉親にでさえ)明かすこともできない悩みの深刻さを、僕らはもっと真摯に受け止めなければならない、と改めて強く感じた。
 今、国会で、110年振りに強姦罪の法改正が議論されているそうだ。この件に限らず、今の世の中は、加害者の権利が、必要以上に守られ過ぎている気がしないでもない。犯罪に対する厳しい対処(厳罰化)であれば、僕は大いに賛成だ。目には目を、罪には罰を、因果応報・・・。僕は、罪を犯した全員が、慈悲と情けと教育だけで更正できるなんてロマンスは、俄には信じられない。
 まぁ、まずは、僕が対象に(加害者でも被害者でも)ならないように、せいぜい気を付けようっと。(6020) 

恐るべき後輩たち


 弘前市立図書館主催の、「図書館市民フォーラム」に参加してきた。 おそらく、この種のイベントは、初めてだったのではないかと思う。趣旨としては、この4月から、図書館にも指定管理制度が導入されるので、そのことに対して、市民によく理解して貰おう、ということではなかったかと、僕なりに推察している。
 全体としては、充分に及第点をあげられる内容だったと思う。特に、I館長の司会がよかった。普段、館長室でお会いしていた時は、口数も少なく、あまり愛想っ気も無いような印象を持っていたのだが、いやいや、こんなに面白い人だとは思ってもみなかった。羨ましいくらい会場の笑いをとっていた。
 弘前大学附属中学校の生徒による、ビブリオバトルには感銘を受けた。3人が出場し、それぞれが面白かったと思う一冊の本を、限られた時間内で紹介する。その中から、僕ら聴衆が、自分でも読んでみたいと思った本に投票(拍手を)し、チャンプ(チャンピオン)本を決めるという、一種のゲームだ。
 出場していたのは、2年生一人と1年生二人。全員が、原稿は一応用意はしていたのだろうが、誰一人、棒読みすることなく、原稿用紙に頻繁に目を落とすこともなく、自分の言葉で、本の内容や面白さを、堂々と、切々と、発表していた。恐るべし! 我が後輩達。
 その後に行われた、コンサートも、朗読も良かった。図書館のロビーや、郷土文学館のスペースを利用すれば、いろいろな形の広がりを持ったイベントを開催することができる。その一端を、実際に見せていただいたような思いだ。
 ただ、あまりいただっけなかったのが、基調トーク。オラシオさんという、音楽ライターを自称されている方が講師だった。青森市民図書館に8年間勤務されたという経験を持っているらしい
 が、話の内容は、その勤務経験の範囲を超えるものではなかった。図書館の利用の仕方とか、10進分類法のことだとか・・・。極めて基礎的なことばかり。
 はっきり言って、今日、このフォーラムを聴くために会場に集まった多くは、比較的、図書館のヘビーユーザーと呼ばれる方々だと思う。思うでは無い。実際に、図書館でよくお見受けする人が何人もいた。
 つまり、僕も含めて、今さら図書館の利用方法を伝授していただきたくて参加したわけではない。聞きたかったのは、図書館の可能性や、未来像だったのではないかと思う。
 実は、昨年の早い段階で、このフォーラムの計画は聞いていた。その時に僕は、「走れ、移動図書館車」の著者で、弘前出身のKさんを講師として推薦した。Kさんのことは、以前、このブログでも紹介したことがある。
 kさんが、カンボジアで図書館を創った時の話、あるいは、東日本大震災直後の津波被災地に、移動図書館を走らせた時の体験談からは、図書館が、いかに人々の暮らしに必要なのか、人々の心に希望を与えてくれている施設なのかが、痛いほど伝わってくる。地域のための図書館、人々に愛される図書館といった視点で考えるためには、そういった話を聴く方が、数百倍、有意義だったと思う。
 Kさんとは、昨年の3月に、弘前市立図書館指定管理の件で、ワインのグラスならぬボトルを傾けながら、ゆっくりと話し合った。今回の結果が、Kさんの意に添うものだったのかどうかはわからない。でも、機会があれば、これからの図書館の在り方について、何度でも話を伺いたいと思う。
 そうそう、Kさんも弘前大学教育学部附属中学校の卒業生。恐るべき後輩の一人である。(5256)

金曜日ラビは寝坊した


 プレミアムフライデーなのだそうである。国が、地方自治体や企業に、毎月最終金曜日は、午後3時で仕事をやめさせて、その時間をショッピングや飲食に使えという、大雑把にいえばそんな政策だ。
 はっきり言って、馬鹿である。僕は、かつて、週休2日制度を官民挙げて導入するときにも違和感を感じた。あの時は、日本企業の海外進出がめざましく、それを阻止せんがために、働き者の日本人の腰を折ろうとした西欧経済界の圧力が見えたような気がした。
 今回は、そういった圧力や陰謀はそれほど感じないが、目的と効果には、大いに疑問がある。第一、そんなことが可能な企業なんて、全国にいったいいくつあるのだろうか?
 3時過ぎに、街を歩いてみた。銀行は、もともと3時にはシャッターを閉めるのだが、窓からはこうこうと灯が漏れていた。保険会社も然りである。弘前市内で婦売れ観編むフライデーに呼応した企業は、おそらく、10本の指で数えきれるのではないか。ひょっとしたら、片手でも・・・?
 第一、市内最大企業ともいえる弘前市役所からしてが、せいぜいが、定時退社を促すだけで、午後3時閉庁までは打ち出すことはできない。当たり前だ。市民サービスということを考ええれば、政府の勝手な思いつきに従って、営業時間を短縮するなどもっての他だ。
 ましてや、地方都市の中小零細の企業ではなおさらである。確かに、事務系や製造系の企業では、あるいは可能かもしれないが、小売りや飲食サービス系の企業では、いささかの売り上げ増は期待できるのかもしれないので、休むことはできない。、逆に、それだけに、従業員に休みを与えるなんてことは難しくなる。結局、労働環境に関する、地域間、業種間、企業規模間の格差を、いたずらに拡げるだけのような気もする。
 そもそも、日本人の美徳は、こつこつと真面目に働いて、少しずつでも、子孫のために蓄財するというところにあったのではなかったか。(僕には全く出来ていないけれど・・・) それを否定するかのような、働かせまい、浪費させようという、国家の指針には、やっぱり首を傾げざるをえない。
 などと言いながら、今日の僕は、特別な金曜日を過ごした。決してさぼっていたわけではない。体調がすこぶる優れなかったせいではあるが、午前中の予定がキャンセルになったのをいいことに、久々の昼間の読書タイムを満喫した。午後も、いくつかの約束を早めに切り上げて、4時からの会合の前に、少しだけだけど横になることが出来た。
 それで、溜まりに溜まった疲労が癒やされるわけでもないが、なんとなく、ものすごく贅沢な時間を過ごせたようにも思う。
 その代わり、溜まりに溜まった仕事は、またもや明日以降に持ち越されてしまう。うーん、一体僕はどうするんだろう?
 まぁ、いい。明日は明日の風が吹く。♬あしーたがある  あしーたがある あしーたがあーるーさ♬ (13881)

 追伸、今日のタイトルは、、昔読んだケメルマンのミステリーから拝借した。
 
 まさしく今日の僕は、寝坊どころか昼寝までもした。そして早寝する。

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