元の農協の組合長、Iさんのお通夜で焼香をさせていただいた。一見、農協とは何の関係もなさそうな僕だが、Iさんとは実は深いご縁があった。
今から20年ほど前の話である。弘前青年会議所が中心となって、アップルフェアという催しが行なわれていた。日本一の生産量を誇る”りんご”を、農産物としてだけだはなく、人づくりや街づくり、あるいは今流行の言葉でいうところのシティプロモーションのシンボルとして、積極的に活用しようという壮大な(?)試みだった。
具体的に言えば、リンゴの童話の公募やその入選作の出版。全国各地の高齢者への”りんご子供大使”の派遣、りんご料理とシードルを味わうアップルパーティ、子供達を対象としたリンゴの絵や習字のコンクール等々、ありとあらゆる分野で、リンゴをテーマとした企画を実施した。現在も続いている「アップルマラソン」や「全日本りんご追分コンクール」をスタートさせたのも、その頃のことだ。居酒屋や歯科医の医院長室で、侃々諤々の議論の末、次から次へとアイディアが生まれた現場に僕もいた。
さきほど、”青年会議所が中心となって”と書いたが、運営主体は「アップルフェア運営協議会」という組織だった。これには、弘前市や商工会議所、観光協会、農協、地元マスコミ等々も加わっていただいた。
青年会議所はその実働部隊を担っていた。そんな関係で、青年会議所の理事長を経験すれば、その翌年に、アップルフェア実行委員長に就くことが慣例となっていて、僕も41歳の時に、実行委員長をやらせていただいた(やらされた?)。
そして、その年のアップルフェア推進協議会会長が、Iさんだったのである。おかげで何度も顔を合わせる機会をいただいた。
今はもう、何の賞だったかすら忘れたが、確か、当時の自治省主催の、地域おこしに関する顕彰制度で、アップルフェアが全国表彰されることになった。Iさんと僕は、喜び勇んで上京した。
表彰式自体の記憶は薄い。会場で、当時の青森市長のSさんともお会いしたことは覚えている。
その夜のことだ。Iさんと僕は、宿泊しているホテルの真向かいの居酒屋に入った。盃を交わしながら、アップルフェアのこと、農業のこと、本屋のこと、弘前の将来のことなど、時の経つのも忘れて熱く語り合った。気がつけば、テーブルの上には、二合徳利が7~8本、横になっていた。二人で一升半ほど空けた勘定になる。
「今泉さん、酒が強いねぇ」「いやぁ、Iさんの方こそ」・・・、朦朧とした意識の中で、互いに讃えあった。
そんなことが、ふと思い出される。新聞によると享年70歳。あの頃は二人とも、まだ40代だったのだ。合掌。(11497)