今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2017年07月

二合徳利


 元の農協の組合長、Iさんのお通夜で焼香をさせていただいた。一見、農協とは何の関係もなさそうな僕だが、Iさんとは実は深いご縁があった。
 今から20年ほど前の話である。弘前青年会議所が中心となって、アップルフェアという催しが行なわれていた。日本一の生産量を誇る”りんご”を、農産物としてだけだはなく、人づくりや街づくり、あるいは今流行の言葉でいうところのシティプロモーションのシンボルとして、積極的に活用しようという壮大な(?)試みだった。
 具体的に言えば、リンゴの童話の公募やその入選作の出版。全国各地の高齢者への”りんご子供大使”の派遣、りんご料理とシードルを味わうアップルパーティ、子供達を対象としたリンゴの絵や習字のコンクール等々、ありとあらゆる分野で、リンゴをテーマとした企画を実施した。現在も続いている「アップルマラソン」や「全日本りんご追分コンクール」をスタートさせたのも、その頃のことだ。居酒屋や歯科医の医院長室で、侃々諤々の議論の末、次から次へとアイディアが生まれた現場に僕もいた。
 さきほど、”青年会議所が中心となって”と書いたが、運営主体は「アップルフェア運営協議会」という組織だった。これには、弘前市や商工会議所、観光協会、農協、地元マスコミ等々も加わっていただいた。
 青年会議所はその実働部隊を担っていた。そんな関係で、青年会議所の理事長を経験すれば、その翌年に、アップルフェア実行委員長に就くことが慣例となっていて、僕も41歳の時に、実行委員長をやらせていただいた(やらされた?)。
 そして、その年のアップルフェア推進協議会会長が、Iさんだったのである。おかげで何度も顔を合わせる機会をいただいた。
 今はもう、何の賞だったかすら忘れたが、確か、当時の自治省主催の、地域おこしに関する顕彰制度で、アップルフェアが全国表彰されることになった。Iさんと僕は、喜び勇んで上京した。
 表彰式自体の記憶は薄い。会場で、当時の青森市長のSさんともお会いしたことは覚えている。
 その夜のことだ。Iさんと僕は、宿泊しているホテルの真向かいの居酒屋に入った。盃を交わしながら、アップルフェアのこと、農業のこと、本屋のこと、弘前の将来のことなど、時の経つのも忘れて熱く語り合った。気がつけば、テーブルの上には、二合徳利が7~8本、横になっていた。二人で一升半ほど空けた勘定になる。
 「今泉さん、酒が強いねぇ」「いやぁ、Iさんの方こそ」・・・、朦朧とした意識の中で、互いに讃えあった。
 そんなことが、ふと思い出される。新聞によると享年70歳。あの頃は二人とも、まだ40代だったのだ。合掌。(11497)
 

紙の動物園


 後輩たちの美術展を観に、弘前文化センターまで行ってきた。「ひろふ動物園展」。弘前大学教育学部附属中学校3年生によるアートプロジェクトと銘打たれている。
 ひろふ1まずは、写真をご覧いただきたい。そう、針金と紙で作られた巨大な動物たちが、ところ狭しと並んでいる。建物の中に、”ガラスの動物園”ならぬ”紙の動物園”が出現したようだ。
 一つ一つの動物たちからは、生徒たちの感性と個性があふれ出ている。表情・しぐさ・色彩・形・・・。決して本物らしくは見えないのだが、でも活き活きと僕らに語りかけてくるようだ。
 聞けば、3年生の卒業記念制作ということらしい。へー、40年近くも経つと、美術も変わるものだ。僕らの時代は、壁画だったような気がする。もっとも、絵の苦手な僕は、それに参加した記憶がない。
 ひろふ2標題の中に、凄いものを見つけた。この赤いはらぺこ青虫(?)のような作品のタイトルが「薄情と巨大なうごめき」というのだそうだ。「学校生活においての歓びと感動、現代社会における精神的勤労とそこから派生した典型的な薄情を表現した」と解説が添えられている。うーん、何とも、文学的といおうか、抽象的といおうか・・・? 僕は、こういうセンスは嫌いではない。
 僕らの中学生時代から、とかく、附中生は、理屈っぽいとか生意気だとか、ませているとか言われてきた。どうやら、その伝統は、40年以上たった今も、しっかりと受け継がれているようだ。
 そういったことも含めて、とても面白い作品展である。皆さんもご覧下さいと言いたいところだが、この展示は、昨日と今日の2日間だけだ。今年で3回目ということなので、ひょっとしたら来年も開催するかもしれない。その時は、是非、足を運んでみていただきたい。
 今日の夕方からは、弘前読書人倶楽部で、恒例のブックトークが行われた。佐藤愛子や向田邦子の作品を韓国語に翻訳した郭美京さんという方が講師だった。
 話の内容もさることながら、非常に正確な、そして美しい日本語を使っておられたのが印象的だった。僕ら日本人がぞんざいに扱っている言葉を、とても丁寧にされている。そのことに、新鮮な驚きを覚えた。韓国では、日本以上に、若者の読書離れが進んでいるという話にもビックリした。
 午前中はアート、午後は文学と、まるで文化人のような一日を過ごした。まるで自分らしくない。
 しかしまぁ、7月は、プロレスとカラオケにばかり勤しんできた。たまには今日のような日があってもいい。いや、なくてはならない。(7518)
 
 
  

歌は友達


 日頃からお世話になっている、社会福祉法人の納涼祭のご案内をいただいたので、出席してきた。この法人は、市内3ケ所で施設を運営しており、その全てにお招きをいただいている。とても有り難い話だ。
 いつも感心しているのは、法人の理事長の姿勢だ。参加者一人一人に声をかけて、いつも会場全体に目配りをしている。
 僕の場合だと、自分で主催した集まりであっても、酒が入ると、周囲のことも忘れて、誰よりも先に酔っ払ってしまう。誰かに不調法していても、そのことにすら気がつかない。
 大いに反省。僕も理事長の姿を見習いたいと思う。
 3施設とも、それぞれの職員の創意と工夫で運営されている。だから、パターンが皆違っていて、面白い。
 例えば余興。各地域の皆さんのお踊りの披露もあれば、津軽三味線の演奏もある。今日は、プロの歌手による歌謡ショーがメインであった。
 やはり、老人保険施設なので、古い唄が多い。僕の隣りに座っていた、若いKi県議などは、チンプンカンプンのようだった。
 僕は、彼に比べれば、2周りほど年上なので、少しはわかる。歌手がテーブルの前まで来て、「弘前と言えばリンゴ。三橋美智也でリンゴの唄と言えば?」と訊いてきたので、すぐに、♪ おぼえているかい 故郷の空を・・・♪と、口ずさんでしまった。そうしたら、「歌いますか?」とマイクが僕に向けられた。僕は必死に手を振って、お断りをした。
 大川栄策の「さざんかの宿」の時も、一瞬僕にマイクが向けられそうになった。腕で大きなバッテンを作って、難を逃れた。
 決して唄が嫌いなわけではない。カラオケスナックなどで内輪の前では、何曲でも歌う。運転しながらでも、ブログを書きながらでも、その時その時の気分で、何か鼻歌を歌うことはよくある。
 だけど、議員としてお招きされて、大勢の人の前で歌うとなると、話は別だ。恥ずかしい。尻込みしてしまう。僕は、見た目どおり(?)、とてもシャイな性格なのだ。
 しかし、そうと言ってばかりもいられなくなった。9月には、あるカラオケスナックの大きなパーティーに呼んでいただくことになって、ステージで何か一曲歌えと言われている。先日は先日で、青春歌謡会というグループの会長に就任させられた。何か、ここのところ、”歌”づいている。
 これは、いよいよ覚悟を決めて、歌の練習に励まなければならない。さぁ、何を歌おうかな?(10820)
 

雀百まで


 ♪ チャンチャーカチャン タタタ チャンチャーカチャン タタタ チャカチャカチャカチャカ  チャカチャカチャン♪ 
 何のことかおわかりになるだろうか? そう、ラジオ体操の前奏である。音符を仮名で表わすのは難しい。この辺が、僕の作文能力の限界なんだろう。
 今朝、隣の町会で開催しているラジオ体操に行ってきた。僕らの町会の子ども達にも声をかけていただいている。23日からやっていたようだが、毎晩宴席が続いたせいか、今日になって初めて顔を出した次第である。
 僕らの町会は、再三このブログでも紹介してきたように、わずか60件ほどしかない。隣の町会も、せいぜい僕らの町会と同じくらい、ひょっとしたら、もっと規模が小さいかもしれない。そんな2つの町会から、10人以上の子ども達が集まっている光景は、ある意味、新鮮な驚きであった。
 今日の目的は、お世話して下さっている、隣町の町会長さんや青少年育成委員の方へ挨拶をすること。いわば義理を果たさなければならないということだった。ところが、意に反して、一緒にやるはめになった。それも、ラジオ体操第一のみならず第二まで・・・。
 朝の6時という、僕にすれば”超”のつく早起きをした上に、想定外の運動までしたためか、今日は、一日中、からだがだるかった。危うく車の事故を起こすところもした。大切な月末の支払いも忘れた(ほとんど言い訳にしかすぎないなぁ)。
 それにしても、ラジオ体操というものも、不思議なものだ。小学生の頃から、ほとんどやったことがない。なのに、この運動嫌いな僕でさえ、伴奏が鳴り始めれば、なんとなくその動作を思い出す。それなりに出来るものだ。
 "雀百まで"とは言うが、確かに、自転車にしても、九九にしても、10歳の頃までに、身体や頭に刷り込まれたものは、なかなか忘れないものらしい。それを考えれば、知識であれ躾であれ、小学校における教育は、とてつもなく重要なものだと思う。一昔前のような”ゆとり教育”なんて、もっての他だ。算数・理科・社会・・・教えなければならないことはしっかりと教えるべきだろう。
 最も教えなければならないのは国語だ。読解力・表現力を、低学年のうちから身につけて欲しい。
 少なくとも、今日のブログの冒頭に晒したような、お粗末な日本語を使うようにならないよう、子ども達には正しい日本語を教えていただきたい。教育関係者には、切にお願いするのみであ(7553)
 
 

来たるべく日のために


 敬老の日までは、まだ1ケ月と10日もある。なのに、もう、敬老大会の準備が始まった。
 先日開催された、学区連合町会の町会長会議で、敬老大会に関する資料が配付され、学区の社会福祉協議会会長から一通り説明を受けた。他の町会長さんたちは、毎年やってきていることなのだろうから、すぐ理解したみたいだが、何せ僕は、初めてのことだ。正直言って、よくわからなかった。例えば、〇月〇日までに、△▼の用紙と▼△の用紙を提出しろと言われても、それがどの用紙かがよくわからない。記入の仕方も確認した方がいい。
 この7~8年くらい、副会長として毎年敬老会に参加はしてきたが、細かい手続きや対外的な折衝は、全て前会長が行なってくれていた。改めてそのご苦労に頭が下がる思いだ。
 というわけで、午前中に市役所の担当課を訪ねた。時間にすればほんの数分だったが、応対してくれた職員がとても新設で、内容がすとんと腹に落ちた。明日にでも、書類を届けに行こうと思う。
 夜は、自分の町会の役員会。 敬老大会についての打ち合わせだ。
 今年も例年通り行なうことは、5月の総会で決定済みだ。予算も前年同様だ。
 ただし、会場は、ここ数年間同じ場所が続いたので、今年は変えてみることになった。若い副会長の骨折りで、学区内にあるホテルを押さえることができた。
 余興は、3年前までは、出席者によるカラオケだったが、実のところ、積極的にマイクを握る人は限られていた。僕も毎年のように薦められたが、町会の皆さんの前で披露する勇気はない。そこで、昨年一昨年と歌手を招いてみたところ、けっこう好評だったので、今年もその方向で考えることにした。
 郊外の大きな町会では、市長に招待状を出しているところもあるらしい。だけど僕らは、わずか60軒ほどの小さな町会だ。ちらっと提案してみたが、そんな畏れ多いことはやめようということになった。
 その他、不参加の人への記念品はどうするか、案内を出すのは敬老会対象者(満75歳以上)にするのか、もっと広く参加を募るのか・・・なんてことを細かく協議した。
 たかだか10名ほどのささやかな集いでも、こうして今から準備がスタートしている。日頃の僕の生活リズムでは考えられないことだ。
 まぁ、僕もあと10数年したら、堂々と対象者として出席できる予定だ。その時のために、若い町会三役の皆さんと、楽しい会を継続し育てていかなければと思う。
 先が長いなぁ。いや、案外、あっという間だったりして・・・。ひょっとして、その頃になると、対象年齢が更に上がっているかもしれないし・・・。
 とにかく、何回でも祝って貰えるように、長生きだけはしなくっちゃ。(8029)
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