今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2017年08月

8月の終わりに


 いつの間にか、8月が終わった。朝夕の風に、秋の気配を感じる。
 今朝なんかは、半袖に短パンでごはんを食べていたら、涼しさを通り越して、寒気すら感じた。鼻水が止まらない。慌てて風邪薬を飲んだ。 
 とにかく、いろいろなことがあった一ヶ月であった。1日のねぷた運行に始まり、東京出張、ねぷた観戦、十和田市までのプロレス遠征(?)、ブックトーク、議会報告会、卍の城物語、議会開会、そして昨日の祝賀会まで、その準備や関連事項で、手帳の予定欄は真っ黒になってうた。
 告白しよう。お陰で、休肝日は、月刊の目安としている10日に、遠く及ばなかった。
 読書も進まなかった。夜は、相変わらず寝付きが悪いのだが、疲れているためか、細かい活字に向かおうという気力がわかなかった。以前読んだ漫画や週刊誌を、睡眠薬代わりに横にめくっていた。
 その代わり、歩くのは、一日平均7100歩という目標を遙かに上回った。ねぷたや出張、そして営業が功を奏したのだと思う。
 さて、明日からは9月。9月も、公務・行事が目白押しだ。
 なんと言っても、議会の本格論戦がはじまる。今議会は、一般質問の他に、決算審査もある。特に、決算審査は、一人あたりの後時間が35分しかない。いくつもある課題を、どう整理してただしていくか、これからが大切な時間だ。
 句会もある。お題は「野分」。普段、使わない言葉なので、なかなか句想が湧いてこない。苦労している。
 町会長になって初めての敬老会のある。もはや、人数も確定し、会場も押さえ、必要書類も提出を完了した。でも、何があるかわからない。初めての事業は、終わるまで気をぬくことができない。
 ブックトーク、学区町会長会議、ペンクラブの打ち合わせ等々、毎月の定例行事もけっこう続く。ある市民グループの9月の例会では、市の決算を報告する約束になっている。きちんと要点をまとめておかなければならない。
 あっ、そうそう、これは内緒の話だが、「青春歌謡会」なるグループの会長にも就任させられてしまった。その例会もあるし、それとは別に、某カラオケスナックの歌謡大会からもお招きを受けている。一曲
 こうしてみれば、8月ほどではないにせよ、9月も、それなりに忙しくなりそうだ。でも、休肝日だけは確保しなければ・・・。今夜の生ビールを最後に、しばらくアルコールを抜いてみようかな・・・無理そうだ。(8722)
 

10年&40回 きょうの祝賀会から


 いつの間にか、10年が過ぎ去っていた。
 最初に選挙に出ようと思い立った時には、いわゆる素人しか、身の周りにはいなかった。金もなかった。だから、非常識だったかもしれないが、前例にこだわらない(こだわれない?)、手作りの 選挙活動をした。
 あれから、もう10年が経った。
 その時の公約の一番目が、定例議会が終わったら必ず議会報告会を行ないます、ということだった。一年間に定例議会が4回。10年会で40回。それも先般達成した。
 きょうは、その祝賀会を、後援会の皆様に開いていただいた。面はゆいような、照れくさいような、でも、本当に嬉しい次官を過ごしてきた。
 議長にも、ご祝辞をいただいた。日頃の議員活動に、苦言を呈されるのかとも心配したが、お褒めいただいた。僕のような毛色の変わった議員も必要だとまで言っていただいた。心から感謝を申し上げたい。、
 僕は、前々から言っているように、単なるお調子者だ。褒められれば、木はおろか、天にまで登る。来週から始まる一般質問で、毛色の違いを存分にお見せしたいと思う。正々堂々と理事者とは議論を闘わせても、議長の迷惑になるような行為は絶対にしないつもりだ。
 僕にとって、意義深かったのは、議会報告会40回達成の方。この三日坊主の僕が、よくもまぁ、こんな回数を続けられたものだと思う。
 ただ、これは、僕の議員としての信念だ。多くの人に投票をいただいて議員にならせていただいている以上、議員としてどんな仕事をしているのかを報告するのは、最優先すべき責務だと考え実行してきた。これは、これからも続けたい。
 それにしても有り難い。会費を払ってまで、大勢の皆様にお越しいただいた。それなのに、一人一人の皆様と、充分にお話しすることができなかった。それが気がかりではある。
 今日、お見えになられた方々ばかりではなく、いつでも誰とでも、いろいろな話をしたい。聞きたい。だから、携帯電話番号もオープンにしている。遠慮無く、電話を入れて欲しい。
 ただし、会議中などで、出られない時もある。また、知らない電話番号からの着信だと、借金とりではないかと身構えることもある。そんな時は、「〇〇です。電話下さい」と、留守電に入れて欲しい。大概の場合は、後から電話をする。
 デートのお誘いならば、”大概の場合”なんて言わず、必ずすぐに電話をかけ直す。是非、お電話をお待ちしています。って、何の話だったっけ。
 あっ、そうだ。10周年の話だ。というわけで、明日から新たな時を刻む。そのためにも、きょうは、そろそろ寝たい。お休みなさい。(4727)
 
 

幸福とは


 枕元に置いたスマホから発せられる聞き慣れない音で目が醒めた。それは、強引に夢の世界から引きずり出されるような、おどろおどろしい音だった。
 誰だ!? こんな朝早くから電話をかけてくる非常識な奴は? 最初は腹立たしく思ったが、すぐ切れたところをみると、着信音ではないらしい。
 次には、目覚まし時計のセットを間違えたのかとも思った。だけど、改めてスマホのディスプレーを見たら、そこには「北朝鮮がミサイル発射」という文字が浮かんでいた。ははぁ、これが音に聞こえたJアラートというやつか。確かに音が聞こえた。
 すぐに、ラヂオをかけた。あの3.11以来、ずーっと布団の脇に置いている。アナウンサーが、「北朝鮮がミサイルを発射。外にいる人は、地下や頑丈な建物の中に入って下さい」と繰り返している。
 いや、外にいる人のことはわかった。でも、こうして家の中で、しかも布団の中にいる人はどうしたらいいのだろう。
 地下室なんて洒落たものも我が家にはないし、頑丈そうなな建物なんて近所にはないし(失礼)なんて、なかば諦めの境地で聴き入っていたら、そのうちに「襟裳岬東方沖に着弾」というアナウンスに変わった。
 安心して、ラヂオを消して、もう一度眠ろうと試みたが、一度完璧に目が醒めてしまえば、なかなか二度寝など、出来るものではない。
 前にも書いたが、僕は寝付きが悪く、明け方になってから熟睡するタイプなのだ。その一番深い眠りの時に起こされたようなものだ。おかげで、眠くてだるいを過ごした。床屋で髭をあたって貰っている間中も、ウトウトしていた。
 さて、今日の出来事で気になったことがある。スマホとラヂオが枕元にあったので、正確な情報を知ることができた。それがなければ、どうだったんだろう
 というのも、窓の外でも、何やら音がして声もしていたが、実際のところ、それはよく聞き取れなかった。夏なので、窓も障子も開け放し、網戸一枚にしていたにもかかわらずだ。これが、冬場になって、全ての窓をびっしり締め切ってしまっていたなら、果たして外のスピーカーの音は聞こえるのだろうか? 勿論、風向きやら、周りに高い建物があるかないかとか、地域によって場所によって事情は異なるのだろうけど、一度調査をしてみる必要もあるのではないか。
 それにしても、きょうは、会う人会う人、この話で持ちきりであった。おそらく、弘前の人間の9割は、同じ時刻に起きたんではないかと言っていた人がいた。
 知っている中ではたった一人だけ、何が起こったかも知らずに熟睡していた、といった人がいた。幸せな人である。ぼくもあやかりたいものだ。(5419)
 

古寺巡礼 あるいは 古いお寺にただひとり


 またまた、「卍の城物語」の話である。イベントは終わっても、まだまだやることはある。
 何せ、津軽藩の歴史を描いたドラマだ。津軽家縁の方々にも大変お世話になった。 きょうは、そういった方々の所へ、お礼周りにでかけた。
 「古寺巡礼」とタイトルをつけていながら、最初に伺ったのは、黒石神社だ。ここは、黒石津軽藩藩祖 津軽信英公を祀った神社だ。今は、黒石津軽藩の当主様が宮司を務められている。
 当日、会場でご覧にもなっていただいた。「如何でしたか?」と尋ねると、「いやぁ、感動して、涙腺が脆くなりそうだった」とおっしゃっていた。
 次に向かったのが保福寺。市街地からはだいぶ遠い。周囲には何もないような場所に、巨大な寺院が建てられている。ここは、黒石津軽藩の菩提寺なのだそうだ。
 弘前に帰って来た。革秀寺に行った。国指定重要文化財でもある、藩祖為信公の御霊屋がある。現在修復中で、シートに覆われていた。来年には完成するとのことで、記念に本堂で「卍の城物語」の公演をしませんかと、水を向けてきた。
 革秀寺から市街地に向かう途中に誓願寺がある。ここの山門も国指定の重要文化財となっている。ここには、津軽為信の軍師、沼田面松斎が眠っている。
 長勝寺山門そして、長勝寺。ここもまた、本堂、庫裡、山門等、多数の建物が重要文化財だ。2代目以降の藩主や、その奥方達の御霊屋もある。
 今回のイベントでは、こういった由緒正しい寺社仏閣に、恐れ多くもスポンサーをお願いしていた。無事終了した今、真っ先にお礼にいかなければならなかったのだ。
 その他にも、町会連合会会長宅や、市役所にも行った。町会連合会には、チラシの回覧やポスターの掲示でお世話になった。市役所は言うに及ばず。名義後援から、事業費への助成、職員への告知、市長のご挨拶等々、多方面でご協力をいただいた。ただただ感謝あるのみだ。
 きょうは、時間が足りなかったが、教育委員会や各団体、個人でも、まだまだお伺いしなっければならないところが、たくさんある。明日以降も、お礼周りは続く。(3872)

 追伸、
 今日のタイトル、「古寺巡礼」は、言わずと知れた和辻哲郎の名著。「古いお寺にただひとり」は、チェリッシュの初期のヒット曲からいただいた。
 この落差というか脈絡の無さが、僕という人間だ。グレーなどではなく、はっきりとツートンカラーだ。
 実際にはきょうは一人でなく、一般社団法人弘前芸術鑑賞会の理事長と一緒だった。ただ、なんとなく、運転中、言葉とメロディーが浮かんできたので、タイトルに加えさせていただいた次第である。

SF人間とミステリー人間


 先週は、「卍の城物語」のことにブログの紙数を費やして、読書人倶楽部のブックトークのことを書くのを、すっかり失念してしまっていた。今朝も、倶楽部代表から、「ブックトークがあるのを知らなかったわ」と電話が入った有様だ。
 そう、今日は、弘前読書人倶楽部8月例会 ブックトークが行われた。今日の講師は、健部伸明先生。お隣の藤崎町に在住の、小説家・ゲームライターである。
 なんと、ウィキペディアにも、項目がある。それによると、ゲーム関係の著書もたくさん出している。その中で、ご自身が紹介してくれた本はこれ。
 僕は、ゲームをほとんどやらない。せいぜい、ファミコンが出始めの頃の野球ゲームまでである。いや、スーパーマリオブラザースにも少しはまった時期もあった。いずれにせよ、ストーリーを追うロールプレイングゲームはほとんどやらないので、先生がその道のそれほどまでの大家だとは知らなかった。(失礼!)
 弘前ペンクラブの会員でもあるし、弘前文学学校の講師も務められている。文学学校の会合では、何度も顔を合わせている。なかなか鋭い、そして独特の視点から、生徒の作品を講評していたように思う。
 その健部先生の今日のお題は「SF小説を読もう」。2ケ月前には、ミステリーのロングセラー「ダビンチコード」を翻訳された越前先生に、ブックトークをいただいている。これで、SF・ミステリーと、ハヤカワ文庫の2本柱が出揃った。
 いやはや、熱い。SF小説に対する愛情が、心の底から伝わってくる。SFは、全てを相対的に視ることができる。視野が広くなる。だから、皆さん是非呼んでみてください、と何度も主張されていた。
 そのような講話を聞いたあとで、今更こういうことを書くのもなんだが、実は、僕は、SFが苦手だ。中学生の頃からは、貪るように創元推理文庫やハヤカワ文庫を読みまくったが、もっぱらミステリーの方。創元推理文庫で言えば、帽子を被った男の人のシルエットの中に(?)が記されたマークの物ばかりを読んでいた。
 はやい話が、根っからの文系なのである。科学とか化学という言葉には、頭も身体も拒否反応を示してしまう。SF小説というと、宇宙空間がどうのとか、時間がどうのとか、遺伝子がどうのとか、人工知能がどうのとか・・・etc、そんなイメージがあり、食わず嫌いだった。いや、実際、試に読んではみたが、はまり込むまでにはならなかった。
 当時の友人を見ても、どちらも好き、という人間はあまりいなかったように思う。類は友を呼ぶというのか、僕の周りには、ミステリー好きが多かった。SFが好きだったといえば、その後、高校の数学の教師になったM君や、東大の理二に入ったTくんなどが思い出される。SF派は基本的に理系、ミステリー派(M派)は文系と分類してしまうのは、短絡に過ぎるだろうか?
 もう一つ、SF派とM派の間に、SM派というのも存在しそうだが、敢えて、その話題は避ける。ある友人の顔が思い浮かんではいるのだが・・・。(7543)

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