今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2017年10月

杞憂


 行きつけだった寿司屋から、「F町へ移転のため、当店は7月31日をもって閉店します。長らくのご愛顧有り難うございました」という葉書が届いたのは、8月上旬、まだねぷたまつりの最中だった。突然だった。というのも、僕は、7月下旬、土用丑の日に、その店から鰻を買ってきたばかりだったからだ。その時は、閉めるとも、移転するとも、一言も話はなかった。
 移転先は書いてあったが、移転オープンの日は「決まり次第新店舗の店頭に張り出します」としか書かれていなかった。それ以来、ずーっと気になっていた。あまりに急だったので、マスターがどこか身体でも悪くしたのではと心配もした。
 もう一つの心配は、葉書に書かれていた住所だ。僕は、まだ工事中だった頃、車で前を通ってみた。決して商売向きの立地とは思えなかった。F町の人にはともかく、弘前市内からだと、電車か車でなければ行けない。電車ったって、日に何本あるかのかもしれないローカル線だ。タクシーで往復でもしようものなら、飲み代以上に金がかかりそうだ。これでは、せっかく長い年月をかけて弘前のど真ん中で営業してつかんできた常連客が離れてしまうのではないか? なんて経営のことも気に掛けていた。
 開店したのは先月の下旬だったらしい。心配はしていたが、なかなか行く機会が無かった。一ヶ月経った今日、念願叶って、取り敢えずランチタイムに行くことができた。
 店には行って驚いた。広い。前の店は、2階に座敷と大広間はあったものの、普段はカウンターと、10人程度の小上がりだけで営業していた。それが今の店は、カウンターの他に、テーブル席が30席ほど。大きないろりを囲んだ8人ほどのテーブル。それに奥には、密談(?)もできそうな座敷もある。元会社経営者としては、益々、座席回転率のことが気になる。
 だけど、それは杞憂だった。正午を廻った頃には、カウンターも、テーブル席も、ほぼ満席に近い状態になった。
 移転に伴いランチの値段も上がっていた。売り上げ=客単価✕客数である。単価も上がり客数も増えていれば、当然売り上げも上がっているはずだ。安心した。
 何より嬉しかったのは、マスターが元気そうだったことだ。弘前時代よりも若返った感じで、忙しそうに働いていた。
 残念ながら今日は、ゆっくりと話すことができなかった。やっぱり、話し込むには、夜、カウンターで腰をすえて呑むしか無い。
 今度は夕方に、酒を飲まない人を誘って、運転してもらって来よう。などと虫のいいことを考えた。(4155)
 
 
 
 

スキルアップ自慢


 選挙に係わるようになったのは、10数年前からだ。書店経営時代は厳禁だった。 父からきつく戒められていた。
 それが、書店を閉めたあと、ひょんなことから、ある人の選挙を手伝うことになった。全く、経験も予備知識もない状態からであったので、文字通り一から教えていただいた。乾いた砂が水を吸うがごとく、とまではいかないが、それなりに短期間でいろんなことを勉強させていただいた。お陰で(?)その人の2度目の選挙の時には、選対事務局長まで務めることになった。
 その後も、何人かの選挙の手伝いをさせていただいた。そして最後には、とうとう自分で出るはめになってしまった。
 選挙に関する仕事は多岐に渡るが、その中で、自分が最も上達したなぁと思うのが、見知らぬ家を訪ね歩く一連の作業だ。つまり、住所と氏名がわかれば、その家を住宅地図を素早く調べる。そしてそこへ車で乗り付けるといった技術だ。技術と言うほどのものでもない。慣れと経験にすぎないかもしれないが、地図でその家を見つけ出すスピードと、迷わず目的地に辿り着ける土地勘は、やったことのある人と無い人とでは、大きく差がついているのではないかと思う。
 今日も、ある同両議員のご自宅を初めて訪ねた。ほとんど(全く?)馴染みの無い土地だった。出掛ける前に住宅地図を見て、目印らしきものを漠然と頭にいれただけで向かったのだが、無事、一度も道にに迷わず到着した。
 「オーッ、やったぜ!」と心の中でガッツポーズ。自分で自分を褒めてやりたい気分だった。(ん? これは誰かのセリフかな) 
 もしも、書店の経営者のままで、選挙に係わることなんかをしていなければ、こんなに簡単にはいかなかっただろうと、早い話が、自画自賛したかっただけなのだ。ごめんなさい。自慢話に付き合わせて・・・。 
 最近は、そういったケースで、グー〇ルマップとやらを使っている人が多い。僕もよく使う。だけど、今日訪ねようとした先の町名・地番を入力しても、「一致する結果がありません」としか表示されない。仕組みがどうなっているのかはしれないが、ひょっとしたら全国津々浦々までは網羅していないのかもしれない。
 となると、頼りになるのは、やっぱり紙の地図だ。市販の住宅地図には、一軒一軒の家主の名前まで記されている。小さな商店名もわかるので、それを目印に進めばいい。
 ただ、難点は、とても高額なことだ。以前は3万円以上していたと記憶している。今、ネットで調べたら、やはり税込みで3万円近くもするようだ。
 だから、毎年買い換えることなんてとても出来ない。毎年どころの話では無い。僕は、いまだに20年近くも前のものを使っている。それでも、どうにか用が足りているのは、それだけ弘前市では道路の開通や、人々の移動が少ないということなのだろうか?(5569)

死体が語ること


 弘前読書人倶楽部、10月のブックトークを開催した。2週間前のブログで紹介したように、今日の講師は、 板柳中央病院院長のHa先生。警察医として、様々な死体と接してこられた経験をお話いただいた。
 実は、何を隠そう、僕も大学で「法医学」を選択していた。といっても、法学部の法医学で、人体の専門的な知識はさっぱりわからない。単に、推理小説ファンとして、興味があっただけだ。それでも、週に一回、信濃町にある医学部の教室へ、割合真面目に通っていた。少なくとも三田のキャンパスよりもは頻繁に通った。ん?
 教科書がグロテスクだった。ぱっくりと傷があいた頭の写真が並んでいて、日本刀で切り付けられた傷頭、鉈を打ち下ろされた頭、バットで殴られた頭などとキャプションがついている。
 絞殺と首吊りの索状痕の違い。自殺者に見られるためらい傷など、まぁまぁ、物凄い写真をたくさん見せられた。僕の人生で、何の役にたっているかは、今もってさっぱりわからない。
 きょうも、そういうお話しかなぁと思っていた。そうしたら、さすがに、あの時以来40年も経っている。今は”AI”というのだそうだ。
 人工知能ではない。死後画像診断のことだ。遺体を、CT検査する。あるいはMRI検査する。先進的な医師は、遺体の内視鏡検査もするそうだ。その結果、僕らが習ったような、従来の体表面を目で見るだけの診断よりも、はるかに死亡原因判断の精度は上がったとのことだ。
 実際にCTの画像を見せていただきながら講話が進められた。だけど、ここに脳内出血があります。ここが肺です。膀胱が膨らんでいます・・・と説明を受けても、僕には画像の意味はよくわからない。しかし、昔の教科書のようなグロテスクなものではなかった。
 最初は、遺体とか、死を取り扱ったテーマだけに、講話終了後の懇親会が盛り上がらないのではないかと、内心心配していた。Ha先生の話術の巧みさもあって、それは杞憂に終わった。
 ブックトークも7年目を迎えた。実に様々な方々に、様々なテーマで、お話しを伺ってきた。その中でも、今日はかなり異色の部類に入る話材だったと思う。
 だけど、そこはHa先生だ。話の中で、ちゃんと本の紹介もしてくれた。
 結局、人類の歴史が全て、本によって伝えられている。森羅万象が本の中にある。逆に言えば、森羅万象を語ることは、すなわち本の話になる。
 そう思えば、ブックトークの種は尽きない。さて来月は、誰にお願いしようかしら。(7712)
 
 

 

美徳は仇?


 2020東京オリンピック開幕まで、ちょうど今日で、あと1000日なのだそうである。NHK でも、特番をやっていた。
 そんな節目の日に、「2020オリンピック招致の舞台裏と地域活性化」という講演会を聞いてきた。講師は、実際に招致に係わった、産経新聞編集委員の石元悠生さん。石元さんは、当時の猪瀬都知事に請われて、一旦新聞社を退職され、東京都の特別職扱いで招致委員会に加わり、その後また、新聞社に復帰したという、変わった経歴の持ち主だ。
 講演会自体は、弘前学院大学の地域文化研究所の後悔講座のような形で行なわれた。だから、聴衆の9割は学生のようだった。石元先生も、それを意識して語りかけていた。レポートの書き方や、最後の方では、就職活動に対するアドバイスのような場面もあった。
 そんな中で、印象に残った話がある。昨年のリオデジャネイロオリンピックは、まだ記憶に新しいが、実は、その年の開催地には、東京も立候補していた。それが、治安や経済状況に不安のあるリオに、何故破れたのか? そんな話が、前段に出てきた。
 その時は、石原慎太郎が都知事だった。日本は、完璧な開催案を提出した。事実、書類審査の段階では群を抜いてトップだったという。
 だけど、それ以上のことができなかった。例えば、115人いる、決定権(投票権)を持ったIOC委員への個別の働きかけのようなことをだ。アイディアは素晴らしい。資料も万全だ。だけど、それをつたえる努力を怠った。いや、できななかった。
 できないというのには、国民性もあるかもしれない。日本人はいわゆる、多数派工作などを忌避する風潮がある。審査会で堂々と発表すればそれでいい。事前の個別交渉などはフェアではないといった感覚だ。相撲で、立合いに変化するのを、どの解説者も悪評するようなものだ。
 もう一つ、日本人には、「俺の目を見ろ 何にも言うな」を美徳とするようなところがあった。「男は黙ってサッ〇ロビール」というか、三船敏郎や高倉健タイプがもてはやされていた。小学生の頃、よく「有言実行」は「不言実行」より、「有言不実行」は「不言不実行」よりも劣ると諭された。僕は、密かに、「違うだろ」と思い続けていた。
 そうなのである。日本人のその美徳は、国際社会では通用しない。自分の考えを表現する。それを相手にわかってもらう力がなければ、どんなに素晴らしい理想を抱いていても、誰にも負けない豊富な知識を持っていても、それだけで終わってしまう。何も動かすことができない。いわゆる、現代社会では、コミュニケーション能力が求められているということだ。
 では、コミュニケーション能力とは何か? 石元先生は、端的に「物を書く力」と「喋る力」だと言い切った。この二つを徹底して学べと、学生達に訴えた。
 ポン!(手を打った音) 我が意を得たり。ここで僕は、先日書いたブログを思い出した。
 やっぱり、書く力は大切なのである。言葉を正しく使う。有効に使う。そんな力は、幼い時から身につけなければならない。改めて、次の議会では、「作文教育」について質問をしてみようと思った。
 こんな文章を書いていて、何を偉そうなと言われそうなので、ここらでお終いにする。(6523)
 

人間の心理というものは

 
 4日間も弘前を留守にすれば、溜ってくる仕事もある。単純に、郵便物に目を通し、その処理に追われることもその一つだ。また、月末になって、支払期限が迫っているものや、留守中に起源が過ぎたものもあって、朝一で銀行に駆け込んだりもした。
 さて、昨日のブログで約束した通り、きょうは、もう一ヶ所の視察先、福知山市のことを書く。福知山市では、有害鳥獣処理施設を見学した。
 弘前市でも、農作物を食い荒らす、有害鳥獣による被害は問題になっている。ハンターに駆除を求めたり、柵を巡らしたりと、様々な対策はとられているが、なかなか解決はしないようだ。まぁ、これは、山間の農村地帯では、全国同様の課題とも言える。
 弘前市では、その対象の多くは、猿やアライグマなどの小型動物だと認識していた。ところが、福知山市では違う。鹿や猪など、大型の動物による被害が、圧倒的多数を占めている。当然、捕獲したあとの処理には、より以上の労力が必要だ。
 そこで、京都府北部に位置する、福知山市、綾部市、舞鶴市の3市が共同で、国の助成も受けながら、その焼却施設を建設した。運営コストには助成は出ないのだそうだが、処理頭数で三市に案分して事業を行なっているとのことだった。
 会議室で、そういったレクチュアを聞いたあと、施設の中を案内してもらった。まず目についたのが、ビニール袋に入った物体の山である。冷凍されているので、表面は白く凍っていて、一瞬ではよくわからなかったが、よく見ると、鹿や猪の死体だった。
 ぞっとした。ぞっとしながらも、その前で写真を撮ってももらった。人間の心理というものはわからないものである。可哀想だから見たくないという気持ちと怖いものを見てみたいという気持ち、慈悲深さと残酷さが同居している。
 焼却施設の仕組みは、いわゆる斎場のそれと一緒だそうだ。ただ、一体一体焼くのではなく、さっき見せられた山ごと、一気に焼くという説明もそこで受けた。
 なんて残酷な、とも思った。特に鹿は、子鹿のバンビに象徴されるように、恐ろしい獣ではない。見にくい獣でもない。以前、奈良公園を訪れた時、目の前の鹿に煎餅を与えていたら、自分にもおくれというように、背後から頭突きを喰らわせた鹿が思い出に残っている。よしよしと頭を撫でながら、その鹿にも煎餅を食べさせた。可愛かった。
 といったことも、第三者の感傷でしかない。農家の人々にとっては、鹿の被害は深刻な問題なんだろう。こういった施設が整備されていることで、積極的な駆除・捕獲が推進されたと、担当の課長は言っておられた。
 振り向くと、施設の片隅に、小さな墓石が建てられていた。ここで焼却された動物たちの墓だという。思わず手を合わせた。手を合わせることで、さっき見た冷凍の死体を忘れようとした・・・。
 その晩の夕食に、鹿の肉が出た。嘔吐も催さず、悲しみを感じることもなく、舌をすべり、喉を過ぎていった。美味しかった。
 人間の心理というものはわからないものである。慈悲深さと残酷さが同居している。
 いや、そうなれば、慈悲も残酷もない。単に食欲のみが先にたつ。(7475)
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