昨年7月に亡くなった、大学時代 O君の墓参りに行った。彼が暮らしていた深谷市にあるお寺である。

でも、こんな素敵な駅舎が、僕を出迎えてくれた。これだけでも、遠路、来たかいがあるというものだ。
同じサークルの同期の仲間が8人集まった。結局、墓参りとはいいながら、愚にもつかないような近況報告に花が咲く。それを、O君の奥様やご子息も、楽しそうに聞いてくださる。一瞬、彼もそこにいるような気がした。
昨年の10月には、偲ぶ会が行われた。その時は10数名集まった。卒業以来久々に顔を合わせたという友人もいた。
僕は、一番遠いところから参加したという理由で、献杯の挨拶という大役を仰せつかった。
「こうして懐かしい仲間と会えたのも、O君のお導きなのかもしれない。お前ら、もっと頻繁に集まれよ! というO君の声が聞こえてきそうだ」などと、柄にもなくしんみりしたことを言った。
実際に、ここのところ、高校、大学、青年会議所を問わず、同年代の仲間の訃報に接することが多い。誰かそれが大病を患っているという話も、しょっちゅう聞こえてくる。還暦を超すということは、そういうことなのかもしれない。
だから、集まれるときに集まっておいたほうがいい。会えるチャンスにはできるだけ顔を出すようにしたい。そう思って、年度末で、財政難・時間難にもかかわらず上京した次第だ。
お墓の前で傾けたワインが格別だった。場所を移して、今度は料理屋で、地酒を味わいながら、また思い出話を語りあった。「卍の城物語2」の宣伝もさせてもらった。
帰りの新幹線の時刻の関係もあって、僕は、一足早く、料理屋を出た。酔いを冷ましながら、一人で、深谷駅まで唐沢川の桜堤を歩いた。桜は散り始めの頃だった。風に舞う花びらが、もののあはれを感じさせるようだった。(14133)