今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2018年06月

妄想上手


 弘前市民会館の大会議室で、「弥生の森を考える」というセミナーが開催された。僕は、主催団体の一員として、司会を務めさせていただいた。
 役を仰せ付かったのは2ケ月程前だったのだが、次第を見ながら打ち合わせをしたのは、今日の開会1時間前。案の定、目一杯とちってしまった。
 今日のこのセミナーは、弘前市と、弥生スキー場問題を考える市民ネットワークの共催で行なわれた。この2つは、かつては、スキー場跡地への大型児童館計画について、激しく対立していた。訴訟まで起こした。
 でも、ここ数年は、一致協力して、スキー場跡地に残された豊かな自然を、いかに活用するべきかという課題に取り組んでいる。明日行なわれる、子ども達と保護者を対象にした自然観察会も、両者の共催だ。
 セミナー今回は、(公財)日本自然保護協会から、高川晋一さんをお招きして講演をいただいた。氏は、同協会の市民活動推進室長というお立場で、広く全国の、調査・保護活動に携わってこられた。その経験から、いくつかの先進事例を紹介して下さった。北広島市の「芸北せどやま再生事業」、みなかみ町の「上ノ原 」、八王子市の「長池公園」、帯広市の「帯広の森」等だ。いずれも、自然保護が他の地域課題を解決した成功例とのことだ。
 自然はただ残せばいいというものではない。上手く利用してこそ活きてくる。自然を活かすことで、環境・教育・コミュニティー・貧困格差の是正等、様々な課題解決の糸口も見えてくる、というのが高川さんのテーマだったと僕は受け取った。
 講演終了後、質疑応答に移ったが、あまり活発に手があがらない。途方にくれていた司会者に、高川さんは手を差し伸べてくれた。用意してきてくれたシートを使って、即興でワークショップを始めたのだ。
 シートの内容は、① 地域の課題 ② 弥生の自然の特徴 ③ ②を活かすことで①の解決につなげる方法を妄想する、といった順番だった。
 僕らのグループは、僕と市の職員だけ。さすがに地域の課題については日頃からいつも考えている。①と②は、即座にたくさん出てきた。
 だけど、いかんせん、僕も含めて、日頃から、条例や規則・それ予算に縛られてという、超現実的な世界に生きている。③の”妄想”の段に入ったとたんに、急に議論の速度が落ちてしまった。ひょっとしたら、議員も職員も、時として突拍子も無い空想世界に遊ぶことも必要なことなのかもしれない。
 だけど僕は、艶っぽい”妄想”ならば、決して苦手ではない。先日の句会で、「夏の背に 透ける進入禁止線」という句を出して、ごく一部では好評を博し、その他大部分からは顰蹙を買ってしまった。(6217)

本当にいいの? 報酬アップ  今日の本会議から


 弘前市議会平成30年第2回定例会が閉会した。上程された14の議案は、いずれも原案通り承認された。給食の無償化についての請願は不採択となった。
 僕は、議案第59号「弘前市議員報酬、費用弁償等の額及びその支給方法条例の一部を改正する条例案」には反対した。この条例は、議員の報酬を、約5.5%上げようというものである。
 勿論、議員から要求したものではない。報酬審議会の答申に添って提案されたものではある。
 だけど、僕ら議員は、来年の4月には改選を迎える。任期も1年を切った今、何故ばたばたと上げなければならないのか? 来年の選挙で、立候補者それぞれが、議員報酬の多寡について意見を述べて、有権者の審判を仰ぎ、その上で上げるなり下げるなりを決めればいいのではないか、と考えたからだ。
 もう一つは、市長のことだ。今議会には市長・副市長・教育長等、特別職の給料の増額条例案も出された。それぞれ約1.4%ほどのアップだ。だけど、特別職は、市長の任期が切れる平成34年4月15日までは、現行のままとする特例も、条例の中に盛りこまれている。 
 報酬審議会からの答申を尊重して、給料の条例額は上げたけれど、実際は従来通りに据え置くという市長の見識は立派だと思う。市長がそういった姿勢で臨んでいるのに、任期があと1年しかない議員が、ほいほいと報酬アップに賛同していいのだろうか? と、同じような理由かどうかはわからないが、この条例案に反対した議員は、僕も含め5人いた。
 全国の、特に人口規模の小さい町村部では、地方議員のなりてが少なくなっていることが問題になっている。その理由に、報酬の少なさが、よく挙げられている。
 でも、そもそも、報酬のために議員を志すこと自体、本来の姿とは違うような気もする。それに、弘前市の場合、民間の給与所得者と比べても決して少ない額ではないようにも思う。
 報酬が少ないと、充分な議員活動が出来ない、という声もある。しかし、そのための政務活動費だったはずだ。
 僕は、政務活動費も貰っていない。それでも、定例会ごとの議会報告会は欠かしたことがない。議員としてばかりではないが、様々な活動に積極的に参加している。
 同じ会派のKuさんも政務活動費を貰っていない。でも、そのKuさんと二人で、合同議会報告会を開いたこともあるし、今年に入ってからも「中核病院問題を考える市民ミーティング」を2回開催した。やるきになれば、現行の報酬の中だけでも、それなりに活動はできるのだる。
 だから、それでいいのだと言うつもりはない。自分自身、まだまだ議会活動は充分ではないことは自覚している。でも、それは、報酬云々という問題とはまた別のようにも思う。
 ともあれ、4月に遡って上がることになった。上がった分は、議会報告会の内容を充実させるなど、しっかりと議員活動に充てていきたい。ゆめゆめ、生ビールの泡と消えていかないように・・・。心配だなぁ。(6067)

闘病仲間たち


 きょうは、月に一度の糖尿定期検診の日。大学病院に行ってきた。いつもながら診察室の扉は重い。
 主治医は、いつもと同じように僕を迎えた。
 「何か、お変わりありませんか?」と、これが最初の挨拶である。
 「いやぁ、先生。お変わりも何も、膝が痛くてたまらないのです。病院まではいつも歩いて来ていたんですが、今日は車で来てしまいました」
 「膝が痛い時に、そこに負荷をかけるのはよくありませんからね」
 「だから、先生。そういうわけで。ここのところ運動不足で、今回は数値がわるいかもしれません・・・」
 と、僕は、初っ端から言い訳をした。実は、ここ5日間くらい、毎日飲んでいた。けっこう、それなりに食べていた。その事実をカモフラージュしたかったのだ。
 ところが、診察テーブルのパソコンのディスプレーに出てきたHga1cの値は、前回より、僅かであるが下がっていた。病院で測った血糖値も、さほど高くはなかった。
 今日は、血糖値だけではなく、全身の値も検査してもらったのだが、糖尿3部門以外は、肝臓や膵臓・腎臓等の数値も、全て正常値の範囲内であった。こんなことなら、最初から言い訳なんかしなければよかった。
 最後に、糖尿友の会の話になった。主治医は僕に入会を薦めた。何でも、患者同士、情報を好感しあっているらしい。定期的に冊子が送られてきて、それを読むだけで勉強になるという。 
 「いやぁ、先生。せっかくのお誘いですが、そういう会に入ると、どっぷりと嵌まって、一生抜けられなくなりそうですから・・・」と婉曲に(?)お断りをした。主治医は苦笑いをして、それ以上誘ってくるのを止めた。
 職業柄、様々な団体からお誘いを受けることが多い。自分の性格上、入ったからには熱心に会合に出たいと思う。そうしている内に、役員の声を掛けていただく。平役員を数年しているうちに、”会長”なぞという話も出てくる。これまた性格上、きっぱりと断れないままに、ずるずると引き受ける結果となる。 
 ・・・と、こんな風に、仕事を増やし、自分の時間を狭めてきた。63歳ともなると、そういった生き方も見直さなければと考えるようになった。そのような僕の個人的な事情も、短い会話の中から、主治医は察してくれたのだろうとは思う。
 だけど、まぁ、「友の会」なんそに入らなくても、身の周りには「糖尿仲間」はたくさんいる。顔を合わせれば、Hga1cの値の自慢ばかりだ。ちょっとした検査結果の優劣で、一喜一憂しあっている。
 主治医の薦めてくれた”友の会”が、互いに情報を共有して励まし合う会だとしたら、僕の周辺に自然発生した”友の会”は、情報を共有して傷を舐め合う会だ。なんとも居心地の良い会なのである。(6867)

商店街の危機


 朝一番で、中心商店街で小売業を経営しておられる事務所に行ってきた。名前は伏せるが、著名な店舗の一つである。
 もう数十年以上もお店を経営したきたが、そろそろ商店街の限界を感じる。近隣の最近起業したばかりの若者達からも、もうやっていかれないという声が聞こえてくる。商店街が衰退する、死んでいくという現状を目の当たりにするようだと、切実な考えを聞かせていただいた。
 昨日も、ある商店街の、賑わい創出事業中期計画策定委員会が初会合を開き、僕も出席させていただいた。委員会には、市の商工政策課や商工会議所からも多数ご出席いただいた。
 会議では、様々な意見が出た。「単発のイベントでは、もはや売り上げの回復は見られない」「ターゲットを、もっと明確にするべきだ」「弘前の魅力でもある、大学生を、どうやって街まで引き込もうかといった発言が、活発に出された。
 僕は、議員なのか商店街側なのかもよう知らないうちに、会議に加わった。ただ、
こういう立場なので、抽象的な夢物語や、抽象論にそのまま加担するわけにもいかな
い。より具体的に、一方通行の解除や、都市空間の利活用についての考えを述べた。
 と、こういった具合で、商店街は、これまでにない危機感を感じている。そして
自ら解決策を講じようとしている。
 それなのに、先日も書いたように、新市長は、商店街対策について、僕の質問に
対し、一言も答えてくれなかった。それが意図的なことかどうかはわからない。
 ただ、はっきりしていることはある。弘前市は、農業が基幹産業といいながら、
もはや数十年も前から、就業人口数でも、生産額でも、商業を含む第三次産業の方が、
遙かに多かったのだ。農業の後継者不足は、農業系の議員は声高に苦境を訴えるが、
それは商業も全く変わりはない。
 そういった現状を知りつつ、何故市長が口を閉ざしたのか、僕にはたまらなく不安
なのである。数少ない商業出身の議員としては、これからも追求していかざるを得な
い。果たして、商業者の悲痛な叫びは、市長の耳に届くのだろうか?(6027)

Bye-bye センチメンタルメモリー 今日の予算委員会から

 
 旧相馬村の山中に、「星と森のロマンとピア」という施設がある。ホテル・コテージ・テニス場・パターゴルフ場・バーベキュー広場・天文台等々が並ぶ、一大レジャー施設だ。ホテルにはレストランも温泉もある。大浴場から見る岩木山の姿は、また格別だ。
 僕は、このロマンとピアには、忘れられない思い出がある。2000年11月、会社を倒産させてしまった時のことだ。
 僕自身は、最初から逃げようなどとは思わなかった。裁判所に破産申請をした足で、お詫びの記者会見に臨み、迷惑を掛けた先へもお詫びに行った。翌日からも、毎日会社に出て、訪ねてくる人への応対や、身の周りの整理をしていた。
 ただ、心配だったのは、その間、母を1人家に残しておくことだった。おそらく自宅にも大勢の人が押しかけるだろう。電話もジャンジャン入るに違いない。年老いた母には、それがどんなにか負担になるに違いない。
 だから、倒産の日からしばらくは、ロマンとピアノコテージに身を寄せることにした。僕はそこから毎日出勤(?)した。僕自身も、山中で星を眺めながら時を過ごし、心の平静を取り戻すことができた。
 それとはまた別な思い出もある。倒産後数年経った頃のことだと思う。ある会合で、当時のロマンとピアノ支配人から声をかけられた。「ロマンとピアのマスコットキャラクターを主人公にした絵本を創りたい」とのことだ。もう書店業ではなくなった僕なのに、支配人もそれを知っていたはずなのに、本のことで相談をしてもらって、とてもとても嬉しかった。
 僕は、早速、恩師のS先生のところへ支配人を連れて行った。S先生は、この地域の国語教育の第一人者だ。数多いる教え子の中には、きっと絵本作家の一人や二人はいるだろうという目論見だった。
 ところが、先生はいきなり「今泉君、あなたが書けばいいじゃない」と僕に振ってきた。いやそんな、童話だなんて、生まれてこの方書いたことがない。だけど、大恩のある先生からのご指名となれば断るわけにもいかない。
 そこで、何度もロマンとピアに足を運んで、支配人とも打ち合わせをして書き上げたのが「トピーとうさぎ」という作品である。恥ずかしい。この本は、しばらく、ホテルのロビー等に置いてあったが、今はどうなったかはわからない。
 と、あれこれと深い思いを抱いていながら、僕は今日の予算委員会で、ロマンとピアのリニューアル計画に警鐘を鳴らした。今回の補正予算案では、アドバイス委託費の556万円であるが、そのリニューアル計画を実施すれば、総額約14億円もの歳出となる。リニューアルしても、しばらくは経常利益は黒にならない。黒にするためには、年商を1.5倍に増やさなければならない。果たしてそれが現実性を帯びた計画なのかどうか・・・。
 過ぎ去った様々な感傷が脳裏を過ぎった。辛かった思い出、気恥ずかしかった思い出が、次々と浮かんできた。
 でも、議員としては、それが「市民に本当に必要な施設なのか」「維持管理費で、将来に渡って市民に負担を負わせることにつながらないのか」という、新市長の方針に則った観点で、厳しい指摘をせざるを得なかったのだ。Bye-bye センチメンタル メモリーズ。(7059)
 
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