今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2018年08月

開会日はいつも  今日の本会議から


 弘前市議会、平成30年第3回定例会が開会した。初日の今日は、りんご黒星病蔓延防止のための、放任園緊急対策交付金を盛り込んだ補正予算案が可決された。
 あとは、いちも通りのセレモニー。市長から議案説明を受け、会期日程等が決定された。
 会期日程
 8月31日 開会
 9月11日 一般質問
 9月12日  同上
 9月13日  同上
 9月14日  同上
 9月18日 常任委員会(僕の場合は経済文教常任委員会)
 9月19日 予算決算常任委員会
 9月20日  同上
 9月21日  同上
 9月25日  同上
 9月28日 最終日本会議 

 今議会は、平成29年度の決算審査もある。また、間に2日の祝日を挟む。さらに、本会議で派内が、9月10日には議員全員協議会も開催される。個人的な用件だが、議会報告会も行なうし、町会の集いや敬老会も主催しなければならない。弘前読書人倶楽部のブックトークも会期中に行なわれる。なんとなくせわしない感じだ。
 きょうは、一般質問の登壇順も、抽選で決まった。(敬称略)
11日 小田桐慶二 石山敬 木村隆洋 外崎勝康 石岡千鶴子
12日 加藤とし子 一戸兼一 石田久 越明男 伏見秀人
13日 佐藤哲 松橋武史 蒔苗博英 千葉浩樹 尾崎寿一
14日 今泉昌一 宮本隆志 野村太郎 工藤光志 栗形昭一 
 わざとらしく、自分の名前を太字にしたが、僕の出番ではなくても、お時間が許せば、誰の時でもいいから、是非議会に足を運んでいただきたい。今は、インターネット中継もしているので、上の登壇順を参考に、ご覧頂ければ幸甚である。
 と、いつもの開会日と同じ事を、同じように書いてしまった。毎回ほとんど変わらない。正直言って、自分で読んでいてもつまらない。
 でも、市議会のことを報告するのが、このブログの本来の目的であった(だいぶズレているような気もするが・・・)。だから、3ケ月に一度くらいは、このような形式的な文章を書くことをご容赦いただきたい。
 いやいや、同じ議会初日を説明するにしても、もっと腕を磨いて、文学的格調高い文章を書けるようになりたいものだ。「議長が静かに開会を宣言した。対峙する議員と理事者の間にも、緊迫した空気が張り詰めた。両者から笑みが消えた。それは十分の一秒にも満たないほんの数秒の出来事ではあったが、タイトルマッチを争うボクサー同士が、ゴングと同時にそっとグローブを合わせるような、殺気に満ちた瞬間でもあった」と、こんな感じで。 
 ・・・ん? 明らかに脚色が過ぎたようだ。(5176)

蜂の一刺し


 月末近くに、出張なんて行くもんじゃない。一昨日・昨日の東京行きのおかげで、今日は朝から大忙しだった。
 まずは、大学病院でのいつもの血糖値検査。存外に早く終ったので、市本庁舎内の議会事務局と財産管理課に立ち寄る。それが終ると弘前読書人倶楽部に行って資料をコピーし、近くの銀行で月末の支払いを済ませる。その足で、昨日亡くなられた後援会の副会長のご自宅を弔問し、挨拶もそこそこにKi県議との打ち合わせの場所に車を飛ばす。小一時間ほど、男2人で、洒落た洋館の中にあるカフェで市政や県政の情報交換をし、次は、弥生スキー場跡地の利活用を考える市民会議の幹事会に出席。その後は、さっきの副会長逝去のことで、他の後援会役員の家を訪問・・・と、朝から晩まで息をつく暇もないほどだった。
 いや、それは嘘だ。息をつく暇はあった。大学病院での待ち時間だ。特に今日は、採血室がけっこう混み合っていた。
 実は、この時間が、僕にとっての絶好の読書タイムなのである。今日持ち込んだのは「蜂と蟻に刺されてみた」という本。
 冒頭のカラーページから、見るからにおどろおどろしい蜂や蟻の写真が満載されている。本文では、蜂や蟻の種類別に紹介し、巻末には、それぞれの種類ごとに、刺された時の痛みを0~4まで、0.5ずつに区切ってレベル分けした表が掲載されている。
 例えば、最も痛いレベル4だと、こんな感じだ。「(サシハリアリ) 目がくらむほどの強烈な痛み。かかとに三寸釘が刺さったまま、燃え盛る炭の上を歩いているような・・・」「(アルマジロワスプ) 拷問以外の何物でもない。火山の溶岩流の真っ只中に鎖でつながれているみたい」・・・
 文字を読んだだけで悶絶しそうになるではないか。それにしても、世の中には、物好きな研究者がいるものだ。
 そんな本を読んでいたせいか、今日はことのほか、採血の針が痛かった。それよりも、一向に血糖値をコントロールできない僕に対する、医師のきつい言葉が、深く鋭く胸に突き刺さった。こいつはレベル5だ。(8655)

 追伸
 今日のタイトルを見て、ニヤッと笑った人は、おそらく50歳以上の方ではないだろうか。田中角栄もさぞや痛かっただろう。

有楽町で会いましょう


 移住昨日、国会に要望活動を行なった市議会議員5名で、 今日は、「ひろさき移住サポートセンター東京事務所」を訪問した。この事務所は、平成28年10月に、弘前への移住を考える人のための相談窓口、及び弘前の情報発信のデポとして開設された。
 場所は、有楽町駅前の東京交通会館6階。北九州市の東京事務所の一角を間借りしているようなイメージだ。非常勤も含めて、4人が常駐している。
 ここの所長のNさんは、かつて議会事務局にもいた。だから、表敬訪問兼激励訪問といった意味もあった。
 もっとも、僕らが訪ねる以上、単なる表敬や激励というわけにもいかない。この事務所の業務や実績にも、当然話は及んだ。
 渡された資料によると、平成29年度の、移住に関する相談件数は222件。内、移住にこぎ着けたのは24件で41人なのだそうだ。この数字が、当初の計画通りのものなのか、あるいは他市町村と比べてどうなのかはわからない。ただ10件に1件以上という実績は、なかなかのものではないかと、単純に考えた。
 ただ、この24件の中には、いわゆるUターンも含まれているとのことだ。例えば、僕も20歳を挟んで7年間は首都圏で暮らしていたが、家業を継ぐために弘前に帰ってきた。それも「移住」としてカウントされているようだ。そのことの是非はともかく、純粋に、弘前とは何も縁が無かった人が移り住んできたというケースは何件あるのかも、やっぱり気にかかる。
 もう一つ気になったのは家賃だ。東京のど真ん中にオフィスを構えると、一体いくらくらいかかるのか? おそるおそる訊いてみた。
 そうしたら、月坪3万円なのだそうだ。思わず「安い!」と口にしてしまった。他の議員は「高いでば」と言っていた。
 だってだって、有楽町なのである。フランク永井にも歌われた、ゴジラも出没した東京の名所でもある。ほぼ”銀座”なのである。
 弘前の下土手町だって、今はどうかは知らないが、いい時には、路面だと月坪1万円はとっていた店はある。月極駐車場でも、1万5千円という所もあった。それに比べれば、6階とはいえ、有楽町で坪3万円とは、随分と安いではないか。
 これだったら、もう少し広いスペースを借りて、人員も増やして、移住促進だけだはなく、企業誘致や学会誘致、修学旅行をはじめとした団体旅行誘致、弘前市内にある高等教育機関への学生誘致、弘前の物産のPR等も行なう、総合事務所にすればいいのではないか、などとも考えた次第である。
 インターネットの時代だから、何も事務所を借りて、人を常駐させなくてもいい、という意見もある。だけど、どんな時代になっても、”Face to Face”に勝る情報の授受はないと僕は考える。人と人が直に接することから、好感も芽生えるし信頼も増幅する。その原則は忘れてはならない。(13642)
 

国会に行ってきた


     議長はじめ、総勢5名の市議会議員で、東京に来ている。リンゴ黒星病の抜本的な対策を国に求める要望活動だ。
     先週の地元紙によると、今秋のリンゴの生産見込みは、平年を上回りそうとのことだ。黒星病の影響はないさほど無さそうだと書いてあった。
     しかし、この黒星病というのは厄介なもので、今のところ、撲滅ということはない。来年も、再来年も発生する可能性は大きい。以前のブログにも書いたように、耐性菌が出始めて、これまでの薬が効かなくなっているのが現状だ。
     そこで、弘前市議会では、4班に分かれて、国に対して、波状的に働きかけをしようと、7月から活動を続けてきた。今日がその最終班。Ki代議士の秘書の方の案内で、国会議員の議員会館内にある、県選出国会議員の事務所を、一件一件訪問した。
     さすがに、国会閉会中のこの時期、議員本人は一人もいなかった。それでも、各事務所の秘書の方に、しっかりと要望書を手渡してきた。
     用件がスムーズに済んだので、国会議事堂内を見学させてもらった。やはり、Ki代議士の秘書の案内だ。僕は2度目である。荘厳というか、おごらみがある。国会中継が好きで、よくカーラジオで聞いているのだが、この立派な議場に相応しい議論ばかりでもないような気もすると書いたりしたら、国会議員の先生方に失礼になるのだろうか。って、もう書いてしまった。
    それにしても広い。第二衆議院議員会館、参議院議員会館と要望活動をし、その後、議事堂を案内していただいて歩いた。もちろんそればかりではなく、駅の乗り換えや、ホテルまでの数100メートルもあるが、今日は13500歩以上も歩いた。
     それに、国会議事堂の赤絨毯の歩きにくいことったらありゃあしない。柔らかすぎる。国会の象徴のように言われて、憧れて国会議員を目指す人もいるのかもしれないが、あんなところを、毎日歩いていたら、膝や腰にさぞや負担がかかるだろうと、今でも毎日「塗るグルコサミン」というクリームを膝に擦り込んでいる僕は、痛切に感じた。 まぁ、心配しなくても、間違っても国会議員なんぞになれるわけもないが・・・。
    と言うわけで、今日は疲れた。東京の暑さもこたえた。いつもより文量が少ないがこれでご勘弁を。(3861)

昔取った杵柄


 高等学校の授業の一環に、「芸術鑑賞」がある。高校によって事情は異なるのだろうが、何校かから聞いたところ、音楽・演劇・古典芸能の3部門を3年サイクルで回しているとのことだ。
 僕が高校の頃は、あったのだろうか? 全く記憶が浮かんでこない。多分無かったのではないか。あったとすれば、3年間、完璧にさぼっていたのか・・・その方が可能性がありそうだ。
 そんな僕が、今さら言うのもおこがましいが、10代の頃に、生の芸術に触れる機会は、とても貴重である。そりゃあ、大都市圏にいれば、そんなことは日常茶飯事だろうが、地方都市の場合、学校教育の中に組み込みでもしない限りは、なかなか体験できるものではない。
 例えば、音楽である。今や、スマホやタブレットで、いとも簡単に、様々なジャンルにアクセスすることができる。そんな時代でもなお、いや、そんな時代だからこそ、生の音、演奏者の生の姿に触れることが、感性の醸成には必要なのだと、先日、誰かがラジオで喋っていた。
 落語も然りである。DVDやタブレットの画面では味わうことのできない、演者のちょっとした息づかいを、生の高座からは感じとることができる。
 さて今日は、芸術鑑賞のメニューを持って、市内の高校を回って歩いた。弘前芸術鑑賞会の仕事としてである。
 弘前芸術鑑賞会は、そもそも、弘前市内で、様々な舞台芸術を鑑賞する機会を増やそうという趣旨で設立された団体だ。手始めに「リーーディングライブ卍の城物語」を制作し上演した。その他にも、先日も紹介したように、「鬼太鼓座公演」や「夏井いつきの句会ライブ」などを企画している。11月には「第2回ひろかん寄席」の開催も決定した。色々なジャンルの公演を行なうことで、文化都市弘前の発展に、いささかなりとも貢献したいと思っている。
 その願いを高校にも届けたい。高校生にとっては、せっかくのチャンスなのだから、よりよい作品を観てもらいたい。中央の業者との交渉に係わる先生方の負担軽減も含めて、地元で産声をあげた団体が、微力かもしれないがお手伝いをさせて欲しい。とそんな思いで、学校を訪問した。
 何せ僕は、前職が本屋である。学校営業は幾度となく経験済みだ。受付で名刺を出して訪問趣旨を伝える。校長室で、資料を開きながら説明をする。なんとなく昔を思い出すようで懐かしい。扱っているのが本ではないとはいえ、「文化」を広めるという点では30年前とほとんど変わらない。
 学校回りの最後に、母校を訪れた。校長先生はじめ、今の教職員の方々も、全員、僕より4年以上は年下のはずだ。
 僕がプロレスに興じていた前庭はまだあったが、僕の弘高チャンピオンとしての勇姿は、もはや今学校にいる誰の記憶にも残っていない。あーあ、良かった。(1978)
 
 
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