岩木川添いの住宅街、栄町に、ニッカウヰスキーの弘前工場があって、地元産のリンゴを使った、シードルやアップルブランデーを製造している。今でこそ、たくさんの人がシードル作りに取り組み始めたが、長い間、弘前では、”シードル”と言えば”ニッカ”の代名詞であった。
今日の、弘前市都市計画審議会では、そのニッカの工場敷地が議題となった。都市計画上における用途地域を「第一種住居地域」から「準工業地域」に変更しようという案件である。
用途地域制度とは、都市計画地域内において、地域の役割や性格を明確にした上で、建物の規模や使用目的を制限するものであり、弘前市では現在、11の地域に色分けをされている。それぞれの区分により、建てていいもの悪いもの、建てられる建築面積の上限などが決められている。
今日の議題の工場の場合、既に50年以上も稼働しているのだから、今さら、住居地域だったと言われても、ピンと来ない人もいるかもしれない。僕も、そう思った。
説明によれば、ここは、昭和40年に建設されている。弘前市で初めて用途地域の線引きをしたのが昭和46年。その時点で何故か「住居地域」と指定されたのだそうだ。
当時は、弘前公園にも近いこの一帯を、既存の工場の存在を深く考えずに、良質の住宅地として開発したいという行政の意志が働いたのだろうと思う。確かに、その頃は、仲町と岩木川に挟まれたその地区は、さほど住宅が密集していなかったような記憶も、微かにある。
その後、狙い通りに、住宅が建ち並び始めた。今では、空き地を探すのに苦労をするくらいだ。
それなのに、平成8年に、用途地域の見直しを行なった際にも、工場の敷地も「第一種住居地域」と設定された。特に不都合がなかったからだという。つまり、この工場は、創業以来半世紀以上も「既存不適格建築物」のままだったわけだ。
この度、工場を耐震化するにあたり、ようやくこの件が問題となった。今の用途地域のままでは、建物の改築を行なえないのだそうだ。そこで、今回の変更と相成ったという説明を受けた。
どうにも後手後手の感が否めない。僕は、市内には他にも同様の「既存不適格建築物」があるのではないかと質問した。あるにはあるが、実態は把握していないという答弁だった。これまた心許ない。
先ずは、きちんと調査をすることが必要ではないか。そして、今回のように、なにか事情が起こってから細々と一つ一つ変更をかけるよりも、実態にそぐわない地域を、一斉には無理だとしても、ある程度まとめて見直しした方がいいのではないか、と提案した。
質疑の中で、ある委員が「弘前市の都市計画のスタートは、非常にシンプルだった。中心に商業地域があって、その周辺に住居地域があって、最も外縁に工業地域を置く。せいぜいそんなものだった。ところが今は、随分と複雑になったものだ」と感慨深くおっしゃっていた。「でも、そのことを否定しない」とも付け加えられた。「全国画一的な、金太郎飴のような街にはなって欲しくない」とも。
確かに、弘前のように古い街を、首都圏近郊の新興住宅都市のように、幾何学的に造り直すことは不可能に近い。むしろ色々なものが混在しているような”雑多性”もまた、弘前の魅力なのではないかとも思う。そのバランスの取り方が、都市計画の難しいところなんだろう。きっと。(6927)