今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2018年12月

今年の漢字


 昨日のブログで、僕の今年の漢字一文字は”初”だと書いた。が、その後、あれこれ考えたら、他にも何文字か二文字見つかった。
 先ずは”病”(びょう)である。一昨日・昨日の今年の出来事トップ10には、歯医者のことと糖尿病のことを書いたがそれだけではない。今年は、随分と医者の世話になった。
 眼科にも通っている。1月に、視力が落ちたような気がして検査をしたら、眼底に腫れがあって危険な状態だったらしい。。糖尿の影響だから、しっかりと血糖コントロールをしろと、きつく言われた。今はその腫れもひいて、月に一度の受診が3ヶ月に一度でよくなった。だけど、相変わらず文字を読むのには苦労をしている。
 インフルエンザにも罹った。昨年11月に予防注射をしたにもかかわらずにだ。ひょっとしてこれも初体験だった。お陰で、議会を一日、休まざるを得なかった。
 大腸の内視鏡検査も受けた。ちっこいポリープを何個か摘出した。幸いにして全部良性だったとのことだ。来年から、つまり明日から、アスピリンを服用すれば大腸癌を抑制できる、という治験を受けることになった。
 次に”忙”(ぼう)という字もあてはまる。何故か、年々忙しくなる。議員一期目や二期目は、もう少し自分の時間を持てていたように思う。
 今年最後の朝も、ある方からお電話をいただき、桜ヶ丘の除雪の現状を視に行った。確かに、他の地区よりも雪は多い。色々と、苦情やら要望を聞かせていただいた。
 ただ、その方々は、単なる苦情ではなく、除雪の方法についての具体的な提案をしてくれた。合点のいく内容だったので、すぐにその足で、市の担当課に行って、状況を説明した。
 と、そんなこんなで、年末までバタバタと駆けずり廻っていた。
 (ぼう)は”忘”とも書ける。記憶力の低下は勿論、忘れ物も、歳相応以上に多くなった。先日は、A銀行のキャッシュカードを、何故かA信用金庫のATMコーナーに忘れて歩いていた。A銀行から電話をもらい、A信用金庫に受け取りに行ったのだが、中に知り合いもいるので、決まりの悪い思いをした。
 昨日は昨日で、タクシーの中に手袋を忘れた。降りる際に、運転手さんが、「お忘れ物をなさらないように」と声をかけてくれたのに・・・。
 (ぼう)っと生きてんじゃねぇ! とチコチャンに叱られそうだ。

 と、ここから文体が変わります。今年もこのブログをご愛読下さいまして有り難うございました。お陰様で、アクセスして下さる数も年々増えてきています。
 来年も、一日も欠かさず更新します。懲りずに飽きずに呆れずに、是非お読み下さいますよう、心からお願い申し上げて、年末のご挨拶といたします。
 皆様、よいお年を。(4822)

今年の出来事トップ10 後編


 今朝も、凄い雪だった。午前中、太宰治まなびの家へ行ってみた。ほぼ二昼夜積もりっ放しの雪は、膝の上まで達していた。
 勿論(?)、僕が雪片付けをするのではない。それを仕事としている友人に来て貰って、あれこれ打ち合わせをした。でも、それだけで疲れ果ててしまった。
 いやいや、それくらいで挫けてもいられない。元気を出して、今年の出来事下半期編を書こう。

 町会バーベキューパーティー(9月)
 我が町会初の、焼き肉パーティーを開催した。市の助成金と、若い副会長2人の熱意におされた形だ。追いも若きも子どもも集まって、楽しかった。せっかく一つノウハウを蓄積したのだから、来年もまたやってみたい。
 実施にあたっては、市の町会担当職員の皆様や、大勢の町会の方々に、大変お世話になった。改めてこの場で御礼を申し上げたい。

 ジュリー!(9月)
 沢田研二のコンサートに行った。弘前のジュリーと呼ばれている(自称している?)割りに、生ジュリーを見たのは初めてであった。デブだった。白髪の爺さんだった。ちょっとがっかりした。
 でも、まさかその数日後、埼玉でドタキャン騒ぎを起こすとは・・・。
 なお、この日は、議会の一般質問で登壇した日だ。だから、ブログには、ジュリーのことではなく、そのことを書いた。「議会のあった日は、議会のことを書く」というのが、このブログの大原則の一つなのである。

 血糖値が下がった(10月)
 告白しよう。僕の糖尿歴の中で、Hba1cの最大値は、2桁を超えていた。それを、血の滲むような努力を重ね(嘘だよ)徐々に徐々に下げてきたのだが、7.0が一つの壁になっていた。7と8の間を上下する、そんな状態が長く続いた。
 それが、いきなり6.7を記録した。それ以来僕は、すっかり完治した気分になっている。1月の検診が怖い。

 小説コンクールの審査員(11月)
 若い頃に、りんごの童話コンクールを企画し、全国公募を行なったことがある。その時は、あくまで事務方に徹した。また、今は、弘前文学学校の講師として、生徒さん達の合評会に出ることもある。でも、他人様の作品に点数をつけてランク付けするなんて仕事は、生まれて初めてのことであった。
 審査員は、僕の他に、ベテランの先生が一人。全身にプレッシャーを感じたが、終ってみれば面白かった。来年また声がかかれば、是非やってみたい。

 大学での講義(12月)
 つい先日のことである。弘前大学のM先生のゼミで、学生さんたちを相手に、議会のことを話す機会があった。これも、人生初めての体験である。
 何故、議員になろうと思ったのか、なんてことも話をさせていただいた。話しているうちに、12年前の初心を思い出した。決して忘れていたわけではないが、強く意識することが少なくなっていたような反省の思いも湧いた。来年は、改めて、最初の純粋な気持ちで、選挙に臨もうと、決意を新たにした。

 こうして一年を年を振り返ってみれば、僕の今年の漢字一字は、”初”と言ってもよさそうだ。(4794)
 

今年の出来事トップ10 前編

 
 12月29日も暮れた。今年もあと2日。例年の如く、時の流れに身を任せたまま、1年が過ぎ去ろうとしている。
 そこで今日と明日は、僕の身の周りで起こった出来事の中から、印象深かったものを10件選んで紹介しよう。中には、その日その日に、ブログで紹介したものもある。リンクを貼っておいたので、再読していただければ幸いである。
 今日は、その上半期編。どれも貴重な体験である。順位はつけられない。

 中核病院を考えるタウンミーティング開催(1月・3月)
 毎回行なっている「議会報告会」の他に、テーマ毎に大勢の皆さんと話し合う機会を設けたい、というのが僕の課題であった。それを今年ようやく2回実現出来た。1回目は今日のような吹雪の日だったにも拘わらず、文化センターの1階会議室が満席になるくらい、たくさんの人にお集まりいただいた。

 入れ歯生活スタート(4月)
 正月に餅を食べていたら差し歯が抜けた。それ以来何度か歯医者に行くうちに、とうとう入れ歯生活になってしまった。今は毎日、デントヘルスで入れ歯を洗っている。

 弘前市長選(4月)
 4月に行なわれた弘前市長選挙で、市長が交代した。僕自身が何をしたわけでもないのだが、やはり、仕事柄、ここに挙げておかなければならない出来事だと思う。

 初めてのツアー随行(6月)
 「卍の城物語り観劇と、弘前藩ゆかりの地をめぐるツアー」を企画した。県内外から約40名の参加があった。東京の大手旅行会社を訪問しての提案、そして実際にツアー随行と、初めての経験をさせていただいた。

 弘前読書人倶楽部新記録(6月)
 6月の、弘前読書人倶楽部のブックトークは、佐藤弘前大学学長にお出ましをいただいた。さすがである。これまでの来館者の最高記録を更新した。

師走の光景


 年の暮れは、今年1年の貸し借りを精算する時期でもある。大晦日に、押し寄せる借金取りを何とかやり過ごそうとする庶民の姿は、「にらみ返し」「掛取万歳」「言い訳座頭」など、落語でも多数語られている。
 現代ではどうだろう。さしずめ、官公庁や多くの企業が御用納めとなる今日が、昔で言う”大晦日”にあたるのかもしれない。 
 今日も、市内随所で、交通渋滞が見られた。天候のせいもあるのだろうが、相当数が”掛取り”の自動車のようにも見えた。
 僕も、あちこち駆けずり廻った。と言っても、集金ではない。その逆だ。借りを返しに、渋滞のなに混じって、車を走らせた。
 まず、書店に行って、ツケを払った。J堂やK国屋で立ち読みをしていて、パッと目についた本をその場で購入することもたまにはあるが、基本的には、遠い親戚筋にあたるN本店で買う。N本店には店頭在庫はないが、注文すれば、すぐに取り寄せてくれる。また、週刊誌やプロレス雑誌などを定期購読もしている。議会開会中は、議会事務局まで届けてもらうこともある。
 そういった昔からの深いご縁をいいことに、11月分の代金をまだ払っていなかった。年末のご挨拶かたがた、すっぱりと完済してきた。
 思い起こせば、書店を経営していた頃、ツケを払わないお客に困っていたものだ。何十万円残があろうが、毎月1万円しか払わないという人もいた。それでも、その人は、自分はお得意様だと思っている節があった。
 あの時、もっと、厳しく取立てていれば・・・。今となっては詮無きことだ。
 次に向かったのが、某農業団体。お付き合いで、その団体の発行している新聞を購読している。
 今日で仕事納めだというので、事務所を訪ねようとした。ところが、確かこの辺りだったはずだという場所に、影も形も見当たらない。
 近所を何周もして、とうとう事務局のSさんに電話をした。そうしたら、全然別の場所に引っ越したという。と、それくらい、ツケを溜め込んでいた。
 弘前市立博物館にも行った。まさか博物館からお金を借りていたわけではないし、入館料をツケにしていたわけでもない。当たり前か。
 お借りしていた”津軽家墓所”に関する資料を返却に行ったのだ。何となく、こういったことでも年内に片付けてしまいたいと思うのが人情というものなのだろう。
 さあ、これで返すものは返した。財布はスッカラカンだ。明日から請求に来られても、ちと困る。
 それよりも、僕が貸しているものは無かったっけか。うーむ。しばらくあれこれ記憶を辿ってはみたが、全く思い当たらない。残念。(5447)

 追伸、
 借金取りとは関係ないが、落語で”大晦日”というと、何と言っても「芝浜」である。談志のも良かったが、談笑の「シャブ浜」も面白かった。あーあ、どこかに革の財布、落ちていないかなぁ。

年を越す課題


 先日、弘前大学のゼミにお邪魔させていただいた時に、 「議員の仕事とは」というお題もいただいた。議会開会中はともかく、議会が開かれていない期間は、何をしているんだ? というのが素朴な疑問なんだろう思う。
 これはしかし、一概には答えられない。だって、他に本業を持っている議員もいる。そういう方々は、会期以外は、本業に勤しむ時間が多くなるのだろう。
 また、政党に所属している議員もいる。その方々には、当然、党務というものも発生するだろう。
 だから、あくまで僕個人の場合と断った上で、大きく分けて、社会活動と議員活動がある、と答えた。
 社会活動というのは、例えば僕の場合では、町会であり、弘前読書人倶楽部であり、弘前ペンクラブであり、弘前芸術鑑賞会であり、津軽厚志会であり、あるいは今は休止しているが津軽プロレスだったりする。自分で出来ることで、社会に貢献しようという活動のことだ。
 一方、議員活動とは、文字通り、議員の立場として行なう活動である。議会閉会中でも、公務として行なわれる研修や視察もある。準公務のような会議もあれば、議員宛にご案内をいただいて参加する各種大会や式典等もある。勿論、市政の課題に関する調査・研究も、閉会中の大切な仕事だし、様々な集会に参加して、有権者の生の声に直接触れることも必要不可欠だ。僕の場合、定例議会の後には、必ず議会報告会を開催していて、その準備も、当然議員活動の一つに数えられる。
 市民から寄せられた要望への対応も、欠かせない仕事だ。ゼミ生の前で僕は、例として、道路・側溝の改修や、街灯の設置に対する要望があるんだよ、と話した。
 まさに年の瀬に、その2つの案件を抱えている。
 一つは、12月5日のブログで紹介した、近所の商店街の側溝の件。これは、道路維持課ですぐに現地を視にきてくれたとのことだ。応急処置にするか、恒久措置にするかも含めて、現在検討していただいているようだ。
 ただ、折しも、道路維持課は除雪でてんてこ舞いになる時期だ。どちらにしても、進展は年明け以降になるのだろう。
 もう一つは、郊外の新興地区の街灯の件だ。これも12月に入ってから、住民の方から要望を受けた。何せ、街灯の要望だ。本当に必要かどうか、明るいうちに現地を視に行っても仕様がない。
 そこで、12月中旬の暮れかかった時間帯に、まずは一人で現地を確認しに行った。そして今日また、市の担当課の職員と、前回と同じ頃合いに現場を視に行った。
 ものすごく寒かった。吹雪いている最中だった。そんな中でも歩いている人がいる。その一帯の事情と街灯の必要性は、職員の方にも、充分ご理解いただけたものと思う。
 寒波の中、出向いて下さった職員のKさんに心から感謝を申し上げて、あとは、早急な対応をお願いして、この件も年を越すことになる。来年がいい年になりますように。(9213)
 
 
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