今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2019年01月

百人一首でモテよう


 県内の書店で、「ミムラン先生のチャレンジ百人一首」という本が、軒並みベストセラーとなっている。著者は、三村三千代さん。弘前読書人倶楽部にも何度かお見えいただいたことがある。
 今日は、その出版記念祝賀会が青森市で開催された。読書人倶楽部のメンバーと一緒に、ちょっと贅沢だが、弘前からジャンボタクシーに乗って参加してきた。
 いやいや、電車代、青森駅からのタクシー代、それに電車の待ち時間、この寒さの中を移動する精神的肉体的負担等を考えれば、あながち贅沢とも言えない。むしろ、車の中で、わいわいと賑やかにお喋りをしながらの道中は、それもまた有意義であった。
 さて「百人一首」である。小学生の頃は、家で遊んだ記憶がある。長ずるにつれて、縁遠くなっていった。和歌を嗜むなどといった優雅な青春時代とは、真逆の生活をしていた。
 社会に出て、何かで、短歌や詩を諳んじれば、その筋の女性にモテる、なんてことを読んだ。そこで、一冊本を買って、俄勉強をした。
 でも、ついぞモテた経験はなかった。だいたい、銀座のクラブならばいざ知らず、弘前の場末の酒場で短歌を詠んだところで、「何、この人? モツケじゃないの」と思われるのがおちだ。
 憶えるのには、苦労をした。当時は、プロレスラーの名前や、歌謡曲の歌詞は、いくらでも暗記ができたのに、百人一首だけは(だけってこともないが)、なかなか記憶に定着しなかった。それが証拠に、モテないとわかったとたん、次から次へと忘れていってしまった。多分、動機が不純な上、そもそも歌の意味に共感を持てなかったせいでもある。
 それが不思議なものだ。この歳になって、何故か、すらすらと頭に入ってくるような気がしている。
 年齢相応の記憶力の低下はあるものの、歌の意味を素直に受け止められる。言葉の順番を憶えるのではなく、意味やリズムから、なんとなく歌が頭の中に浮かぶ。そんな感じだ。
 大人になったからなのだろうか? あるいは、もはや、愛だの恋だのの現役を退き、客観的に他人の心情を理解できるようになったからなのだろうか。
 帰りのタクシーの中は、そんな会話でも盛り上がった。
 今日の祝賀会は、色々な趣向が凝らされていて、とても面白かった。特に、冒頭の競技カルタの実演には驚いた。段位を持つ若い女性二人が対戦したのだが、読み手が一音発しただけで、目にもとまらぬ速さで手が動く。まさに0.1秒を争う闘いだ。記憶力と反射神経、それに体力も要する格闘技だと思った。
 僕も、もう少し(かなり?)若ければ、本格的にトレーニングをして参戦してみたかった。そうすれば、確実にモテていただろうに・・・(5852)
 

飲むだけならば簡単なのだが


 企業秘密の部分にも抵触するので、名前を明かすわけにはいかないが、某飲食店の経営改善についてもかかわることになった。今日は、何度目かの、その打ち合わせがあった。
 言うまでもなく、僕は、飲食店の経営などに携わったことがない。粗利益率がいくらか、損益分岐点がどの辺りになるのかもわからない。ましてやメニューや価格帯の設定の妥当性などは、全くの門外漢だ。 
 ただ、飲み歩いていることだけは確かだ。若い頃は、弘前のみならず、書店組合やら、青年会議所やら、商店街組合やらで、全国各地に出掛け、その町の居酒屋を訪れる機会は、比較的多かった。だから、一端のことは言える。
 ただ、今日は、飲食店経営のコンサルタントの先生も一緒だった。その店舗のオーナーをはじめ、取締役の方々も一緒だった。僕のような、単なる顧客としての意見ではなく、専門家や実際の経営者の知見を聞くことができた。
 その中で、感じたことがある。居酒屋であれ、スナックであれ、基本的には飲食店である。”飲食”というからには、料理の旨さや、そこにしか置いていないお酒、といった要素は、当然大事であることは間違いない。
 一方で、その二つの要素だけで、一体、どれくらいの差別化を図れるものだろうか。味の好みは千差万別だろうし、酒の銘柄だって、地域差はあっても、その地域内では”地酒”という括りで大差はないようにも思える。
 となると、やっぱり、”人”なのだと思う。僕自身、”味”がどうのとか,"酒”がどうのとこだわるタイプではない。卵焼きでも身欠きニシンでもいい。3ℓ1800円のワインで充分だ。不味くなければいい、悪酔いしなければいい、安ければいい、というタイプなのだ。
 じゃあ、何かと言えば、カウンターを挟んで向かい合った、その店のマスターや女将との会話、あるいは、カウンターに陣取った常連客同士の会話が楽しみで、足繁く通う。マスターでも女将でも、話題が豊富で、気さくに話しかけられる人がいい。女将であれば、出来れば若くて綺麗な人がいい。そんなレベルが一般的なのではないか。
 今日の会議でも、素人目線での話をしてきた。味だとか、店のコンセプトだとかよりも、接客のマナーと、お客様と会話のできる人間の育成。これが大切なのではないかと強調した。
 もう20年以上も前の話である。某出版社に銀座のクラブに連れて行ってもらった。そこで、ホステスの女性陣の、教養の深さ、知識の広さに、ある種の感動を覚えた。どのような顧客層にも対応出来るよう、彼女らは日頃から勉強をしている。日経新聞から週刊ポスト(失敬)まで、幅広く目を通しているということを感じとることができた。
 まぁ、弘前に銀座を求めることはできないだろう。でも、少なくても、「いらっしゃいませ」「有り難うございます」といった、接客の基本くらいは、どの店も身につけてもらいたいものだと思う。
 と言うのは易し。ただ飲んでいるだけなら、もっと簡単だ。が、経営に係わるとなると、これはこれで、けっこう大変だ。(11045)

今日はこれで


 第46回目となる議会報告会を終えた。喉を痛めてドクターストップがかかった1度を除いて、毎定例議会が終わる度に開いてきた。報告会もさることながら、その終了後のスタッフとの打ち上げも欠かさなかった。
 今日も、いつもの仲間と、けっこう飲んで帰ってきた。かなり酔っ払っている。
 いや、今日は、特別だったのだ。倫理法人会モーニングセミナーに、何年か振りかで出席した。
 選挙目当てではない。僕も所属する(一社)弘前芸術鑑賞会の理事長が入会することになったからだ。かよわき女性が、初めての会合に、一人では行きづらいだろうと僕も同行した。
 朝5時起きである。これは、僕にすれば、異例中の異例だ。外はまだ暗かった。寒かった。今朝は風も強かった。以来、20時間近く活動を続けている。眠い。
 加えて今日は、夕方から、商工会議所役員と市議会議員との懇談会も行なわれた。何せ僕は、かつて商工会議所の一員でもあった。たった一人の中心市街地出身の議員でもある。14人出席した議員一人一人が一言づつ意見を述べたあとで、いきなり会頭から発言をふられた。いつもに増して緊張した。
 と、そんなわけで、今日のブログは、これで閉じたい。いつもの文量の三分の二くらいだが、ご容赦をいただきたい。ごめんなさい。
 あっ、もう、日付変更線近くだ。(7951)

ちゃんと、きちんと、しっかりと  今日の特別委員会から


 「ひろさき市議会だより」編集特別委員会が開催された。編集会議と言っても、どのページに何を掲載するかといったことは、昨年末の第1回目の会議で粗方決めている。今日は、事務局が制作してくれたパイロット版を、僕ら議員がチェックするための集まりであった。
 その事務局は、実によくやってくれている。僕の担当ページは8ページ目だったのだが、僕が「こんな感じで」と簡単に指示した内容を、美しく、しかも見やすくレイアウトしてくれた。勿論、僕に異存はない。
 他のページ全体を見ても、担当議員の意向に添って、正確に漏れなく情報が書き込まれている。真面目な仕事ぶりと、センスの良さが伝わってくる。
 手直しは2点だけ。一つは基調となる色について。
 前回の会議で、「淡い桜色」と決まった。ところが、出来上がったパイロット版を見ると、どうもインパクトが弱い。見出しの訴求力に欠ける。そこで、もう少し濃いめの桜色に変更することにした。やっぱり”ピンク”はどぎつい方がいい。(ん? なんの話だ!?)
 もう一つの手直しの方が、実は難題だったのかもしれない。1ページ目の本文中に、「基本構想に産業の土地利用についてちゃんと明記してほしい」という議員からの発言趣旨が記載されていた。この”ちゃんと”という表現が、公式文書である議会広報紙にはそぐわないのではないかという意見が出されたのだ。
 咄嗟のことだったので、僕も含め出席者全員が「そだねー」ということになり、”しっかりと”と訂正されることになった。
 しかし、僕はご承知の通り、理屈っぽい性質なのだ。特に日本語については、妙にこだわりがある。どうにも心に引っかかっていた。
 そこで、家に帰ってから、国語事典をひいてみた。20歳代の頃から愛用している「岩波国語辞典第三版」である。
 「ちゃんと」 すべきことをきちんと行なうさま  基準にかなって整っているさま
 「しっかり」 堅固であるさま  確かであるさま
 「きちんと」 過不足なく  正確に
 ・・・どれもニュアンスが若干異なるが、こうして並べてみると、「しっかりと」よりも「ちゃんと」の方が、文意に添っているようにも思う。いや、「土地利用について正確に明記してほしい」という意味であれば、「きちんと」が最適なのではないか。  
 まぁ、今となっては後の祭りだ。誰もそこまでは気にしないかもしれないし。
 今日、校正をした「ひろさき市議会だより」第55号は、2月下旬に発行される。どうぞお楽しみに。(3815)

 追伸
 明日(29日)は、僕の議会報告会だ。午後6時半から、百石町展示館で。ちゃんと、きちんと、しっかりと、市政のことを皆様にお伝えしたい。
 
 

自分の原稿 他人様の原稿


 弘前文学学校の特別講師という立場をちょうだいしている。年に2回だけだが、 一応、授業も受け持っている。
 弘前文学学校のカリキュラムは1年間、4月から1月までの10ケ月間で、生徒さん方は、月3回の授業を受けながら、創作に励む。小説・エッセイ・自伝・詩・・・、ジャンルは問わない。
 残りの2月・3月は、各自が書き上げた作品の合評会にあてられる。この合評会が面白い。いや、面白いだなんて言ったら失礼だ。実に真剣に取り組んでる。「ここは、こう直した方がいい」とか「もっと視点を変えた方がいい」といったアドバイスのみならず、「何を言いたいのかわからない」「面白くない」などという辛辣な意見まで、受講生同士が徹底してお互いの作品を批評しあう。
 そういった過程を経て、さらに手直しをした作品がまとめられて、年に一度「文学いちば」という小冊子が発行されている。受講生の血と汗と涙の結晶といっても過言ではない。
 IMG_7735その合評会の指導を、今年も引き受けてきた。2月下旬から3月にかけての3回ほどだ。今日、取り敢えず集まっている作品を11人分、手渡されてきた。さらに増える見込みだという。これから、暇をみつけては、それらを熟読し、赤ペンをいれなければならない。
 しかし、その”暇”を見つけられるだろうか? 4月には、4年に1度の大イベントがある。
 それに、他人様の原稿どころの話ではない。自分の原稿の締め切りもある。
 つい先日、「弘前ペンクラブニュース」3月15日発行号の原稿も頼まれた。2月中旬頃が締め切りとのことだ。
 原稿用紙3枚強で、何を書いてもいいという。この「何を書いてもいい」が曲者で、何を書くかを決めるまでに時間がかかる。却って「何を書いてくれ」と指示された方が書きやすいと思うこともある。
 ペンクラブニュースの編集長は、締め切りに厳しい。せいぜい遅れないように頑張ろう。
 もう一つ、所属している同人誌の締め切りはいつだったっけ? 昨日、そちらの編集長とは酒席を共にしたけれど、何も言っていなかった。それをいいことに、もう少しだけのんびりさせていただこう。
 だけど、本当に、原稿を読んだり書いたりしていて、いいのだろうか? 4年前の今頃は何をしてたっけ? 8年前は? 12年前は、もう、街頭演説を始めていたような気もする。
 いいのだ。たとえ泥縄であれ、多少(?)締切に遅れたにしても、引き受けた原稿は書く。文学学校であれ、ペンクラブであれ、同人誌であれ、いつもどおりのことを、いつもどおりに行う。そんな日常の活動をどう評価していただけるかが大切なのだ。
 しかし、書いている内容があまりにくだらなすぎて、逆に信用を失う場合もある。このブログだってそうだ。もう少し品のあるものにしていかなくては・・・。無理だ。(5645)
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