これまでも、このブログで何度か紹介してきたが、津軽厚志会という財団法人がある。津軽家歴代藩主の偉業と遺徳を、後世に残し伝えること、またその霊を祀り菩提寺を守ることを目的に、命じ38年に設立された。 僕も、亡き父の後を継ぐような形で、評議員に名を連ねさせていただいている。
今日は、その活動の一環として、津軽家縁の6軒のお寺を訪問した。厚志会では、毎年、祭祀料を奉納している。去年までは現金書留で送っていたらしいが、今年は、事務局体制の刷新もあったので、理事長と二人で、直接お渡ししてきた。

革秀寺 初代藩主為信公の御廟所がある。昨年夏に、改修工事を終え、お披露目されたばかりだ。
長勝寺 2代からの歴代藩主の霊を祀ってある。満天姫のお墓もある。
隣松寺 中興の祖と言われた4代信正公の生母の位牌堂がある。
貞昌寺 初代為信公の生母の他、二代目・三代目藩主のご母堂も祀られている。
本行寺 7代目藩主の生母が祀られている。
報恩院 戦後、長勝寺に廟が移されるまでは、このお寺に、歴代藩主が祀られていた。
などと、知った振りをして解説をしたが、言うまでもなくこれらには全部アンチョコがある。「津軽厚志会創立95周年記念誌」である。僕は、その補遺版の編集には携わったが、一つ一つのお寺の由来にはタッチしていない。
と、言い訳がましいことを書いたのには理由がある。歴史には諸説があるからだ。例えば、為信公の出自に関しても、複数の説があるようだ。ちょっとした食い違いが、大きな論争に発展することにもなりかねない。僕にはとても、太刀打ちできる知識も術もない。だから、何かを書くときには、出典を明示しておかなければならない。
そしてまた、歴史の好きな人ほど、その説の違いにもの凄いこだわりをもっている。今日も、長勝寺の三門を出たところで、一人の歴史愛好家に声をかけられた。長勝寺の由来や、満天姫のお墓が本当は別の場所にある、と言ったことを、立ち話ではあるが、けっこう長い時間、教えていただいた。
これから観光客のガイドをするのだそうだ。こういう熱心な歴史ファンがいて、自らガイド役を買ってでてくれることも、弘前市のポテンシャルの一つなんだろう。実に奥深い街だ。(6686)
追伸
今日のタイトルは、チェリッシュのヒット曲からいただいた。
実際は、厚志会のK理事長と二人だった。これからの会の運営のことなどをお喋りしながら歩いたので、古の津軽の歴史に思いを馳せるなんて、感傷的な場面は一度もなかった。
追伸2
僕の好きな歌、チェリッシュ編
① だからわたしは北国へ
② てんとう虫のサンバ
③ 白いギター。