今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2019年05月

新しい特別委員会  今日の議会運営委員会から


 5月22日の臨時議会で選任されてから初の、議会運営委員会(以下;議運)が行われた。僕は、正式な委員としては、今日が初めての参加なのだが、これまで、ほとんど毎回、オブザーバーとして傍聴していたので、雰囲気はわかっているつもりだ。
 いつもの通り、理事者側から、次の定例議会に提案される議案の説明があった。今回は僅か13件。以前にも書いたように思うが、市長が替わってから、提案される条例案が減ったような気がしている。多ければ良いといものでもないんだろうが、物足りなさも感じる。
 特に、経済文教委員会に付託されるであろう案件は0.委員長に就任して張り切っていただけに、正直言ってがっかりした。
 説明を終え理事者が退いてから、会期日程を決めた。令和元年第一回定例会は、6月7日開会、6月28日閉会の22日間である。
 一般質問は6月の18日から4日間。6月24日と25日に常任委員会が開催される。基本的にはいずれも傍聴可能なので、是非お越しいただきたいと思う。一般質問の登壇順は、初日本会議終了後に抽選で決まる。改めて、このブログでお知らせする。
 さて、今日の議運では、特別委員会の設置案も議題に上った。一つは「ひろさき市議会だより」編集特別委員会。これは従前から在ったものだ。各会派と無所属から、それぞれ一人ずつ委員を出す。僕は、委員会創設以来、ずーっと委員を務めてきたが、今回は、若いT君と交代した。
 他にも各会派とも、若い顔ぶれが目立つ。フレッシュな感性で、広報誌作りが行われることだろうと期待する。
 もう一つ、新たに特別委員会が設置される。りんご産業振興特別委員会だ。
 これは、黒星病対策に議会を挙げて取り組みたいという議長の強い思いから生まれた。ただ、どうせ委員会を創るなら、市の基幹産業である”りんご”を包括したものがいいのではないかと、各会派から意見が出て、このような形となった。
 僕もこの委員となった。りんご栽培に関しては全く経験がないが、りんごの販路拡大や6次産業化、あるいはスマート農業の導入等について、僕なりの知識と経験を活かしたい。
 と、議運の日のブログは、いつだって事務的な連絡になることが多い。書いていても面白みに欠ける。だけど、議会での出来事を報告するのも、このブログの重要な目的の一つだ。いたしかたない。
 明日は、議会とは全くかけ離れた話題を書きたいと思う。(8098)
  

ナルコシプレー?


 糖尿病、皮膚掻痒症、大腸ポリープ、慢性金欠病・・・。病気の百貨店のような僕の身体に、どうやら、また新しい病気が宿ったようだ。ナルコシプレー。別名「眠い眠い病」の予備軍かもしれない。
 とにかく、その名の通り、ただただ眠いのである。午後になると、瞼が重くてしようがない。一昨日などは、前の晩9時間以上も眠ったのに、その日一日中、頭がボワーッとしていた。
 今日も午前中、太宰治まなびの家、弘前芸術鑑賞会、青春歌謡会等の所用で走り回り、昼食を食べたら、無性に眠くなった。とうとう、一旦家に帰って、30分ほど昼寝をした。先週も、そんな日が2日ほどあった。
 だいぶ前に、農家出身の先輩議員(今はもう勇退された)から、「自分たちは朝の5時から起きて農作業をしているので、昼食を摂ると、どうしても眠くなって、つい議場でウトウトしてしまう」なんて話を伺った。僕は、「はぁ、そうですか」と表では頷いておいたが、内心「どんな理由があろうと議場で寝るのはまずいだろ」と、正直言って不快感を持った。 
 僕だってこれまでも、議場で眠気に襲われそうになったことがないわけではない。そういう時は、休憩中に、濃いめのコーヒーを何杯も飲み、それで足りない時は「眠眠打破」を飲んで耐えてきた。議員たる者、そうでなくてはならない。エッヘン。・・・て威張れることではないなぁ。
 でも、他人のことをとやかく言っていられない。今の調子で6月議会に突入すれば、僕も議場で打つ伏してしまいかねない。
 厄介なのは、僕の場合、早朝から仕事をしているというような、理由がはっきりしている訳ではない。さっきも書いたように、前の晩、たっぷりと睡眠をとっていてもそうなのだ。不思議だ。だから、これは、本当の病気ではないかと心配になる。
 更に不思議なのは、この症状は、夜になると、一旦ピタッと治まってしまう。生ビールの最初の一口が喉を通ると、それまでの眠気が、どこかに吹き飛んでいく。
 今夜も、今度、経済文教常任委員会副委員長に就任した若手のI議員や、同じ会派を組むT議員と、今後の常任委員会の進め方について協議しながら、一杯呑ってきた。付託された議案を審査するだけではなく、課題をみつけ、積極的に調査し提言する委員会にしたいという僕の気持ちを、快く理解していただいた。そのような話をしている最中は、目が爛々と輝いてくる。
 それでいて、家に帰って、ブログ更新のためPCに向かうと、再び睡魔に襲われる。お陰で頼まれていた原稿になかなか手がつかない(全くの言い訳)。本当に不可解な病気だ。
 いや、まてよ。これって、単なる、老化現象? いやいや「さぼりたい病」? どっちにしても、先ずは深酒を止めて、早く布団に入ることを心掛けてみよう。身体と精神と脳が、休息を求めているだけのことかもしれないから。(8152)

弘前の今が在るのは


 何度か書いてきたように、5月は”総会”のラッシュである。この一ヶ月のあいだ、”総会”と名のつく会議、あるいは年に一回だけ開催される会議というものに、幾度出席してきたことだろう。
 今日は、その掉尾を飾る、津軽厚志会総会が開催された。昨年から、僕が庶務担当に任命されたため、案内状の発送から会場設営など、バタバタと過ごしてきた。特に、締切り直前にならないと身体が動かない体質なので、会議資料作成には、昨日から大慌てで取り組んだ。
 津軽厚志会は、津軽歴代藩主の偉業と遺徳に感謝し、その霊を祀り、菩提寺を守ることを目的に、明治38年に設立された組織だ。現在は一般財団法人となっている。
 毎年、革秀寺で行われる初代藩主為信公の法要、同じく長勝寺で行われる歴代藩主の法要に、会員一同参列し、また、高照神社や種里八幡宮等、津軽家縁の寺社仏閣に対して、僅かながらも祭祀料を寄進させていただいている。
 そういった、宗教的な事業の他にも、例えば、築城400年祭や、弘前城の石垣修理等にも、応分の寄付を行った。また、様々な機会を通じて、津軽家の業績と歴史を、広く知ってもらおうという活動を行っている。
 とにかく、現在の弘前市があるのも、もとはと言えば、津軽為信公がこの地に居城を構えようと計画したからである。そして信枚公が築城を完成させたことに始まる。毎年、桜祭りに200万人以上の見物客が訪れ、弘前が全国屈指の観光都市を標榜できるのも、津軽家の建てたお城があるからこその話だ。
 それを思えば、僕らは、もっともっと津軽家に敬意を払わなければならない。決して粗略にしてはいけない。という信念で、活動をしているのが厚志会だ。
 手元の資料に寄れば、僕は、正式には平成18年からメンバーになっている。議員になる半年前からだ。他の会員に比べればキャリアは浅いのだが、今ではどっぷりと浸かっている。
 今日の総会には、津軽家第15代ご当主様にもご出席を賜った。会議終了後の懇親会では、殿様と一献傾けながら、四方山話に花を咲かせる。それもまた楽しくて、毎回出席しているようなものだ。 
 僕の場合、この活動を、弘前市の観光・まちづくり・文化財保護、そして教育に活かしていきたいと考えている。特に教育。自分の暮らしているまちの歴史を教えることは、全ての教育プログラムの中でも、最も重要なものの一つだと思うからだ。
 その意味で・・・と、ここから我田引水・・・、6月7日8日に、弘前文化センターで上演される「リーディングライブ 卍の城物語3」は、この街の成り立ちを知る格好の教材だ。是非多くの人にご覧いただきたい。津軽厚志会も、この公演を陰ながら支援している。(9065)
 
 
 

当て職がいっぱい


 和徳小学校の後援会総会に出席してきた。
 何度かこのブログでもお伝えしてきたとは思うが、僕はこの学校の卒業生でもないし、PTAOBでもない。でも、町会長になってから、案内をいただくようになった。まぁ、学区内の町会長の当て職なんだろう。
 町会長のこういった当て職は、他にもいくつかある。学区体育協会や、同じく社会福祉協議会、あるいは社会教育講座委員会等だ。当て職ではないが、学区内の3つある委員会からも、総会や催し物の案内状が届く。学区の神社敬神会の監事にも就任した。
 町会長になる時、これらは正直言って想定外だった。町内のことだけやっていればいいものと思って引き受けた。しかし、すぐに、その想定が大甘だったことに気がついた。特に5月から6月にかけては、それらの総会が数珠つなぎで開催される。スケジュールの調整が、けっこう大変だ。
 でも、考えてみれば、世の中には、当て職というものがたくさんある。古い話で恐縮だが、青年会議所の理事長をやった時は、市の様々な審議会やら検討委員のポストがついてきた。書店組合の理事長時代は、県の「青少年なんたらかんたら委員」とやらで、本やビデオを、県が独自に成人指定するかどうかを審査する委員もさせていただいた。あれは役得だった。(ん?)
 要するに、一つのポストを引き受ける時は、本業以外にも、それに付随してついてくる、またはそこから派生する仕事が必ずあることを覚悟していなければならないということだ。そして、それらの新たな仕事やポストが、自分を一回り大きくしてくれる。人間の幅を広げてくれる。と思えば、むしろ歓迎すべきことのようにも思う。
 実際に、いくつかの学区の仕事は、僕にとっては、プラスになっている。それまでは、同じ町会内では別として、隣り町会、そのまた隣り町会、さらには学区内の他の町会の方々とは、ほとんど知り合う機会はなかった。こうして、町会長としての当て職に取り組む中で、多くの交際も始まり、新しい知識も得られているように思う。
 そんなわけで、いつまで町会長を続けるのかはわからないが、出来るだけ、頼まれたことを断らず、出来る範囲で精一杯協力していきたいと思っている。
 協力と言っても、取り敢えずは、後援会費を町会の予算の中から拠出するということだ。微々たる金額だが、地域の学校のため、子どもたちのに役立てて欲しいと思う。(7102)

経営者の部屋


 仕事柄、地方新聞社とは付き合いが長い。 仕事柄というのは、議員云々ということではなく、書店経営時代からの話だ。
 かつては、青森市に本社を置くT紙も、弘前が本社のM紙も、両紙とも、僕の店の「今週のベストセラー」を掲載していてくれた。その他にも、3階にあったギャラリーを使った催し物の取材にも必ず来ていただいて、記事として採り上げていただいていた。
 商売に限らず、青年会議所や商店街活動でも、様々なイベントに後援や告知記事としての取り扱いをお願いするために、何度も社屋を訪問したことがある。
 議員になってからは、主にお付き合いをする新聞社の中の担当部門が変わった。M新報でいえば、以前は文化部の方がほとんどだったが、今は社会部の記者と会うことが多い。
 と、世間一般の人よりは、新聞社に行く機会が多かったはずなのに、63歳にして初めて、T日報社弘前支社の支社長室に入った。支社社屋2階の最奥にある。豪華ではないが、広く、清潔感溢れる空間だった。
 訪問の用件は、弘前読書人倶楽部のブックトークの講師依頼だ。以前から口頭で頼んではいたが、今日、改めて、日時を確認し、正式にお願いをした。快くお引き受けをいただいた。
 経営者の部屋、ということになれば、思い出すことがある。僕が書店の社長に就任した時の話だ。僕自身は、あまり自分の部屋など持ちたいとは思わなかったが、取引先の重役から、やはり、社長室は作った方がいいと助言を受けた。経営者というものは孤独なものであり、時に社員とは一線を画さなければならない場面もある。社員には見せられない表情、聞かせられない話などもある。だから小さくてもいい。自分の部屋を持ちなさいと。
 まぁ、僕の場合、部屋はあるにはあったが、ほとんど物置状態になり、自分自身は、事務室の片隅にデスクを置いていた。そこにすらろくに座らずに、店頭に立ったり、倉庫で作業をしたりしていた。その方が、仕事をしている気がしたからである。一人で部屋に座っているのは性分にも合わない。
 でも、今思えば、そこにも失敗の種があったと感じなくもない。現場から離れ、もっと、部屋で戦略や戦術を練る時間を増やしていれば、違った結果がでていたのだろうか・・・? (多分、そんなに変らなかったであろう)
 今日の支社長訪問で、組織トップの居場所ということについて、改めて、そんなことを考えた。ごく短い時間の滞在であったが、支社長の部屋からは、経営者の矜持が感じられた。
 別れ際に、今日の僕の訪問を、「本社来訪」というコーナーに載せてもいいかと聞かれた。勿論OKです、と僕は答えた。市議会議員としてでは無く、弘前読書人倶楽部代表として載せて欲しいとも付け加えた。
 多分、明日のT日報紙、第三面の左隅だろうとは思う。ちょっと注目して見ていただければと思う。(8549)
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

昌ちゃん

今泉昌一の本棚


QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ