
この駐車場ビルを建てた時には、僕はまだ30歳台だった。書店を経営していて、商店街の役員を務めていた。
あの頃は、駐車場建設の他、アーケード撤去、オーニング設置、街路灯の更新、歩道の融雪、無電柱化等々、ハード面からの商店街の改造に取り組んでいた。市役所や商工会議所からも委員を派遣してもらい、一緒になって、何度も何度も会議を開き、今の商店街の形を造りあげた。
駐車場については、商店街仲間で、山形市の中心商連街を視察に行った。「駐車場、は建設時にはかなりの費用が必要ですが、ランニングコストはそれほどかからないので、すぐに元がとれますよ」という説明を受けたような記憶がある。しかしかなり曖昧だ。
その夜は、皆で、天童温泉に泊まった。そっちの方は、鮮明に覚えている。
実際に、数字の上では、経営は順調だ。今期も、総売り上げに対して1割以上の純利益を計上している。
が、何せ駐車場である。一日に何十台何台という車が中を通る。年を経る毎に、施設の安全性には相応の費用も必要になる。また、エレベーターや、駐車券発券機、入退場ゲートもいずれ交換しなければならない。それらに備えるという理由で、今期も無配であった。
それは別にかまわない。僕が、この会社の株主でいる理由は、配当が欲しいからでもなんでもない。この会社が、生まれ故郷である下土手町と僕との間をつなぐ太い線だからだ。今でこそ、商店街振興組合のいくつかの会議にも参加させていただいているが、一時期は、この会社が、僕にとって、下土手町との唯一の接点だったこともある。だから大切にしたい。いくつになっても、生まれ育った街に対する愛情は失せるものではない。
♬ ああ誰にも 故郷がある 故郷がある♬ とは、五木ひろしの「ふるさと」の中でリフレインされる歌詞である。”郷愁”とか”望郷”とかいう心境には、演歌がよく似合う。
あの、街づくりに邁進していた時代から。もう30年近く経過した。当時、ピカピカだった設備も、斬新だったアイディアも、時の流れとともに、色褪せてきている感があるのは否めない。
再び、新しい色を塗り治さなければならない。街に風を起こさなければならない。そんな時期にきているようにも思う。(12123)