今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2019年11月

免許返納宣言


 昨夜からの雪が、まだ残っていた。隣の屋根も、我が家の玄関から門までの細い通路も、今朝は、白一色に覆われていた。
 街中はこの程度でも、きっと山間部に行けば、車道にも雪が積もっているだろう。先週、冬タイヤに交換しておいたとはいえ、こんな日は、できれば運転はしたくない。でも、今日の目的地は、市北部の農村地域だ。日頃からお世話になっている人なので、電話の挨拶で済ませるわけにもいかいない。意を決して、エンジンをかけた。
 一体僕は、そもそも運転には向いていない。注意力が散漫だ。飽きやすい。長距離の同じ道の往復だと、帰りに必ず眠くなる。
 加えて、目の衰えが著しい。今年の運転免許更新時には、一度は視力ではねられた。「眼鏡を換えて濃い」と言われた。そのとおり、急遽、眼鏡を新調し、2週間後再チャレンジをした。何とか、合格することができた。
 が、その時よりも、さらに視力は悪くなっている。書店の棚に並ぶ背表紙の文字が、眼鏡を外して10センチくらいまで顔を近づかなければ見えないほどだ。
 だから、運転は、なるべく差し控えようと思う。
 それに、11月15日のブログに書いた、W君のことが頭ヵら抜けない。実は先日の視察の合間、W君の実家を訪ねてきた。遅くなってしまったが、せめてお線香の一本でもあげて、お別れを言いたかったのだ。
 お父様ともお母様とも、勿論初めてお会いした。彼は、弘前で暮らすと言って、車で出発し、その途中で事故に遭って亡くなった、ひょっとしたら、ご両親は、弘前のことを快く思っていないかもしれない。そんな不安も。お会いするまでは心の片隅にあった。
 全くの杞憂だった。お父様には、わざわざ駅までお迎えに来ていただいた。彼の遺影の前で、事故の様子や、現在の家族の状況なども、お話をして下さった。淡々と語るお父様の姿には、深い悲しみが漂っていた。 
 「死」は、誰にとっても、すぐ間近にある。いつ突然に遭遇するとも限らない。益々、運転が怖くなった。
 今日は、何事もなく、無事に帰ってきた。しかし、車を運転している以上、如何に交通ルールを守っていたところで、100%の安全なんて、だれも保証できるはずもない。
 断言しよう。今は、仕事上、運転せざるをえない場合もあるが、議員という職を離れたら、すぐにでも免許を返納する。その前に、事故や違反で、免許取り消しにならないよう、気をつけなくてはならない。(9065)
 
 

流れに棹さして 今日の本会議(終了後)から


 弘前市議会、令和元年第3回定例会が開会した。これから12月20日までの22日間、熱い(?)議論が闘わされる。
 これまでも、何度も、申し上げてきたように、このブログは、市議会でどんなことが行なわれ、どんな議論が交わされているかをお伝えするのが本旨だ。だから、本会議や委員会や・その他の公務があった日には、原則としてそのことを書くように努めてきた。
 しかし、正直言って、毎回、この初日本会議の日は、一苦労だった。だって、会期の決定があって、議案の簡単な説明があって、いくつかの報告事項があって・・・と、大概はそんなものだ。その中から、トピックスを見つけるのは難しい。
 登壇本会議終了後には、一般質問の登壇順を決める抽選がある。その結果を、左に添付する。お時間の都合がつけば、誰の時でもいいので、是非、傍聴にお越しいただきたい。
 それよりも、今日のハイライトは、本会議とは別に午後に行なわれた、全議員を対象とした、ペーパレス議会のデモンストレーションだ。「SideBooks]・「moreNOTE」の2社が議場に来て、実際にタブレット端末を全議員に貸与して、その特色や使い方を説明してくれた。
 タブレット1社1時間。休憩を挟んで、2時間半という長丁場だった。説明のスピードに遅れまいと、じっと画面を見続けていたら、目が疲れた。
 僕は既にタブレットを持っている。と言っても、旅先からブログを更新するのに使っている程度だ。やはり、早口で説明されても、とまどうことも多い。
 28人の議員の中には、ひょっとしたら、今日初めてタブレットに触ったという人もいたかもしれない。それでも皆、一生懸命、説明に耳を傾け、あれこれ触ってみていた。時折、笑い声が漏れることもあったが、真剣に取り組もうという姿勢は、感じ取ることができた。
 まだ、予算要求の段階だ、導入出来るか出来ないかは、これから先の話だ。ただ、好むと好まざると、時代は、どんどんそちらの方に進んで行く。弘前市議会も、その流れに乗り遅れてはならないと考える。
 などと、偉そうに言っている僕が、真っ先に躓きそうな気もする。だって、生まれた時から本の中で育ってきたのだ。紙に印刷された文字の方に、ずっと親しみを感じている。でも、徐々に慣れていかなくっちゃ。頑張ろう。(10159)

我が師、我が友・・・


 靑森CO大学のS先生とお会いした。同じ会派を組むTa議員と一緒だ。約2時間ほど、しっくり話し合うことが出来た。
 S先生は、地方自治、地方議会の活性化について、全国を股に掛けて、講演や指導をされている。7月に行なった、弘前市議会有志の勉強会でも、講師をしていただいた。
 僕は、約10年くらい前から、知己をいただいている。まだ一期目、無所属だった頃だ。当時、若手と言われたM議員やF議員と、居酒屋で盃を酌み交わしたことがある。
 以来、何度か、お会いしている。S先生が主催する公開講座にも、出席したことがある。それがご縁で、富山県氷見市の市庁舎を視察にも行った。
 S先生は、Ta議員の恩師である。先生の薫陶を受けて、彼は政治を志し、銀行員という恵まれた境遇を捨て、立候補を決断した。そして当選した。先生の教えを具現化しているといっても、決して過言ではない。
 先生とTa議員の結びつきを見ていると、まさしく師弟関係の強さを感じる。喩えて言えば、荒川コーチと王選手のような間柄だ。Ta議員は、卒業して8年も経った今でも、先生とはしょっちゅう会っているらしい。羨ましいことだ。
 これは、ある意味、地元の大学に進学したからだとも言える、少人数の指導だろうし、卒業後も頻繁に会うことができる。
 僕の場合、東京のマンモス私大だったせいか、特定の先生との結びつきは、全く(ほとんど)無い。いやいや、東京だとかマンモスだとか、それは言い訳に過ぎなく、一番の要因は、授業にもゼミにも、ほとんど(全く)出ていなかったからに他ならない。今思えば、よくも卒業できたものだと、我ながら不思議に思う。まぁ、不真面目な学生であった。
 数年前、ゼミのOB会の案内を頂戴した。あいにく日程が合わず、欠席をした。突然、ゼミ仲間から電話をもらったこともある。しかし、正直言って、すぐには顔を思い浮かべられなかった。
 東京にいるサークル仲間は、年に数回は集まっているようだ。有り難いことに、毎回、メールで連絡が入る。でも、なかなか日程が合わない。せいぜい、2年に一度、出席できるかどうかといったところだ。
 地元の大学では、地域密着というか、濃い人間関係を築けるという利点がある。一方、地域外の大学では、薄いなりに、全国にまたがった広い関係を築くことができる。どちらがいいとか悪いとかではない。せっかく大学まで行ったのであれば、そこでの出会いを大切にしなければと、Ta議員とS先生の、息の合った様子を見て、羨望と反省と後悔を、一気に覚えた次第なのである。
 来年は、サークルでもゼミでも、お誘いいただければ、是非、出席したいと思う。(9030)
 

嵐の前


  明後日から始まる定例議会を前に、都市整備部から、事前レクチュアを受けた。同じ会派のTa議員、無所属の3人と一緒だ。
 案件は、来年4月にオープンする「弘前れんが倉庫美術館」の指定管理に関することだ。今議会に、その指定者案が提案されている。
 といっても、”PFI”と称して、建設から管理運営までを一括して、18年間という長期間、その会社に委託することは、もう数年前から決まっていたことだ。「何を今さら」とまでは言わないが、極めて形式的な手続きのようには思う。しかしまぁ、それが行政というものなのだろう。
 議案とは別に、工事の進捗状況や、今後のスケジュール、開館記念プログラム等の説明もいただいた。その企画で展示されるアーティストも、資料として頂戴した。
 が、奈良美智氏以外は、全くわからない。一人、高校まで弘前にいたという中国の方もいるようだが、それも存じ上げていない。僕の美術知識なんてそんなものだ。だから企画内容については、質問のしの字だって出来やしない。
 それにしても、こういった事前レクチュアの機会は、数年前に比べれば、格段と増えた。これが、今の市長の姿勢だとすれば、それは評価に値する。
 僕は、議員になって最初の8年間は、完璧な無所属だった。その間は、このように、議案について個別に事前説明を受けるだなんてことは、全く無かったと言ったって、そんなに大袈裟な表現ではない。ほとんど一人で調べて、議場に臨んでいたように思う。(いや、調べていなかったような・・・。まぁいい)
 3期目になって、Ku議員と「無所属クラブ」という緩い会派を結成し、さすがにそれまでよりは、事前説明の回数は増えた。でも、今ほど頻繁ではない。他会派への説明はあっても、僕らの会派には説明が無かったといったこともあった。市担当者が「最初から反対しそうな会派には行かない」と言った、という話が聞こえてきて、本会議でそれを追及したこともある。
 それを思えば、こうして、弱小会派や無所属議員にも、時間を割いてご説明いただけるのは有り難い。僕らも、その誠意には応えなければならない。
 来週は、教育委員会からのレクチュアを受ける。これは、経済文教常任委員長として、こちらから望んだことだ。小学校の統合や、教育関連施設の指定管理など、今回は珍しく、教育委員会からの議案が多い。円滑な議事の進行が出来るよう、しっかりと提案内容を抑えておきたいと思う。
 そんなこんなで、今年最後の議会が始まる。大相撲を見ていると2ヶ月はあっという間だし、議会に臨むと3ヶ月間なんて、まさに矢の如しだ。何か最近、老いるスピードも加速してきているような気もする。(12812)

日本一の読書のまち


 長年の念願が叶った。 ”日本一の読書のまち”を推進する、埼玉県三郷市を訪れることができたのだ。
 昨日も書いたように、今回の視察は、会派でも委員会でもなく、単独行である。にも係わらず、弘前市の議会事務局から、三郷市の事務局へ連絡を入れていただき、先方では、資料を準備して待っていて下さった。改めて、両事務局に御礼を申し上げたい。
 三郷市のことは、全国市議会議長会が発行している「全国都市の特色ある施策集」という本でみつけた。この本は、数年おきに改訂されているのだが、三郷市のこの取り組みは、もう何版も前から続けて掲載されている。よほど力が入っているのだろうと、ずーっと気に掛けていた。
 しかし、如何せん、首都圏である。年に何回かは東京に出る機会はある。だったら、何かのついでに行けそうだ。でも、いつでも行けそうだと思ってしまえば、実際は逆になかなか行くことはない。と、そんな感じで、これまで行ったことがなかった次第だ。
 いやはや、行ってみて良かった。読書推進という面では、弘前市の数歩先を進んでいる。
 例えば、「子どもの読書推進活動基本計画」というものがある。これは、もうだいぶ以前に、文科省が旗を振って、全国の市町村に制定を義務づけたものだったと思う。
 弘前市にもある。僕が、12年前の6月に、議員として行なった一般質問で、市に対して、一刻も早い制定を要求したことを、今でも覚えている。
 三郷市は、更に進んでいる。子どもだけではなく、乳幼児から高齢者まで、全市民を対象にした「日本一の読書のまち三郷推進計画」を策定している。A4版89ページに及ぶ、しっかりとした計画書だ。その中には、「乳幼児から読書に触れる」「家読推進」「郷土を深く知る」「図書館の活用」「人と本をつなぐネットワーク」といった5項目にわけた46もの具体的施策が盛り込まれている。
 三郷2残念ながら、それらを全部、ここに掲載することはできない。ただ例を挙げれば、小学一年生に本と図書館利用カードをプレゼントする「らんどせるブックよもよも」や「こども司書養成講座」、あるいは電子図書館の開設等、予算との兼ね合いもあるが、弘前市でも是非検討して貰いたいような事業が数多くあった。写真はその中の一つ、バリアフリーコーナーである。また、”日本一の読書のまち”を外に向かって発信するために、「全国家読ゆうびんコンクール」も主催している。
 読書の成果は、すぐに数字では表わせないことは、僕だって重々承知はしている。が、ひとつだけ、紹介しよう。蔵書回転率(年間貸出し冊数/総蔵書数)である。書店経営であれば、その値は、資金繰りにも影響する重要な指標である。
 これが、三郷市は1.6。弘前市は、直近の値はわからないが、数年前までは1.0を切るくらいだった。蔵書数はほぼ同じなのに、貸出し冊数に大きな開きが出ている。
 まぁ、人口密度や蔵書の内容によって、一概には比較できるものでもないが、文化都市を標榜する弘前市としても、まだまだ頑張らなきゃと、大いに刺激を受けて帰ってきた。(11189)

 
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