今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2020年06月

恐怖の最終日 今日の本会議から


    弘前市議会令和2年第2回定例会が、26日間の会期を終え、今日閉会した。今回はコロナ感染予防に配慮した、異例づくめの議会だった。
    以前にも紹介したが、一般質問の登壇者は、わずか10人だった。しかも、持ち時間は、通常より10分短縮の、一人50分間。中には、コロナと全く関係ない質問をする議員もいたが、大方の議員は、コロナ対策についての質問に集中した。
     密集を避けるため、議員席の間は一つおきとなった。その結果、最前列にテーブルを一つ足し、両サイドの議員は、通路にはみ出す形となった。僕は、その、前から3列目の、向かって左の通路に座っていた。
     予算決算を除く4つの意常任委員会も、通常であれば、4つの会議室に分かれて、同時刻に行われていたものが、今回は、比較的広い2つの広い会議室を使用するために、午前と午後に分け、2委員会ずつ行われた。案の定、時間を間違えて来る議員もいた。僕も、委員長をやっていなければ、間違えた口だろう。
      その委員長の仕事である。最終日には、委員会での審査の経過と結果を、壇上で読み上げなければならない。書記が一生懸命に作った原稿だ。
       しかし僕は、実は、原稿を読むことが苦手なのである。目が悪いせいもあるが、そればかりではない。心理的に不向きなのであろう。
       小学生までは、国語の教科書の音読は得意だった。子供の頃から活字には慣れていたのだ。ところが、長ずるにつれ、一字一句間違わずに読むことに、あまり価値観を見出せなくなった。特に、自分で書いた原稿を読む時だ。"書く"という行為で、もう自分自身を100%表現しきっている。それを改めて正確に読もうという行為に気をつかうことに、違和感を感じるようになったのだ。
        それが嵩じて、第三者の書いた原稿を読む時にも、無頓着になった。書いた言葉と、口から発せられる言葉が、全く同じであるはずがない。読む時には、読み手としてのオリジナリティーがあったっていいではないか。・・・要するに、単なる天邪鬼なのである。
        が、議会というところは、そうはいかない。何せ、書記の書いた原稿が、そのまま会議録に掲載される。僕らが手を加えたり、間違えることは許されない。
        と、考えると、余計に緊張してしまう。今日も、何度もつっかえた。せっかく昼夜を厭わず書きあげてくれた書記に申し訳ないことをした。一般質問お登壇よりも、数倍疲れた気がする。
         ともあれ、過去に例をみない、しかも県内でも最大規模となる経済支援策を盛り込んだ補正予算案はじめ、全議案を可決承認をして、6月議会は終了した。あとは、これらの市の施策を活用して、如何に市の経済の復興を図ることができるかだ。市政と市民をつなぐ役目として、僕ら議員に課せられた使命は、決して小さくはない。(11151)
       

タウン誌への夢


 「月刊弘前」の7月号が手元に届いた。編集部のSさんんが、わざわざ弘前読書人倶楽部まで持ってきて下さった。
 月刊弘前今月の特集は「 弘前れんが倉庫美術館」。館長のM先生や学芸統括のIさん等、現在、美術館の運営に直接携わっておられる方の他、この数年間、美術館実現にむけたプロジェクトを推進してきた、同級生のM君や、30年ほど前に「レンガ館再生の会」で行動を共にした後輩のTa君も、原稿を寄せている。
 実は、先月号に引き続き、今回の特集にも、僕がいささか係わった。と言っても、アイディアを出し、原稿を依頼したくらいだ。それでも、自分の発案がこうして形となることは、ことの他嬉しいものだ。
 この「月刊弘前」。これが通巻492号だそうである。単純に計算しても、もう40年以上も続いている。経済基盤の脆弱な地方出版界において、この息の長さは驚嘆に値するものだと思う。文化都市”弘前”の、まさに象徴と言ってさえいい。
 ページをめくると、執筆陣には、親しい仲間の名前が並んでいる。マルチ文化人のKa君、行動する女流文筆家のSeさん、異才の同級生Fu君、尊敬する川柳家のTaさんなどだ。彼らの連載を、毎回、楽しみに読んでいる。
 そういった常連に加え、今月号には、巻頭エッセイに、高校時代に音楽を教わったKa先生や、中ほどのグラビアページに、元同僚議員であったKuさんの名前も見える。更には、現在同じ会派を組むTa議員も、男女リレーエッセイに原稿を書いていた。特集記事も含め、何か身内の文集を読んでいるような錯覚にも陥りそうだ。
 ある意味、このタウン誌に原稿を載せることが、文化人の証ではないかとさえ思う時がある。僕は、”文化人”などと呼ばれたいとは思わないが、でも、連載なるものを、一度はしてみたいという秘かな願望は持っている。書くとすればプロレスのことか。でもまぁ、締め切り遅れの常習犯なので、それは叶わぬ夢なのであろう。
 それはそれとして、僕は僕にできることで、この小さな出版文化の灯を守るため、これからもお手伝いをさせていただければと思っている。(5525)
 
 
 

言行不一致?


 笹部また一つ、恒例のイベントが復活した。弘前読書人倶楽部のブックトークである。3月に会員のTa君がだから、3ヶ月ぶりだ。今日は、待ちかねていたのか、いつもより多くの会員が参加した。
 今日の講師は、会員のSaさんだ。俳号を南洲と言って、僕の俳句の好敵手でもある。Saさんは、某公立病院の検査技師を定年まで務められた。いわば、その道のプロだ。
 そのSaさんが、最初に掲げたテーマは「パンデミックの歴史」だった。4月にお話していただく予定であった。それが、想定外のコロナ騒動で、今月まで延期になっていた。延期をしているうちに、テーマも、「歴史」から「感染症に対する身近な対策」に変わった。
 Saさんが言うには、第二波・第三波は必ず来るという。夏休み・冬休み等、子供が東京から移動してくる時期が危険なのだそうだ。だから、マスクや消毒液など、今のうちから買っておいた方がいい。波が到来したら、またすぐに品不足が生じるおそれがある。
 が、新型コロナウィルスはまだ可愛いものだと続けた。相撲で言えば褌担ぎレベルで、横綱は鳥インフルエンザだと言う。これがは、コロナどころの感染力・致死率ではないと強調した。
 それと、怖いのは結核だ。これが秘かに流行の兆しをみせているのだそうだ。コンコンと乾いた咳が、危険信号だという。
 それらへの対処法は、よく言われているように、三密を避ける、手を洗う、マスクをするといったことだ。手洗いは40秒、水道の栓や冷蔵庫の取っ手も要注意。しょっちゅう消毒するようにと呼び掛けた。これらは、コロナに限らず、感染症予防の”いろは”らしい。
 と、有意義な話を聞いたあと、いつもの講師を囲んでの懇親会に突入した。皆、講話を聴いている時には付けていたマスクを外して、グラスを傾けあった。さっきまでの話は何だったんだろう、というような、濃密で親近感に溢れた楽しい時を過ごした、感染者が出ないことを祈るのみだ。(6390)

気分は爽快


 総会ある文化団体の総会に参加した。前年度の事業報告と決算を審査し、今年度の計画と予算案を承認する。それらが無事に終わると、懇親会に入る。という、言わば総会の古河ーースであった。
 とにかく今年は、コロナのせいで、あらゆるものがイレギュラーとなった。いくつもの団体の総会が中止になった。あるいは、書面議決となった。総会を招集しても、懇親会は無し、といった団体も散見された。
 ひょっとして、今日のような、会議⇒懇親会というフルバージョンは、僕には、今年初めてだったような気もする。まぁ、最近は記憶が曖昧なので、間違っていたらごめんなさいだ。
 懇親会は、食べ物、飲み物等、持ち寄りで行った。参加者が各自、手作り料理や、秘蔵の酒を以て集まった。中には珍しい日本酒やワインもあった。どれも美味しかった。ビールもぐいぐい飲んだ。いつもに増して、深酒をしてしまった。
 その勢いで書こう。総会後の懇親会は、やはり必要なのだと。
 単に、決算や予算を審査してお終いというのでは、あまりにも機会的だ。どんな会だって、年に一度、総会の時にしか会えない人もいる。そういった仲間と、酒を酌み交わし、親しく懇談することも、組織の維持・強化のためには欠かせないことなのだと、今日、改めて感じた。
 そういったことを考えれば、ここ数ヶ月間は、随分と貴重な機会を逸してしまった。町会にしても、ペンクラブにしても、夏以降、総会に代る何か集りを開かなければと思う。
 火曜日のブログにも書いたように、弘前市は、コロナ感染症で影響を受けた商工業者のための支援策は、積極的に打ち出してきている。事業活動の原資となる収益の減少に対する補填なり支援なのだから、それは真っ先に行って然るべきだとも思う。
 しかし、コミュニティー活動、文化・芸術活動等に対しては、今のところ、具体的な支援策は見えてこない。そろそろ、コロナで停滞した市民活動を再起動させる政策も、強く打ち出したらとも思うのである。
 何も助成金を出せというばかりではない。自粛の要件を徐々に緩和することも必要だ。以前にも書いたとは思うが、「コロナだからやっちゃ駄目」というアナウンスから、「コロナだけど、やれることは感染予防に気をつけた上で始めよう」というスタンスに、行政がシフトチェンジすることも必要だと思う。杓子定規に規制するだけでは、市長が政策実現のために最も重視しているはずの「市民力」が、衰退の一途を辿ってしまいかねない。
 そんなこんなで、9月の定例議会では、文化やコミュニティー活動に対する市の姿勢を、具体的に問うてみたいと考えている。ただ、まだ2ヶ月も先の話だ。忘れてしまうかもしれない。何せ、昨夜どこで飲んでいたのかさえ、記憶が曖昧になる、前期高齢者なのである。(8631)
 
 

夫婦善哉


 昨日のブログで、「僕には市民からの相談がほとんど無い」ようなことを書いた。が、それは実は、少しだけ謙遜した物言いだ。僕にだって、いまだに、相談してくる人がいる。エッヘン。って自慢するようなことでもないか。
 昨日は、市の文化施設の使用について、今日は、刑事訴訟法のことと離婚のことについて、それぞれ相談を受けた、文化施設の件はともかく、刑訴や離婚は、市議会議員の範疇ではないように思われるかもしれないが、市民からの問題提起、あるいは市民の困り亊なので、精一杯対処したいと思う。
 それにしても、思い返せば、僕が議員になって初めて受けた相談も、離婚のことであった。今から13年も前の話だ。まだ、女房は健在だった。
 当時、旧一大小学校の校舎跡にあった、市の正割相談の窓口を訪れた。対応に出た職員は、書類を出して、名前を書けと、命令口調で言う。僕は、自分が離婚するわけではないので、書きたくないと反抗したが、規則だからと、更に強い口調で命ずる。仕方がないので、渋々名前を書いた。
 すると、その職員の態度がコロッと変わった。「あっ、この度当選なされました今泉昌一先生でしたか。それは失礼いたしました」
 「いや、先生ではないんですけど・・・」 僕はその時、このような議員と職員との関係を変えなければと、先ず頭に浮かんだ。議員は先生などではないし、職員との上下関係なんかあるはずがない。
 その他にも、養育費のことで、2~3人から相談を受けたことがある。よっぽど僕が離婚の達人と思われているのかもしれないが、そんなことはない。僕は、離婚の経験はない。女房とは死別である。
 ピンチは何度かあった。39歳で、翌年度の青年会議所の理事長を要請された時だ。「青年会議所の理事長になったりしたら離婚する」と女房からきつく言われた。女房は、元、青年会議所の事務局員だった。理事長の激務を目の当たりにしていたからだろう。反面、青年会議所活動の意義も理解してくれていたので、何とか事なきを得た。
 二度目は、選挙に立候補する際である。「選挙に出たら離婚だ」と、前回よりも更に厳しい口調で言われた。反対を押し切って立候補準備を進めている期間も、まだ怒っていて、全く手伝って貰えなかった。でも、選挙戦に突入したら、最後は、街宣カーに一緒に乗り込んでくれた。
 やっぱり夫婦とは”いいもの”である・・・なんてお惚気を書くつもりではない。どんなに”いいもの”であっても、経済的理由、性格的理由、子育てへの考え方の違い、不倫不貞等々で、最終的に別れざるを得なくなる人達も少なくはない。
 そういう場合、僕は勿論、心の問題に立ち入ることはできないが、法律的なことや制度上のことであれば、話を聞いてあげることくらいはできる。特に心配するのは、間に入った子どもたちのことだ。お金だけでは解決できない。深い問題がある。困った時には、一言、声をかけていただければと思う。
 もっとも、犬も食わないような類の夫婦喧嘩の仲裁だけは、勘弁してもらいたい。(8466)

 追伸
 今日のタイトルのネタ元は、古~いテレビ番組と、織田作之助の小説。若い人には、どちらもピンとこないかもしれない。
 
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