今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2020年07月

今日の臨時議会から 明日の予告編付き


 Ta議員と結成している会派に加え、無所属のNa議員も交えた、「会派さくら未来Plus1」議会報告会を行った。終了後、仲間と一緒に反省会(飲み会?)に行って、かなりのペースで呑んでしまった。
 まぁ、いつものことだ。何かを成し遂げた後のビールは格別に旨い。抑えるなんて出来っこない。
 が、今日は、その話題を書くことはできない。既報の通り、臨時議会が開催されたのだ。議会が行われた時は、まずはそれに関することを書く。それがブログを続けるに当って、僕が自らに課した原則なのだ。
 だから、今日も、臨時議会の中から話題を拾う。議会報告会のことは、明日に譲ろう。約束する。でも、泥酔しているだけに不安だ。 
 それはともあれ、今日の質疑の中で、最も質問が集中したのは、「弘前城秋の大祭典開催事業」についてであった。質問に立った12議員中、5人までもがこの問題を採り上げた。
 この事業は、9月18日から22日の連休を利用して、弘前公園内をテーマパークに見立てて、食・スポーツ・芸能・クラフトなど、多彩な要素を盛り込んだ一大イベントを開催しようというものだ。が、実際のところは、何も決まっていないに等しいらしい。これからイベントの中身を考えるということだ。
 多くの議員が共通して懸念を述べたのは、時期の問題だ。今日も東京では460人を超すコロナ感染者が判明したという。東京以外の地域でも、軒並み増加傾向にある。これから夏休み・盆休み等を挟めば、その数字は、更に上がっている可能性も大きい。となれば、大規模イベントを開催するのにふさわしい時期なのかということを、複数の議員が指摘した。
 内容も、費用対効果も曖昧だ。先ほども書いたように、開催予定までもう2ヶ月を切っているのに、具体的なことは来週から協議するという。それで、本当に、狙っている効果を達成できるのか? 少なくとも、昨日の新聞記事や、今日の説明を聞いた限りでは、僕には楽しそうなイベントとは感じられない。
 これにつけられた予算は、実行委員会への負担金として9000万円。この額は、桜まつりやねおうた祭りのそれぞれの実行委員会へのものを上回っている。
 それくらいの予算(税金)を投じて、いかほどの経済効果を期待しているのかという質問への答弁もあやふやだ。菊ともみじ祭りや、雪灯籠祭りの経済波及効果が、以前のデータで25億円から29億円だったから、それくらいだろうとか、見込まれる来場者数も、雪灯籠まつりと同程度の25万人を目標にするとか・・・。
 コロナ禍で、いまだに県を跨いでの移動の自粛が呼び掛けられている中で、しかも、告知期間も充分にとることが出来ない状況の中で、毎年繰り返し開催されている既存の行事を引用するなど、あまりにも安直すぎる。少なくとも、今日の他の議員とのやりとりを聞いている限りでは、要するに、単なる思いつきか、あるいは「桜祭りやねぷた祭りに代る何かをやらなきゃいけないから、取り敢えずやってみよう」といった程度のものと言われてもしかたがない。
 幸いなことに、まだ実行委員会さえ立ち上がっていない。詳細はこれから決めるという。
 であればと、僕は提案した。何も無理して、9月の連休に、中途半端なやっつけ仕事をやらなくてもいい。コロナの状況を見ながら、11月の連休、ちょうど菊ともみじ祭りのあたりまで開会を延期し、その間に、じっくりと内容を練って、大祭典と呼ぶに相応しいイベントにしたらどうかと。
 予算は、一応は通った。が、開催の是非や時期・内容等は、これからのコロナの感染状況次第で、変更もありうる。といった柔軟な姿勢で、物事を進めていただきたいと思う。
 柔軟性なら自信がある。何せ初志貫徹したことなんて一度も無い。(9108)

やりがいを感じる時


 心身にハンディキャップを持っている人のことを、何て表現したらいいのだろう? 
 ちょっと前までは、”障害者”と書き表していた。しかし”害”の字は不適切だというので、最近は”障がい者”という表記が標準である。更には、”障碍者”と書くべきだという意見もある。
 一方で、そんな表記の仕方を云々するような特別扱いをされること自体がおかしい、と言う人もいる。障がいを持つ人ではなく、障害を受けている人という意味で、むしろ普通に”障害者”と書けばいいのではないかという意見だ。
 しかしまぁ、ここでは、”障がい者”という言葉を用いよう。
 障がい者のスポーツ環境のことで、現場を見学して、一緒にボッチャを楽しんできたことは、 7月18日のブログに書いた。その時に、実際に運営に携わっている人達から、要望や提案を聞かせていただいてきた。
 今日は、その件で、旧岩木町にある、県立第一養護学校を訪ねた。同地区在住の無所属のNa議員と一緒だ。同校の体育館を、一般の障がい者スポーツの拠点として使わせていただけないかとお願いするためだ。
 これが、弘前市立の小中学校であれば、市民の体育及びスポーツ活動の普及振興のために、校庭や』体育館などを、学校教育に支障のない範囲で、市民の利用に供するための規則、「弘前市立小中学校の施設の開放に関する規則」が定められている。それとは別に、学校施設を使用した場合の料金を定めた条例もある。
 では、県はどうなんだろう? 漏れ伝わってくる情報や、僕が所属しているある団体で、県の遊休地の一時的使用をお願いして断られた時の経験から、大変厳しそうだというイメージがあった。最悪の場合、頭ごなしに門前払いを喰らわされることも覚悟で、学校の玄関をくぐった。
 が、それらの心配は全て杞憂であった。校長先生・教頭先生には、とても誠実に対応をして下さった。養護学校ということで一般の学校とは同様にはいかない事情等もお話いただいたが、ともかく前向きには検討して貰えることを、お約束していただいた。学校としてもスポーツ振興に力をいれているということもおっしゃわれていた。一歩だけでも前進出来たように感じた。
 先日、H学院大の授業で、「議員にとってのやりがいって何ですか?」という質問を受けた。その時喋ったことともちょっと違うかもしれないが、こうして今日のように、何かが進んでいくことを実感できた時も、やりがいを感じる一瞬であることは間違いない。(16076)

新たなコロナ対策  今日の議会運営委員会から


 明後日、7月31日に、臨時議会が開催される。今日は、その議事日程等を定める議会運営委員会が行われた。
 補正臨時議会の議案は、コロナ感染症対策に係る補正予算案や、文化施設の使用料金を軽減する条例改正案である。補正予算案については、右に、写真を添付しておいた。ミミズが2匹這っているのは、僕のメモ書きなので、気にしないでほしい。
 本来であれば、ここに文字を打ち込めばいいのだろうが、歳と共に物ぐささが増してきた。見づらいかもしれないが、ご勘弁をいただきたい。
 5月の臨時議会からでも、これで5回目の補正予算だ。ご覧いただいておわかりのように、今回は、福祉・医療・子育て・学校教育と、広範囲な分野に渡っている。弘前市のコロナ対策は、決して、他市町村に劣るものではない。
 そりゃあ、例えば、青森市では水道料を減免した、あるいは西目屋村では全村民に10万円を支給したなどというニュースと比較する人もいるだろう。しかし、それぞれの市町村によって、財政事情も違う。限られた条件の中で、僕は、弘前市は、100%満足ではないにせよ、よくやっている方ではないかとも思う。
 それなのに、市民からの評価は今一つである。先日も、支持者の家を訪問した際に、ある年配の方から、「弘前は何をやっているんだ」というお小言を頂戴した。
 思うに、その要因は、タイミングと情報発信ではないか。タイミングというのはつまり、5月以降矢継ぎ早に打ち出している諸対策の半分でも4月中に発表していれば、市民の評価は違ったものになっていたかもしれないということだ。が、それは今さら言っても詮無きことである。結果論と言われてしまえばそれまでだ。
 一方、情報発信は、これからでも改善の余地はある。SNSの活用だ、回覧板だと、しばしばこのブログでも書いてきたが、僕に苦言を呈してくれた人は、「市長の顔が見えない」とも言っていた。トップの使命として、もっと自ら全面に出て、市民に発信することを望む人は多い。
 もっとも、情報発信は、僕ら議員の役目でもある。ちょうど臨時議会の開かれる日の夜、会派さくら未来Plus1の合同議会報告会を開催する。当日の最新情報も含めて、詳しくお話をさせていただきたいと考えているので、熱も無く味覚障害も無い人には、是非、ご出席を賜わりたいと願う次第だ。(13642)
報告会











喪失


 今日は鎮魂の日。弘前の偉大な先輩お二人に別れを告げてきた。
 新戸部満男さん。元弘前商工会議所会頭である。一代で、スーパーマーケット・自動車学校・料亭・自動車部品販売業等々、巨大企業グループを創り上げた、立志伝中の人だ。僕にとっては恩人の一人でもある。
 家業の書店を倒産させた半年後、僕は、その企業グループの一つの複合型書店で働かさせていただくことになった。同じ業界とはいえ、いや同じ業界だからこその不安も抱えて挨拶に行った。
 その時、新戸部さんは、こうおっしゃった。「今泉君、0からのSTARTではなく、マイナスからのスタートだと思って頑張りなさいよ」
 厳しい言葉ではある。でも、そこには思いやりが溢れていた。どんなにか勇気づけられたことか。僕は全力で、その書店の仕事に取り組んだ、社員の皆さんにもよくしていただいた。まさか数年後、思わぬ出来事で辞めざるを得なくなるとは、全く考えてもいなかった。
 鳴海康安先生。市内で開業する医師であると同時に、体育協会会長や、公安委員長等を歴任された。一時、市長選の有力候補者としても名前が挙がったほど、市内において影響力の強い人であった。僕は、津軽厚志会でご一緒させていただいていた。
 康安先生には、申し訳ないことをしたと、今でも思っている。康安先生は、岩木川市民ゴルフ場を運営する会社の社長も務めておられた。厚志会の会合でお会いする度に、ゴルフ場にかける夢や理想をおっしゃっていた。
 その三セクが立ちゆかなくなった時、市は、精算の際の株主に対する配当に、公金を支出しようとした。一民間企業の破綻処理に税金を投入するのは、どう考えてもおかしい。僕は真っ向から反対した。康安先生に弓を引くような行為だった。それでも、先生は、それまでと変らぬ優しい態度で、僕に接し続けて下さった。
 新戸部さんにはホテルで行われたお別れの会で、康安先生にはご自宅を弔問して、ご冥福をお祈り申し上げた。喪服を脱ぐ間もない午後であった。
 大恩のある、思い出深い先輩が二人、あの世に旅立たれた。僕の心に、ぽっかりと穴が開いた。
 功績のある、皆から愛されたリーダーが二人、この世を去っていった。弘前市にとっても、失ったものは、あまりにも大きい。合掌。(8022)
 

オンラインシンポジウムから


 リモート「マニフェスト大賞記念シンポジウム」なるものに参加した。時節柄、リモートによる会議だ。読書人倶楽部内で、同じ会派を組むTa議員と並んで、パソコンを凝視した。
 テーマは、「地方議員は必要か? vs 地方議員は必要だ」。6月24日のこのブログでも紹介した、「地方議員は必要か」という本を教材として、シンポジウムは進められた。本の著書の一人と議員との対談。ネットで参加している人との意見交換。過去のマニフェスト大賞受賞議会(議員)の事例発表。学識者や議員も交えてパネルディスカッション・・・と進んだ。
 その中で、地方議会の課題として、複数の議員から挙げられたのは、次の点だったように思う。
 ①議員間討議がないこと。 
 ②議員による政策提案がないこと。
 ③市民との意見交換の機会が少ないこと。
 こういったことが、議会不要論の根底にあるという。同じようなことは、今、弘前市議会で進められている、議会基本条例の検証でも、協議されることになっている。どういう議論になるか、楽しみだ。
 更に、与党・野党の数によって、最初から結果はわかりきっていることが、議会不要につながっている、といった発言もあった。闘う前から勝敗が決まりきっているプロレスのようなものだ。でも、プロレスは、それでも面白いが、議員には、レスラーほどのパフォーマンスは期待できない。
 そもそも、二元代表制の地方議会には、与党・野党などというものは存在し得ない。「市長を全面的に支えるために、何でも賛成する」「与党だから、市長提案に反対できない」なんて妄言を言っている議員がいまだにいるとしたら、議会は不要だと市民から烙印を押されても仕方がない。
 びっくりしたのは、アンケートの中で、「やりがいを感じない」「議員は不要だ」と答えている議員がいることである。正直なのかもしれないが、まさに天に唾する行為にも等しい。そう思うのだったら、即刻辞任すればいいのにとも思う。
 ともかく、今日は、色々と刺激をいただいた。市民が議場で意見を述べる「市民フリースピーチ」の事例や、全員協議会における議員間討議、議会運営委員会や常任委員会の能動的な取組み・条例提案等々、やりたくても出来なかったことを、実際に行っている地方議会があるという事実を知ることができただけでも、2時間強、パソコンの前に座っていたかいがあった。
 ただ、ふと寂しくもなる。このオンラインシンポジウムに参加したのは、全国でわずか100人強くらいだという。おそらく弘前では2人。青森県でもあと1~2人いればいい方だろう。本来であれば、もっともっと多くの仲間に、これを見てもらいたかった。などと思うのは、僕の思い上がりだろうか。
 せめて、今日のテーマにもなったこの本は、是非、読んでもらいたい。そう思って、6月24日に引き続き、再度、掲示する。
 僕は、一歩進んで、今日のシンポジウムで紹介されたもう1冊の本、「バカヤロー市議会議員」を読んでみようと思う。(6961)
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