今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2020年09月

粉砕の目撃者


 いやはや、凄いものを見た。事故で車の中に閉じ込められた人を救出する作業である。
 弘前消防署西分署で、市の防災訓練が行われ、我々議員にも公開された。例年だと、総合防災訓練と称して、運動公園全域等を使って大々的に実施されてきたものだ。その内容は、梯子車を使った高層建築物の消化訓練、模擬災害対策本部会議、ヘリコプターでの被災者移動、炊き出し、道路の補修、救助犬による捜索、トリアージ、避難所の開設実務等々、多岐に渡っていた。
 それが今年は、コロナウィルス感染症対策ということもあって、分散して個別に行われている。今日は、数多くのメニューの中の、実働訓練及び避難所におけるコロナ水際作戦が披露された。
 もう少し詳しく書こう。実働訓練とは、
 ①道路を塞いでいる倒木の撤去(道路啓開訓練)
 ②交通事故車両からの乗員の救出(交通救助訓練)
 ③ビルから宙づりになった人の救出(高所救助訓練)
 ④川の中州に取り残された人の救出(中州救助訓練)
 のことだ。
 この中でも、度肝を抜かれたのは、冒頭にも記したように、②の交通救助訓練だ。
 昨年までの総合訓練にも、このメニューはあった。ただ、これまでだと、運転席もしくは助手席のドアを、電動バールのようなものでこじ開けると言う方法で行っていた。
 訓練それが今年は、かなり大がかりなものだった。フロントガラスを切り取り、車の屋根を引っ剥がして、救助員が中に入って救出するという荒技だ。昔読んだ漫画で、プロレスラーだったか空手家が、乗用車を素手でバラバラにするってな話しがあったが、そのような感じだ。決して安くはないであろうワゴン車が、ご覧のような有様になった。
 最後は、運転席のドアをこじ開けたのだから、なにもあそこまで破壊しなくてもよさそうなものだが、そこはそれ、訓練なのだ。
 「車はどうやって調達してるんですか?」と尋ねたら、「購入している」という答えが返ってきた。それにも驚かされた。だけど、人命を守るための費用だとすれば、金額には換算できない。
 何はともあれ、こういった訓練や技術が、使われなくても済むような、安全で安心できる社会を望みたいと、心底考えた次第なのである。(4647)
 
 追伸、プロレス界で”粉砕屋”と言えば、クラッシャー・レジナルド・リソワスキー。ディック・ザ・ブルーザー・アフィルスと組んで大暴れをした名悪役レスラーだ。
 こういう古い話のできるプロレスファンが少なくなってきていて、寂しい思いをしている。
 
 

君の誕生日


 蝋燭同じ会派を組むTa議員は9月3日が、無所属のNa議員は10月3日がそれぞれ誕生日。その間をとって、今日、二人のバースデイパーティーを開いた。
 というのも、6月の僕の誕生日には、二人に、盛大に祝っていただいたからだ。その御礼の意味もある。
 その時は、僕のリクエスト(?)で、弘前市のマスコミレディースにもご参加をいただいた。今回も声をかけようかと二人に提案したら、男同士の方がいいと言う。嗜好が違うのかも知れない。
 それにしても、二人は若い。Ta議員は30歳になったばかりだ。「唯一の20代議員」というキャッチフレーズが使えなくなったねと、冗談で話している。
 Na議員だって誕生日が来てまだ45歳だ。なのに僕は43歳と勝手に思い込んで、料理に立てようと思って、4と3の蝋燭を買っていってしまった。申し訳ないことをした。
 二人とも、息子と言ってもいいくらい僕とは歳が離れている。そんなフレッシュな二人と活動をしていて、僕もいささか若返ったような気もする。身体がではない。心がである。
 第一、先輩として、みっともない姿は見せられない。私生活はともかく、議員としてのふるまいのことだ。(もう充分に見られてるって!?)
 特に、二元代表制の地方議会において、”与党”・”野党”といったものは存在しない。誰に対してでも、何に対してでも、良いものには”良い”悪いものには”悪い”と、是々非々の立場で臨むべきだといったことは、再三このブログでも書いてきた。そのことを、身を以て示さなければならないと、改めて自分を戒めているつもりなのである。
 他にも、一般質問や、予算決算委員会での質問の在り方などだ。「原稿を見てもいいけど、棒読みになってはいけない。自分の言葉で喋るべきだ」だとか、「議会はもっと緊張感を持って臨まなければならない」だとか、「個々の事業の結果を聞くだけではなく、弘前市の財政全体像にも目を配らなければならない」などとは、これまでも何度か話しをしてきた。そう口に出した以上、自分も実践をしなければならない。それで、最近は、少々背伸びをしている感もないわけでもない。
 まぁ、二人とも、単に「阿呆な先輩やなぁ」と思っているかもしれない。それでもいい。反面教師だと思って、僕の背中を見てもらえれば幸甚である。唐獅子牡丹なんぞは彫られてはいないけれども・・・。
 帰りも相当酔っ払って、自宅の近くの曲がり角まで、Ta議員に送って貰った。見送る彼の目に、僕の背中はどう映っただろうか。フラフラと、ヨタヨタと、ヨボヨボと・・・。さぞや危なっかしく見えたんだろうなぁ。(7154)

 追伸
 今日のタイトル「君の誕生日」は、ガロのヒット曲である。オリコンで1位にもなったくらい売れたのだが、その前の「学生街の喫茶店」のイメージが強すぎて、覚えている人は少ないかもしれない。
 Ta議員もNa議員も生まれる前の曲だ。

母がいて父がいて


 印刷業を営む友人の会社を訪ねた。頼んでいたカードを受け取り、代金を支払い、領収書を切ってもらうだけである。用件はほんの3分で終わった。
 が、人間が世の中で生きていくためには、この後の雑談が大切なのおである。知らなかった知識や、役に立つヒントを得られることも多い。
 今日は、リサイクルの話題になった。 
 「今泉さん、文房具に詳しいでしょ?」いきなり彼は聞いてきた。
 「いやいや、昔は店で扱ってたけど、もうやめてから20年も経つし・・・」 そうなのである。今年は倒産20周年にあたる。
 針何のことはない。ホッチキスの話しだった。古雑誌のリサイクルを促進するため、中綴じ週刊誌のホチキスの針を改良できないか、というのが彼の提案だった。左の写真の矢印の部分である。
 確かに、普通の事務用のものよりも太い針が、中でしっかりと折込まれている。これを自分で外そうとなると、手間と力が要る。まぁ、早い話が、外そうとする人は皆無に近い。ところが、この針が、リサイクルの妨げになっているという。
 そこで彼は、この針の内側を、折込まずに留める方法はない考えたのだそうだ。キャップのようなものを嵌め込み簡単に取れるようにすれば、リサイクルが進むのではないかと図に書いて説明をしてくれた。
 「それよりも」と僕は返した。すぐに反論をするところが僕の悪いところでもある。だから嫌われる・・・。
 それよりも、針の素材を紙と同質にすれば、何も外さなくても、そのままリサイクルに回すことができる。今の科学技術をもってすれば。不可能ではないのではないか。
 などと話し込んでいるうちに、そもそも、週刊誌という媒体が、いつまで残っているんだろう、という難題にぶちあたった。すでに多くの雑誌がネットにとって代わられている。ホチキスの針など、拭けば飛ぶような時代が、すぐそこまで来ているようにも思う。
 「必要は発明の母」と言う。では”父”は何か。「偶然は発明の父」という言葉も見つけた。でも、今日のうな、他愛も無い会話から、すごい技術革新が生まれるかもしれない。”雑談”こそが、「発明の父」と言ったら、”発明”に悪いんだろうか? 何か、しっかりものの母さんと、飲んだくれの父さんの間に生まれた子どものようで、”発明”君がぐれてしまったらどうしよう。(8065)

フォトトーク


 弘前読書人倶楽部の定時総会を開催した。例年であれば、6月末か7月上旬に行っていたのだが、コロナのせいで(せいにして)、延ばし延ばしになっていたものだ。今日は、待ちきれないでいた会員が多かったのか、参加者は、普段のブックトークの1.5倍増しという、大盛況であった。
 総会そのものは、出席者のご理解と御協力をいただいて、シャンシャンシャンと終わった、令和元年度の事業報告や収支決算案を、無事にご承認をいただいた。
 終了後の記念ブックトークの講師は、写真家のNaさん。8月16日のブログにも書いたが、中…高校時代の同級生で、ここのところ、各種コンクールで上位入賞を果たしたり、個展を開いたりと、精力的に活動を続けている。
 成田今日は、わざわざ、大きなパネルを20枚ほど持参して、実際に作品を見せながら、一枚一枚解説をしてくれた。ブックトークというよりは、フォトトークといった感じだった。
 80回を超すブックトークの歴史の中で、写真をテーマにした講話は初めてだ。参加者も、作品の素晴らしさと解説の面白さに、聴き入って・・・見入っていた。
 写真の話だからといって、”読書”と関係ないわけではない。Naさんのトークを聞いて、写真と文学の近似製を強く感じた。視点の置き方、時の流れを切り取る瞬間の選び方、奥行きを持たせるための技法等々、文章を書く場合でも大いに参考になるものがある。また、写真の見方を意識すれば、文学作品の読み方も変わってくるだろう。新たな解釈を得られるかもしれない。来年再開できれば、Naさんを講師に招きたいねと、参加していた弘前文学学校の生徒さんとも話あったくらいだ。
 僕は、以前にも書いたとは思うが、絵が下手である。メカにも弱いので、複雑なカメラなんぞは上手く扱えそうにない。その代わり、中学生の頃は、文章で風景を描しようと無謀な試みにチャレンジしたことがある。
 ほんの一時期のことだ。長ずるにつれ、文学からも離れ、長い文章を書くこともなくなったが、ここにきて最近、俳句に填まってしまった。まさに、俳句こそ、先ほど述べた写真家の目と技に通ずるものがありそうだ。これから、読書人倶楽部にあるたくさんの写真集でも見て、俳句の腕を磨かなければと思った次第である。
 上の写真で、Naさんが手にしているのは、弘前公園の紅葉を撮ったものだそうだ。そこで一句。「紅葉を描くクレヨン15色」・・・えっ、才能無し!? ショボン お粗末でした。(10381)
 

あべ静江とユトリロと


 ユトリロ弘前市立博物館の特別企画展が始った。「パリの見た夢 20世紀フランス絵画展」。山形美術館服部コレクション所蔵の絵画51点が展示されている。
 これまでであれば、博物館の特別企画展のオープニングセレモニーには、経済文教常任委員会のメンバーもご招待されていた。ところが今回は、ポスターで開催されるのは知っていたが、ご案内がない。電話で問い合せたら、コロナ対策の意味もあって、セレモニーの規模を縮小する。それで議員には案内を出さないとのことだった。
 ならば、案内がなくても行ってもいいか、と尋ねたら、構わないという。それで今日は、なかば強引に押しかけた格好となった。
 でも、行って良かった。面白かった。目と心を奪われた。
 ピカソ、ルオー、シャガール、ローランサン等、僕でさえ、名前を聞いたことのある有名な画家の作品が並んでいる。ビュッフェ、ジャンセン、ギアマン等は、書店経営時代に、リトグラフを販売したことのある作家たちだ。
 正直に言えば、僕は、レンガ倉庫美術館にあるアート作品よりも、今回の展示の方が、性に合っている。本性が世俗的だということもおあるが、描かれている人の表情や、風景の中の光と影に、何かに言いしれぬシンパシーを感じるからなのかもしれない。
 中でもお気に入りが、ヴラマンクの「雪の道と家」という作品だ。写真のバックに写っている、今回の看板にも使われたユトリロの「アトリエ座」も素晴らしい。暗と明、静と動、寂と賑・・・正反対の絵のように見えるが、どちらにも、引き込まれていきそうな奥行きを感じる。ワイズバッシュの「芸術愛好家」に描かれている人々の、動作や表情は、10分20分観ていても飽きることはない。
 お陰様で、この6月に65歳になった。博物館も入館無料である。だからという訳でもないが、また何度か足を運びたくなる、そんな展覧会であった。(4955)

 追伸
 ユトリロ、ユトリロ、ユトリロ・・・? どういう訳か、若く綺麗だった頃のあべ静江を思い出した。何故なんだろうと、家に帰ってから、一生懸命頭を捻り調べてみたら、彼女の「あの人が帰る朝」という歌詞の中に、♬ユトリロの絵を壁に飾って あなた好みになったでしょうか♬ という一節があった。それが記憶の奥のまた奥の片隅に、残っていたのだろう。
 
 
 
 
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