
「第15回脱原発映画祭」。僕は最初の頃から、実行委員に名を連ねている。今日も上映開始1時間前には、会場となる弘前文化センターに入った。
僕の役目は、パンフレットの販売である。このイベントに限らず、何かあると、物販の担当を任されることが多い。媚びを売るのは苦手だが、昔とった杵柄とやらで、本や印刷物を売るのがに慣れている思われているのかもしれない。本当に得意なのは、油を売ることなのだが・・・。
物販の仕事は、当然のことながら、上映中は暇である。でも、上映前に売った代金を預かっている以上、その場を離れるわけにはいかない。だから、いつもは、まともに映画を観たことはなかった。
ところが今日は、実行委員長が、自分が店番をするから観てこい と言って下さった。折角だからちょっとだけでもと思い、中に入った。
20分ほど観て、外に出ると、「これからいいところなんだから、もっと観て来い」と言う。お言葉に甘えて、再び中に入った。今度は最後まで観てしまった。
脱原発映画祭と銘打ちながら、この映画は、原発事故の記録や、版原発を意図したルポではない。障がいを持った方が、災害時に直面した問題を顕わにし、その課題に立ち向かった人々の映画だった。
実際に、例えば、民間団体が支援の手を差し伸べようとしても、どこに障がいを持った方がいるのか、その全貌は明らかにされていない。立ちはだかっているのは、個人情報保護法というやつだ。市町村では、障がい者手帳を発行した人の名簿は持っているのだが、それは一般的には公開されない。災害時で緊急を要する場合でもそうだった。
それを打破したのは。南相馬市だった。取り残された障がい者全員を救いたい、という支援団体の思いが、行政を動かした。映画によると、最後は市長の専決で行ったとのことだ。
その事実が、岩手県の陸前高田市にも伝わった。ここでも、市職員・部長・市長の決断で、千団体に情報が公開され、全件調査が可能となった。その結果が、市の障がい者福祉計画にも活かされているという。
どのようなケースでも、重要なのは、一人一人の思いと、職員の情熱と、そしてトップのリーダーシップなのだ。残念ながら、今日の映画には、議員は、誰一人登場しなかった。
議員云々はともかく、実行委員長が僕に映画を観ろと言ってくれたのは、おそらく、そういった行政の対応について考えろ、という意味だったに違いない。法律には特例もある。それをどう運用するかは、まさしく政治の判断だ、ということを伝えたかったのであろう。
それなのに僕は、ただただ感動して泣いていた。議論好きのように見えて、実は僕は、理屈より感情の方が勝る人間なのである。ホントかな?(6834)
追伸
タイトル「すみれ色の涙」は、ブルーコメッツから岩崎宏美へと、歌い継がれた名曲である。コロナ騒ぎが収束して、またカラオケスナックへ行けたら、一度歌ってみたいと思っている中の一つだ。