今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2020年10月

すみれ色の涙


 星に泣いた。久々に、映画を観て泣いた。「星に語りて」という映画だ。ポケットからハンカチを取り出しては、何度か涙をぬぐった。
 「第15回脱原発映画祭」。僕は最初の頃から、実行委員に名を連ねている。今日も上映開始1時間前には、会場となる弘前文化センターに入った。
 僕の役目は、パンフレットの販売である。このイベントに限らず、何かあると、物販の担当を任されることが多い。媚びを売るのは苦手だが、昔とった杵柄とやらで、本や印刷物を売るのがに慣れている思われているのかもしれない。本当に得意なのは、油を売ることなのだが・・・。
 物販の仕事は、当然のことながら、上映中は暇である。でも、上映前に売った代金を預かっている以上、その場を離れるわけにはいかない。だから、いつもは、まともに映画を観たことはなかった。
 ところが今日は、実行委員長が、自分が店番をするから観てこい と言って下さった。折角だからちょっとだけでもと思い、中に入った。
 20分ほど観て、外に出ると、「これからいいところなんだから、もっと観て来い」と言う。お言葉に甘えて、再び中に入った。今度は最後まで観てしまった。
 脱原発映画祭と銘打ちながら、この映画は、原発事故の記録や、版原発を意図したルポではない。障がいを持った方が、災害時に直面した問題を顕わにし、その課題に立ち向かった人々の映画だった。
 実際に、例えば、民間団体が支援の手を差し伸べようとしても、どこに障がいを持った方がいるのか、その全貌は明らかにされていない。立ちはだかっているのは、個人情報保護法というやつだ。市町村では、障がい者手帳を発行した人の名簿は持っているのだが、それは一般的には公開されない。災害時で緊急を要する場合でもそうだった。
 それを打破したのは。南相馬市だった。取り残された障がい者全員を救いたい、という支援団体の思いが、行政を動かした。映画によると、最後は市長の専決で行ったとのことだ。
 その事実が、岩手県の陸前高田市にも伝わった。ここでも、市職員・部長・市長の決断で、千団体に情報が公開され、全件調査が可能となった。その結果が、市の障がい者福祉計画にも活かされているという。
 どのようなケースでも、重要なのは、一人一人の思いと、職員の情熱と、そしてトップのリーダーシップなのだ。残念ながら、今日の映画には、議員は、誰一人登場しなかった。
 議員云々はともかく、実行委員長が僕に映画を観ろと言ってくれたのは、おそらく、そういった行政の対応について考えろ、という意味だったに違いない。法律には特例もある。それをどう運用するかは、まさしく政治の判断だ、ということを伝えたかったのであろう。
 それなのに僕は、ただただ感動して泣いていた。議論好きのように見えて、実は僕は、理屈より感情の方が勝る人間なのである。ホントかな?(6834)

 追伸
 タイトル「すみれ色の涙」は、ブルーコメッツから岩崎宏美へと、歌い継がれた名曲である。コロナ騒ぎが収束して、またカラオケスナックへ行けたら、一度歌ってみたいと思っている中の一つだ。 
 

香典配達人


 コロナで変わったことと言えば、亡くなった方の弔い方も、その一つかもしれない。密集・密閉を避けるためか、身内だけで済ませるケースが増えてきた。「えっ、あの人が亡くなったの!?」と、後から知らされてビックリすることが多い。
 だからといって、お世話になった方や、父や女房の時に会葬してくれた方に対して、何もしないわけにはいかない。それが浮き世の義理というものだ。
 ところで、僕ら議員には、冠婚葬祭に関しても、いくつかルールがある。例えば、どんなに親しい人の葬儀であっても、供花は、公職選挙法違反となる。家族の名前や、法人の代表者としての物でも認められない。
 香典も、自分で持参した場合はいいのだが、誰かに預けて届けてもらうのはアウトである。去年の今頃、秘書に香典を持たせてやったという大臣が、辞職に追い込まれたのは、記憶に新しい。一地方都市の市議会議員でもわかっているルールだから、国会議員ともあろう人が知らないはずはない。おそらく確信犯だったのだろう。
 さて今日は、「身内で済ませました」という訃報(?)に2件接した。一人は、商店街時代にお世話になった方、もう一人は、議員になってから支援していただいている方のお身内の方だ。お二人とも、通夜が行われていれば、当然に参列しなければならなかった方々だ。
 さっきも書いたように、誰かに頼んで香典を届けるのは出来ない。かといって、同じ市内にいて、書留で送るのも他人行儀だ。大体にして、それが許されるのかどうかまで、浅学にして定かではない。
 そこで、冷たい雨の中、その2軒を弔問した。弔問と言っても、どちらも、我が家の近所だったので、喪主の職場を訪れた。葬儀会場の湿っぽさはなく、この場合”和やか”というのは不適切かもしれないが、落ち着いて会話を交すことができた。
 この、コロナ騒動が、いつまで続くかはわからない。ひょっとして、今の流れが、以前から言われている「冠婚葬祭の簡素化」に繋がるのかもしれない。それが果たして、いいことなのかどうか・・・?
 若い頃ならいざしらず、最近では、故人と通してご縁のある方と旧交を温める場というものも、必要なのではないかと思えるようになってきた。歳のせいなんだろうなぁ。(10258)

 追伸
 今日のタイトルの元は、有馬頼義の「遺書配達人」である。"遺書”と”香典”、どちらも不祝儀用語だ。なんとなくイメージのベクトルが似ている。
 でも、ひょっとしてこの本は、以前にも紹介したかもしれない。何せ10年近くも更新しているので、多少の重複はお許しいただければと思う。

色づく街


 コロナだろうが何だろうが、暦は確実に捲れていく。今日はもう10月29日。今月は31日が土曜日なので、事業者にとっては、明日が、所謂”月末”となる。
 商売をやっていた頃は、この時期になると、資金繰りの数字が、寝ても覚めても、頭の中を駆け巡っていたものだ。それから解放されてから、間もなく20年になる。 
 今は、勿論、商売はやっていない。その代わり、いくつかの団体の運営には携わっている。今日は、その支払いや、月末までに提出しなければならない書類の作成に勤しんだ。 
 その団体は、コロナだからと言って、収入が落ちるなどということはない。だから、毎月ほぼ一定のものを、毎月ほぼ一定の手順で処理するだけで済む。
 でも、市からの要請に応じて、充分な準備もないまま、この10日間、休業に協力をした飲食店は、さぞや大変なことと思う。何せ、飲食店の多くは個人事業者で、基本的には、日銭商売なのだ。その日その日の売上でやりくりをしている。店を休むということは、収入が途絶えるということを意味している。
 申請書市では、休業協力金として、1店につき20万円を支給すると発表していた。その申請が、11月2日から始る。市のホームページにもアップされたし、その前から市役所1階で配布もしていた。アナログ人間の僕は、役所まで行って何部か頂戴してきた。
 おそらく、申込みが殺到するだろう。市の担当職員は、その事務に忙殺されると思うが、それを承知で是非にお願いしたい。申請受付から支給までのタイムラグを、出来るだけ短くしてほしい。小さな飲食店にとっては、この協力金が、命の水にも等しいものだからである。
 今回の休業要請は、10月31日を以て解除する。11月1日からは通常営業をしてもいいのだそうだ。でも、11月1日は日曜日。一日おいて3日は祝日。聞けば、3日もしくは4日から営業を再開するという店もけっこうある。
 何より心配なのは、お客さんが戻ってくるのかどうか。いまだに感染者が毎日複数出ている最中に、夜の街を歩く人は、どれくらいいるんだろう。
 店は開けたのに、お客様が来ない・・・という状況を考えていたら、こんな歌詞が浮かんできた。♬ 街は色づくのに 会いたい人はこない・・・♬  南沙織の「色づく街」の中の一節である。
 折角、商店街も飲食街も、プレミアム付き商品券を発行したばかりだ。店も客も、感染予防対策には万全の注意を払った上で、何とか、街が活気づいて欲しいと切に願う。
 でも、高級クラブでクラスターが発生したのが、そもそもの発端だ。それを考えれば、色気づくのは、まだ早い。(10258)
 

宵待草


 当初は今日、Ta議員と会派さくら未来の議会報告会を開く予定であった。また、無所属のNa議員も一緒だ。今回は特に、他会派のNo議員も参加するような話をしていた。いつもに増して、充実した内容になりはずだった。
 ところが、このコロナ騒動である。泣く泣く中止、いや延期を決断した。もう、一週間以上も前の話だ。
 報告会の告知は、Ta議員のFBや僕のブログ、それに会派レポートという印刷物で行った。レポートは、一部の地域では、ポスティングも行った。
 一方、延期のお知らせは、やはりFBとブログ。ポスティングした家庭へは行えなかった。 
 FBやブログでお知らせした後も、当然それらを見てくれていると思われる人から、「28日はやるんですか?」という問い合わせをいただいた。やはり、インターネットも万能ではないということだろう。
 ということは、今日、延期になったことを知らずに、会場へ来る人がいるかもしれない。それは申し訳ない。
 門灯そこで、開始予定30分前から、会場を予定していた旧偕行社の正門前で、いらっしゃった人に謝るべく待っていた。
 5分、10分・・・。寒い。表通りをひっきりなしに車が通り過ぎる。でも誰も来ない。
 15分、20分・・・。寒い。外套の襟を立てる。まだ誰も来ない。
 来るあても無い人を待ち続けるだなんて、まさしく「宵待草」の世界だ。しかも、背後には明治後期に建てられた洋館。門灯が赤々と周囲を照らしている。これぞ大正浪漫だ。
 などと気取っていられたのも、最初のうちだけ。余りに寒いので、車の中で待つことにした。何せこの時期、下手に風邪でも引こうものなら、すぐにコロナではないかと疑われてしまう。咳一つするのも要注意だ。
 ヒーターを高めに設定し、CDをセットした。一気に、現代に戻ってきてしまった。
 開始する予定だった18時を10分回ったあたりまで、そこにいたけど、結局、誰一人もいらした方はいなかった。これは、喜んでいいものなのか、それとも悲しむべきことなんだろうか。
 もっとも、偕行社には、正門とは別に、もう一つ入り口がある。そちらへ回った方や、僕が帰ったあとから来られた方がいたとしたら、心からお詫びを申し上げなければならない。ごめんなさい。
 繰り返すが、中止ではない。延期だ。このコロナ騒ぎが収束したら、必ずまた実施しる。その時には、是非ご来場をいただければと思う。(4745)
 

 
 

老人と子供のポルカ


 弘前市内の小中学校は、コロナパンデミックの発生で、先週から一斉休校中となっている。18日(日)の夕方に決定して19日(月)からという、性急な措置だった。
 今週は、学校によっては、出校日を設けたり、分散登校にしているところもあるようだが、それでも、子どもたちにとっては、突然のイレギュラーな状態には違いない。 メンタル面でのストレス等が心配である。
 そこで、Na議員と一緒に、子どもたちの状況をお聴きするために、午前と午後、2つの児童館を訪問した。それぞれ施設長の方に、お話を伺うことができた。
 結論から書こう。子どもたちには、特に大きな変化は見られないという。実際に、中を案内してもらい、現場の様子も見せていただいたが、至って素直というか、大人しそうな感じを受けた。数年前に授業参観をさせていただいた、ある小学校の教室内よりも、整然としていたように思う。 
 弘前市の一斉休校は、3月の国の方針に従ったもの。4月のゴールデンウィーク前、そして今回と、今年になってかた3回目だ。子どもたちも、ある程度、慣れてしまっているのではないか、といった話も出た。なるほど、子どもの環境順応力はすごい。
 現在のところ、施設の運営上の問題も無いという。ただ、それを馬鹿正直に真に受けることは禁物だ。
 施設の方は、誰も口には出して言わないが、日曜日の午後6時過ぎに、「明日から学校を休校にするので朝からの受入体制をとるように」と言われて、勤務シフトの組み直しや、プログラムの変更等、さぞや大童だったのではないかと推察する。
 でも、どちらの施設でも、スタッフの皆さんが、快く応じてくれたという。実際に、相手が故小渡もだけに、コロナ感染予防対策にも、いつもに増して気を使われているという話も伺った。だから、今回の休校措置が、これまでのところ大過なく進んでいるのは、そういう施設管理者や、そこで仕事をする方々のご努力のお陰だと、改めて敬意を表する次第である。
 いや、”大過ない”とは即断できない。児童館に通う子どもたちはいいにしても、そうでない子ども、1人で家にいる小学高学年や中学生はどうしているんだろう? 各学校は、そういう子どもたちの日常を把握しているんだろうか? なんてことが、課題として残った。
 いずれにしても、今日で終わりではない。もう少し別の児童館にも行ってみたいし、高学年や中学生の話も聞きたい。まだまだ調べなければならないことは他にもある。なのに、なかなか進めない。焦る。
 しかしまぁ、焦ってばかりでも始らない。子どもたちのことを心配しながら、おじさんは、今日も飲んで明日に備えよう。
 もとい! 今日会ってきた子どもたちからみれば、僕はもうおじいさんと同じ年齢だ!?(6588)

 追伸
 今日のタイトル「老人と子供のポルカ」は、それこそ僕が中学生の頃のヒット曲。ゲバ棒、ゲバゲバ90分・・・当時は、何かにつけ”ゲバ”という言葉が流行っていた。
 

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