今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2021年01月

一月はたそがれの国


 一月も最後の日が終わろうとしている。
 2日未明の母の訃報に始まり、一昨日の、やはり未明の義父の訃報に終わる・・・何か死神にでも取りつかれたような31日間であった。「始め良ければ終わりよし」という言葉があるが、まさに”逆もまた真なり」ということを、つくづく痛感させられた思いだ。
 昨日告白した”鬱”状態のせいか、色々と不本意なこともあった。
 例えば、一日平均歩行数。一日平均8000を目標に掲げておきながら、これまでで7000にも遠く及んでいない。
 慢性的な疲労感が、身体中を支配している。今日だって、 中三デパートから読書人倶楽部まで歩こうと思って外に出たら、ちょうど土手町循環100円バスがやってきた。停留所数にしてわずか2つの距離だが、思わず飛び乗ってしまった。
 他にも、今月は、「更新」をクリックし忘れて、ブログに一日穴をあけてしまった。本は買い集めてくるのだが、読書は思うように進んでいない。忘れ物はする(それは前から?)、予定していた集まりに欠席の連絡をするなんてことが何度かあった。居心地のいい場所のはずの弘前読書人倶楽部も、欠席をしたり早退することが度々あった。
 ついでに書けば、今日の読書人倶楽部句会の成績も散々だった。秘かに自信を持って臨んだのに・・・。
 早くも、今年一年に暗雲が立ち込めている。この先、何が起こるかわからない。差し当たっては、明日は、目に注射の日。恐ろしい予感がする。
 昔、僕が書店の修業をしていた頃、「天中殺入門」という本が、大ベストセラーになった。”天中殺”とは、天が味方をしない運気の時なのだそうだ。そんなものに入門する気はさらさらないが、今年の僕は、その真っただ中にいるのかもしれない。
 読んでみようかな? 今さら読んでも手遅れだろうなぁ。(4311)

 追伸
 今日のタイトルは「天中殺」でもよかったのだが、ブラッドベリの名作「10月はたそがれの国」をふと思い出したものだから、パクッテしまった。

 


  

鬱の正体


 鬱病なんてものは、僕には全く縁遠いものだと思っていた。だって、人一倍チャランポランで、人一倍楽観的で、人一倍自己中心な性格だ。間違っても自分が罹るだなどとは、考えたこもなかった。
 でも、2日の母の死後は、さすがに気力が萎えた。朝、目覚めても、「さあ今日もやるぞ!」という元気が湧いてこない。何かを楽しみにするということも、めっきりと少なくなった。このブログでも、威勢のいいことを書いてはみたものの、正直言って、無理矢理、気を奮い立たせていた面もある。所謂、空元気だ。
 それに追い打ちをかけるように、今度は、義父が他界した。10年前に死別した女房の父親だ。
 昨日の早朝、浴槽の中で冷たくなっているのを義弟が発見した。電話をもらって、僕がすぐに駆けつけた時には、家の中に警察官が数人いた。病院で亡くなった場合と違い、一応は事件性も疑ってみるらしい。
 昨日のブログに書いた議員の勉強会が終わった後に、再度、義父宅を訪ねた。遺体は警察に運ばれ、まだ帰って来ていないとのことだった。
 今日の午後、もう一度行った。遺体は、棺に横たわっていた。線香を上げ、手を合せて帰ってきた。
 参った。人一倍チャランポランで、人一倍楽観的で、人一倍自己中心の僕も、今度ばかりは、心も身体も鉛に沈んだようだ。これが鬱というものなのだろうか。
 思うにこれは、悲しみとか寂しさとかとは違う。自らの”老い”を、唐突に、そしてはっきりと、眼前に突きつけられた恐怖とでも言おうか・・・。
 女房が死んだ時の悲しみは、それは深いものであった。幾度となく泪し、このブログにも、しばらくの間、女々しいことを書き連ねた。それでも、自分の命の果てることなど、ついぞ考えてもみなかった。
 が、母の死や義父の死からは、二人と同年齢のあたりまで生きたとしてあと20数年、自分の命の起源を切られた、そんな不安を掻きたてられるのである。「次は自分の番だ」と自覚せざるを得ない崖淵にまで追い込まれたような憂いだ。
 これが”鬱”の正体だとしたら、脱却するためには、”死”というものを受け入れる。人眼はいつかは死ぬ。このことを肯定しなければならない。
 ふん、そんなことが出来るか! 輪廻転生を信じろと言うのか! 天国に行けるとでも思えというのか!! 
 人一倍チャランポランで、人一倍楽観的で、人一倍自己中心の僕は、絶対に死にたくない。不老不死の薬が欲しい。だから、これからも”死”への恐怖に苛まれながら生きていく。完全なる鬱状態が続く。そして今日も酒を飲む(5948)
 

僕は小姑? 今日の財政勉強会から


 3月の予算審査を前に、議員有志で、財政についての勉強会を行った。主に、1期2期の若手議員対象とのことだったが、敬愛するKu先輩から声をかけていただいて、決して若くはない僕も参加させていただいた。
 内容は、財務用語の解説や、予算・決算の原則等、基本的なものが中心だった。とは言え、改めて聞くと、やはり勉強になる。
 若手議員からも、積極的に質問が出た。質疑応答の中では、普段聞けない内輪話のようなやりとりもなされて面白かった。
 前にも書いたかもしれないが、予算・決算審査について、僕は心掛けていることがある。
 大方は、款・項・目・節のうちの、目や節に関する質問が多い。つまり、一つ一つの施策や事業の、実施方法やら目標値やら、あるいは実績やら効果やらについてである。それはそれで意味のあることで、僕も勿論そういった質問はする。
 でも、大切なのは、市の財政全体の状況や課題について質すことなのではないかと考えている。「木を見て森を見ず」ではなく、森全体を俯瞰する姿勢だ。
 その方針に沿って、これまでも、経常収支比率や実質単年度収支・義務的経費の割合・基金の運用等について質問をしてきた。款ごとに審査を進めるという、現在の方法にそぐわないということで、半分浮きかけたこともあったが、その度に委員長に助けられて、自分なりの主張をしてきた。
 僕の考え方が全て正しいだなんて、毛頭考えてはいないが、中にはこういう質問をする議員がいてもいい。一人二人、そういった姿勢で臨む議員に増えて欲しいというのが本音である。そういった意味で、今日、一緒に勉強をした若手議員には、大いに期待をしたいのである。
 議員定数について、削減を求める意見も一部にはあるやに聞く、僕はそれには与しない。
 例えば弘前市。条例定数は28人だ。28人の議員が、それぞれに異なったキャリアを持ち、銀としても異なったジャンルでも活動を行っている。それらの、どんな分野であれ活動であれ、財務や収支決算、資金調達等を経験してきているはずだ。家計であれ企業経営であれ、NPO活動であれ、サラリーマンであれ、28人いれば28の経験に裏付けされた視点で、弘前市の財政をチェックすることができる。それが大切なことだと思うのである。
 昨年、JC時代のある先輩から「昌ちゃん、あんまりすぐに費用対効果なんて言うなよ」と注意をされた。僕は、そんなにうるさく言っているつもりはないのだが、傍目にはそう見えるのだろう。まるでお金にうるさい小姑みたいだ。反省もするが、それはそれで僕の持ち味として、大事にしたい部分でもある。(6212)

わたしには向かない職業


 自分には、絶対に向かない職業というものがある。
 芸術家・・・センスがない。スポーツ選手・・・運動神経がない。 医者・・・血を見るのが嫌いだ(プロレスを除く)等々だ。
 中でも、最も不向きな仕事を、今日は痛感させられた。それは、日本にそういう職業分離があるかどうかはしらないが、 ネゴシエーターだ。例えばプロ野球選手の移籍の際なんかに、本人に代わって球団と条件交渉をする、なんて仕事だ。
 もう長年に渡って関わり合ってきた隣地間の紛争がある。民地と民地の諍いであれば、議員の出る幕ではない。が、境界のあたりに市が管理する水路があった。それが廃止され埋め立てられ、今は姿が見えない。その一を巡って、AさんとBさんの間でもめ事が起こっていた。
 僕は、Bさんから相談を受け、先ずは市に水路の位置を確定してもらわなければと思い、色々と交渉をした。「市がその作業を怠っているために、隣地同士で紛争が起きている」と監査請求を出すという手もあるよとアドバイスもした。何度か、市の担当職員も交えて、現地で話し合いもした。
 ここ2年ほど、Bさんからの連絡が無くなった。てっきり解決したのかと安心をしていたら、昨年12月に、急に電話があった。会って話を聞いたら、何も前進をしていないとのことだ。
 その間、別の市議会議員にも頼んだらしい。その議員が匙を投げたのかどうかは知らないが、また僕にお鉢が回ってきた。
 その際に、市長からの手紙を託され、僕は、市の部長に会った。先日は、直接の担当部長からも、市としての最終的な考え方を聞いた。僕には、充分納得できるものだった。 
 そこで今日は、それを持って、Bさん宅を訪ねた。市から出された和解案で合意が出来なければ、あとは司法の場に委ねるしかない。僕の出る幕ではなくなる。
 やはりBさんは、市の呈示には首を縦に振らなかった。僕は、そこで、身を引くべきだった。そのつもりだった。
 ところが、Bさんから、新たな妥結案が出された。聞いてしまった以上、もう一度市にボールを持っていかなければならない。また、その案の合理性についても、もう少し調査が必要だ。
 といった具合で、まだこの交渉事の間に入っていることになった。もう一人の市議会議員が、何と言って手を引いたのか教えて欲しいくらいだ。
 まったく、水路の問題だけに、さーっと水に流すわけにはいかないものだろうか?(5735)

 追伸
 今日のタイトルは、鬼才いしいひさいち先生の漫画からパクった。原題は「女(わたし)には向かない職業」。 今時こんな言い方をすれば、すぐに「性差別」だと批判されかねない。いしいひさいち先生、並びに出版社は大丈夫だったんだろうか?

猫のいる風景


 昨年もこのブログに書いたが、時たま、離婚についての相談を受ける。議員の出る幕ではないとは思いつつも、頼られた以上は、出来うる限りのことはしたい。
 財産分与や養育費などのことは、一定のガイドラインがあるが、 やっかいなのは親権の問題である。日本の法律は、単独親権制で、父親か母親か、どちらかに親権者を決めなければならない。
 そこには、親子の情というものが存在する。父親には父親の、母親には母親の、我が子に対する裁ち切り難い愛情が残る。だから、一筋縄ではいかない。
 中には、ある日突然、子どもを連れて母親が出ていく。行く先もわからず、後日離婚届が送られてくるといったケースもあるようだ。逆に、子どもを連れて行くことを許されず、着の身着のままで家を出された母親がいるという話も読んだ。実子誘拐、あるいは実子拉致みたいな話だ。
 今日は、そのような悲劇を無くするために活動をしている、平川市のSさんを訪ねて、お話を伺った。例によって、同じ会派を組むTa議員、無所属のNa議員も一緒だ。
 Saさんは、32年前に批准された「子どもの権利条約」についての運動にも係わっていたという。「親権」つまり親の権利とは書くものの、実は、これは子どもの権利の問題だという。子どもが親から愛情を受ける権利、これを親の都合で、どちらか一方に制限されてしまうのは間違いだというのが、Saさんの主張でもある。
 そのために、Saさんは、共同親権制度への民法の改正を、強く求めてきた。これは、現在の上川法務大臣も言及しているとのことだ。
 しかしまぁ、法律改正のこととなると、これは国会議員のマターだ。僕ら地方議員で出来ることはないかと訊ねたら、藤枝市の事例を教えてくれた。現在は、親権者が一方的に面会交流を制限する場合が多い。もう片方の親が保育所を訪ねても、親権者の意向で、面会を断れれるといったケースだ。これの撤廃を市が率先して呼び掛けているという。
 また、双方が安心して子どもと面会できる場所・環境づくりのお話もされていた。これなどは、地方自治体でも可能なのではないかと思った。
 離婚は、夫婦の諍いの結果である。男と女の関係の破綻だ。それは、親と子の関係にまで及んではいけない。離別しようが死別しようが、子どもにとっては、父親も母親も、どちらも唯一無二の存在なのだ。そのことを深く考えさせられだ。
 みさと実は、今日訪れたSaさんは、「猫民泊」を経営されている。外国人観光客の評価はかなり高い施設だそうだ。その名の通り、玄関を開けると、猫が出迎えてくれた。
 出迎えばかりではない。話を聞いている最中にも、猫たちは、足元をくぐり抜け、机に飛び乗り、資料の上に座り込む。か、可愛い。
 でも、何故か、Ta議員の方ばかりに懐く。僕の前には来てくれない。ちょっとだけ、嫉妬もする。つい、そっちの方へ目が行ってしまう。
 そんなこんなで、集中できなかった気もする。ひょっとしたら、とても重要な部分を聞き逃していたかもしれない。Saさん、ごめんなさい。(11412)

 
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