神社にも縄張りというか、氏子の領域があるらしい。例えば、かつて住んでいた土手町は、八幡様の氏子町会だったが、現在住んでいる徳田町は熊野様のそれである。実際は、土手町→徳田町→熊野神社→八幡宮の順に、ほぼ一直線上にある。どういう理由でどこに境界線を引いたのかは、僕はわからない。ただ、色々話を聞けば、小学校の学区よりも、込み入っているようにも感じる。
さて、さっきも書いたように、我が町会は熊野神社の氏子となっている。が、僕は、ここに住み始めてから、まったくそれを気にせずに生きてきた。ところが、町会長になったとたん、「慣例で徳田町の町会長は 敬神会の監事を務めることになっている」と誘われた。敬神会とは、お寺でいう護持会みたいなものなのだろうか? それすらわからないまま、言われるままに引き受けてしまった。
後で聞いたら、この会は、あくまで任意のものなのだそうだ。町会として神社に納めている負担金とは別に、個人会員からの会費で賄われている。年々会員が減って困っているという話も聞いた。
今日は、その敬神会の年会費の集金のため、猛暑の中、町内を一周した。狭い町会のほんの数軒とは言え、汗だくになってしまった。なんとか全部、集金を終えた。
だけど、集めたのはいいが、ここから先が大変だ。
というのは、今年1月に母を亡くした際に、一年間は神社に行ってはいけないと、葬儀屋さんから注意を受けたのだ。所謂、年賀状を出してはいけないとか、結婚式に出席してはいけないと同じような、ある種のマナーの一つなんだろう。
それを忠実に守るとすれば、僕は集めたお金を持って、神社の鳥居をくぐることはできない。第一、神社関係のお金を集めたこと自体が、許されることだったんだろうかと心配にもなってくる。
そおれよりも、大きな問題がある。8月15日に、護国神社で行われている戦没者慰霊祭のことだ。僕は、これまで毎年参列してきた。国を守るために尊い命を亡くされた先人に、哀悼の意を捧げるのは、当然のことだと思うからだ。
が、葬儀屋さんの言いつけを守れば、それすらも叶わなくなる。僕の信念に反してしまう。
しかし、なんでこんな面倒な決まりがあるのだろう。ネットによれば、「神社のような神聖な場所に、穢れを持ち込むことを避けるため」となっている。ということは、死者やその家人は穢れているってことか。今一つ、よく理解ができない。
ひょっとして、神と仏は仲がわるいのかもしれない。お盆やお彼岸には墓参りをし、クリスマスを祝い、その1週間後には初詣に行く。日本人は、普段は、神とか仏には、鷹揚で寛容なはずなんだけどなぁ。(3493)