今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2021年09月

最北端からの電話


 昨日に引き続き、基本は自宅療養である。午前中に外科医に行き、顔面に貼ってある絆創膏を取り替えてもらい、あとは家でゆっくり昼食を摂っていた。
 と、家の固定電話がなった。僕は普段の日中は、ほとんど外出しているせいか、家電の着信音に驚いた。おそるおそる受話器をとると、先方は稚内市の食品市場だという。   
 「以前ごお買い上げいただきました、稚内の〇〇会社です」
 「はぁ?」
 「平成23年、一度だけご来店いただきまして、メロンをお買い上げいただいたんですが、覚えていらっしゃいますか?」
 「はぁ?」
 確かに、稚内へは一度行ったことはあるが、それが何年前だったか、どんな店に寄ったのかさえうろ覚えだ。ましてメロンを買ったなんて記憶はない。
 「実は今、稚内の観光もかなり厳しい状態でして、今年のメロンが大量に余ってしまいそうなんです。そこで、お買い上げいただいたお客様ガタに、こうして電話をかけてお願いしているんです」  
 「それはそれは」
 「稚内のメロンは、夕張並に高い評価を受けてまして、それを今回は、特別価格で提供いたします」  
 「おいくらですか?」
 僕も聞かなくてもいいことを訊いてしまった。
 「通常ですと1個1万円ほどのメロンが3個と、それに日本一と言われる帆立の貝柱をつけて1万円です。貝柱は赤ちゃんの拳くらいの大きさの物を500g・・・」
 電話の向こうで、懸命に売り込もうとしている姿が浮かんでくる。だけど、独り暮らしの、それもめったに家で食事を摂ることのない人間に、そんなにたくさん送ってもらっても、結局余してしまうだけだ。今回は丁重にお断りをした。
 が、この積極性には感服した。もう10年も前の宅急便か何かの控えを見て、以前の客に電話をかけまくっているのであろう。頭が下がる思いだ。
 それで思い出した。若い頃、神戸で一度だけ行ったクラブのママから、数ヶ月後、電話をもらったことがある。素直に感激した。でも、「また来てね」と言われても、弘前から神戸まで、そう簡単にいけるはずもない。それっきりになった。
 コロナで今は、どの業界もダメージを被っている。緊急事態宣言が解除と言っても、冷え込んでしまった消費マインドが回復するには時間がかかるであろう。
 そんな中、皆が大変な苦労をしている。それぞれに経営努力をしていることと思う。でも、やれ補助金だ、やれ休業協力金だと、行政からの支援を求めるだけでなく、こうした積極的な売り込みを行なっている事業者は、どれほどあるのだろう?(6273)

バカの研究


 顔面を強打した。左の目尻から頬にかけて、傷が二筋できた。瞼は紫に腫れている。
 武士の情けで、原因は訊かないで欲しい。 ただ一つだけ断っておくが、決してプロレスをしたわけではない。場外乱闘で鉄柱に叩きつけられて・・・というのは、流石に66歳なってからはやらない。  
 傷だけかと思ったら、どうも様子が変だ。唾を吐くと赤いものが混じっている。鼻をかんだら、血糊が溢れ出てきた。
 これは一大事だ。慌てて、面識のある外科医のところへ走った。レントゲンを撮って貰ったが、異常なしとのことで、傷口を消毒して、薬を塗ってもらい帰ってきた。取り敢えず、一息ついた。
 が、心なしか頭が痛む。口の中に、血の匂いが残っている。瞼はもっと腫れてくるかもしれないとも言われた。弘前一と言われる(勝手に自分で言っている)イケ面が台無しになった。
 そこで、今日は、安静をきめこんだ。約束していた夜の会食も、試行錯誤した結果、中止(延期)することにした。
 が、悪い事ばかりではない。僕にとって”安静”とは、寝転びながら本を読むことに他ならない。病院のあと、月末に備えての支払いをいくつか済ませ、壊れた眼鏡をもって眼鏡屋に行き、帰宅したのは午後3時過ぎだった。それでも、明るいうちから布団の中で行なう読書は、それはそれで至福の一時だった。
 今日、読み始めたのがこれ。自分の馬鹿な行いを戒めるために、数週間前に買っておいたものを、書棚から引っ張り出した。
 なかなか面白い。世界でも一級とされる学者や評論家・知識人たちが、真剣に”馬鹿”について論じている。馬鹿の定義、馬鹿な人間とはどういう人のことを指すのか、馬鹿な人の思考経路の特徴等々・・・。読めば読むほど、自分が馬鹿にしか思えなくなった。
 ここで、いつもの僕なら、♬わたし馬鹿よね お馬鹿さんよね♬ と、歌謡曲に話題を振るのだが、今日はとてもそんな気になれない。真剣に反省しているのである。(5169)

リンリンリリン


 亡き父の口癖が、「電話は用件のみ話せばいい」だった。僕や母が、友人・親戚と長話をしていると、いつも仏頂面をして、こちらを睨んでいたものだった。
 そんな少年時代の躾のせいか、僕も、長ずるにつれて、電話が苦手になった。少なくとも、顔の見えない相手と重要案件について話をするのには、何となく気がひける。
 それに、会議中や移動中で、電話に出られないことも多い。着信音が鳴らないようにしているため、気がつかないこともしばしばだ。
 それが今朝、50分近く、スマホを握りっ放し状態になった。一人の相手との長電話ではない。あちこちから電話が来て、あちこちに電話をかける事態になったのだ。9時10分から9時53分までの間に、13回もの通話履歴が残っている。
 最初にかかってきたのは、議会事務局から。その時は気付かなかったので、すぐにこちらから掛け直した。用件は、経済文教常任委員会の学校視察の件。弘前市教育委員会が進めている、タブレット端末を使った授業の現場を、委員会で参観したいと申し込んでいた。その日程についての電話だった。
 すぐに副服委員長に電話をかけた。以前にも何度か書いたが、組織をスムーズに運営するには、トップとサブのコミュニケーションが何より大切だと考えている。
 その後で、服委員長と手分けをして、他の委員に電話をかけた。その結果をまた、副委員長と電話で確認する。更に議会事務局へ連絡する。議員から出た希望も伝える。
 事務局と話をして、最終的な日程を決めたあと、今度は、日程調整が必要だと話していた議員に、改めて、最終決定を伝え了解を得る。
 と、そんな通話を繰り返している最中に、友人から着信が入る。「LINEが繋がらなくなった」という全くの私用電話だ。
 有権者からの相談事も持ち込まれる。これはいささか長くなった。
 こんな感じで、約45分間、かかってきたものも、こちらからかけたものも含めて、僕はスマホを耳から離せなくなった次第なのである。
 電話の着信音を、リンリンリリンと表現したのは、いつの頃までだったろう? 携帯・スマホの時代になってからは、着メロとかいう音楽や様々な音が、思い思いに使われているようだ。僕は以前、犬の鳴き声を使っていた。
 が、ダイヤル電話の記憶が鮮明に残っている世代としては、リンリンリリンが、一番しっくりくる。そう、フィンガー5のあの歌のように・・・。(5145)
 

川の流れのように


 僕とTa議員で結成している「会派さくら未来」。 たった2人の会派だけど、行動力と発信力は、どこへも負けない自負を持っている。
 まず、定例議会が終わる毎に、必ず、会派議会報告会を開催する。議会の内容や活動を記した会派レポートを発行する。この2つは、会派としての最低限の責務だと、僕らは考えている。
 弘前市議会弘前市議会令和3年第3回定例会は、先週の金曜日で閉会した。今日は早速、議員控室で、報告会やレポートの打ち合わせを行なった。  
 先ずは議会報告会。11月5日に開催することになった。場所は総合学習センター。これまでも何度か、この場所で行なっている。
 Ta議員も僕も、会派のものとは別に、個人の報告会も行なっている。総合学習センターは、Ta議員の常打ち会場。僕は百石町展示館だ。そんなことから、最初、二つの会場の中間ということで、ヒロロに申し込んだ。
 ところが、その日、ヒロロの複数ある会議室は予約で埋まっていた。定員38人の部屋は開いているようだったが、コロナで今は定員の半分までしか入れてはいけないという。いかに弱小会派の報告会とはいえ、19人しか入れないとなると困る。これまでの実績を考えても、会場に入れない人も出てくる。
 そこで、次善の策で学習センターにした。さすがに僕の近所の高齢の方は、来てくれないであろう。しかしまぁ、場所がどこであれ、行ってみたい、話を聞きたいと思って貰えるような、そんな議員活動を日頃からしていればいいだけの話だ。その面では、まだまだ努力不足なのである。
 報告会の日程に合わせて、会派レポートの作成スケジュールも決まった。報告会の10日前には完成させて告知に利用したい。となると、最初の締切りが、今週末(30日)となる。
 今議会は、先週までこのブログでお伝えしてきたとおり、アップルパイ問題、付帯決議案提出、岩木スカイライン問題等々、掲載したい内容が山ほどある。それらを誌面に収まるように整理して原稿を作るとなると、けっこう急な話だ。
 9月は、前にも書いた通り、中旬まで締切りに追われていた。それが先週一段落したかと思ったら、また締切りだ。息をつく暇もない。
 だけど、考えようによっては、これもまた面白い。誰も何も追っかけてこない生き方よりも、いつも何かに追われて全力で突っ走る。それもまた人生・・・。
 美空ひばりは、人生を川に喩えて、「川のながれのように」を歌った。そう、何も流れてこなくなったら、それはもはや”川”とは呼ばない。流れが速ければ速いほど、退屈はしない。
 と、いつも締切りに追われている泥縄人間の、自分勝手な自己正当化論でした。(5495)
 

LIVEが一番!


 第17回脱原発映画祭が開催された。今回は、福島原発事故から10年ということで、映画上映の他に、小出裕章先生の講演会も併せて行なわれた。
 久々に生の講演を聴いた。やっぱりLIVEはいい。
 この1年半、リモートと称して、パソコンの画面上では何度か講演を聴いた。でも、何か味気ない。臨場感が無い。第一、2時間もパソコンのディスプレーを見続けるのは、飽きてしまう。
 それに較べると今日は、講師の息づかいが伝わってくる。聴衆の、会場全体の反応も感じ取ることができる。ぐいぐいと引き込まれていく自分がわかった。
 と言っても、根っからの文系人間である。放射線計測を専門とされている先生の話についていけないところもある。
 ストロンチウムだとかトリチウムだとかという話が出た。先生は、セシウム137が、最も危険な放射線だと言った。が、僕にはその区別がよくわからない。「カルメン77」ならよく知っている。(我ながらくだらないギャグだ・・・ごめんなさい)
 今日の僕の役割は、本を売ること。最も得意とする分野だ。小出先生の、この2月に出版されたばかりの最新著書「原発事故は終わっていない」を、会場ロビーで売らせていただいた。これは今日の講演の演題でもある。
 講演会の会場で、講師の著書や関連図書を販売するのは、究極の来場者サービスだと考えている。話を聞いて興味を持った人の中には、改めて講話の内容を確認したいと思ったり、更に知識を深めたいと思う人が、必ず数人はいるはずだ。こういった知的欲求は、話を聞いた直後が最も高く、あとから本屋へ行って買おうなんて思っているうちに、段々と失せていったりする。そもそも、本屋にその本が在るとも限らない。
 会場の図書販売コーナーは、その点で、とても便利なものなのである。僕自身、講演会や研修会に行って、本が並べられていると、必ず数冊買ってきていた(読んでいないものも多いけれど)。リモートの講演会にあまり魅力を感じない一因も、そんな点にもあるのかと思う。
 お陰様で、持って行った分は完売した。入場者数のだいたい10分の一くらい。目安通りだ。仕入れ数の勘が、まだ衰えていなかったことに、ちょっぴりと自信を持った。
 完売と言っても、釣り銭の計算が面倒なので、消費税を加算して発生する端数を切り捨てて販売しているので、僕の手元には利益は残らない。でも、昔の名前のお陰で、本を売らせて貰えることは、何にも増して嬉しい。
 どんなイベントであれ、こういう形でお手伝いできるのであれば、僕は喜んでどこへでも馳せ参じたい。ご用命をお待ちしております。(5596)
 
 
 
 
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