今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2022年03月

マイナンバー


 名刺入れの中は、カードで一杯である。キャッシュカード、ポイントカード、医療機関の診察カード(これが一番多い)・・・ 、クレジットカードも何枚か持っているが、プラチナだとかゴールドなんていうものは無い。
 その中に、ひそかにマイナンバーカードも隠れていた。
 昨年のブログを頼りに記憶を辿ってみると、議会での質疑応答を聞いて、そろそろ僕も持った方がいいのかなと思ったのは、3月の上旬。その後、6月か7月にカードを受け取った。
 が、実際には、使うことがない。大概の場合は運転免許証で事足りるし、医療機関では健康保険証があればいい。取得したはいいが、ほとんど日の光を浴びることもないまま、カード入れの中で眠っていた。
 それが今日、選挙管理委員会事務局で使うことになった。来る4月10日投開票の、弘前市長選挙並びに市議会議員補欠選挙に係わる件でだ。言うまでもなく、自分で立候補するためにではない。投票立会人をすることになったからだ。
 投票立会人とは、公職選挙法で定められている 投票所に詰めて投票が正しく行われているかどうかを監視(?)する役目のことである。ただ座って見ているだけなのだが、いざ何か問題が起こった時には、それに対処をしなければならない。だから、本を読んだり居眠りをしたりすることはできない。けっこう気疲れをする仕事だ。
 各投票所に2人。町会宛てに、誰か一人を出してくれと依頼が送られてくる。近所の投票所の区域には20町会くらいあるので、せいぜい5~6年に一度くらい順番がくればいいのだが、けっこう頻繁に回ってくる。聞けば、引き受けられない町会もあるのだそうだ。
 かくいう我が町会だって、おいそれと誰かに頼める体制にない。結局、町会役員が名乗りを挙げなければならないことになる。今回は、ベテランのKiさんと僕とで、午前・午後に分けて務めることとした。
 勿論、無償ではない。何がしかの報酬をいただくことができる。その手続きの書類に、マイナンバーを記載する欄があったのだ。
 初めて(ではないにせよ)、マイナンバーカードをしげしげと見た。最初は、どこにナンバーが書いてあるのかも、すぐにはわからなかった。ビニール袋から取り出して裏を見たら、小さな文字で4桁の数字が3つ並んでいる。
 なるほどこれが、僕の背番号なのか。携帯電話の11個の数字でも億劫だったのに、12個ともなると、なかなか覚えられそうにない。
 まぁいい。今度、ナンバーズ4を買う時に、また取り出してみよう。(5274)
 
 

春だから


 結局、コロナで一番スポイルされていたのは、経済でもなく、文化スポーツ活動でもなく、僕自身の気力だった。そんなことに、今さらながら気づいた。
 特に今年に入ってから、弘前市では全ての公共施設が一斉休館となった。そして市のホームページや広報紙等では、大勢の人が集るイベント等に中止や延期等を呼び掛けてきている。街全体が、自粛ムードに包まれていた。と、勝手に感じ取り、なにかにとブレーキをかけ続けている自分がいた。
 以前読んだ本に、「充電と称して、身体や心を休めて、自分自身を見つめ直す時間も必要だが、それは長くても1年間までだ。それ以上になると、再び動こうという気力が湧かなくなる」と書いていた。確かに、人間、何もしない生活が続けば、簡単にそれに慣れてしまう。生来の怠け者である僕は、1年とは言わず3ヶ月で、立ち直れなくなりそうだ。これではいけない。
 と一念発起し、今日は、いくつかの4月からの活動に向けて、取り敢えずは第一歩を踏み出した。
 先ずは町会。会計担当理事の所へ行って、監査や総会のことを話し合った。今年も総会は開くが懇親会は行わない。4月から資源ゴミ回収活動については、明日、市役所と事業者へ行くことにした。  
 読書人倶楽部。これも市の公共施設休館に合せて休んでいた。市役所からさっき連絡が入り、4月1日から、その休館措置も解除されるという。倶楽部もそれに倣おう。今日は、再スタートにあたってのいくつかの打ち合わせを行った。
 そして弘前ペンクラブ。この2年間は、会報も出せていない。太宰治まなびの家も、市の指示による休館が何度かあったこともあって、メイン事業の太宰治文学講座もストップしたままだ。4月からは新しい指定管理期間が始まる。年度替わりこの機に立て直しを図らなければならない。こちらも今日、会長・事務局長と会って、総会や事業計画、役員改選等について意見を交換した。なんとなく目途がついたように思う。
 青森県内の新規コロナ感染者数は、まだまだ高止まりをしている。予断は許さない。先日の地方紙に、400~500人もの支持者を集めて選挙の総決起集会を行ったという、常識を疑うような報道もあったが、それはいかにもやり過ぎだろう。
 が、一方で、自粛の呪縛に絡め取られてばかりでもならない。少なくとも自分で自分を縛った縄は(変態か?)、解きはじめる時期だろうと思う。なんてったって、もう春なんだから。(8264)
 
 

表通り探偵団


 昨夜のことである。 議会報告会とその反省会(?)から帰ってきて、ちょうどブログを書き始めようかなとしていた頃だ。一件の問い合わせが入った。このブログを読んで下さっているとのことだ。
 「昔、今泉本店の並びにあって、お汁粉とかお団子とかを中で食べられるようになっていたお店、覚えていませんか?」
 はて? 僕は昔から甘党ではなかったので、俄には思い浮かばない。あったような、無かったような・・・。言われてみればそんな気もしてくる。
 そこで、今日、大学病院での眼科受診の後、捜査を開始した。聞き込みだ。
 と言っても、今では土手町もすっかり様変わりをしてしまった。代替わりだけならまだしも、無くなった店の方が遙かに多い(うちもその一軒だが)。50年も前のことを覚えてるとなると、老舗薬局のKi社長しかない。
 そう思って真っ先に訪ねたら、あいにくお留守だった。多分あそこにいるだろうと教えられた別棟の事務所にもいらっしゃらなかった。
 それではと、黄金焼き屋のKaさんの店にいった。あそこは姉妹で経営されているが、お姉さんは僕の一歳上だ。ひょっとしたら覚えているかもしれない。
 ちょうどお店にいらっしゃった。「あのー、下土手町のことで・・・」と切り出そうとするが、お客様が次から次へと来て、「以前、お汁粉やお団子を食べさせてた店・・・」などと悠長な話ができる様子ではない。弘前のソウルフードと言われるお焼きの人気の根強さを実感した。
 待つこと15分(ちょっと大袈裟かな?)。ようやく聞くことができた。すぐに答えが返ってきた。
 「あっ、それは、下土手じゃなく中土手町。蓬莱橋を渡ってすぐ左にあった店。えーと何て言ったっけ」
 すると、ちょうどお焼きを買いに来ていたお客様がフォローしてくれた。「かくちゅう。四つ角の”角”に、忠義の”忠”」「あっ、それそれ・・・」
 そこまで聞いて、僕の薄ぼんやりした頭の霧も、少しは晴れた。そう言えばお菓子屋さんがあったっけ。子どもの頃、何かを買いに行ったような気もしてきた。
 早速、問い合わせをくれた人に電話をした。大層、喜んでいただいたようだ。いやぁ、僕の方からお礼を言わなければならないくらいだ。何よりも、遠い昔の土手町の風景の中に、今泉本店のことを覚えていてくれて、そこから周辺の記憶を辿ろうとしてくれていることが嬉しかった。
 僕自身も楽しかった。こういう問い合わせならいつでも大歓迎なのだ。路地裏探偵団ならぬ表通り探偵団(今日結成した。今のところ一人しかいないが)としては、皆様からの捜査の依頼をお待ちしています。(5242)
 

スランプなんかに負けないぞ!


 「会派さくら未来」の議会報告会を行った。
 いやはや、ごめんなさい。今回はこのブログでも一度も告知をしていなかった。いつもは声をかけていた方にも、お知らせをしていない。
 忙しさにかまけて・・・、いや、それほど忙しかったわけでもない。 三食をしっかりと摂り、睡眠時間だって充分確保することが出来ていた。
 かといって暇だったかと言われればそうでもない。何かしらいつも、やらなければならないことに追われて、結局、やるべきことを先延ばしにしてきているようにも思う。何もかも、つまり心も身体も時間も行動も、全てが空回りしているような状態だ。
 一種のスランプなのだ。と言ったら友人に、「スランプとは、何かに秀でた人が、その力を一時的に発揮できなくなった時に使う言葉で、凡人が使うべきでは無い」と窘められた。
 そんな中での議会報告会だったので、告知も充分ではなかった。いつもより(いつもに増して?)来て下さった人は少なかった。「不要不急での大人数の集りは自粛するように」と市民に呼び掛けながら、自分自身で400人とも500人とも報道されているような人を集めた、昨日の市長の決起集会の20分の一にも満たない数だった。
 でも、僕らはそれで手を抜くようなことはない。Ta議員は財政の面で、僕は民主主義に対する基本的な考え方の面で、現市政の矛盾や間違っていると思う点について、時間一杯説明した。二人とも、今の市政は変えなければならないと考えている。
 今日は、先日のブログで紹介した、市議会議員補欠選挙に立候補を予定している女性、Tさんも参加してくれた。少ない聴衆の前ではあったが、紹介して挨拶もいただいた。
 Tさんは、ご自身で学習塾を経営なされている。生徒自身やお母様方から直接聞いた、率直な意見を市政に届けたいと願っている。そして、地域全体で、子どもたちの夢の実現を応援できるような市にしたいと訴えている。
 考えてみれば、弘前市議会には農業出身の議員はたくさんいる。以前に比べて、ここ数年は農業以外、例えば消防行政出身や銀行出身(Ta議員のことだ)も増えてはきているが、教育の現場を実体験している人となれば初めてのことではないか。女性議員を増やすというだけではなく、そういう面からも、会派さくら未来では、Tさんを支援したい。よーし、スランプなんかに負けないぞ!
 えっ、誰だって? それは「ひ・み・つ・・・ひみつのアッコちゃん(ん?)」。告示日となって、正式に立候補を届け出したら、このブログでも実名報道をしようと思っている。それまではイニシアルでご勘弁を。でも、茂森、富士見町、富田、広野に看板も立ったので、もうおわかりの方も多いかもしれない。(5921)
 

乾杯


 今日は、弘前文学学校の今年度(第22期)の終了式。僕ら講師陣も含めて、約30人が、城東閣のフレキシブルルームに集った。
 何度も何度も書いてきたように、この2年間、すっかり世の中は停滞してしまった。スポーツ団体も文化サークルも、思うように活動できなかったところが多かったと思う。
 そのような中で、文学学校は、当初のカリキュラム通り講座を継続してきた。講師による授業19回、生徒自身の発表講演2回、合評会5回なのだそうだ。立派なものである。
 とは言え、やっぱりコロナ禍の中での制限も多かったであろう。今日のこの終了式も、コロナ騒ぎが起きる前は、飲食店でちょっと豪華なランチを食べながら、アルコールで口を湿らせながらというのが慣例だったが、今年はいつもの教室で、ホカ弁を食べながらささやかに行われた。
 僕に何故か、乾杯の発声が回ってきた。”乾杯”と言っても、飲み物はペットボトルのお茶である。
 「これがビールだったら、泡が消えないよう手短かに済ませるのですが、幸いにしてお茶ですので、少し長く喋らせてもらいます」と僕は切り出した。
 中身は、僕が審査員を務めさせていただいている「青森県民文化祭文芸コンクール小説部門」のことである。毎年のように、弘前文学学校の生徒さんや卒業生が、上位入賞を果たしている。まずはそのことを高く評価した。
 念のために申し添えるが、作品を読んで審査する時には、誰が書いたものかわからないようになっているので、決して忖度などしているわけではない。純粋に点数と順位をつけて、あとから〇〇さんだったのかとわかるような次第だ。
 応募してくる作品の中には、極端な話をすれば、”てにをは”を正しく使えていないものもある(まるでこのブログのように)。その点、少なくても、文学学校の生徒さんたちの作品は、基礎が出来ている。テーマも構成もよく練られたものが多い。僕が審査員でなくても、きっと高得点をとることができるであろう。
 これはやはり、一年間に渡って、実作と講習と合評を繰り返してきているために他ならない。何事によらず、上達の早道は反復練習に尽きるのだ、なんて、自分では言行不一致そのものの挨拶をさせてもらった。
 そして最後は、「弘前文学学校の益々のご発展と、本日お集まりの皆様方のご健勝を祈って乾杯」なんて、紋切り形の言葉で締めてしまった。我ながら全くつまらない。
 いやこれが、手に持つ物が生ビールだったら、もうちょっと洒落たことが言えたのではないかと、家に帰った今でも、後悔している次第だ。
 他にも、今日は、落込むことが多かった。まぁ、どれも自分に責任がある。それを反省し気を取り直すために、改めて一人で杯を上げよう。
 「明日のために、乾杯!」(3714)

 
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