今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2022年05月

目は口ほどに


 大学病院の眼科に行ってきた。2月にした手術後の3回目の検診だ。
 前回は3月29日だった。その時には「次は5月17日」と予約をしてきた。ところが、後から臨時議会の招集があって、今日に振り替えてもらった次第だ。  
 結果は、芳しいとは言えなかった。眼底の腫れは大きくなっているが、昨年の手術前ほどではないという。今日から目薬が一つ追加となった。
 この”目薬”というやつがやっかいだ。糖尿の注射は忘れることはないし、大腸の治験薬は、忘れるとしても月に1回くらいだ。
 が、目薬はつい忘れてしまう。今までの薬は日に4回も差さなきゃいけないものだったが、3回差せばいい方で、2回だけという日もけっこうあった。これでは良くなるはずはない。
 眼鏡の話もした。今使っているのは手術前のもの。視力が0.1とかの頃に作ったものだ。だから、今は全く合っていない。前回の検診時には「もう少し様子を見てから」と言われたのだが、今日は、作ってもいいということになった。
 僕は、今まで、4年に1回、眼鏡を替えてきた。選挙前に、後援会の役員会を開くと、公約や選挙戦術はそっちのけで、必ず「眼鏡を替えろ、床屋(美容院)に行け」と言われるからだ。選挙以外で替えるのは、久し振りである。
 が、これも出費が嵩む。懇意にしていた土手町の眼鏡屋さんは、今年になって閉店してしまった。どこか安くて親切な店を探さなければならない。
 考えてみれば、昨年来、眼球に注射を4回打った。1回が4万円強。手術は、右目・左目と2回行った。それぞれ3日ずつの入院費も含めて、合せて17万円ほど。それに、1~2ヶ月毎の受診料も数千円ずつかかる。2年間の”目”の治療だけで、僕の場合の選挙費用額を超えてしまった感じだ。今まで目を酷使してきたツケが回ってきたようだ。
 つくづく悟った。物を食べるのは”口”だが、”目”も金を食う。(7358)

求む、新会員


 「津軽厚志会」という財団法人がある。津軽家の遺徳を後世に伝えると同時に、今は東京にお住まいになっている津軽家当主に代わって、御廟書の管理や祭祀を執り行うことを目的にして活動をしている。
 主な活動は、革秀寺における藩粗為信公の法要、長勝寺における歴代藩主の法要、高照神社大祭などだ。昨年は始めて、歴代藩主正室の法要も執り行った。
 また、革秀寺・長勝寺始め、津軽家縁の寺社へ、毎年祭祀料を奉納している他、例えば弘前城石垣修理とか、鰺ヶ沢光信公の墓所整備など、津軽家に関連する事業へも、応分の寄付を行ってきている。
 今日は、その総会が行われた。第15代当主津軽晋様もお見えになられた。そのこともあって、昨年よりも出席人数は多かった。と言っても、わずか8人である。
 コロナの前までは、晋様は、毎年必ず数回は弘前にいらっしゃっていた。その度に、会員との会食の場を設ける。気さくな方なので、高級な料亭やレストランなどでなくてもいい。以前は某焼き鳥屋の座敷をよく使っていた。
 が、この2年間は、お立場もあるので、県を跨いだ移動は出来なかったようだ。だから、本当に久し振りに、会員と親しく懇談する機会をもつことができた。
 これまでも、このブログでも書いたような気もするが、弘前というまちが現在あるのも、藩主為信公や2代信牧公が、この地に居城を建て、城下を整備したからこそである。廃藩置県後も、その城跡をそっくり市に寄贈して下さったからこそ、桜の名所として名高い弘前公園となり、観光都市弘前の基盤となっている。
 そういうことを考えれば、僕らは、津軽家のことを大切にしなければならない。多くの人に、その存在を知ってもらいたい。今日も、総会後の懇親会で、そんな話が出た。
 もう一つ大きな話題が、会員拡大の件である。基本的には、財団法人なので、基礎になる財産があって、それを運用して成り立っている。会費収入を当て込んでいる団体ではない。だから会員資格や入会手続きに関する取り決めは今まではなかった。設立当初の会員の子孫が世襲して、綿々と続けてきていた。
 ただ、いくら財産があっても、それを管理し事業を行う人間ががいなくなれば、組織は継続できない。会の目的を達成するためにも、もっと門戸を開放した方がいい。今日の席では、何人かの候補の名前も挙がった。
 まぁ、この件は、これまでも何度も話し合われてきたのだが、なかなか実現できずにいた。今年こそは新しい会員を迎えたい。
 考えてみれば、会員拡大って、法人であろうと任意団体であろうと、いずこも同じ悩みだろうと思う。求む、新会員!(5427)
 
 
 
 
 
 
  

Wの感激


 ダブルブッキングをしてしまった。午後2時から、弘前ペンクラブ定時総会の記念講演会。3時からは総会。一方、午後4時からは、弘前読書人倶楽部のブックトーク。
 別に、意図してそういうスケジュールを組んだわけではないし、全くのうっかりミスということでもない。たまたま、講師のスケジュールや会場の都合を考慮した結果、こうなってしまったのだ。
 普通は、どちらかを断ればいいのかもしれない。でも、両方の団体とも、責任ある立場を務めさせていただいている関係上、そういうわけにもいかない。
 そこで今日は、3時からは読書人倶楽部のイベントの準備をするため、ペンクラブの方は、講演会だけを聞いて中座した。それが”責任ある立場”として良かったかどうかはわからない。
 おかげで、2つの文化的講演をきくことができた。
 ペンペンクラブの講師は、このブログでも紹介したことのある、僕が自信をもってお薦めできる書店(新刊&古書)「まわりみち文庫」の店主のNaさんだ。今回の講演も、ペンクラブ会長に、強く推薦して実現した。
 インターネットの急速な普及によって、何でも簡単に調べたり教わったりすることができる世の中になった。が、”便利”なだけでそれでいいのか。一つのゴールに辿り着くにしても、例えば一冊の本に出会うにしても、敢えて迂遠な方法、まわりみちをすることが必要ではないか、といったコンセプトで、書店を始めたのだそうだ。
 僕は、講師紹介で、こう言った。J堂のように、”無い本は無い”といった巨大書店とは違う。その代わり、読書好きの人にとっては”ある本はある”という書店だ。わずか5坪程度の書棚を一回りすれば、必ず読みたいと思う本がある・・・皆さんも、一度、お立ち寄りをいただきたい。
 こぎん読書人倶楽部のブックトークは、昨年の日展の工芸美術部門で特選に輝いた、弘前在住のこぎん作家、貴田洋子さんにお越しいただいた。何と、高さが1メートル20センチもあろうかという作品も持ってきて、間近でみせていただいた。
 2019年に、35年ぶりに弘前に帰ってこられた時の印象。岩木山の美しさ。それを作品に仕上げようと思ったきっかけなどもお話いただいた。一にも二にも、明治の津軽の女性たちの生活に根ざした手仕事を、全国の多くの人に知ってもらいたいという、郷土に対する深い愛情が感じられた。
 そしてまた、伝統的な技法を大切に使いながら、新たな価値を創造したいという、芸術家の矜持も迸っていた。
 そんなわけで今日は、感動的なWブッキングであった。ダブルであろうとトリプルであろうと、こなせるものはこなす。加齢とともに衰えていく体力・気力との戦いだが、いつまで抵抗できるんだろう。(2757)
  
 追伸
 今日のタイトル「Wの感激」は、夏樹静子のベストセラー「Wの悲劇」をもじったもの。
著者 : 夏樹静子
角川書店(角川グループパブリッシング)
発売日 : 2012-04-25

 映画化もされ、無くなった女房と二人で観に行ったことが思い出される。

デスクワークは苦手なのだ


 とにかく今週は忙しかった。猫の捕獲(失敗したのだが)、市民からの相談事やその調査、大学での講義、打ち合わせ、 視察、議会運営委員会、その後の担当課からのレク等々、席を温める暇もなかった。
 その上、この気温の変化である。視察に出かけていた水曜日・木曜日は、弘前では30度を超したと聞いた。函館だって、それ近くはあったように思う。
 それが今のこの寒さだ。身体がついていかない。全身が倦怠感に包まれているようだ。
 そんな中で今日は、珍しく、手帳に一行も予定が書かれていない日だった。こんな日は、溜っている書類や原稿を片付ける絶好の機会だ。
 何せ、今は、総会シーズンのピークなのである。いくつかの団体の資料作りも受け持っている。5月末までに提出しなければならない書類もある。よーし、今日はデスクワークの日だと張り切って、読書人倶楽部の店番(?)に出かけた。
 ところが、肝心のパソコンが起動しない。かといって、僕にはそれに対処する術がない。業を煮やして電源を切ってはまた入れる。そんなことを繰り返した。
 仕方がないので、手書きで計算をし始めてから、何度目かでようやく画面が明るくなった。アイコンも出てきた。でも、クリックしてもなかなか切り替わらない。
 そんなこんなで、優に30分は損をした。いや、僕には1時間近く、時間を無駄にしたようにも思えた。
 が、パソコンのせいばかりにはしていられない。僕自身がもっとボケていた。
 作成しようとしていたのは、令和3年度の事業報告書や決算書である。当然(?)、出来るだけ楽をしようと、前年度のフォームを使う。内容も、そっくりそのまま残すものもあるし、上書きをして済ますものもある。これなら簡単だ。
 でも、この方法には大きな落とし穴がある。「自;令和3年4月1日 至;令和4年3月31日」としなければならないところを、「自;令和2年4月1日 至;令和3年3月31日」と、前年のままプリントアウトしてしまった。それも何種類も・・・。
 また、印刷したものを綴じる際にもミスが重なった。12枚の紙を重ねてホッチキスで止めていくのだが、数が合わない。1枚余るページもあれば足りないページもある。もう一度、全部バラして、重ね直しだ。
 それだけならまだしも、書類の左側を綴じなければならないものを右側を綴じてみたり、どうにも非効率な一日だった。結局、全部を終えることはできず、未完成の総会資料を読書人倶楽部のテーブルの上に広げたまま帰ってきた。
 若い頃は、もっとデスクワークが得意だった。いくつもの団体の事務局長なんてものもやらせていただいていた。それがこんな有様だ。
 いやいや、決して加齢のせいとは思いたくない。この1週間の疲れのせいだということにしよう。(8535)

あれは3年前  今日の議会運営委員会から


 6月3日から始まる、令和4年第2回弘前市議会定例会前の、議会運営委員会が開催された。いつもの通り、会期日程や陳情書の取り扱いなどが話し合われ決定した。  
 定例会に上程される議案も示された。予算関係2件、条例案7件、その他人事案件1件の計10件だ。うち、人事案件は議会最終日に追加提出される。
 条例案のほとんどが、国の法律の改正に伴うものだ。賛否が分かれる要素はない。
 市単独のものは、新たに老人福祉センターを設置するための条例改正案と、弘前市民会館に指定管理者制度を再度導入するための条令改正案だ。中で、注目されるのが後者の方だと思う。
 というのも、弘前市議会は、市民会館の指定管理者指定について、市長提案を否決した。地元の事業者でなく、中央資本の企業に管理を委ねようとしたことに対する反対が大きな理由であった。
 中央企業案が否決されたあと市は、2番手の地元企業を指定するのではなく、指定者制度を止め、市の直営に戻した。その際も、条例改正は行われた。その時は、どうしても地元企業にはやらせたくないという、強い意志さえ感じた。まぁ僕の偏見だったんだろうが。
 今日は、議会運営委員会の後、会派+無所属2名で、担当課の議案説明を聞いた。それによると、その後いろいろ協議を重ねた結果、会館の利用促進や経費面でも、指定管理者制度の方が優れているという結論に達したのだそうだ。確かに、民間のノウハウやネットワークを活用する方が、サービスの向上に繋がるといった効果はありそうだ。
 中で一つ、気になったのは、公募をするにあたって、やはり”市外業者も対象とするとのことだ。今回の議案策定にあたって、3年前の議会での議論を、どのように反映させたのか、僕やTa議員は質問をした。
 まぁ、今回は、あくまで「指定管理制度にする」というだけの条例改正案だ。募集対象をどの範囲にするかなどの要項は、議会の議決の範疇外である。
 今後、その要項作成や、公募・審査等が行われ、最終的な指定管理者指定案は、12月議会に上がってくるという。その課程や結果次第では、また賛否が分かれるかもしれない。
 ただ、3年前と大きく違う点がある。3年前は、市の文化スポーツ行政は、議会の中では厚生常任委員会の管轄であった。が、今は、僕の所属する経済文教常任委員会の所管だ。直接審議をしなければならない。
 しかも、僕は委員長で、会議の進行役だ。議論に加わることは難しい。可否同数の場合にしか賛否の意志を表明できない。その上、仮に委員会審査の結果、僕の考えと逆になっても、立場上、異を唱えることも出来ない。
 うーん、やっかいなことになってきた。徒に中央の事業者に僕らの税金が流出するのではなく、地元のやる気のある事業者が選定されることを願うばかりだ。(11861)
 
 追伸
 タイトル ”あれは3年前”は、ちあきなおみのレコード大賞受賞曲、「喝采」のサビの部分の歌詞。
 僕は今でも、歌のうまさだけだったら、ちあきなおみが一番ではないかと思っている。
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