今泉昌一の 私事時事

弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2022年06月

本の賞味期限


 このブログに、若い読者(20代・30代の・・・、いや別に40代・50代でもかまわないのだが)がいるとすれば、読書についてひと言伝えておきたいことがある。本にも賞味期限・消費期限があるということだ。
 今朝起きがけに湿布薬を塗ったら、腰の痛みはだいぶ和らいだ。そこで、今日こそはと思い、3日間先延ばししていた仕事を片付けた。歩道にあいた穴の補修のことで道路維持課、ペンクラブ関係の書類提出のために文化財課へと、車で移動した。この2つは、本庁舎内とは離れた所にあるが、僕の家からだと、ほぼ同方向にある。
 途中、市立図書館に寄った。リクエストしていた本が入荷したと連絡が入ったからだ。  
 が、リクエストしたのは3月。3ヶ月も前の話だ。一瞬、何を頼んでいたのかを思い出せなかった。
 これには事情がある。もう1冊、割りと人気のある本も、こちらは順番待ちの予約をしていた。多分、その本が貸し出せるようになって、2冊揃ってから電話をくれたのだろうと思う。
 それにしても、3ヶ月は長い。昔、書店を経営していた頃、客注を受けると「入荷まで2週間ほどかかります」と言っていたものだ。それでも「遅い!」と叱られたことが多々ある。
 今となれば、そのお客様の気持もわかる。本は、読みたいと思った時が”旬”なのだ。あまり時が経てば、読もうという意慾も減退する。特に、種々雑多の情報が氾濫している今のような時代では、興味の対象は目まぐるしく変っていく。
 これが賞味期限だ。だから、書店の棚の中からシンパシーを感じた本があったら、後で図書館から借りようなどとは思わずに、その場で購入することを薦める。
 消費期限は、もっと切実だ。食品で言えば、口にすることのできる期限だ。本の場合、これが読むことのできる期限ということになる。
 読書とは、単に目で活字を追うことではない。視力や、内容を理解する脳の力はもとより、体力も気力も消耗する。そしてそれらは歳とともに確実に衰えていく。読みたくても読むことのできなくなる期限がくる。
 僕の場合、つい春先までは、夜、布団に入ってから眠りに就くまでの数10分と、朝、目覚めてから布団を這い出るまでの数10分が、限られた読書タイムだった。もともと、極度の睡眠障害で、なかなか寝付けない質だったので、読書が絶好の睡眠導入剤でもあったのだ。
 それが、ここ数ヶ月は、疲れているせいか、あっと言う間に眠りに堕ちる。本を開いても、ものの1ページも進まないうちに寝入ってしまっている。相変わらず夜は何回かトイレに起きるが、朝は目覚ましが鳴るまで目を閉じている。読書タイムが無くなったのだ。明らかに体力・気力が衰えている。
 だから、若い人に言いたい。読みたいと思って手に入れた本は、すぐに読むこと。努々、歳をとって暇になってから読もうなどとは思わないことだ。僕の本棚でも、そういう本が、埃を被って泣いている。
 そんな有様だから、今日借りてきた本だって、いつ読めるかわかったもんじゃない。まぁ、3ヶ月待たされた本だから、返却も3ヶ月後くらいで・・・というわけには間違ってもいかない。(3885)

 追伸
 で、3ヶ月待たされた本というのがこれである。
 わざわざ取り寄せて貰えるだけでも、有難いと思わなくてはいけないなぁ。
 

腰痛三日目


 恐縮だが、またまたギックリ腰の話である。 これで3日目となった。
 少しは良くなるかと思ったが、一向に快方に向かわない。それどころか、今日は、一段と痛みが増してきた。
 何がいけないといって、車の運転が最悪だということがわかった。本来は、一昨日も書いたように、固い床の上で仰向けに横たわるのがいいようだ。つまり、腰と背骨を真っ直ぐにして安静にすることが必要らしい。
 ところが、車のシートはその真逆だ。必要以上に下半身と上半身が曲がってしまう。僕の軽自動車だからなのであろうか?高級車なら違うのかもしれないが・・・。
 今日は、一昨日行けなかった、岩木庁舎にある教育委員会を目指して、車を走らせた。が、すぐに痛みに襲われる。ちょっとの振動でも、それが激痛に変る。
 さすがに堪え切れなくなって、市民会館の駐車場でUターンをして帰ってきた。「道半ば」どころの話ではない。 四分の一、いや五分の一の道程で挫折してしまった。
 机に向かってパソコンを覗いていても、腰は痛い。でも車の運転よりはましだ。
 そこで今日は、先日の定例議会の一般質問の録画を見ながら、7月に発行する「会派レポート」の原稿作成に勤しんだ。Ta議員やTo議員は、もう提出している。相変わらず僕は遅筆だ。
 いやはや、自分で自分の声を聞いたり画像を見るのは気恥ずかしい。もうちょっとチャンとネクタイを締め直せばよかったとか、何か中途半端で終わってしまったかなとか、反省することがたくさんあって、腰ばかりでなく、頭も痛くなってきた。
 如何に腰痛とはいえ、食事の支度はしなければならない。車で3分ほどのスーパーマーケットにでかけた。
 そこで、ある先生のことをふと思い出した。その先生も以前、腰を痛めたことがある。その時に、「スーパーへ行っても、豆腐くらいならいいけど、牛乳パックとなると重くて買ってこられないんですよ」とお話されていた。
 僕も、今日は、牛乳を買うのは諦めた。その代わり、缶酎ハイを2缶買ってきた。さてこれが、吉と出るか凶と出るか・・・?(5314)

ヨチヨチ とぼとぼ 今日の本会議最終日から


 甘かった。腰の痛みである。まだ続いている。歩くのも立ち上がるのも辛い。
 今日は、弘前市議会定例会の最終日。僕は、経済文教常任委員会で審査した議案2件について、審査過程や結果を、報告するという役目があった。議長から指名されると、議席を立って檀上に移動しなければならない。
 これがきつかった。腰に痛みが走らないように、ゆっくりとゆっくりと歩を進めた。檀上は遠い。
 ようやく壇に辿り着いた。今度は、起立のまま、報告書を読み上げる。何かにつかまったり寄りかかったりすることはできない。
 これもきつかった。特に今回は、議案は2件だけなのに、やたらと原稿が長い。書記が、正確に丁寧に作ってくれた文面なので、勝手に端折るわけにもいかない。読み終わるまでの数分間が、かなりの長さに感じられた。
 帰りも、腰に手を当てながら、ゆっくりと議席へ。議場にいた多くの人から、あるいは傍聴席の人からも、僅かな同情と、その数倍以上もの失笑を買ってしまったようだ。議場を出ると、議員仲間からも、市長からも、「どうしたんだ?」と声をかけてもらった。
 さて、今日の僕の歩き方を、どうやって表現すればいいのだろうか?
 先日、僕が街を歩いている姿を見た友人から、「議員がヨチヨチ歩いているのはみっともない」と苦言を呈された。そうかぁ、ヨチヨチか・・・。
 でも”ヨチヨチ”には、幼い子どもとかペンギンみたいな、いたいけないニュアンスが感じられる。が、今日の僕の歩きは、そんな可愛らしさは微塵もない。
 ”とぼとぼ”とか”ブラブラ”というオノマトペもある。”とぼとぼ”だと、何となくそこに哀愁が漂う。今日の僕には滑稽さしか漂わない。”ブラブラ”したつもりはない。真っ直ぐ檀上を目指したのである。
 そうだ、思い出した。”ヨタヨタ”だ。足取りも覚束ず、小幅で力弱く歩くイメージ。それが今日の僕の表現にぴったりだ。
 それにしても、日本語は面白い。”歩くという動作一つとっても、オノマトペで、色々な歩き方を表現することができる。他にも、”ドタドタ”  ”パタパタ”  ”のしのし”  ”ずんずん”  "てくてく”  ”プラプラ”  "しずしず” 等々。
 まぁ、これからは、路上でも、議場でも、できるだけスタスタと歩くように心掛けよう。(6198)

腰に願いを


 やってしまった。ギックリ腰である。
 月曜日、我が町会一帯は、燃えるゴミの収集日。いつものように、門の内側に置いておいたゴミ箱を外に出そうと持ち上げた。その時、腰に激痛が走った。面倒臭がって、上半身だけかがめて、しかも片手で持とうとしたのがよくなかったのかもしれない。
 ギックリ腰は初めてではない。2~3度経験している。弥生リゾート跡地の自然観察会を、それでドタキャンしたこともある。
 だから、安静にしていればいいことくらい、わかっている。固い床で、仰向けで寝ているのが一番いいとも聞いていた。
 幸いにして、僕の万年床は、床と同じくらい固い。今日も、午前中の小一時間ほど、布団の上で大の字になって、天井を見て過ごした。気持がよかった。ずーっとこうしていたいと思った。
 が、それが叶わないのが哀しい業なのである。太宰治まなびの家に行った。弘前読書人倶楽部で、一昨日使った椅子を片付けた。市役所へも寄った。
 市役所というのは、さすがに広い。駐車場の反対端に車を駐めようものなら、議会事務局まで辿り着くまでに、けっこう歩かなければならない。いつもは上りはエレベーター、帰りは階段を降りてくるのだが、今日は、行き帰りともエレベーターを使った。それでも、腰にはきつかった。最後は、歩くのがやっとという状態になった。
 当初は、その後、教育委員会へ行く予定だった。提出する書類があったのだ。でも、断念した。明日の朝、書類の日付を打ち直して持っていこう。
 それに、明日は我が家にお客様が来ることになっている。バタバタと、見える所だけでも掃除しようと思っていた。応接間に置いた猫グッズを他の部屋に隠して、掃除機をかけて、廊下を拭くくらいは、お招きする側として、最低限の礼儀だ。
 が、それも明日に先延ばししなければならなくなった。
 それでも不思議なもので、夜に一杯呑れば、体調は一変する。同じ会派のTa議員やTo議員と、今後の活動のことなどを話し合いながら飲んでいたら、いつのまにか腰の痛みは和らいでいた。
 どうか、このまま痛みが無くなりますように。今日できなかったことを、明日きちんとできますように・・・。星ではなく、腰に願いをかけて休もう(4697)

 追伸
 今日のタイトルは、ディズニー映画「ピノキオ」の中で歌われて「星に願いを」をパクった駄洒落である。元歌を知らない人には何のことかわからないだろうし、知っている人からは、あまりに下らなすぎると呆れられてしまいそうだ。
 
 

気分は啄木


 公園の芝生に拡げ、その上で入れ立てのお茶をいただく。このようなゆっくりとした時間と空間を満喫したのは、何年振りのことだろう。
 昨日の読書人倶楽部の総会へは、5000冊という基本蔵書を寄贈して下さったSさんの奥様も、わざわざ神奈川県からお越しいただいた。大切なご助言も頂戴した。  
 今日は、奥様をお誘いしての緑陰茶会。読書人倶楽部チャーターメンバーのTa君のアイディアだ。
 場所は、弘前公園内にあるピクニック広場。ここはかつて、弘前市営球場があったところだ。中学生の頃、三沢高校の太田幸司が来るというので見に行った記憶がある。高校時代は、母校の夏の甲子園出場をかけた試合を、確か、全校で応援しにいった。
 今は、青々とした芝生が一面に広がっている。芝生を囲むように枝垂れ桜も植えられている。この中の何本かは、青年会議所時代に僕らが植樹をしたものだ。
 その一本の下に、シートを敷いた。お茶とお菓子はTa君が準備した。僕は、先日のブログに書いた”ティーカップソーサー”を、なんとか人数分揃えて持って行った。
 Ta君が煎れた美味しい紅茶と、楽しいお喋り。至福の時間はあっという間に過ぎる。時折そよぐ風がまた涼しい。
 空本当はここで、茶会の模様を撮した写真を挿入したいところだ。そうすれば原稿の枚数を稼げる。でも、女性陣からNGが入った。代わりに、僕が仰向けに寝そべった時に飛び込んできた風景をアップしよう。
 太い枝、生い茂った葉の向こうに、透けて見えるような(残念がら雲がかかっていて青空とはいかなかったが)空。樹木をこんな風に真下から眺めたのは、ひょっとして生まれて初めてだったかもしれない。
 弘前の人は恵まれていると思う。街の真ん中に約50haもの城址公園があり、中には、今日と同じような広場が他にも数カ所ある。家族でもいい。友人とでもいい。恋人とでもいい(僕にはいないが)。そして一人でだっていい。お金をかけずとも寛げるスペースには事欠かない。
 たまには、緑の中に身を置くのもいい。空と会話をするのもいいものだと、柄にもなく感じた次第だ。
 「鷹揚のお城の草に寝ころびて 空に吸はれし六十六の心」・・・あっ、ごめん。もう六十七だった。(5779)
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