今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2022年09月

手は語る


 最初に断っておくが、「手は語る」と言っても、手話の話ではない。
 市民会館で行われた「文楽」の公演を鑑賞してきた。人形浄瑠璃である。能や狂言は何度か観たことがあるが、これは生まれて初めてだった。 
 いやぁ、想像していた以上に面白かった。何が凄いって、人形の所作である。特に手の動きだ。
 今日初めて知ったことをひけらかすが、人形浄瑠璃とは、その名の通り、舞台中央で演ずるのは人形である。その他に、語り手の太夫と三味線方が、舞台袖(?)の”床”と言われる所にいる。
 人形が演じるといっても、勿論、人形は、AI搭載のロボットではない。1つの人形後後に、3人の人形遣いがついていて、それぞれ右手と頭、左手、足を動かしている。3人の息がピッタリと合っていなければ、動作はへんてこりんなものになってしまう。
 今日の演目は「冥土の飛脚」の「羽織落としの段」と「封印切り」の段。300両という公金を手にした飛脚問屋の若旦那(養子)が、恋い焦がれた花魁のところへ行こうか、それともお金をそのまま届け先へ持って行こうか悩むシーンでは、足や頭もさることながら、その手の動きで、主人公の葛藤が、それこそ”手”にとるようによく理解することができた。
 廓の座敷のシーンも絶品である。人形(花魁)が三味線を弾いている。その手の動きは、実際に”床”で三味線方が奏でている音とピッタリ合致しているように見える。その昔、実際には弾けないアイドルが、さもさも弾いているように見せていたギターなどとは全然レベルが違うのだ。
 第一部は2時間ほどで終わった。第二部も観たくなった。でも、18時からは、世界をまたに活躍しているハープ奏者の琴平メイさんを囲んでの夕食会に誘われている。後ろ髪を引かれる思いで市民会館を後にした。
 ハープ奏者との会も面白かった。琴平さんは今、弘前市内の学校を回って、ハープの実演を行っているという。
 ハープ単独の演奏というものを、実はちゃんと聞いたり観たりしたことはない。でも、何となく奏者の流れるような手の動きが頭に浮かぶ。
 あっ、ここでも手だ。手は口ほどに物をいうのかもしれない。
 同席した同級生のM君から、帰り際に、「市議会議員がヨタヨタ歩いているとみっともないよ」と言われた。彼からは以前「ヨチヨチ歩いていればみっともない」という忠告を受けたこともある。 
 そうか、そう見えているのか。僕の場合は、手よりも足の動きの方が問題のようだ。(5368)

フィールドワーク


  蒔田H大学のM先生が、学生さん達を連れて弘前市議会にやってきた。フィールドワークといって、現場で、議会や議員の仕事のことなどを勉強させるための授業のようだ。
 今日は、同じ会派を組むTa議員とTo議員、そして無所属のNa議員と一緒に、その場に臨んだ。僕らの他にも、時間を替えて、議会事務局や、大会派のKI議員とIS議員も対応をしていた。
 学生さん達は6人。出身地は、弘前市が2人、弘前市を除く青森県内が2人、県外が2人と、偶然だろうが均衡がとれている。一番遠い人は滋賀県の大津市からH大に来ているという。
 先ず、僕らが一人一人、何故議員になろうと思ったのか、何を実現させたかったのかを話した。実はこれまでも、M先生の授業やフィールドワークには何度か参加させていただいている。僕は、その時と、全く同じことを喋った。M先生は聞き飽きたかもしれない。しかし、議員になろうとした動機が、その度に変っていては、逆に信憑性に欠ける。
 その話とははこうだ。岩木山麓のスキー場開発が頓挫した跡地に、大型児童館を建てる計画があった。当時の市長のもと、議員の大多数がそれに賛同して議員連盟まで作っていた。
 ところがその後の選挙で市長が交代した。新しい市長は、児童館計画を白紙に戻すと議会に諮った。そうしたら、あれほど児童館建設を推進していた議員の誰一人も、それに反対をしなかった。
 僕は、その時の議会をたまたま傍聴していた。はっきり言って失望した。市長が代われば、信念も主張も変えてしまうような人たちに弘前市を任せておくわけにはいかないと思った。それが最初に議員を志したきっかけだ。
 だから僕は、誰に対してでも、何に対してでも、いいものには「いい」、悪いものには「駄目だ」とはっきり言える議員にならなければならないと心掛けてきた。それはこの15年間、実践できていると秘かに(?)自負している。
 学生さんたちからも質問や意見をもらった。請願や陳情が政策決定に活かされているか? 議員の常識と有権者の常識がかけ離れている(これは僕とTa議員が発言したことだ)原因は何だと思うか? 議員の活動を評価する(僕もTa議員も、そうして欲しいと望んだ)ための判断材料が与えられていない等々だ。
 その一つ一つに真摯に答えたつもりだ。真摯過ぎて、つい口が回りすぎて、言わなくてもいいことまで言ってしまったようだ。議会の話になると、止まらなくなるのが僕の悪い癖だ。反省。
 まぁ、何にせよ、こうした機会を通じて、若い人が市議会や政治に、少しでも興味を抱いてくれればそれでいい。Ta議員は、盛んに、将来は市議会議員を目指して欲しいと言っていた。彼らが被選挙権を持つまでにはまだ5年くらいあるが、もし本気で立候補するのなら、いくらでもアドバイスを送ることはできそうだ。
 冒頭の写真は、この時のもの。僕が写っていないのは、僕のスマホで撮った写真だからだ。(言わずもがなか)
 写真奥のTa議員とTo議員の間の空いている席に、僕は座っていた。決して途中で抜け出して、支持者との記念撮影に応じているだなんて、どこぞの阿呆な議員のような真似はしていない。(9543)

会食 ↔ 孤食


 昨日は、理容店と美容院をはしごした。 今日は大学病院内で、眼科と内科のはしごである。別に高い所に上るのが好きなわけではない。
 眼科は、昨年白内障の手術をおこなってからの、定期検診である。2ヶ月に一度くらいは通っている。
 実は、もともとは、8月4日に予約をしていた。ところが、ご承知の通り、その前日からコロナウィルスに罹患して、自宅待機を余儀なくされた。それが一ヶ月半後の今日になった次第だ。相変わらず混んでいるようだ。
 結果は変わりないということだった。写真を見せてもらった。右目の眼底には、前々からの浮腫が認められる。昨年は、これを取るために、4回も眼球に注射をした。そのカルテを見ながら医師は言った。
 「注射は高いですからねぇ」
 確かに高い。1回4万円以上もした。が、それよりも何よりも怖い。そのことを言ったら、医師は笑っていた。今回は、そこまでする必要はないと言われホッとした。 
 内科は、いつもの糖尿病のことだ。これまた予約変更の件である。 
 当初の予定は10月6日であった。が、その日は、急遽上京することになった。その翌週も弘前を留守にする。
 それで、2週間後の10月20日に予約を入れてもらったのだが、それだと薬が足りなくなる。そこで処方箋を貰うためだけに受診することになった。眼科が想定以上に早く終わったのに、内科でしばらく待たされて、結局3時間以上は病院内にいた計算になる。
 お陰で、じっくり本を読むことができた。しかしまぁ、眼科の待合室で眼を酷使しているような変人は僕以外見あたらない。これでは良くなるわけがない。
 話は変るが、大学病院のコロナ対策は厳しい。正面玄関には大きな体温測定器がおかれていて、それを常時、係の人が見ている。眼科の受付へ行けば行ったで、「最近コロナ感染者と会いましたか? イベントに参加しましたか? 会食をしましたか?」と矢継ぎ早に訊かれる。
 だけど、「会食しましたか?」と尋ねられても返答に窮してしまう。僕は昨日も人と会食をしていた。大体にして、”孤食”の反意語を”会食”と定義すれば、親元を離れ独り暮らしをしている学生や、単身赴任のサラリーマン、それに独居老人以外、数日間”会食”をしない人だなんて、一体何人いるのだろう。
 などと、また屁理屈をこねていた次第である。眼よりも先に、ねじ曲がった”臍”を真っ直ぐに治さなければならないなぁ。大学病院の何科へ行けばいいんだろう?(7388)

理と美


 「〇と△」なんてタイトルを書けば、「罪と罰」(ドストエフスキー)やら「知と愛」(ヘルマン・ヘッセ)やら「菊と刀」(ルース・ベネディクト)やら、何か高尚なイメージを抱かれる方もいらっしゃるかもしれないが、僕のこのブログにそれを求められても困る。「理と美」、単純に理容店と美容院の話だ。僕は今日、その2軒をはしごした。
 理容店は、自分の散髪だ。昨日のブログにも書いたように、一般質問のインターネット中継の録画を視て、あまりのボサボサ頭に唖然とした。それに、白髪の部分が遠目には禿げているようにも見える。そこで、数ヶ月ぶりに床屋へ行った。
 さっぱりした。その足で友人にあったら、「男ぶりがよくなった」とも言われた。こんなことなら、定例議会が始まる前に行っておけばよかった。そうしたら、もっとネット映りがよかったであろう。  
 帰りに、次回の散髪が500円割引になるチケットを2枚いただいた。期限は11月30日までとなっている。果たしてそれまでに使う時間があるだろうか?  
 午後は某美容院へ行った。勿論、僕の髪のことではない。こちらは相談事である。  
 その美容院では、店舗の奥の部屋を利用して、高齢者の集いを定期的に開催したいと考えているのだそうだ。僕は、弘前市が実施している「高齢者ふれあい居場所づくり事業費補助金」制度の要綱と申請書類一式を持っていった。話を聞きながら、書類作成のお手伝いもした。
 さて、タイトルのことだ。何故、同じ”髪”を扱うのに、床屋は”理”容で、パーマ屋は”美”容なのか? そんなつまらないことを考えた。
 ”理”とは、物理の理、理論の理、道理の理である。訓読みだと”ことわり”だ。筋道が通っているニュアンスがある。「整える」という意味もあるようだ。すなわち、床屋とは、髪を切って整える場所なのだろう。
 一方”美”は、いうまでもなく「美しい」ということだ。僕はよく言われる(冗談ですよ冗談)。
 ところが、この「美しい」は曲者なのだ。整えられているものだけが”美しい”とは限らない。中には、敢えて不整合な物、不調和な物に”美”を見出す人もいる。  
 髪の毛だってそうだ。逆立てたり蜷局を巻かせたり七色に染め分けたり、人の美的センスは千差万別である。それらに対応するのが美容院ということなのかもしれない。そうなれば、僕は断然理容店派なのだ。
 なんてつまらないことを考えて運転していた。暇なのである。  
 ところで、一般的に、何故床屋は理容”店”で、パーマ屋は美容”院”または美容”室”なのか? 考え始めると眠られなくなってしまう。さすがの僕も、そこまでは暇ではないのだ。(5844)

今そこに迫る危機


 僕とTa議員、そしてTo議員で結成している「会派さくら未来」では、定例議会が終わる毎に、会派レポートを発行してきた。各議員が手配りをする他に、少ない予算の中から、市内の一部では毎戸配布も行っている。
 同じように定例議会の度に行うはずだった議会報告会は、コロナで会場が使えなくなったりした時期もあって、残念ながら何度か休んでしまった。が、このレポートは、着実に毎回続けることができている。
 先週の木曜日に閉会した令和4年第3回定例議会のレポートも、勿論発行する。その原稿の締め切りは、今週の金曜日だ。
 今日は、市役所の各課で数件問い合わせやら書類提出があった他は、比較的時間があったので、僕にしては異常に早く、その原稿作成に取りかかることにした。自分で行った一般質問やそれに対する答弁の要旨などだ。
 さしあたり先ず、インターネットで公開されている中継録画を見なければならない。というのも、僕の場合、質問原稿を書いていない。手元には記録としては残っていない。書いてから暗記するのではなく、最初から書かないのだ。全て頭の中に浮かんできた自分の疑問や主張を、議場で訴えている。
 と言えば格好がいいが、頭の中なんて「方丈記」である。「行く川の流れは絶えずして・・・かつ消えかつ結びて久しくとどまることなし」だ。ともすれば前の晩に食べた物すら忘れる僕が、2週間も3週間も前の自分の発言を、一字一句正確に覚えていられるはずがない。(って、自慢してどうする?)  
 だから、レポートを書くにあたって、今一度確認するために、ネット録画を見た。うーん、恥ずかしい。
 自分で自分の声を聞くのは照れくさい。真っ当な質問をしているのだからまだましだが、これが歌だったらもっと恥ずかしいだろう。
 何よりも画像だ。最初に、僕が議席を立って質問する檀上に進む場面が流れる。このカメラは後方上から撮られている。
 後頭部のあたりが白く薄く見える。檀上で質問を終えてお辞儀をした。今度はもっとその部分がアップになった。明らかに薄い。自分では普段見ることのできない(見ようともしない)部位なので、そのショックは大きい。
 僕は、同年代の友人達と比べ髪がある方だと、秘かに優越感を抱いていたが、そんなことは言っていられないようだ。そう言えば最近、浴室の排水口がよく詰まる・・・(4918)
 
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

昌ちゃん

今泉昌一の本棚


QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ