67年間生きてきて、無くしてきたものは数え切れない。
幼い頃の境遇もそうだ。けっこう”お坊ちゃま”だったらしい。でも今は、その記憶も片鱗すらも残っていない。
初恋もあった。甘酸っぱい感傷は残っている。だけど、あの頃の純粋さは、もう無くなってしまっている。
誰だって、初恋の人のと名前くらいは憶えているだろうと思う。でも、その面影は、歳と共に,薄れかかっていく。
議員にさせていただいてからの16年間も、随分と記憶にかかった霧の中にいる。何だかんだ言って、得た物よりも、なくしてしまった物の方が、遙かに多かったようにも思う。まぁ、人生って、そんなも野かもしれない。
今日は、愛用の万年筆が、朝から見あたらなかった。Ta君が、お店を閉める時に購入したものである。ヨーロッパのブランド品に、津軽塗を施したもので、前から欲しかったものだ。太字だし、持ち勝手もよく、日常的に使っていたものだ。
実は、隠れ万年筆ファンなのである。他にも何本か持っている。自他ともに認める”字下手”の僕でも、万年筆で書けば、少しは上手に見える、という錯覚を持ち続けていたからだ。取り敢えず署名を求められれば、胸ポケットから取り出し、ペンを走らせる。一種のポーズでもある。
その万年筆が無い! 朝からあちこち探し回った。トイレも、食事を摂るテーブルも、上着のポケットも・・・。
そう言えば、来週の議会報告会の資料作成のため、昨日は弘前倶楽部倶楽部にも行った。確かに万年筆を使った記憶は残っている。
朝一で、読書人倶楽部にも行ってみた。でも、無い。
そこで、それ以上はジタバタしないのが、僕という人間だ。大概のものは、探している時は見つからなくて、諦めかけた時に、ひょんなところから出てきたなんてことを、数多く経験している。
そうしたらやっぱり、夜着替えた時に、パジャマの胸ポケットの中で見つけた。良かった。でも何でそこにあったのかは、よくわからない。
まぁ、その調子で、初恋のパッションも、若き頃の幸福も、みんな甦ってくればいいのに・・・。きっと、どこかに置き忘れたものを、ある日突然見つけることができるかもしれない。(3753)