今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年01月

無くしてきたもの


 67年間生きてきて、無くしてきたものは数え切れない。
 幼い頃の境遇もそうだ。けっこう”お坊ちゃま”だったらしい。でも今は、その記憶も片鱗すらも残っていない。
 初恋もあった。甘酸っぱい感傷は残っている。だけど、あの頃の純粋さは、もう無くなってしまっている。
 誰だって、初恋の人のと名前くらいは憶えているだろうと思う。でも、その面影は、歳と共に,薄れかかっていく。
 議員にさせていただいてからの16年間も、随分と記憶にかかった霧の中にいる。何だかんだ言って、得た物よりも、なくしてしまった物の方が、遙かに多かったようにも思う。まぁ、人生って、そんなも野かもしれない。
 今日は、愛用の万年筆が、朝から見あたらなかった。Ta君が、お店を閉める時に購入したものである。ヨーロッパのブランド品に、津軽塗を施したもので、前から欲しかったものだ。太字だし、持ち勝手もよく、日常的に使っていたものだ。
 実は、隠れ万年筆ファンなのである。他にも何本か持っている。自他ともに認める”字下手”の僕でも、万年筆で書けば、少しは上手に見える、という錯覚を持ち続けていたからだ。取り敢えず署名を求められれば、胸ポケットから取り出し、ペンを走らせる。一種のポーズでもある。
 その万年筆が無い! 朝からあちこち探し回った。トイレも、食事を摂るテーブルも、上着のポケットも・・・。
 そう言えば、来週の議会報告会の資料作成のため、昨日は弘前倶楽部倶楽部にも行った。確かに万年筆を使った記憶は残っている。
 朝一で、読書人倶楽部にも行ってみた。でも、無い。
 そこで、それ以上はジタバタしないのが、僕という人間だ。大概のものは、探している時は見つからなくて、諦めかけた時に、ひょんなところから出てきたなんてことを、数多く経験している。
 そうしたらやっぱり、夜着替えた時に、パジャマの胸ポケットの中で見つけた。良かった。でも何でそこにあったのかは、よくわからない。
 まぁ、その調子で、初恋のパッションも、若き頃の幸福も、みんな甦ってくればいいのに・・・。きっと、どこかに置き忘れたものを、ある日突然見つけることができるかもしれない。(3753)
 

プレミアム放棄!?


 コロナ経済対策として、様々なプレミアム付商品券が発行されている。
 以前、議会でも採り上げたことがあるが、弘前の場合、商店街や業種別団体がそれぞれに企画しているので、種類も多く、販売時期や使用期限も重なり、人によっては使い勝手が悪いと感じている場合もあるようだ。 実際に、名前も名乗らぬ人から、「弘前は何故、全市で使える共通商品券を発行しないんだ!」と、お叱りの電話をいただいたことがある。
 市の担当者によると、その理由は、全市共通にすれば、これまでの例から、IYドーや、イ〇ン等、全国チェーンの大型店に利用が偏ってしまい、市内中小事業者の活性化には繋がらないからだということだ。それも一理あるようにも思える。  
 僕も、地元経済のためならと、けっこう色んなものに飛びついた。基本的に”物欲”が少ないせいか、プレミアム付食事券は、随分と購入した。トータルをすれば、けっこう得をしているはずなのだが、あまりそういう実感は無い・
 チケットさて、来週に迫った議会報告会の資料を作成するため、去年の手帳を開いてみた。そしたら、使い切っていないお食事チケットの綴りが挟んであった。3000円分である。ちょうどプレミアム分に相当する。
 よく見れば、明日(1月31日)が使用期限となっている。あっ、さっそく使わなければならない。
 そこで今日、日頃から世話になっている大先輩と昼食を摂った際に、「チケットがあるから、ここは僕が払います」と見栄を切って、会計カウンターに行った。金額も一般的社会通念上の儀礼の範囲内だし、こと選挙に関しては、絶対に僕に投票しないことはわかっている方なので、公職選挙法にも抵触しないはずだ。
 場所は弘前でも有名な料理屋である。平日の昼というのに、超満員だ。当然、そのチケットは使えるものだと思った。
 が、甘かった。「うちではそのチケットは扱ってません」と言われて、しどろもどろする僕を見て憐れに思ったのか、その先輩は、財布から現金を出して、僕の分まで払ってくれた。面目も何も、丸つぶれであった。
 家に帰ってから、改めて、取り扱い店ネットネットで調べてみた。どの店も魅力的なのだが、一人で行ってもつまらなそうだったり、高そうだったり、予約が必要そうな店もあって、どうにも明日中に使えそうにはない。結局3000円は紙屑と化してしまうのか・・・。
 でも、考えてみれば、今日は、図らずも昼飯が只になった。そう思うと、あんまり損をしたわけでもなさそうだ。なんて、随分とせこいことを考えた一日であった。
 皆さんも、プレミアム付商品券を持っていたら、なるべくお早めにお使い下さいね。(5655)

101回目のブックトーク


 前川今日は、弘前読書人倶楽部の例会。今年第一回目となるブックトークを開催した。相変わらず例年にない寒さが続く中にも拘わらず、20人近い会員が集まってくれた。  
 講師は、既報の通り、建築士で日本大学客員研究員のOさん。建築物の風環境や温熱環境の調査研究を専門としている方だ。今日も「前川建築の環境的アプローチについて」という題でお話をいただいた。
 Oさんとは、昨年の、会派議会報告会の時に、初めてお会いした。Ta議員から、「面白い研究をしている人がいて、どこかで話をする場を作ってもらえないか」と紹介された。「だったら、読書人倶楽部のブックトークに来てもらえないかな」という会話から、今回実現した次第だ。  
 始まる前までは、基本的に文系人間が多い読書人倶楽部で、極端に建築の専門的な話になったら、聴いている方がついていけるかどうかと、一抹の不安はあった。
 でも、それは杞憂に終わった。「そもそも前川國男には環境的アプローチはあったのか」という歴史的な話から始まって、昨年夏に実際に旧市立病院で調査した結果を、写真や図表を使って説明してくれた。完全文系(非理科系・非体育系)の僕でも興味深く聞けたので、他の会員もきっと楽しんでもらえたことと思う。
 ブックトークの魅力は、小一時間の講話もそうだが、終わったあとの、講師を囲んだ懇親会にある。お弁当を食べながら、適度にアルコールも入って、打ち解けた会話に花が咲く。講話の最中に挙手をして質問はできなくても、懇親会の場だと、講師の隣に行って、率直な疑問や感想を伝えることもできる。そんな和やかな雰囲気があるから、10年間にわたり100回も続けてくることができたのだと思う。 
 ん? 100回? 記録をみたら、今日が101回目だった。しまった! 去年の12月に100回記念を盛大に行えばよかった。そうだ、春になったら、誰か大物講師に来ていただいて、「100回記念特別ブックトーク」でも開催しよう。・・・とはこれからの話。
 実は、その大切な、講師を囲んでの懇親会に僕は参加できなかった。というのは、講話が終了後に、高照神社の大規模改修の運営検討委員会に駆けつけなければならなかった。今日がその正式な設立総会なのだ。津軽厚志会の一員として、更には12月議会の一般質問でこの問題を採り上げたこともあって、僕も参画するようになった。
 ブックトーク懇親会の乾杯もそこそこに、後ろ髪を引かれる思いで読書人倶楽部を後にした。ただでさえ寂しくなった後頭部が、益々薄くなったような気がする。(4182)
 

現代若者文章事情


 一昨年・昨年と比べれば、コロナに対する脅威はかなり弱くなってきた。室内でのマスク着用の制限を緩和しようという動きもあるやに聞く。 
 僕の身の周りでもそうだ。昨年あたりはほとんど開かれなかった”新年会”も、今年は随分と多くなった。夜の街にも、少しずつ人出が戻ってきているようだ。ご同慶の至りである。
 今日は、弘前文学学校の新年会。僕は講師の端くれとして声をかけていただいた。
 僕の他に、講師としての参加はお二人。両名とも、実際に創作活動を行っておられる、文字通りの”先生”だ。それに対し僕は、単なる雑文家にしかすぎない。頼まれるままに挨拶原稿などを書いているだけだ。なので、とても肩身の狭い思いをして席に座っていた。
 さすがに、文学を志す仲間の集まりである。会食中の話題も、執筆や原稿のことが中心だ。僕の隣に座っていた先生が、「最近の若者の文章は、文頭を1文字空けるとか、改行をしないんだね」と話し出した。すると、さらにその隣の先生が「読点も打たない」と続けた。確かに、若者に限らず、メールで送られてくる文章には、そういうものが多いような気がする。
 「絵文字も使わなくなったねぇ」と最初に口火を切った先生が、また喋った。「今時、絵文字を好んで使うのはおじさんくらいですよ」と隣の先生もうなづいた。「今度、絵文字を主人公にした小説を書いたら面白そうだね」と、創作家二人は話し合っている。
 僕は、その脇で、少なからぬショックを受けていた。そうだったのか。ついさっき友人に送ったLINEにも、絵文字を使ってしまっていた。今度から、若い人に文章を送るときは、気を付けなければならない。
 さて、文学学校では、いよいよ2月から、機関誌に掲載する作品の合評会が始まる。今年度は、エッセイ・小説・詩・短歌等、18人の生徒さんが原稿を寄せてくれた。それも全員、締め切りを護ったのだそうだ。パチパチパチ。
 原稿と、手を叩いて感心している場合ではない。2月19日までに、その18作品全てに目を通して赤ペンをいれなければならない。読むのはいいが、添削をするとなると、これは一仕事だ。
 2月17日からは定例議会も始まるし、その後には選挙も控えているというのに、とんでもない宿題を引き受けてしまった
 あっ、絵文字を使っちゃった。(6233)

せんだみつおって憶えてますか? 今日の会派議会報告会から


 会派弘前市議会 会派「さくら未来」の議会報告会を行なった。会派のビジョンとして、市議会で議論されている内容を報告することは、皆さんに約束してきたことだ。
 日中は日が差していたとはいえ、まだまだ寒波の中のこともあって、それほど参加者は多くないのではと、3人で心配していた。 下手したら一桁かも、なんて話もでていた。  
 そうしたら、案に相違して、決して多いとはいえないが、いつもと同じくらいの人が聴きに来て下さった。ただただ感謝するのみである。
 今回は、ちょっと趣向を変えてみた。今までは、3人がそれぞれの報告をしたあと、まとめて質問を頂戴していた。それを、一人の話が終わる毎に、質問タイムを設けた。
 だから、合同報告会というよりも、三件の個人報告会を続けてやったような感もある。一人一人の答弁能力が問われたという部分もある。でも、勿論、お互いにフォローをした。  
 最後に、来る統一地方選挙について、ちょっと説明をさせていただいた。この時期に選挙に触れないこと自体、逆に不自然なような気もする。。
 僕らに投票してくれだなんて、事前運動にあたりかねない。そんなことは一言も言わない。要約すれば、次のようなものだ。
 僕とTa議員でスタートした会派「さくら未来」(昨年からはTo議員も加わった)は、この4年間、定例議会終了毎に、必ず、今日のような議会報告会を開催してきた。また、会派レポートも、議会の度に発行してきている。
 色々な知己を得て、大学の授業にも講師として出させていただき、学生さんたちと直に接する機会も創ってきた。母子寡婦会の皆さんや、様々な市民グループとの会話も続けてきた。そういう活動をいまさら自慢する訳ではないが、おそらく誰にもひけをとらないという自負は強く持っている。
 地方議員の選挙となると、とかく地縁とか血縁が優先される。挨拶に来たとか、親族の通夜に参列したとかといったことではなく、どんな活動をしてきたか、議場でどんな発言をしてきたか、是非それを見て、評価をしていただきたい・・・と、そんなことを強調した。
 その上で、会派「さくら未来」で協調して選挙に臨むことも宣言した。政党でもなく、議会内の勢力争いのための集団でもなく、日頃から志を同じくする政策集団として、有権者に信を問おうという狙いだ。
 おそらく、弘前では初めての試みだろうと思う。無謀という意見もあるかもしれない。  
 でも、一旦口にしてしまった以上、後には退けない。「沈黙は金」などといい、”不言実行”がもてはやされるが、実は”有言実行”こそが尊い。人に決意を語るということは、それだけ責任も伴うことにつながる。
 特に、僕のようなチャランポランな人間は、そんなことでもなければ、一歩も前に進めない。だから、いつも何かを喋り続けている。千のうち三つは実現出来るだろう。
 そう言えば、学生時代は、せんだみつおに似てると言われてたっけ。ナハ、ナハナハ。(6193)
 
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