今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年02月

県議会議員選挙挑戦日記 その6 猫のおかげ


 いきなり暖かくなった。我が家の猫たちも、電気カーペットから離れ、日当たりのいい縁側で、思い思いに寛いでいた。
 さて、今日も、選挙の挨拶廻り。「市議を16年間務めさせていただきましたが、今度、県議会議員選挙に挑戦することにしました」と、知人のお宅を訪ねる。古くからの商店街やその近隣の住宅街を、コートも着ずに歩いて廻った。
 ある家に入った。と、先方から「今泉さん、猫をお好きなんですよね」と話しかけられた。えっ、どうして知っているんだろう?
 「実は、ウチでも20年間猫を飼ってたんですけど、先日亡くなりまして・・・」
 「それはお気の毒でしたね」
 「具合が悪くなって獣医に連れて行ったら、あと一週間は、自宅で猫と一緒にいてあげてくださいと言われ・・・」
 「それは優しい先生ですね」
 「保護猫だったんです。20年も生きるって珍しいですねと獣医から言われました。今、写真を持って来ますね」
 写真を見せてもらった。きりっとした顔立ちの可愛らしい猫だった。いい飼い主さんと獣医さんに恵まれて、幸せな人生、いや猫生を送ったのであろう。しばらく玄関先で猫談義をして、その家を後にした。
 その何軒か後に訪れた家では、玄関に猫トイレが置いてあった。
 「おっ、猫を飼ってるんですか?」と僕。
 「ええ、2匹。保護猫なの」
 と、そこでまた話が合った。ここでもしばらく猫について語り合った。この界隈には、まだまだ野良猫がたくさんいるとも教えられた。
 思わず、「実は今、保護猫の会を起ち上げたんで、これから色々と活動を始めるんですよ」と伝えた。そしたらその会に是非参加したいという。
 選挙なのか、保護猫の会の勧誘なのかわからないような挨拶廻りだったが、猫のお陰で、それなりに手応えがあったような気がしている。
 一段落したあと、ふと思いついて、ペットショップに猫のおやつを買いに行った。今日は、猫に感謝をしなくっちゃ。(6174)
 

県議会議員選挙挑戦日記 その5 健康と冗談と


 いきなり尾篭な話で申し訳ない。歳のせいだろうか、糖尿のせいだろうか、おそらく両方のせいだとは思うが、 最近頓に排尿の回数が多くなった。
 夜中には、必ず最低2回は小用で目が覚める。だから、睡眠時間は足りているようで、実は睡眠足といった状況が続いている。
 さて、「県議会議員選挙挑戦日記」というタイトルの話である。今日は、某業界の顔役(と言っても、その筋では無い)の方にエスコートをしていただいて、その業界の事業所を回った。やはり、一人で行くよりも、そうやって同行してくれる人がいれば話が通りやすい。とても好感触を得ることができた。
 ところがである。頻繁に尿意を催す。訪問した先で、トイレを借りてしまった。しかも2回も・・・。
2度目などは、店舗にトイレがないため、従業員専用のトイレを使わせてもらった始末だ。  
 選挙の挨拶・お願いに行って、トイレを借りる候補者なんて、そうそうはいないのではないか。エッヘン。と自慢してもはじまらない。むしろ悪印象を与えたのではないかと心配するべきか。
 夕方からは、ある市議会議員選挙立候補予定者の後援会の方と、コーヒーを飲みながら歓談。同年代同士、初対面なのに気が合って、日本や青森県・弘前市の現状、特に教育の課題等について、熱く語り合った。
 別れ際にその人からも言われた。「くれぐれも健康に気をつけて下さいね」・・・糖尿・頻尿も含め、僕が不健康な人間だということは、どうやら広く知られているみたいだ。  
 もう一つ、別の人から「あまり冗談を言うな。誤解されても何にもならない」と注意をされた。そうなのである。僕は根っからのお調子者で、つい場を考えず(議場でも?)軽口を叩いてしまう。落語家が会場の雰囲気を読んで、即興でクスグリを入れるようなものだ。
 今日だって、ある企業を訪問したら、事務所にプロレス仲間がいた。思わず、選挙の挨拶もそこそこに、「猪木を偲ぶ会をやりたいねぇ」と喋りかけたら、遙かに年下のその友から、「そういう話は選挙が終わってからにしよう」と窘められてしまった。反省・・・。
 健康に留意すること。冗談を封印すること。この二つを心に刻んで、明日からの活動に励もうと思う。
 でも、僕らしさが無くなるなぁ・・・あっ、また軽口を叩いてしまった。(4527)
  

本屋がないと寂しいじゃないか 今日のブックトークから


 弘前読書人倶楽部の例会を行なった。毎月1回、色々な年代・職業の人を招いて、ブックトーク を開催している。
 鎌田今回の講師は、去年まで弘前大学生だったKa君。彼は卒論で地方書店の歴史や意義について採り上げるくらいの本好き・本屋好きの青年だ。3月には郷里の北海道へ帰るというので、その前に是非にとお願いした次第だ。
 その卒論作成の時には、ちょっぴりお手伝いをさせていただいた。ある日読書人倶楽部を訪ねてきて、弘前の本屋の歴史を知りたいという。紀伊國屋書店弘前店出店当時のブック戦争の話や、当時の弘前の書店事情などを、訊かれるままに知っていることの全てを話した。  
 今日のトークも、卒論の紹介からスタートした。地方書店が、知識や情報の発信の場、人々の交流の場として果たした役割を話してくれた。
 中で、弘前読書人倶楽部のことにも触れていただいた。「最初は知識人の集りかと思って敷居の高さを感じていたが、来てみたら楽しそうなところだった」「弘前で、こんなに本に囲まれた場所は、本屋と図書館以外ではここしかない」みたいなことを言っていた。実は、彼は、以前にも、何度か、ブックトークに参加してくれていたので、この倶楽部の趣旨や本質を鋭く見抜いていたみたいだ。
 今日、彼が紹介してくれた中の一冊に、「サードプレイス」という本がある。
 家庭(第一の場)でも、職場(第二の場)でもなく、第三の居心地のいい場所を持とうといった内容のようだ。居酒屋にそれを求める人もいるかもしれないが、彼にとっては、それが本屋だったとのことだ。まさに、僕ら弘前読書人倶楽部も、そういった場になれればと思って活動をしている。  
 その他にも、「本屋LOVE」に満ちあふれた講話だった。講話の締めの言葉が「だって本屋がないと寂しいじゃないか」というもの。うーん。
 僕は100%共感できる。知力も視力も衰えて、以前のように本を読めなくなった僕だけど、本屋に入れば元気が出てくる。世の中に本屋がある限りは長生きできそうな気持にかられる。  
 そんな彼が、3月には弘前を離れ、郷里北海道で社会人生活に入るという。また一人有能な人材がいなくなってしまうと残念に思っていたら、なんと赴任地は函館だという。函館だったら、日帰り圏内だ。これからも交流を続けていければと思う。(7197)

最終編集会議


 僕とTa議員で4年前に結成した、弘前市議会会派「さくら未来」。昨年4月からは、補欠選挙で当選したTo議員も加わり、これまで、他のどの会派にも遜色が無いと自負できるくらいの、様々な活動を行なってきた。
 レポートその中の一つに「会派レポート」がある。毎年4回行なわれる定例議会が終了する度に、必ず発行してきた。会派議会報告会は、残念ながら、コロナで会場を確保出来ず開催できないことも数回あったが、このレポートだけは欠かさず続けてきている。
 何せ、少人数の弱小会派だ。他の会派のように、全世帯へ配布なんてことはできない。だから、目にしたことのない人も多いかもしれない。それでも、Ta議員は毎回FB等で、僕もたまにはこのブログ等で紹介してきてはいた。
 その任期、4年もあと2ヶ月足らずで終わろうとしている。現在開かれている議会が、最後の定例会だ。つまり、次回に発行する分が、年4回✕4年=16,第16号となる。
 今日は、Ta議員と、その最終号の編集打ち合わせを行なった。印刷屋に行って、締め切りや発行日等のスケジュールを確認し、場所を移して、昼食を摂りながら、掲載内容について話し合った。
 従来は、Ta議員、To議員、そして僕の、一般質問や予算委員会でも質問と、それに対する理事者側の答弁を中心に、紙面を構成してきた。けっこう詳細に内容を記載してきたと思っている。
 でも、今回は最終号だ。一般質問の内容ではなく、4年間の集大成として、活動を振り返るようなものにしたいと思う。いわば、総集編だ。
 それと、これまで僕らのレポートは、文字ばっかりで読みづらいというご批判もいただいていた。他の会派のレポートと比べれば、確かにその差は歴然としている。それだけ言葉でお伝えしたいことがたくさんあったのだとご理解いただければ有難い。
 が、今回は趣向を変える。目論見どおりに行けば、かなり見やすいものになるのではないかと思う。まぁ、頭の中で考えるのと、実際の出来上がりには往往にして差があるものだが・・・。
 加えて、今回は、部数も増やしたい。今まで以上に、皆さんの目に止まる確率は高くなるはずだ。どこかで見かけたら、是非、手にとって、中をよく読んでみていただければと思う。
 Ta議員やTo議員は、4月以降も続けることと思うが、僕にとっては最後のレポートとなる・・・なんて感傷に浸っていたら、急に「編集後記」みたいなものも書きたくなった。いかんいかん。そんなものを掲載したら、写真や図表が小さくなって、文字だらけのものになってしまいそうだ。(11698)
 

夜明けの停車場


 昨日も書いたように、大館に、急遽一泊してきた。枕が変ったせいか、極めて薄い眠りであった。酔っ払った後で、最終列車で弘前に帰って、冷たい布団に潜り込んだのと、どちらが疲れた身体にはよかったものか、よくわからない。
 早朝、6時37分初の電車で帰ってきた。これが始発だと思っていたら、その前に、5時52分発というのもあった。さすがに、これに間に合わせる体力も気力もなかった。
 僕の座った車両には、乗客は7人しかいなかった。途中、いくつか停車したが、その状態がしばらく続いた。
 大きく変化したのは碇ヶ関駅。高校生風の若者が10人ほど乗り込んできた。全員男子生徒だ。ようやく少し賑やかになった。
 大鰐駅に着くと、大館から乗っていた客の一人が降りた。大鰐に務めているのだろうか。入れ替わるように、高校生がたくさん乗り込んできた。今度は女子高生もいる。ベンチシートは9割方埋まった。昇降ドア付近に立ってお喋りをしているグループも複数いる。
 そして電車は弘前に着いた。大館から乗っていた人も、途中から乗り込んできた高校生も、ほとんど全員が、ホームに降り立った。
 来る途中で、大館秋田方面に向かう電車とすれ違った。ぱっと見たところ、乗客の数はまばらだった。
 こうしてみると、こと通勤通学に関しては、昨日のブログで触れたような、弘前と大館の往き来というのは、思ったほど無いのかもしれない。それを期待して、選挙のPRに行った僕の目論見は失敗だったようだ。
 昨年、JRは、赤字ローカル線を公表した。地域と協議しながら、廃止も視野にいれた検討を始めると報道された。その赤字路線の中に、奥羽本線弘前大館間も含まれていた。
 確かに、今日の状況を見ると厳しそうにも思う。次の電車だと、弘前着が8時1分だ。これだと、少なくとも学校には間に合わない。つまり、僕の乗った電車が通勤通学のピークのはずだ。それがこの有様だと、あとは推して知るべしと言ったら言い過ぎだろうか。
 翻って、我が弘南鉄道はどうなんだろう? 大鰐線は、沿線に複数の高校がある。通学の足としての役割は果たしているのだろうとは思う。
 が、高校生の数は減少を続けている。僕の母校でも、在学中は1学年に360人いた。今は定員240人だという。
 それでも集るだけまだいい。先頃発表になった公立高校の志願状況をみれば、寺山修司らが卒業した名門青森高校は、とうとう倍率1を切ったそうだ。
 それを思えば、いつまでも通勤通学の足だけでは難しい。JRですら危機感を持って臨もうとするのだから、私鉄は一層、厳しい目で自らの経営を問い質す必要があろう。
 なんて、今日は、切れ味の無い文章になってしまった。とにかく眠いのである。やっぱり、昨日のうちに弘前に帰ってきていれば良かったんだろうか・・・。(10872)

 追伸
 今日のタイトル「夜明けの停車場」は、石橋正次のヒット曲からいただいた。先日カラオケで、思いの他高得点を記録した歌だ。持ち歌の一つに加えようかとも考えている。
 
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