今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年03月

県議会議員選挙挑戦日記その10 初日 


 いよいよ始まった。
 何が? 
 プロ野球ペナントレースが・・・ではない。青森県議会選挙だ。
 朝8時半から、受付順の抽選が行なわれた。僕は1番だった。幸先がいい。早速ポスター担当のボランティアスタッフにその番号を伝え、一斉に掲示に向かってもらった。こうして選挙戦がスタートした。
 事務所前で簡単に挨拶をさせていただいたあと、第一声は下土手町の菊地薬局前で行なった。お店が開く前の商店街は、人通りはほとんどない。でも、何と言っても、土手町は僕の故郷だ。原点だ。事務所は病院や学校の近くなのでマイクを使えないとなれば、第一声の場所は、やはりここしかなかった。
 選挙その後、昨日も書いたように、看板とスピーカーを取り付けた軽自動車に乗って、市内遊説に出発した。茂森・樹木・西弘と、市の南西部から攻めていった。
 候補者それぞれによって、このコース取りには、色々な戦略があるのは当然だ。それにしても、午前中は、不思議なくらい、他の候補者の選挙カーとは遭遇しなかった。11時を過ぎてようやく、元職の車が、街頭に立っている僕の前を過ぎていった。
 考えてみれば、28の定数に30数人が立候補する市議会議員選挙と違って、定数6に僅か8人の立候補者数だ。広い弘前市内を8台の選挙カーしか走っていないのだから、出会わなくても不思議ではない。なんて考えていたら、午後には立て続けに2陣営の車とすれ違った。 
 僕の手法は、プロのウグイス嬢を使った名前の連呼は行なわない。こまめに選挙カーから降りて、街頭演説を打つ。自分の思いを、自分の声・言葉で訴える。そのやり方でこれまで4回の市議会議員選挙を戦ってきた。
 多い時で、1週間の選挙期間に270ヶ所で演説をしたことがある。しかし、その回数も、歳とともに段々と減っていった。今日は、23ヶ所でマイクを握ったところで力が尽きた。体力・喉力の衰えは如何ともし難い。
 ただ、今日気になったのは、言葉がスムーズに出て来なかったことだ。何度も何度も噛んでいた。喋っている自分がおかしいなと思う、滅茶苦茶な日本語になっていたときもある。
 場所によって内容を変えようと思っていることで、逆に頭の中の整理が追いつかなくなっている感もある。むしろ、どこでも同じような中身にした方がいいのか? でも、それだと喋っている本人は面白くない。いずれにしても、この点は、明日に向けて軌道修正をする必要がありそうだ。
 そうだ。僕の今回の選挙のキャッチコピーは、「明日をもっといい日にしたい」である。明日の演説を、もっと今日よりいいものにしなくては・・・。(6520)

 追伸
 明日は、主に第一中学校学区の住宅地を回る予定だ。もし見かけたら手を振って下さいね。
 

県議会議員選挙挑戦日記その9 開戦前夜


 いよいよ、青森県議会議員選挙告示日が明日に迫った。本来であれば、今頃は、全ての準備を終え、明鏡止水といった心境でなければならないはずだ。けど、今日も一日バタバタだったし、今だって、止水どころか、心の中は大きく波打っている。
 自分では、心も脳も、そんなにキャパが小さい方だとは思っていなかったが、かなり早い段階で飽和状態になってしまった。だから、今回は、事務や手続き・諸々の発注等を、全てスタッフに委ねた。
 看板事務所の前に看板が立った。明日の朝、届け出が終わったら、覆っている紙をはぐ。でも、どんな物が出来上がっているのか、僕自身は見ていない。
 選挙カーも出来た。相変わらずの軽自動車だ。小回りが利く。細い道でも入っていけるし、ちょっとしたスペースがあれば、駐めて街頭演説を行なうことができる。お金をかけないで、なおかつ市内を縦横に走り回ることを突き詰めれば、これが最適と思い2期目の選挙の時からこの方法をとっている。
 ポスター掲示の手配も終わった。明日、届け出時に抽選を行ない、掲示板の番号が決まれば、多くの仲間が一斉に張り出しに向かってくれる。有難い話だ。
 他にも、スタッフが頑張って、色々と準備をしてくれている。勿論、それを全面的に信頼をしている。
 でも、僕自身で、まだ何かやることがあったのではないか、忘れていることがあるのではないかと、一人でモヤモヤしているような状態なのである。「人事を尽くして天命を待つ」どころか、人事不省に陥りそうだ。
 はてさて、こんな有様で、今夜は眠られるのだろうか? 睡眠導入剤を増やすのは危険だから、せめて、毎晩1本飲んでいるヤ〇ルト1000を、今日は3本くらい飲んでみようかな。(4450)

 追伸
 明日は、下土手町の菊地薬局前で、第一声を行ないます。

市議会議員最後の日


 2023年3月29日。今日が、4期16年間務めさせていただいた市議会議員最後の日となった。
 辞職願午後4時、議長に直接「辞職願」を手渡した。と言っても、ご覧のように、定められた様式に、ただ署名をしただけのものだ。でも、この紙1枚で、人生のある時期に終止符が打たれると思うと、とても感慨深い。
 議長は僕が市議会議員を辞めることについて「残念だ」とおっしゃってくれた。まだまだ議会を変えていかなければならない。今度の改選で新たに加わる新人を育ててもいきたい。そんな役割の一端を僕に期待してくれていたのだとしたら、身に余る光栄だ。議長の言葉に、このブログを通して、改めて謝意を表したい。
 振り返ってみれば、16年とは、決して短い時間ではない。僕が弘前で書店経営に携わったのは1981年から2000年までの20年間。あともう1期市議会議員を務めれば、議員生活が書店生活と並ぶ。それほどの長さなのだ。
 その間、議長はじめ先輩議員には随分とお世話になった。右も左もわからない1年生の時から、議会を改革しようと、あれやこれや提案して、時には長年の慣習を否定するような発言・行動もした。煙ったがられていたのは事実だ。
 だからといって、決して誰とも敵対したことはない。時には叱られ、時には懲罰動議を出されながらも、可愛がってもらってきた方だと思う。僕が提案した年度予算案に対する修正案も通していただいたし、平和都市宣言も採択してもらうことができた。いくつかの議会改革にも着手した。  
 特に4年前、今の議長になってからは、議会基本条例の検証・会派を超えた議員有志の勉強会・同じく学生との意見交換会等々、僕らの発案をほとんど容認してもらい、かつ議長自ら、積極的に参加をしてくれた。だから、感謝してもしきれない。そんな気持を素直に伝えた。
 途中から地元紙の記者も同席した。あと2日すれば、県議会議員選挙が告示される。そうなれば、辞職などせずとも、自動失職となる。なのに、何故、今日辞職願いを出したのか? と尋ねられた。
 答えは簡単である。どこかでけじめを付けたかったのだ。少なくても、4年前の市議会議員選挙で約束したことを果たした上で辞めたい。その意味で、昨日の議会報告会を終えたら辞職を出そうと以前から決めていた。
 ただ、想定外のことがあった。
 今日付けで辞職願いが受理されたので、明日明後日はもはや議員ではない。でも、21日には、3月分の議員報酬をいただいている。その中から、30日と31日の分を、日割りで返還しなければならないのだそうだ。うーん、痛い・・・。
 なんてセコいことは言わない。自分で決めた道だ。
 明日からはいよいよ無職になる。そう言えば、立候補届け出用紙の職業記載欄には、既に「無職」と記入してたっけ。(7484)
 

涙あふれるままに 今日の議会報告会から


 報告会弘前市議会議員としての最後の報告会を終えた。情けない話だが、感極まって、言葉につまる場面もあった。以前にも書いたが、ドラマや本を見て泣くことはあっても、自分のことでは冷静だと思っていたのに・・・。  
 今日は、3月定例議会の報告よりも、自分の4期16年間の議員活動の報告に力点を置いた。思い出し思い出ししながら、過去に発言したこと質問したことを話した。
 振り返れば、自分の16年間採り上げてきたことは、大別すれば、次の3つに集約される。
 ①地域経済及び中心商店街活性化の件  
 ②子どもの教育及び読書推進の件
 ③議会改革の件
 そのそれぞれについて、これまでに質問してきたこととそれに対する答弁、提案したこととそれが実現できたかどうかを報告した。
 勿論、全部が全部、実現できたわけではない。でも、無所属議員の提案でも、言い続けることでそれが叶ったこともたくさんある。正しいと思ったことを信念を持って言い続けることで、それは相手にも伝わるということを、身を以て体験することができた。誰に対してでも、何に対してでも、大勢に阿ることなく、良いものはいい、駄目なものは駄目だと、是々非々の立場を貫いてきた。
 そういう意味で、「自分の16年間は、決して間違ってはいなかった」と皆の前で言いきった。そして、もし皆様の付託をいただければ、県議会にもこの姿勢で臨みたいと決意を述べた。
 自分自身はかなり熱く語ったつもりだが、会場からの拍手がなかったので、「あの-、ここは拍手が欲しいんですけど・・・」と強要してしまった。拍手よりも笑いを取ったような気がする
 でも、最後は大きな拍手を頂戴した。そこでまた涙が込み上げてきた。が、号泣したわけではない。だから今日のブログタイトルは、かなり誇張がある。JAROに訴えらても仕方がない。
 報告会冒頭で、3つになった後援会の会長からご挨拶を頂戴した。そのうちの一人から、「選挙が終わるまでは、大好きな酒も控えめにするように」というご忠告をいただいた。
 その時は「はい」と殊勝に答えたが、結局は、終了後、打ち上げと称してスタッフと呑んできた。それで、ブログの更新も、こんな時間になってしまった。
 うーむ、早速、公約違反(?)だ。まぁ今日は、涙の報告会ということで大目に見ていただいて、明日からは、節制しよう。・・・って、いつものパターンだな。(7847)

僕の名は?


 「忘却とは忘れ去ることなり」 昭和20年代に一世を風靡したラジオドラマ、「君の名は」の冒頭で流されたナレーションである。
 しかしこれは、ドラマにしては奇妙な台詞だ。国語辞典をそのまま読んでいるようなものだ。「乗馬とは馬に乗ることなり」というのと同じではないか。
 まぁいい。今夜はその”忘却”とやらに翻弄された。
 いよいよ、僕の市議会議員としての最後の議会報告会が、明日に迫った。毎回、会場にいらした方々には、100円を頂戴して、簡単な資料を配付している。
 相変わらずの泥縄で、その資料を、今日になって印刷をしに、市民参画センターへ行った。安くて簡単なので、いつもここの印刷機を使っている。
 以前は、印刷枚数をカウントして、受付で料金を払っていた。今は、予め大体の使用料を計算して、自動販売機のように、お金を機械に投入するようなシステムになっている。
 着くとまず、申込用紙を記入する。それから自販機のような機械にお金を入れた。いつも大体500円前後だったので、取り敢えず小銭を掻き集めて600円を投入した。
 さぁ、印刷だ。鞄を開けた。
 無い! 入れてきたはずの原稿が無い。鞄の中を何度もひっくり返した。やっぱり無い。どうやら事務所に忘れてきたようだ。
 でも、30分後には次の予定が入っている。取りに引き返している時間はない。 
 「すみません。原稿を忘れてきたみたいなので、明日また出直していいですか?」
 「明日は、(印刷機使用の)予約で埋まっていて、午前9時からの時間しか空いてません」
 「では、それでお願いします」
 鞄と印刷用紙を抱えて、バタバタと参画センターを後にした。
 1時間くらいしたら、スマホに着信があった。
 「参画センターですけど、先ほど印刷機に入れた600円をお忘れになってますよ」
 「えっ!?」
 「申し訳ありません。すぐ気がつけばよかったんですが、今見つけたもので・・・」
 いやいや、僕は電話を貰うまで、全く気がつかなかった。
 と、一事が万事このような有様なのである。歳のせいばかりではない。選挙を目前に、脳にゆとりが無くなっているみたいだ。
 そのうち、自分の名前すら忘れてしまったらどうしよう。会う人会う人に、「僕の名は?」なんて聞き始めるかもしれない。(3203)
 
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