
今月の講話者は、会員のAさん。Aさんは、入会したのはまだ5年くらい前なのだが、とても熱心な会員だ。ブックトークには、ほぼ毎回参加してくれている。
今日は、五木寛之の「大河の一滴」を題材に、五木寛之の死生観についてお話をしていただいた。
最初、このテーマを伺った時に、正直言って、ちょっと意外な気がした。というのも、Aさんは、ロシア問題など、外交関係にお強い方だと思っていたからだ。でも、よく考えてみたら、五木寛之のデビュー作は「さらばモスクワ愚連隊」。やっぱり”ロシア”とは縁が深かったみたいだ。
五木寛之といえば、昭和30年前後生まれの僕らにとっては、一時、教祖のような作家だった。前期のデビュー作はじめ、「青ざめた馬を見よ」「青年は荒野をめざす」等、刺激的なタイトルに惹かれて耽読した若者は多い。僕も、そこまで熱狂的なファンではなかったが、何冊かは読んでいる。 その後、「青春の門」や「戒厳令の夜」など、ベストセラーを連発し、押しも押されぬ大作家となった・・・なんて書き方をすれば、失礼にあたるかもしれない。
「四季・奈津子」は、僕がちょうど浦和の書店で修業をしていたときの作品だ。仕入れれば仕入れた先から売れていく。他にも渡辺淳一や遠藤周作など、四六判の文芸書がベストセラー上位に名を連ねていた。誰それの新刊が出るよと聞けば、書店は争うように発注をしていた、そんな時代だった。今では遠い昔の話のようである。
「大河の一滴」は、1998年に刊行された随筆集だ。その頃はまだ本屋をやっていたが、それほどよく売れたという記憶がない。ただ2020年頃から、ブームが沸き起こって、今もよく売れているのだそうだ。
今日は、その再ブーム後に発売されたCDを聴かせていただいた。
精神科医フランクルが「夜と霧」の中で描いた、過酷な収容所生活の中での体験を例に、極限の状態の中で生き抜くために必要なのは、体力だけでも精神力だけでもなく、少しばかりの心の余裕なのだということを、五木寛之本人が語っているものだ。活字で読むより、本の内容がごくすんなりと頭の中に入ってくるような気もした。
最近、高齢者向けに、CD版文学全集の広告を時々見かける。活字人間の僕には縁遠いものだと思っていたが、いよいよ僕も、本を目で読むのではなく耳で聴く年齢になってしまったみたいだ。うーん、ショック。(6747)