今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年04月

耳で聴く本 今日のブックトークから


 浅井弘前読書人俱楽部の例会、「ブックトーク」を開催した。昨年までは、コロナの影響もあって休みがちだったが、今年に入ってからは、順調に回を重ねている。
 今月の講話者は、会員のAさん。Aさんは、入会したのはまだ5年くらい前なのだが、とても熱心な会員だ。ブックトークには、ほぼ毎回参加してくれている。
 今日は、五木寛之の「大河の一滴」を題材に、五木寛之の死生観についてお話をしていただいた。
 最初、このテーマを伺った時に、正直言って、ちょっと意外な気がした。というのも、Aさんは、ロシア問題など、外交関係にお強い方だと思っていたからだ。でも、よく考えてみたら、五木寛之のデビュー作は「さらばモスクワ愚連隊」。やっぱり”ロシア”とは縁が深かったみたいだ。  
 五木寛之といえば、昭和30年前後生まれの僕らにとっては、一時、教祖のような作家だった。前期のデビュー作はじめ、「青ざめた馬を見よ」「青年は荒野をめざす」等、刺激的なタイトルに惹かれて耽読した若者は多い。僕も、そこまで熱狂的なファンではなかったが、何冊かは読んでいる。 
 その後、「青春の門」や「戒厳令の夜」など、ベストセラーを連発し、押しも押されぬ大作家となった・・・なんて書き方をすれば、失礼にあたるかもしれない。  
 「四季・奈津子」は、僕がちょうど浦和の書店で修業をしていたときの作品だ。仕入れれば仕入れた先から売れていく。他にも渡辺淳一や遠藤周作など、四六判の文芸書がベストセラー上位に名を連ねていた。誰それの新刊が出るよと聞けば、書店は争うように発注をしていた、そんな時代だった。今では遠い昔の話のようである。
 「大河の一滴」は、1998年に刊行された随筆集だ。その頃はまだ本屋をやっていたが、それほどよく売れたという記憶がない。ただ2020年頃から、ブームが沸き起こって、今もよく売れているのだそうだ。
 今日は、その再ブーム後に発売されたCDを聴かせていただいた。
 精神科医フランクルが「夜と霧」の中で描いた、過酷な収容所生活の中での体験を例に、極限の状態の中で生き抜くために必要なのは、体力だけでも精神力だけでもなく、少しばかりの心の余裕なのだということを、五木寛之本人が語っているものだ。活字で読むより、本の内容がごくすんなりと頭の中に入ってくるような気もした。
 最近、高齢者向けに、CD版文学全集の広告を時々見かける。活字人間の僕には縁遠いものだと思っていたが、いよいよ僕も、本を目で読むのではなく耳で聴く年齢になってしまったみたいだ。うーん、ショック。(6747)

津軽のカマリ


 上映会初代高橋竹山と、竹山を産んだ津軽の風土を描いたドキュメンタリー映画「津軽のカマリ」の上映会が行なわれた。会場の土手町コミュニケーションプラザホールには、約60人のお客様にご来場をいただいた。
 僕は、どういうわけか、その実行委員長ということになっている。その経緯はこうだ。2月の中旬、僕が県議選への立候補を表明した後のことである。旧知の方から電話で依頼があった。当然のことながら、「4月9日(県議選の投票日)までは、全くお手伝いできませんよ」と断った。そうしたら、それでもいいという。名前だけでも貸してくれと。それならというわけで、お引き受けした次第だ。
 実際には、4月9日までどころの話ではなかった。それ以降も挨拶周りや後始末が続いて、実行委員長とは名ばかりで、何一つ実行することができなかった。
 今日ようやく、僅かながらお手伝いができた。椅子を少し並べ直して、関連書籍やDVDの販売に手を貸した。たったそれだけのことしかしていないのに、上映開始前には、実行委員長として、お客様の前で挨拶もさせていただいた。終演後は、監督と一緒に会食する機会も頂戴した。なにか申し訳ない気持で一杯だ。
 その会食の席で、監督からは、二つの提案をいただいた。一つは、中高校生にも是非観てもらいたい。学校で上映会を行えないものか。その場合は無料でいいとまでおっしゃっていた。確かに、竹山の生き様を知ることには、教育的価値があるように思う。
 もう一つは、竹山が亡くなる1年前に、正式に襲名した二代目高橋竹山(女性だよ)のコンサートを開催してみないかというお話だ。青森市では既に行なっている。津軽三味線の盛んな弘前であれば、青森に負けないくらいの集客は見込めるかもしれない。
 ただ、津軽三味線界にも、系列とか派閥のようなものがあって、必ずしも一枚岩ではないという話を聞く。何かイベントを仕掛けようとしても、そういったことにまで気を配らなければならないとしたら、それはかなり厄介なことだ。
 いずれにしても、議員ではなく一民間人となった僕に、何をどこまで出来るのかは全くわからない。取り敢えず、コンサートについては、主催してくれそうなところに当たってみようとは思う。
 高橋竹山は、僕が学生の頃、渋谷のジャンジャンで大人気を博していた。が、僕は、一度も観に行ったことはない。第一、ジャンジャンなる小劇場には、前を通ったことはあっても、中に入ったことはない。
 そういった文化的なこととは一切無縁の、プロレスと競馬とアイドルの追っかけに明け暮れた青春時代であった。(7770)
 

”図書館族”引き継ぎ


 以前のブログに「僕は弘前市議会の中で、唯一の”図書館族議員”だ」なんてことを書いた。実際には、弘前市議会に”族議員”なるものは存在しない。でも、農業系の議員が、当時は半数近くいた中で、図書館について質問や提案をするのは、ほとんど僕だけだった。  
 悲しいことに、図書館に行ったことのない議員も見受けられた。僕が図書館のことを何度も質問をしたら、「あいつは図書館、図書館と言うが、一体何人の市民が図書館を利用してるんだ」と先輩議員が陰口をたたいていたのを聞いたことがある。
 その僕が、市議会議員を辞めた。では誰が、図書館や読書教育のことを採り上げてくれるのか? 実はそれが心配の種の一つだった。
 丁度、そんなことを考えていた折、この度2期目の当選を果たしたTo議員のところへ、ある人から,図書館についての、質問やら要望やら苦情やらわからない相談があったと、別の議員を介して連絡があってた。館に所蔵していない本を、注文して購入させることができる”リクエスト”という制度がある。その価格の上限が3000円というのは安過ぎるのではないかという話だ。
 数年前までは、確か2500円だった。僕も一度、それで断られたことがある。  
 しかしまぁ、そんな僕の経験談なんかよりも、直接図書館内の人に訊いた方がいい。と思って、今日は、To議員を連れて、図書館長に会いに行った。実のところ、ボクも館長と会うのは2度目だった。  
 単刀直入に、僕からリクエストした場合の価格上限について切り出した。館長の答えは明確だった。限られた予算の中で、より多くの利用者の需要に応えるためには、あまり高額な本の購入は難しいということ。同じような悩みは、他市の公立図書館でも抱えていて、10年以上前に、県立図書館と、青森・八戸の図書館同士で話し合って、当面の目安を3000円と決めたこと、などという説明をしていただいた。そんな中でも、少しずつ改善を図っていきたいという、前向きなお話しもいただいた。
 かつて書籍流通の現場にいて、図書館への納品も手がけていた僕には、館長の立場や気持、購入の難しさもよくわかる。そういった内部の事情を、これからもTo議員始め、図書館行政に関心を持つ議員には伝えていきたい。
 その他にも、図書予算のこと、子どもの読書離れのこと等、図書館を巡る諸問題に話題は及んだ。まだまだ解決しなければならないことが、けっこう残っているように,改めて考えさせられた次第だ。  
 まぁ、あとはTo議員が、どれくらい市民の要請に向き合っていけるかだ。出来れば僕の後継を託したいと考えている。まぁ、本人に嫌だと言われればそれまでだが・・・。(4692)

老兵は死なず 消え去りもせず


 4年前のこと、8年前のこと、12年前のこと・・・を思い出す。 今頃は、当選した市議会議員の間で、会派結成に向けてのやりとりが活溌に行なわれていることと思う。
 ただ、先日も書いたように、元職を除いた新人6人のうち、5人までが政党公認で上がってきた人たちだ。自ずと会派も決まっていることだろう。その意味では、従前と極端に異なった会派再編は、あまり期待出来ないかもしれない。
 今日、久し振りに(?)、3月まで同じ会派を組んでいたTa議員とTo議員に会った。昼食を摂りながら1時間ほど話をすることができた。
 話題の中心は、会派「さくら未来」のことである。僕は、院政をしく気は毛頭無いし、職を辞した身でとやかく言うべきではないことくらい、よく分っている。ただ、僕としては、4年前にTa議員と二人で会派を起ち上げた時の理念は継続して行って欲しいし、できれば名前もそのまま残してもらいたいということを伝えた。
 確かに会派の人数によって、得られるポストは違ってくる。一番大きいのは議長のポスト。それを狙って、人員集めや、合従連衡が行なわれてきた。
 また、議会運営委員会や各常任委員会の構成も、会派の人数に案分して割り当てられる。事務組合議員等、市議会外のポストも、人数の多い会派の方が有利だ。
 だけど、Ta議員には、ポスト欲しさに徒に人数集めをするのは止めて欲しいとも伝えた。やはり、議員として目指す方向や姿勢が一致できる人と活動を共にしてもらいたい。
 勿論、Ta議員には、そういったことは言わずもがなだ。僕が言う前から、よく理解していたようだった。  
 振り返ってみよう。会派「さくら未来」はスタート時は2人、一番小さい会派だった。でも、それなりの存在感は発揮できていたものと自負している。要は、人数の多寡ではない。どんな行動を起すかだと思う。
 別れ際、「また声をかけます。一緒に飲みましょう」と言ってもらった。涙が出るほど有難い。このまま忘れ去られていくんじゃないかと心配もしていた。誘われたら、いつでもお言葉に甘えるようにしよう。
 僕だって僕なりに、今後のことを考えている。決して政治と無縁になるわけではない。弘前のために、問題を投げかけたり提言をしていきたい。そのためにも、彼らとは同志であり続けたいと願っている。
 でも、あまりしゃしゃり出すぎると、邪険にされるかもしれない。「おじいちゃん、まだいたの?」なんて言われないよう、ほどほどに会派の行く末を見守り続けていこう。(6439)

文章教室


 弘前のNHK文化センターは、一昨年、惜しまれながら閉館した。僕も、一つ二つくらいは何かを受講した記憶がある。数年前には、当時の担当者から、僕にも何か講座を受け持ってもらえないかという依頼をいただいたともある。「プロレスのことなら」と返答したら、その後、プツリと話は途絶えた。残念! 一度、プロレス講義をしてみたかった。
 文化都市弘前の教室は無くなってしまったが、青森市ではまだ健在とのことだ。やっぱり人口の差なのだろうか。
 読書人俱楽部会員のKaさんは、長く「暮らしの手帖」誌上に執筆をつづけてこられたエッセイストだ。今は、NHK青森文化センターで「文章教室」という講座を持っておられる。
 そのKaさんが、僕の恩師のSa先生のお話を聞く会を企画して、受講生4名と一緒に弘前読書人俱楽部にきてくださった。このような形でお使いいただけるのは、倶楽部本来の目的に適っているようで有難い。
 僕は、Sa先生の講話もさることながら、「文章教室」というものに興味を惹かれて、俱楽部の当番をTa君と強引に替わってもらった。ひょっとしたら、僕の今後の生きる方法を考える際に、何かのヒントになるかもしれないと思ったからだ。
 そこで、講話の始まる前に、Kaさんに、どんなことをやっているのかを聞いてみた。するとこんな答えが返ってきた。
 「毎回、宿題を出して、生徒さんに短いエッセイを書いてきてもらう。そして、皆の前でそれを朗読させる。読むときに閊える箇所があれば、そこの文章に問題がある。言葉のリズムや流れが悪とか、自分で書いた文も耳から入ってくれば、おかしな点に気づくことも多い・・・」
 なるほど。議会の一般質問でも、自分で書いた原稿を、首を傾げなが閊え閊え読み上げている議員もいる。あれは、誰かに(職員に?)書いてもらっているのではなく、文章に難があったからなのか⁉ どうやら僕はこれまで誤解していたようだ。
 という冗談(?)はともかく、確かに声に出して読むということは大切なことだ。文字を目で読むのと、言葉を耳から聞くのとでは、受ける印象が相当違う。読んでも聞いても美しい文章こそが、名文と呼ばれるものなのかもしれない。そう言えば、以前、「声に出して読みたい日本語」という本が大ベストセラーになっていた。
 そういったことも採り入れながら、文章の書き方や、読み取り方、ひいては読書の面白さを伝えていく教室のようなものをやってみたい。特に子どもたちに本の楽しさを教えたい。
 ・・・でも、これもまたあまり収入にはならなそうだ。(4307)
   
 
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