今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年05月

歩道は誰のもの?


 市民の方から相談を受けた。植栽帯と言うのだろうか。歩道の脇に設けられた、花や木を植えるための一角についてである。
 植栽帯その場所は、写真のように、店舗を塞ぐように長く設置されている。これでは、せっかく駐車スペースがあっても車の乗り入れができない。貸すにしても売るにしても、それが理由になって価格が低くなってしまう。という所有者からの相談だった。
 実は、この話を最初に聞いたのは、今年の2月だった。僕は何事も、まず現場を見るようにしている。その時も、グーグルナビを頼りに車を走らせた。  
 が、今年の豪雪である。当時は、車道から寄せられた雪の山が高々と聳えていて、何が何やらさっぱりわからなかった。その旨は相談者に告げた。
 その後、3月いっぱいで市議会議員を辞職した。だから、もうそれっきりになるのだろうと思っていたら、改めてまた電話がきた。議員ではない僕を、こうして頼ってもらえるというのは、ものすごく嬉しい。僕は、喜び勇んで現地に赴いた。
 とはいえ、僕はもう、なんの立場も力もない。いそいそと市役所に出向いたって、「このおじさん、何しに来たの?」なんて対応をされてもいたしかたない。
 そこで、To議員にも同行を頼んだ。決して、陰で操ろうなんて疚しい心はない。一緒に状況を見て、一緒に話を聞いて、一緒に解決策を探ろうというわけだ。
 話を聞いているうちに、いくつかの疑問が湧いてきた。そもそもこの植栽帯は誰が設置したものなのか? 道路管理者とすれば、歩道に面した地権者の同意を得ているものなのか? 同じような幅員の歩道でも、設置されている路線とそうでない路線があるが、設ける設けないの基準はあるのか? 同じ路線でも、有る場所と無い場所があるが、それは何故か? 雑草が生い茂っているところもあるが、管理は誰が行うべきなのか? 歩道に面した地権者が、木を切ったり、植栽帯自体を勝手に取り除いてもいいものなのか・・・etc
 あーあ、僕が市議会議員だったら、相談者の個人だけの事情でなく、市全体の問題として、そのことを一般質問で採り上げるんだけどなぁ。と、未練がまた心に忍び込んできた。
 まぁいい。取り敢えず、明日To議員と、担当課を訪れてみよう。「このおじさん、何しに来たの?」と思われるんだろうなぁ、きっと。(8226)
 
 

財団法人の悩み


 議員を辞めたからといって、決して”もの凄く”暇になったわけではない。特に今のシーズンは、総会ラッシュだ。 自分のところも含めた町会関係複数、商店街、ペンクラブ等と続いて、今日は一般財団法人津軽厚志会の総会が行なわれた。僕は理事を務めている。  
 この法人のことは、以前にも何度か紹介した。現在は東京にお住まいの津軽家当主に代わって、ご先祖代々の祭祀を執り行ったり、ご廟所の維持管理を行なうことを目的として、明治37年に設立された。来年は120周年という節目の年を迎える。
 現在は、藩粗為信公や歴代藩主の法要を毎年主催し、縁の寺社への祭祀料を毎年奉納している。また久しく途絶えていた高照神社の大祭を復活させたり、新たに歴代藩主正室の法要も行なうようになった。
 その活動原資はというと、設立時に、寄附を受けた基本財産である。これを運用しながら法人の運営をしている。外国債や株式の配当が主な収入となるのだが、これは不確定要素が大きい。実のところ、段々と目減りしていっている。
 弘前公園の堀端にあったコンビニの地代も大きな収入源だった。ところが、この春に閉店してしまった。けっこう流行っているように見えていたし、僕も大家の一人として、スポーツ新聞やミネラルウォーターは、出来るだけそこで買うようにしてきたのだが・・・。
 一方で、津軽家縁の施設の老朽化も進んでいることもあって、修繕費や寄附として出ていく額は、毎年決して少なくは無い。今すぐにどうのこうのという問題ではないが、財政的には見直しをはからなければならない時期にきている。
 そんな時、普通であれば、会員を増やすとか、会費を上げるとかといった議論が出てくるであろう。だけど、厚志会の場合、そう簡単にはいかない。
 そもそも厚志会は財団法人なのである。会員を増やして会費をとることは想定していない。あくまで”人”ではなく、寄附された”財産”が主体なのだ。
 この会の話をすると、「面白そうだ、入りたい」という人がたまにいる。でも、会費制ではない、寄附が必要だというと、そこで話は止まってしまう。寄附だから、こちらから金額を指定することも出来ないし、かといって「赤い羽根募金」のようなわけにもいかない。
 今日の総会でも、そういった話題が出た。なかなか結論が出る話でもない。
 でも、津軽家の遺徳を末代まで語り継ぎ、その祭祀を継続するためにも、早急に解決しなければならない。弘前市が今あるのも、全ては津軽家のお陰なのだから。(3845)
 
 

無駄遣いと言われないために


 3日前のブログで、”無駄遣い”について書いた。「買ったものを使わないほど無駄遣いは無い」と、そんなことを主張した。
 買う時は、何だって、必要だと思うから買うのである。あるいは、今は必要でなくても、いずれ使うだろうと考えて購入する。その時点で”無駄遣い”とは誰も思わない。それを、対価に見合う分、活かしてきっているかどうかが問題なのだ、といった論調だった。
 お恥ずかしい。穴があったら入りたい。僕は、その意味では、とても大きな”無駄遣い”を、長年に亘ってしてきた。
 ”本”である。
 関係している団体の総会シーズンはまだしばらく続くが、議員時代と違って、日中は比較的暇になってきた。そこで先日来、せっせと部屋の片付けをしている。が、なかなか捗らない。整理整頓はもっとも苦手なことのうちの一つなのだ。
 議会で使った資料や会議録などはまだいい。右から左へと縛って物置に運ぶ。 
 「貧すれば鈍する」というか、財布や封筒が出てくれば、現金が入ってないかと、ひととおり中を検める。残念ながら、いまのところ何も出てきていない。
 やっかいなのは本だ。そのうち読むだろうと思って、若い時から買い溜めてきて、表紙すら開いたことのないものが随分とある。”無駄遣い”の最たるものだ。
 宝石例えば、これである。888部の限定出版、3冊組で定価2万7千円。昔からミステリーが好きだったので、当時(まだ20代)からすれば”清水の舞台から飛び降りる”ような決心で、大枚をはたいて購入した。それがほぼ手つかずに本棚の奥にあった。
 今から読むといっても、重いし活字は小さい。寝っ転がって気軽に読めるようなしろものではない。
 他にもあるわあるわ。辞典やら図鑑やら全集やらが出てくる。宮沢りえの「サンタフェ」もあった。(まぁ、これはけっこう読んだ(見た)から無駄遣いではない)
 読んで面白かったので再読しようととっておいた本もかなりある。どちらにせよ、書類を棄てるようにはいかない。せめて読んでからにしなくては・・・。
 そうだ。当り前の話だが”読めば”いいのである。読んだ先から「読書人倶楽部」なり「まわりみち文庫」にでも持っていけばいい。どんなに字が小さかろうが、とにかく読むことだ。そうすれば”無駄遣い”と言われなくても(自分で反省しなくても?)すむ。
 よーし、読むぞ。さっきも言ったように、3ヶ月前までと比べれば、時間の余裕は少しある。次の進路が決まるまで、読書三昧だ。まずは漫画から・・・ん?
 でも、最近は読書力が落ちている。これからも年々、減退していくに違いない。この先あと20年は生きるとして、一体何冊の本を読むことができるんだろう?(3658)
 

ダブルブッキング万歳!


 同じ日の、ほぼ同じ時間帯に、会合予定を重ねてしまうことが時々ある。いわゆる”ダブルブッキング”というやつだ。
 ついうっかり、という場合もある。先約をすっかり忘れていたなんてこともあるだろう。一方で、重なっていることをわかりつつ、予定に入れなければならないことだってある。
 そういう場合は半々でいいから両方に出ろ、というのが青年会議所の先輩の教えだった。その先輩は、3つ重なったら3つ、4つ重なったら4つ、とにかく全部に少しだけでもいいから顔を出せとも言っていた。まだ20代だった僕は、青年会議所ってとんでもないところだなぁと、半ば呆れて聞いていた。
 そして今日、まさしく僕がそうだった。弘前ペンクラブと弘前読書人倶楽部。どちらも主催をする立場の会だ。
 正午に読書人倶楽部を開けた。ちょっと早くNa君に来てもらって、2時からの句会を託してペンクラブに向かった。
 宮崎ペンクラブでは、定時総会の記念講演会を聞いた。講師はM新報社のM文化部長。今年で入社30年になるのだそうだ。
 僕は彼とはその当時から面識がある。商店街のことや書店のことなどを、よく取材に来ていた。
 M新報社の歴史、新米記者時代の思い出、取材に対する意識の変化等から、最後は地方紙の記者としての矜持まで、熱く語っていただいた。ネットで垂れ流される情報とは違い、その地域で産まれ育った人が、実際に地域の現場を見て書いた記事の意義を強調していた。
 講演が終わると、その後に予定されていた総会と懇親会には出ないで、また読書人倶楽部に戻った。16時からブックトークがあるからだ。
 小石川こちらの講師は、弘前市文化財課のKoさんにお願いした。このブログでも再三紹介してきた高照神社についての話題だ。
 神社の歴史や、そこに祀られている弘前藩4代藩主信政公の治世や人柄について、お話しいただいた。僕は、知ったふりをしてこのブログに神社のことを色々書いてきたが、実はそんなに詳しいわけではない。今日、初めて聞いたこともたくさんあった。特に、中興の祖とも言われている信政公の、幕府における評価は意外に低いという件は面白かった。
 最後は、高照神社の現状を、写真つきの資料で説明をいただいた。今日のブックトークに参加した人たちは、おそらく神社の危機的状況をよく理解してくれたものと思う。
 と、ダブルブッキングのお陰で、興味深い講話を二題も聴くことができた。今さらながら青年会議所の先輩の教えに感じ入った次第だ。(4055)
 

11年目の初体験


 弘前ペンクラブが、「太宰治まなび家」の指定管理をするようになったのは、平成25年からである。僕は、その当初から、深く係わってきた。
 いや、もっと詳しく言えば、さらに数年前から、いささか関係をしていた。まだペンクラブに入会する以前の話だ。
 ある日、「弘前縁の文学者の足跡に、もっと脚光を浴びせさせることができないものだろうか」と,相談を受けた。「それだったら、その旨の請願書を出して下さい」と僕は受けた。
 当時は、議員になって1期目だったと思う。無所属だった。そんな中でも、先輩議員の間を回って趣旨を説明し、その請願を採択していただいた。それがそもそもの始まりだった。  
 その請願が最も早く生きたのは、「太宰治まなびの家」だった。それまでは市の直営で、制服を着た警備員の叔父さんが常駐していただけだったのだが、指定管理者制度を導入して、もっと活用しよういうことになった。言い出しっぺでもある弘前ペンクラブが、その指定を受けた。
 以来、僕も、ペンクラブ役員として、準備やら管理やら市との窓口として、お手伝いをしてきた。毎月の指定管理事業実行委員会も含めれば、もう200回近くは足を運んでいるだろう。県外からお客様が来れば、必ず案内するようにもしている。
 ところがである。指定管理を初めてからでも11年。11年目にして初めて、午前10時の開館から午後4時の閉館まで、店番(?)をした。来館者への対応をしたのだ。
 まなびの家は、基本的には、3人の常駐解説員がローテーションを組んで、出勤するようにしている。一応は曜日毎に当番が決まっているが、もし誰かが都合が悪くなれば、その3人の中で調整することになっていた。
 それが今回、土曜日担当のKa君が、どうしても休まなければならないという。他のスタッフに当たってみたが、やはり調整がつかない。そこで僕の出番となった次第だ。何せ、4月以来、暇になったのだ。
 鍵の開け方・閉め方、毎日のルーティーン、来客への対応等々、昨日のうちにレクチュアは受けておいた。朝一番で、解説マニュアルにも目を通した。無事、大過なく一日の仕事をこなせたものと思う。
 ただ、思った以上に疲れた。考えてみれば、一日中働いたのは、選挙以降、投票立会人の時以来のような気がする。あれは基本的に座っているだけなので、気疲れはしても肉体の疲労は少ない。
 階段一方”まなびの家”には、このような階段がある。大正時代の建物なので、勾配は急だし、一段一段の段差は高い。この階段の上に、太宰が実際に下宿していた部屋が保存されている。だからお客様が来る度に、解説をするために上り下りをしなければならない。今日一日で一体何往復したことだろう。
 たったそれだけで、と言われればその通りだ。でも、日頃運動らしい運動など極力避けている前期高齢者には、いい足のトレーニングになったような気がする。
 それにしても、常駐スタッフの皆さんは、普段からこういう過酷な仕事をされていたんだ。改めて感謝。今度行くときは、栄養ドリンクでも差し入れすることにしよう。(3912)
 
 
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