今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年10月

黒猫の涙


 今日は、議員時代の会派仲間、Ta君、Toさんとのランチミーティング。昼食をともにしながら、姿勢の課題等について情報交換を行なった。若い彼らにしてみれば、独居老人への慰問のようなものかもしれないが、お付き合いをいただいてとても嬉しかった。 
 席上、僕は保護猫活動のことについて、理解と協力を求めた。充分に理解をしてもらったと思っている。
 この問題の捉え方としては、野良猫が増え続けることで生じる、糞尿の放置や鳴き声による騒音問題等、市民生活環境といった視点だけでなく、高齢者が施設入所や長期入院等で飼えなくなった猫の引き取り先等、福祉分野での視点もある。また小さな命を大切にするという、教育的な視点だって内在していると僕は考えている。
 猫そんな話をしたあと、昨日、家の敷地内に迷い込んできた子猫の件で、依頼を受けた友人宅の家に向かった。生まれて数ヶ月も経っていないくらいの、小さな小さな黒猫だ。まだ怖い物知らずなのか、とても人慣れしている。
 彼は言う。こんな小さな子猫が、人恋しそうに近寄ってきた。朝夕めっきりと冷え込む中、外に出したままにしておくのは余りに可哀想だと思い、玄関の風除室にいれて一晩おいておいた。でも事情があって自宅で飼うわけにもいかず、県の愛護センターや警察、猫カフェ等に電話をしたが、どうもしっくりとこない。そこで、僕にも声をかけてくれたのだそうだ。
 話しているうちに、彼の目から涙がこぼれ落ちた。飼ってあげたいけど飼うことができない。そういう場合、子猫が外で震えているのをみつけても、見て見ぬふりをするのが正しい行ないなのか? 猫にとって、たとえ過酷であろうとも、広々とした外で伸び伸びと暮らすことが幸せなのか、狭く閉ざされた暖かい室内で、天敵や自動車事故の心配も無く、餌付き昼寝つきで暮らす方が幸せなのか? そんなことを自問自答しているうちに、込み上げてくるものがあったのだろう。僕まで目頭が熱くなってしまった。
 そういう話を聞けば、益々、保護猫活動の重要性を自覚せざるをえない。かといって、保護した猫の世話一切を個人負担で賄っている現状では、無制限・無条件に預かることも、勿論不可能だ。彼の苦悩は、イコール保護猫活動家にとっても大いなる悩みの源なのである。
 とりあえず彼には、もうしばらく面倒をみてもらうことにして、引き取ってくれる人を探している。このブログの読者の皆さんの中で、我はと思う方がいたら、imaizumi_office@yahoo.co.jpまでご連絡をいただきたい。
 あまり長く手元に置くと、情が移ってしまう。彼をさらに悩ませることになる。そうなる前に、引き取り手が現れることを期待したい。(8338)
 

 
 
 

黒でも白でも

 
 先週末は大きなイベントが続いた。もう一度振り返ってみよう。
 まず土曜日だが、ブログに書いた鎌田慧さんの講演会以外にも、別の勉強会に参加をしてきた。津軽健康大学という、弘前市医師会主催の催しだ。
 講師を務めた、県薬剤師協会会長の白滝先生とは、2ヶ月くらい前に、ある会合でご一緒させていただいた。その時に、この勉強会のチラシを渡された。僕は美人からのお誘いにはとんと弱いもので、いそいそと出かけてきた次第だ。
 そして鎌田さんの講演会。僕は主催者ではないのだが、以前からの約束で本の販売のお手伝いをさせていただいた。
 日曜日は、昨日のブログにも書いたように、牧阿佐美バレー団の公演。こちらの方は、主催者側のすたスタッフとしてお客様係を担当してきた。
 髪実は、数日前に事務方から、バレーの公演のスタッフは原則スーツ着用のことと指示があった。その時に、できれば髪も染めた方がいいという注文もつけられた。
 せっかくロマンスグレー(?)も板についてきたところなのにぃと、一瞬戸惑いと抵抗も感じたが、イベント続きで人前に出る機会も多いのだからと、思い切って土曜日の午前中に染めに行ってきたのだ。散髪はせず、染だけで5000円もとられた。
 それなのに、バレー公演のスタッフ仲間は、しばらく、僕の髪の変化に気が付かなかったみたいだ。イベントが終わる頃になって、ようやく一人が「昌ちゃん髪を染めた?」と言い出して、ひとしきりその話題になったが、それもほんの束の間だった。せっかく清水の舞台から飛び降りたのに、誰も見てくれていなかったような寂しさを覚えた。
 今日も、保護猫の依頼で1件、津軽厚志会の所用で1件、人と会ってきた。どちらも、僕が髪を染めなくなってからも何度かお会いしている人だ。なのに、誰も、「おっ、又染めたんだね」なんてことは言わなかった。
 夜は、あるご婦人と会食をしてきた。日頃から「人は中身よりも髪形」と言っていた女性だ。そんな彼女も、僕の髪のことには一言も触れなかった。。
 うーん、要は、僕の髪の色なんて、他人にとってはどうでもいいことなのか。染めようか染めまいか、あれこれ悩んで損なことをした。だったらいっそのこと金髪にしてみても、誰も驚かないのかもしれない。(10199)

憧れるのはやめましょう 


 一般社団法人 弘前芸術鑑賞会が企画した,牧阿佐美バレー団「ドンキホーテ」の公演が行なわれた。僕も主催者側の一員としてお手伝いをしてきた。
 今回のバレー公演の主役は、青森市出身の大川航矢さんであった。彼は、国際的なバレーコンクールで、数々の賞をとってきた、現在日本バレー界の第一人者だ。
 バレー加えて、地元のバレー教室に通う子どもたちにも舞台にあがってプロのバレーダンサーと一緒に踊っていただいた。当然、親御さん達も、大勢会場におしかけた。そんなこともあってか、キャパシティー1300人を誇る弘前市民会館大ホールは、写真の通り、ほとんど空席を見つけられないくらいの、たくさんのお客様で埋まった。
 この会場が、これほどの満席になるのは珍しい。大学の卒業式とか、市主催の成人式とか、公的な催し者ではなく、民間の芸能催事では、僕は今まで見た中で、最も多かったのではないかとさえ思っている。
 来てくれたお客様の満足度も半端ではなかった。お帰りの際に、「素晴らしい公演、有り難う」といった声を、直接かけていただいた。開演前に「一万円でこんな後の席か」とぼやいていたお客様からも、公演終了後には、「(入場料)1万円では安いくらいだ」と言っていただいた。
 それやこれやで、今回の企画は大成功だったと思う。改めて皆様にも御礼申し上げる次第だ。
 弘前芸術鑑賞会は、これまでもたくさんの企画を実施してきている。昨年は、弘前では数十年ぶりととなる文楽を弘前に誘致した。それ以前には、まだ真打ちに伯山になる直前の講談師神田松之丞や、当代きっての人気落語家立川志らくの高座を、弘前で開催したこともある。変わったところでは、テレビ番組「プレバト」等でおなじみの俳人の夏井いつき先生をお招きした「句会ライブ」も、弘前文化センターで実現させた。
 僕も少なからず係わっているので、手前味噌になるようで口はばったいのだが、このように弘前の地元の団体でも、なかなか弘前では観られないような舞台芸術を招致してこれるよう頑張っているところもある。しかも、そのジャンルの幅は広い。
 一方、弘前市は,弘前市民会館の指定管理者選定にあたって、一流の公演を呼んでこられるという理由から、中央の大企業に委託する道を選んだ。そこに至る過程には疑念も残る。どうしても従来の指定管理事業者にはやらせたくないという、市長の政治的な思惑も見え隠れしているが、ここはそれには触れまい。
 ただ、実際に、弘前の事業者でも、今日のように、多くの市民を感動させ得る催しを実現できるのである。中央資本の大企業でなければできないというわけでは決してない。
 いやむしろ、今年の4月から生きがい中央資本に指定管理者が変わったが、何か、弘前市民の文化芸術振興に寄与する催しを行なったのであろうか。寡聞にして僕にはそのような情報が伝わってきていない。
 「メジャーリーグに憧れるのはやめましょう。憧れているだけでは超えられない」 大谷翔平がWBC決勝を前に日本チームを鼓舞していった言葉である。今年、最も心に残った一つだ、おそらく年末の流行度大賞にも選ばれるに違いない。
 それを敢えて引用しよう。弘前市の文化行政にも言える。中央の大企業に憧れるのをいい加減やめたらどうか。地元の中小事業者団体でも、しっかりと文化芸術振興は出来る。また四年後には、指定管理者の更新となるが、こうした地元事業者の実績をしっかりと見ていただいた上で、公平な評価をしていただきたいものだと、今から訴えておきたい。(11510)
 
  

長生きの秘訣


 鎌田9月26日のブログでも紹介したように、今日は、鎌田慧さんの講演会が行なわれた。勿論、僕も聴きに行った。それどころか、本やDVDの販売のお手伝いもしてきた。最新刊ということもあって、飛ぶように売れた。講演開始前に完売した。こういうことは珍しい。
 鎌田さんは、大江健三郎や坂本龍一などと共に「さよなら原発」運動を推奨した一人だ。実際に、各地で反原発デモに参加したり講演活動を行なって、原発に危険性を訴え続けている。
 1938年弘前市生まれ、高校の大先輩にあたる。御年、実に85歳。それでも実にお元気だ。会場に到着するなり、休む間もなくすぐサイン会を始めた。終わったあともサイン。懇親会での姿勢も、背筋がピンと伸びて矍鑠としていた。
 僕も、あのように歳をとりたいものだ。身体の健康もさるこおとながら、頭と心の健康寿命も伸ばしたい。一体その秘訣は何なんだろうと考えた。
 先ず第一に、文筆業という、物事を考え、原稿を執筆する仕事だからかなと考えた。澤地久枝にしても瀬戸内寂聴にしても、皆長生きだ。
 加えて、鎌田さんの場合、実際に足を使って調査をしながら作品を創り上げていっている。決して、頭の中だけの想像の産物ではない。
 最近、鎌田さんの「橋の上の殺意」という本を読んだ。秋田県二ツ井で起こった、母親による長女殺害事件を扱ったルポだ。隣の県での出来事ということもあって、当時は随分と話題になった。僕もあれこれ推理を巡らせていたりした。
 この作品を書くにあたっても、鎌田さんは、何度も事件(事故?)の現場に足を運び、周辺の住民や関係者の声を実際に聴取している。傍聴券を入手する長い列にも並び、出来る限り裁判をその目で見るように努めた様子が作品の中に出てくる。決して、伝聞や新聞記事や裁判記録だけで書いているわけではない。だからこそ、閉鎖的な社会における人間関係構築の難しさ、警察・検察の取り調べの矛盾、裁判のあり方等、鎌田さんが訴えたかった事件の闇が、行間から棘のように浮かび上がってくるのだと思う。
 そんな僕の拙い読後感はどうでもいい。要は、歩く、見る、聴く、調べる、そして書くといった一連の作業が、頭と身体と心の健康維持に働き、長生きする要因になっていうのではないかと思った次第だ。
 このブログだって、机上の空論だけではなく、実際体験したことや、足を使って調べたことを書き続けていれば、僕も長生きできるのかもしれない。そのように心掛けたいものだと思う。(4408)
 



 

冬が来る前に


 2日前の朝のことである。スマホの受信音が鳴った。見知らぬ番号からである。これが、090・・・とか、0120・・・とかから始まる番号からであれば取らないのだが、 0172・・・と表示されている。思わず、受信キーを押した。
 「今泉さんですか? 私〇〇と申します」と言われても、正直言ってピンと来なかったのだが、議員時代の癖で「あっ、いつもお世話になっております」と答えてしまった。まぁ、それは今日の本題ではない。
 用件は猫のことだった。「2~3日前から庭に猫が居着いてしまった。人慣れしていてとても可愛い。時折、窓の外から部屋の中をじっと見ている。家の中に入れてあげたいが、室内で既に犬を飼っているし、自分ももう高齢なので、面倒をみてあげることができない。庭に箱をおいてベッド代わりにしているが、これから段々と寒くなってくればそれでは可哀想だ。冬が来る前に、何とか保護してくれる人を探しているんだけど・・・」
 僕自身が保護できればいいのだが、我が家には既に6匹の猫がいて、スペース的にも僕の能力的にも、キャパシティーを超えている。二つ返事にOKとは言えない。すぐに、保護猫仲間の一人に電話をかけて、その猫を連れて行く了解を得た。
 そして今日、その猫を引き取りに行ってきた。野良猫だとなかなか人に懐かない。近寄ってこない。そこでキャリーバッグの他に、以前のブログにも書いた捕獲箱も持っていった。餌をおとりに捕まえる罠のようなものだ。
 ところが、そのお宅に到着すると、その猫はなんと家の人に抱っこされて出てきた。我が家の猫たちは2年近くなるのにまだ撫でさせてもらえないというのに、随分と人慣れしている。ひょっとしたら、野良猫ではなく、どこかの飼い猫が逃げてきたのかもしれない。  
 が、そんな詮索もしていられない。丁重にお預かりして、保護猫活動家のところへ連れて行った。  
 実は、今週は、もう一匹、猫を引き取りに行っている。やはり、「庭に来た猫が居着いてしまって、冬が来る前にどうにかしたい」というご依頼だった。
 そうなのである。猫好きにとっては、寒い冬に猫が外で凍えているのを見るのは忍びないのだ。僕が家の中に親猫と子猫5匹を招きいれたのも、そういう動機だった。
 でも、受け入れる側、保護する側にも事情と限界がある。今回はたまたま受け入れ先に2匹分の余裕があったからよかったものの、これ以上となれば無理だと言われてきた。
 だからもし、またそういった相談や依頼があっても、ご期待に添えない場合もこれからは出てくるかもしれない。僕としても胸が痛む次第だ。
 早く、行き場を失った猫たちの住む家が欲しい。これが今の夢でもある。この冬は、年末ジャンボ宝くじを買ってみよう。(4890)
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