今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2023年11月

東京へはもう何度もいきましたね 


 東京に来ている。大学時代の友人たちの集いに出てきた。学部も出身高校もまちまちだ。でも、卒業してもう45年も経つのに、こうして遠方に住む僕にまで声をかけてくれる。会えばすぐにあの頃に戻れる。友達というのは何とありがたいものと、つくづく思う。その安心感のせいか、今日はいつになく酔ってしまった。友達に介抱されながらホテルに戻ってきた。
 ところで、今回の上京には、二つの”初”があった。
 一つは、今年初めての東京だったこと。厳密に言えば、まだ議員だった1月に、会派の視察で取手市を訪ねた。その折りに、新幹線から常磐線への乗り換えのため東京駅で下車した。と言う程度だから、これはカウントしない。だから今回が初めての上京ということになる。
 二つ目は、生まれて初めて「大人の休日倶楽部パス」なるものを使った。JR東日本4日間乗り放題で15270円。今の僕にとっては決して簡単な出費ではないが、通常の新幹線料金の半分以下だ。これは使わない手はない。
 実は、かなり前から「大人の休日倶楽部」には入っていた。50歳から入れる”ミドル”というやつだ。普段でも5%割引で乗車できる。
 でも、議員時代は、「大人の休日倶楽部パス」の利用期間と、自分のスケジュールが合うことはなかった。例えば今回でも、パスの利用期間は11月30日から12月12日までなのだが、ちょうど12月議会が開会中だ。まだ議員を続けていれば、今日だって上京できなかったのだ。
 議員を辞めたのを契機に、「大人の休日倶楽部」のミドル会員からジパング会員にチェンジした。いつでも30%引きでJRに乗ることができる。まぁ、収入も乏しいことから、そう何度も使うこともないだろうが、せいぜい余裕のあるときには、旅でもして心をリフレッシュさせたいものだと思う。
 さて、今日のタイトル「東京へはもう何度もいきましたね」は、マイペースの「東京」という歌の中の歌詞だ。東京で暮らす彼女のところへ何度も行った・・・てな意味なんだろうが、詞も曲も暗い。女々しい。東京へ憧れる田舎丸出しの若者の歌といった感じだ。
 この歌がヒットした昭和49年はまさに、僕が東京で暮らし始めた年だ。今みたいに、新幹線で数時間もあれば着いてしまうような距離でもなく、インターネットで情報が即時に流れてくるような時代でもなく、当時は、東京への憧れは、今とは比べようもなく大きかったんだろうと思う。
 昭和30年40年代の若者にとって、東京はまさに ♬ 楽し都 恋の都 夢のパラダイスよ 花の東京♬(「東京ラプソディー」より)だったのだ。(8403)

保護猫カレンダー


 カレンダー今年起ち上げた弘前保護猫活動連絡協議会(保護猫の会)が企画した「保護猫カレンダー」が、ようやく完成した。
 表紙から12月まで計13枚の写真は、ペットショップで売っているような血統書付きの猫ではなく、どれも会員の家で保護している猫や近所の野良猫のものばかりだ。けなげに生きているその姿が、とても愛くるしい(自画自賛)。我が家の猫も掲載されている。
 カレンダーを売り出すには、ちょっと時期が遅くなった。なかなか写真が集らなかったのだ。できれば、たくさんの会員の猫を載せてあげたいと思って、ギリギリまで待った結果だ。
 これを近日中に販売する。一部500円(税別)。打ち上げの一部、というより粗利益の全部は、保護猫活動のために使わせていただく。”僕”をではなく、”猫”を助けると思って、是非お買い求めいただきたい。
 保護猫の会は、会員同士の横の繋がりを緊密にし、相互に助け合うことを目的としている。同時に、個人個人では難しい課題も、会という形である程度以上の人数が集れば解決の道が拓けるという思いで始めた会だ。
 この5月以降、県の動物愛護センターの職員に来てもらっての研修会や、会員の情報交換会を行なってきた。市との意見交換会にも出席した。ここ数ヶ月は、ペットショップさんのご協力を得て、いわゆる薬で言えば”ジェネリック薬品”に相当するような餌やおやつを、会員に格安で提供するという事業も行なっている。
 順調に会員も増えてきた。保護猫を飼っていなくても協力したいという人も現れている。出来ることからコツコツと進めていこうというのが会の方針だ。
 いよいよ来年のゴールデンウィークのあたりには、本格的な譲渡会を開催したいと考えている。できれば市のI%システム補助金を使えればと思い申請する予定だ。
 ゆくゆくは、避妊・去勢手術への助成や、行政の積極的な係わりを求めていきたいと考えている。更にその先には、札幌にできたという動物愛護センター(愛称;あいまる)のような施設ができることを理想として掲げていきたいと考えている。
 そういった活動に要する資金調達の一つとして、このカレンダーを企画した。重ね重ね、このブログの読者の皆様にも、ご協力を、平にお願いする次第である。
 ご希望の方は、取り敢えずは、僕のメールアドレスをご存じの方はそちらに、Lineで繋がっている人はLineで、Facebookには弘前保護猫活動連絡協議会(保護猫の会)のページを起ち上げたので、そちらのコメント欄ででも、ご注文をいただければと思う。販売方法は、これから更に検討改善していきたい。
 ウサギ年だった今年も残すところあと1ヶ月。来年の干支は辰(龍)に変わる。が、僕にとっては、今年も来年も猫年になりそうだ。(6461)

落葉が雪に


 今朝のM新報の一面。五所川原市の駅前活性化の記事が大きく報じられていた。市も商工会議所も一体となって取り組んでいくらしい。
 このブログでも何度も書いてきたが、青森市も再開発が進んでいるし、八戸でも旧ファッションビルの跡地に開発の計画があると聞こえてきている。何か、弘前だけが取り残されていくようで不安だ。
 今日、議員を辞めてから初めて、弘前商工会議所を訪ねた。目的は全くの別件だったが、僕が行けば、当然中心商店街の話になる。今行なっている、下土手町のまちづくり委員会のことなどを報告しながら、現状や課題について話し合った。まちづくり計画を検討する際には、早い段階から市役所も参画させた方がいいですよ、とアドバイスをいただいた。その時には、商工会議所にも協力をお願いした。
 と、そんな話の合間に、「今泉さん、今、どうしているんですか?」と尋ねられた。ここ数ヶ月間、よく訊かれる質問だ。が、実はこれがなかなかの難問だ。
 取り敢えず、「議員としての公務が無くなった以外は、前とそう変わりませんよ」と答えた。実際に、町会町・読書人倶楽部・ペンクラブ・厚志会等々、従前からの仕事は残っている。それに、半年前から、保護猫の会が加わった。
 とはいえ、議員という立場が一つなくなっただけで、時間的なゆとりは相当できるはずだ。だから昨日も映画を観に行くことができた。
 一方で、何をやっているかわからないうちに、一日を終えてしまうことも多い。例えば今日を振り返ると、午前中は先述の通り商工会議所へ。その足で弘前芸術鑑賞会に向い、昼食後は厚志会の打ち合わせで理事長のお店を訪問。
 一旦家に帰ってから、今度は車で、読書人倶楽部経由で長勝寺へ。土曜日に開催する津軽家歴代藩主正室法要の打ち合わせだ。それが終わると太宰治まなびの家へ寄って今月の出勤簿を回収。  
 次に、法要に使う御弁当の手配のために駅前のAホテルへ行き、その後で保護猫活動家の家まで、預かった餌を届けに行く。最後は相談事があるという知人と会って、ようやく一日の仕事(?)を終えた。
 日中の雨は夜から雪に変わるらしい。本格的な冬の到来か。
 落葉午後に訪ねた長勝寺で、こんな風景に出会った。敷き詰められた真っ赤な落葉も、今夜からの雪に埋れてしまうのだろう。と思うと、布施明の名曲「落葉が雪に」が頭に浮かんだ。
 この曲のラストを聴いてもらいたい。♬どうして僕はここにいるんだろう♬ そう、一体僕は、どうしてここにいるんだろう? 一体僕って何なんだろう? と自分で自分に問い直す。そんな日々が続いている。
 まぁ、暇を持て余して忘れ去られるよりはずーっといいだろうけどね。(4726)

ゴジラ


 議員時代は、いくつかの市民グループの自主上映会に行くことはあっても、映画館で映画を観ることなんて数えるほどしかなかった。16年間で3~4回もあったらいい方だろう。
 別に気にしなければいいのだろうが、「あいつは議員のくせに、昼間っから映画を観てる」 なんて陰口を叩く輩が必ずいるものだ。そういう了見の狭い人間を相手にするのも面倒臭かったからだ。
 それに、実際に時間が無かった。けっこう(かなり?)忙しかったし、たまたま空いた時間と観たい映画とのタイミングが合わなかったこともある。。
 それが、市議会議員を辞職し、県議階議員選挙の後始末を終てからのわずか7ヶ月くらいの間に、今日でもう3回目の映画鑑賞だ。人目を気にすることもなくなったし、時間の制約も、以前に比べれば相当少なくなった。あらゆる箍が外れたみたいだ。  
 ゴジラ今日観てきたのは「ゴジラ -1.0」。テレビのCMで知ってから、ずーっと観たいと思っていた。
 元来が、怪獣映画ファンだったのである。子どもの頃から、東宝の「ゴジラシリーズ」や大映の「ガメラシリーズ」、日活の「ガッパ」などを友達と観に行っていた。テレビでは「ウルトラマン」や「マグマ大使」。「仮面ライダー」は、勿論毎週視ていたが、ライダーも相手も等身大だったので、それほどの思い入れはない。
 とにかく巨大な怪獣の闘いが好きだったのである。プロレス好きと相通じるものがあるのかもしれない。
 大人になってからも、「ジュラシックパーク」や「ジョーズ」「キングコング」等、やはり巨大生物パニック映画はよく観ていた。B級映画ではあるが、「トレマーズ」という巨大なミミズがでてくる映画は、録画して何度も繰り返し観た。
 何が面白いって、ウルトラマンやマグマ大使は別にして、巨大な生物に立ち向かい最後は撃退する、人間の叡智と勇気に惹かれるのである。例えばジョーズの最後は、開いた口に酸素ボンベを咥えさせ、それを銃で撃って爆破させるというものだったと記憶している。
 叡智というほどのものではないかもしれないが、決して偶然や自滅、あるいは魔術などではなく、人間が人間のできることの範囲で、困難に打ち勝っていくという展開が大好きなのだ。
 そういった点では、映画はなく漫画だが、手塚治虫の「ゲルニカ」が秀逸だった。巨大化したナメクジが東京を襲う。銃撃も砲撃も効かない。そこへ鉄腕アトムが大きな袋を持って飛んでくる。その袋の中身を空中からばらまくと、怪物は苦しみだしやがて死滅する。袋の中身は、なんと塩だった。という物語だ。ね、なかなかよく出来てるでしょ。 (この中に収録されています)
 さて、今日の映画のゴジラ撃退法だが・・・いや、まだ観ていない人もいるだろうから、ネタばらしになってはいけない。でも、これだけは言える。必死で生きようとした終戦後の日本人の姿がよく描かれていて、ラストシーンでは思わず目頭が熱くなってしまった。(4209)

 

にゃんことの再会


 先月から今月にかけて、依頼を受けて、3匹の猫の保護に携わった。いずれも、自宅の庭(駐車場)に猫が居ついているが、事情があって家では飼えない。でも寒くなる前に何とかしてあげたい。というパターンであった。
 先日、そのうちの一人から、保護をしてもらった猫に会いたいという依頼を人づてにあった。世話をしてもらっているMさんに問い合わせたところ、いつでもどうぞということだったので、今日、一緒に面会に行ってきた。
 いわば、里子に出した我が子に会いにいきたいという心情なのだろうか。その気持ちは、僕にもよくわかる。
 もう20年も前の話だ。当時、我が家では、津軽富士見湖付近に捨てられていた仔犬を連れてきて飼育していた。
 家に来てから一年以上経った頃だろうか、我が家の犬が子どもを産んだ。一匹が死産で、あとの4匹は元気に育った。が、我が家でもそう何匹も飼うわけにはいかない。あれこれ伝手を使って貰い手を探したところ、あっという間に行き先が決まった。(中で、一番小さかった一匹がキャンセルになり帰ってきて、その子は息を引き取るまで我が家で面倒をみた)
 でも、貰われて行ってからも、やっぱり気になる。ある日、僕と娘は、貰い主には内緒で、一番元気だった雄犬の様子を見にいった。
 いたいた。新しい家の庭先に、その子は繋がれていた。塀の外から声をかけると、最初はきょとんとしていたが、すぐに思い出してくれたのか、尻尾をペコペコと振って懐かしそうな鳴き声を上げた。僕と娘は、感激して泣きながら家に帰って来た。
 さて、今日の依頼主さんも、同じような心境だったのだろう。期待と不安を同時に抱えながら、Mさんの猫ハウスの玄関をくぐった。ここには常時40匹前後の保護された猫たちが暮らしている。
 お目当ての猫は、すぐに見つかった。というよりMさんは、どこに誰がいるのか、全て把握しているのだ。
 ひな最初は、その猫も警戒してか、なかなかベッドの下から出て来なかった。が、名前を呼んでいるうちに、徐々に警戒も解け近づいてきた。
 依頼主さんは、一ヶ月半前まで自分の庭にいた猫が、元気に暮らしているのを見て安心したようだ。お嬢さんはご覧の通り抱っこが出来て嬉しそうだった。猫も舌を出してご満悦のようだ。
 こうして、依頼主さんたちには身を委ねるのに、僕が手を差し伸べると逃げていってしまう。やっぱり猫も、かつて可愛がってもらった人のことを憶えているのだろう。
 人も猫も(?)喜んでくれると、僕まで幸せな気分になってくる。これが保護猫活動の醍醐味なのかもしれない。(4284)
 
 
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