江戸時代から明治時代にかけて、庶民の娯楽の場と言えば、芝居小屋と寄席であった。特に寄席は、芝居小屋のような舞台装置を必要としない手軽さから、落語・講談・娘義太夫等々、多彩な演芸がかけられ、多くの庶民に親しまれていた。明治末には、東京及びその周辺だけで140を超す寄席が点在したという。
弘前にも寄席はあった。土手町の蓬莱亭、鍛治町の川留亭、和徳の米山亭などである。
それが、大正時代に入ると、活動写真(映画)に娯楽の主役の座を奪われ、どんどんと数を減らしていった。東京では、現在、定席と呼ばれる寄席はわずかに4軒のみ。勿論、弘前には1軒も残っていない。
その寄席を、弘前で復活させようというプロジェクトが始まった。弘前の中心市街地にあるかだれ横丁のホールを改装して、落語や演芸だけではなく、映画や芝居、講演や発表会等、市民が多目的に利用できる場所として生まれ変らせようという試みだ。
「ホールだったら、市民会館もあるし文化センターもあるじゃないか 」という人もいるかもしれない。でも考えてみてほしい。市民会館のキャパは約1300人、文化センターで約550人。そこを満席にするのは決して楽なことではない。会場を借りて何か催しを行なおうとすれば、相応の覚悟が必要だ。僕も今まで、映画の自主上映会に何度も参画してきた経験があるが、文化センターの半分も埋めるのだって難しいのが現実だ。
そうではなく、小規模であっても、もっと気軽に演芸や舞台芸術を楽しめる場所、ついでにそこで飲食もできる場所望む声はけっこう聞こえてきている。
勿論、寄席と言うからには、落語は定期的に行なう。前座・二つ目・真打ち、あるいは色物さんも含めた本格的な高座だ。
その他にも、最近活発になっている市民劇団の上演や、音楽イベントにも活用できるような設備も完備する。また、観光客用に、津軽三味線の演奏会といった催しも企画されている。
あちらこちらで散々言ってきているように、弘前の誇りとか魅力というものは、その文化度の高さにあると僕は思っている。県内の他のどの市町村にも勝るもの、それは多様な文化が混在し活発に活動を行なっている弘前の風土であると確信している。だから僕は、選挙の度に、公約に「文化都市弘前」という言葉を使ってきた。
その意味でも、この度の小さな寄席の誕生は、弘前の弘前らしさを引き出す大きな牽引力になるだろうと考える。なんとか実現させ成功させたい。
今日は、このプロジェクトの打ち合わせが行なわれた。当面は資金集めだ。明日から協賛を募って企業周りをする。いや、企業には限らない。個人でも関心のある方や趣旨に賛同して下さる方は、是非ご一報下さい。(8455)