今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年01月

寄席の復活


 江戸時代から明治時代にかけて、庶民の娯楽の場と言えば、芝居小屋と寄席であった。特に寄席は、芝居小屋のような舞台装置を必要としない手軽さから、落語・講談・娘義太夫等々、多彩な演芸がかけられ、多くの庶民に親しまれていた。明治末には、東京及びその周辺だけで140を超す寄席が点在したという。
 弘前にも寄席はあった。土手町の蓬莱亭、鍛治町の川留亭、和徳の米山亭などである。
 それが、大正時代に入ると、活動写真(映画)に娯楽の主役の座を奪われ、どんどんと数を減らしていった。東京では、現在、定席と呼ばれる寄席はわずかに4軒のみ。勿論、弘前には1軒も残っていない。
 その寄席を、弘前で復活させようというプロジェクトが始まった。弘前の中心市街地にあるかだれ横丁のホールを改装して、落語や演芸だけではなく、映画や芝居、講演や発表会等、市民が多目的に利用できる場所として生まれ変らせようという試みだ。
 「ホールだったら、市民会館もあるし文化センターもあるじゃないか 」という人もいるかもしれない。でも考えてみてほしい。市民会館のキャパは約1300人、文化センターで約550人。そこを満席にするのは決して楽なことではない。会場を借りて何か催しを行なおうとすれば、相応の覚悟が必要だ。僕も今まで、映画の自主上映会に何度も参画してきた経験があるが、文化センターの半分も埋めるのだって難しいのが現実だ。
 そうではなく、小規模であっても、もっと気軽に演芸や舞台芸術を楽しめる場所、ついでにそこで飲食もできる場所望む声はけっこう聞こえてきている。
 勿論、寄席と言うからには、落語は定期的に行なう。前座・二つ目・真打ち、あるいは色物さんも含めた本格的な高座だ。
 その他にも、最近活発になっている市民劇団の上演や、音楽イベントにも活用できるような設備も完備する。また、観光客用に、津軽三味線の演奏会といった催しも企画されている。
 あちらこちらで散々言ってきているように、弘前の誇りとか魅力というものは、その文化度の高さにあると僕は思っている。県内の他のどの市町村にも勝るもの、それは多様な文化が混在し活発に活動を行なっている弘前の風土であると確信している。だから僕は、選挙の度に、公約に「文化都市弘前」という言葉を使ってきた。
 その意味でも、この度の小さな寄席の誕生は、弘前の弘前らしさを引き出す大きな牽引力になるだろうと考える。なんとか実現させ成功させたい。
 今日は、このプロジェクトの打ち合わせが行なわれた。当面は資金集めだ。明日から協賛を募って企業周りをする。いや、企業には限らない。個人でも関心のある方や趣旨に賛同して下さる方は、是非ご一報下さい。(8455)

奇跡の猫

弘前
 先日も予告(?)していたように、「月刊ひろさき」の2月号巻頭に、僕の拙文が掲載された。ジュンク堂閉店への思いである。
 これまでもこのブログに書いてきたことや、マスコミからのインタビューに答えてきたことを、僅か600字程度にまとめただけのものである。目新しいことは書いていない。それでも、もし機会があったら、是非読んでみていただきたい。
 さて、ジュンク堂と言えば、昨日店頭でみつけた本を探して、今日は図書館に行ってきた。いつものパターンだ。
 「またそんなことをして。ちゃんと買わないから閉店の憂き目にあったんだぞ」とお叱りの方に一言。昨日は5000円ほど購入したのだ。その上で、買い切れなかった本を写真に撮って図書館から借りようとしたのである。
 その本というのが、昨日も紹介した「家のねこと野生のねこ」という図鑑兼写真集。というのも、パラパラと立ち読みをしていたら、気になる猫をみつけたからだ。
 カオマニーという。門外不出のタイ王室の猫とされ、1990年代にアメリカが輸入するまで、タイ以外で視ることができなかったのだそうだ。白い短毛で、耳のあたりがほんのりピンク色になっている。目の色は片方が青で、もう片方が黄から緑までのオッドアイとも書いてあった。
 ソダシこれがなんと、我が家の保護猫そっくり、いやそのものなのである。(右の写真参照)
 いや、そんなはずはない。我が家の保護猫たちは裏の家の庭で生まれた5人兄弟だ。まだほんの小さい頃から知っている。2年前の大雪の日に、不憫と思い、親猫ともども家に入れたあげたのが、そもそもの始まりだ。父親もわからない野良猫の子どもに、「白い宝石」とも呼ばれるタイ王朝の猫が混ざっているなんて、普通では考えられない。
 が、見れば見るほど、昨日立ち読みした猫とそっくりなのだ。そこで、じっくりと見比べようと、図書館に探しに行った次第だ。
 残念ながら、図書館にも蔵書は無かった。何としてでも見たいのでリクエストをした。リクエストとは、図書館に無い本を、購入してくれるという有り難い制度である。皆さんも是非利用してみて欲しい。
 ただし、定価が本体価格で3000円未満のものに限られる。幸いなことに、この本は2800円だったので、ギリギリセーフだった。
 それにしても気になる。ひょっとして、母猫の何代か前にこのカオマニーという品種がいて、突然変異か何かで隔世遺伝をしてうちの猫に現れたんじゃないか。我が家の白猫(名前はソダシという)は、奇跡の猫なのかもしれない。
 そんな妄想を膨らませながら、本の入荷を待つことにしよう。(6732)

今どきの高校生は


 書類や原稿の締め切りに追われていた先週までと打って変わって、今週は比較的のんびりとすることができそうだ。そんな時は読書に勤しむに限る。とばかり、閉店を発表して世間を驚かせてジュンク堂に行ってみた。心なしか、いつもより、お客様の数が多かったような気もした。
 このブログにも書いたし、あちこちからの問い合わせにも答えてきたように、僕にとっては、ジュンク堂が無くなることは、ひとことで言って困る。なにしろ、我が家から歩いて5分でいける場所にあるし、何と言っても品ぞろえが充実している。ここで本を見つけ、たまに買ったり、図書館に行って借りたりするのが、僕の密かな愉しみだったのだ。
 他にも、大きな売り場面積を持つ書店はないことはない。例えば駅前のヒロロの2階にはTSUTAYAが入っている。広いことは広い。でも、本の種類や数では、ジュンク堂には及ばない。それに、どちらかというと若者をターゲットにした売り場構成になっている。
 城東地区のバイパス沿いにも、別の系列のTSUTAYAがある。ここも売り場面積ほどには書籍が多くない。第一、我が家からは遠い。
 そんなことを考えながら、ジュンク堂の店内を歩いた。普段は、プロレス本と、落語の本と、ミステリーと、せいぜい文庫・新書の棚くらいしか覗かないのだが、今日は、その奥まで行ってみた。
 専門書の一角がある。人文科学から社会科学・理工学・医学書まで、ほぼ全てのジャンルを網羅している。専門書と言っても、堅苦しく小難しいものばかりでなく、こんな図鑑までおいてある。
 お金と時間に余裕があったら、他にも買いたい本がたくさんあった。明日、図書館に行ってリクエストをしてこよう。
 次に、コミック売場を素通りして、学習参考書売場に辿り着いた。そこで、はたと足が止まった。考え込んでしまったのである。
 ジュンク堂が閉店してしまえば、弘前の生徒たちは、どこで参考書を買うのだろう? 他にも参考書を置いている書店はあるが、ここほどの種類と量ではない。特に難関と言われている大学を受験するための参考書の中には、ここにしかないものもあるだろう。弘前の高校生の学力は落ちていってしまうのではないか・・・
 そんな心配をふと漏らしたら、ある人からこう言われた。
 「今どきの受験生は、ほとんど塾へ通ってるし、オンラインの教材もあるから、参考書なんか使ってないんじゃない」
 そうか。そんなものか。ああ、昭和は遠くなりにけり。かつての書店経営者としては、嘆くしかない。(6362)
 

  

原稿と格闘だぁ!


 原稿目の前に現行の山が積まれた。右の写真は、その山を取り崩して平地にしたときのものだ。全部で19篇ある。これらを来月の25日までの間に読み込んで、添削し批評を加え無ければならない。
 今日は、弘前文学学校の新年会。16人の生徒と、僕も含めて3人の講師が参加した。
 その席上、この原稿の束が渡された。いわば僕ら講師陣への宿題だ。
 弘前文学学校は、毎年4月に開校。一年をかけて文章の書き方やら、作品の鑑賞の仕方とか、プロットの立て方とか、様々な角度から”文学”について学ぶ。そして、その集大成として、生徒が書いた小説やエッセイや詩などを集めた「文学いちば」という作品集を出版する。
 今日渡されたのは、それに掲載する作品の第一稿だ。これから3月中旬までかけて合評会を繰り返しブラッシュアップしていく。僕ら講師は手分けしてその合評会にも参加して、作品の仕上げのために助言を加える。僕の出番は2月25日と決まった。
 この合評会がまた面白い。生徒同士で、時に辛辣とも思える批評を闘わす。なまじ手加減をしたり、相手を気遣うこともない。よりよい作品にするために、批評をする側もされる側も、真剣勝負そのもなのだ。
 僕は性格上、あまり手厳しいことは言えないタイプだ。自分に甘く他人にも甘くというのがもっとう(?)なのだ。
 特に去年までは、選挙のことも考え、できるだけ優しく優しく批評を加えてきた。あまりガンガンとやって嫌われたくないという気持が無かったと言えば噓になる。
 が、今年はもうその心配はない。根っからの甘ちゃんの僕も、少しは厳しくやってみようかと思う。
 その前に、しっかり批評するためにはしっかりと読まなければならない。中には原稿用紙40枚以上という大作もあるという。
 幸いにして、去年と比べて時間には余裕がある。むしろ、やらなければならない仕事があるということは、今の僕にとっては有り難い話なのかもしれない。(5153)


  

初仕事


 貧しい身の内を晒すようだが、生きていくために、少しでも糧を稼がなければならない。そこで、昨年の12月14日のブログでも書いたように、シルバー人材センターに登録をしていた。
 今日は、その初仕事。危険物取扱試験の会場誘導係だ。いつもより1時間早く起きて、張り切って会場である弘前東高校まで出勤(?)した。
 いただいた資料には7時45分から11時45分までとある。初っ端から遅刻するわけにはいかない。それに僕は、てっきり、7時45分から試験が始まるものだと思い、準備や打ち合わせの時間も考え、7時15分には会場に着いた。
 ところが誰も来ていない。会場を間違えたか、あるいは場所を間違えたか。ちょっぴり不安になったところへ、仕事の発注主である財団の人たちがやってきた。よくよく話を聞いたら、試験は10時から。でも早い人で8時半くらいに来る人もいるのだそうだ。それまでの間に準備をするとのことだった。  
 シルバー人材センターから派遣されたのは僕を入れて三人。あとの二人は、もう何度も経験しているようだ。一人は僕も以前からよく知っている人で心強い。今日も親切丁寧に教えていただいた。
 仕事の内容は、三人がそれぞれ、校門付近・昇降口・試験会場の教室前に立って、受験生たちを、混乱の無いように会場に誘導するというものだ。校門付近では駐車場が無い会場へ車で来た人への対応、昇降口では土足厳禁のアナウンスと内履きを忘れてきた人への対応、試験会場前では複数ある教室への誘導とトイレ等の案内と、異なった業務がある。いずれも人の流れを止めないように、てきぱきとこなさなければならない。
 幸いにして今日は、去年の受験票を持ってきた人と、受験票に写真を貼ってこなかったという人の二人以外は、目立ったトラブルがなかった。内履きを忘れてきた人は四人ほどいたが、スリッパは有りませんと言うと、素直に靴下のまま会場へ向かっていった。以前はそのことで何か諍いがあったらしい。
 とにもかくにも、シルバーデビュー戦は無事に終わった。体力も無く手に技術も無い僕でも、これならなんとかやっていけそうだ。
 仕事とは別に、新たな人との出会いもあった。主催者代表で来ている方と、弘前の街づくりについて、あれこれ話をする時間があった。その方は青森市に住んでおられるのだが、僕が前議員と知ってか知らずしてか、外から見た弘前について、あれこれ語っていただいた。そういうご意見を拝聴する機会も、こういう場なればこそと思う。
 なんか、しばらくぶりで”仕事”をしたという気分だ。面白かった。また次も、是非、やりたいと思った。(8370)
 
 
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