今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年03月

気分は大学生


 「青森県政を考える会」というグループがある。客観的に見て、どちらかというと革新系の人が多いが、だからといって決して特定の政党の支持者ばかりでもなく、是々非々の立場で真面目に県政について調査をしたり提言をしたりしている会だ。
 昨年、僕が県議選に立候補しようと思い立った理由の一つが、この会が発行している会報にある。この会では、県議会においてどの議員がどんな発言をどれくらいの回数発言しているかを悉に調べていて、それが掲載された会報がネットで公開されていた。それを読むと一度も発言していない議員が半分くらいいる。そんなんでいいのか!という一種の憤りが、僕を突き動かす一因となった。
 が、更に深く係わるようになったのは、昨年の秋のことである。青森県の文化政策についてというテーマで、会からインタビューの依頼があった。言うまでもないことだが、僕はそんな大それた取材をされるような資格はない。でも根っからのお調子者なのでホイホイと引き受けた。それがきっかけだ。
 しばらくすると、インタビュー記事の校正依頼が、メールで送られてきた。何度かやりとりをしているうちに、僕にも入会しませんかというお誘いがあった。やはりお調子者の僕は、二つ返事で入会することになった次第である。
 それで今日、入会後初めて、例会に出席してきた。リモート参加も含めても10人という少人数ではあったが、すごく中身の濃い会合であった。
 いきなり「政策検討会」と称して、事務局がテーマに関する資料を読み上げる。それを聞いて参加者は、テーマに関する政策を5分という短い間に考えられるだけ紙に書き出し、それを発表するといった流れだ。
 例えば今日の討議資料の中の一つに「熟議民主主義」というのがあった。単に多数決で決めるという形式的民主主義でもなく、対立した両論を足して2で割るような妥協でもなく、対話を重ね何度も論点を往復している中から新しい価値観が創造されていくというものだ。
 ところが、現実には、日本人、ことさら青森県人は対話や議論がどうも苦手なようだ。そこで僕は、ディベートの必要性を提案した。先ずは議論に慣れること、議論の基本的なルールを身につけることから始めないと、熟議は出来ないような気がしたからだ。
 もう一つ、議会内においては「議員間討議」を積極的に行なうべきとも提案した。議員というのは本来”議論”のプロであるはずである。その議員が、熟議民主主義の手本を見せることが、この考え方を広める有効な手立てのように思う。
 と、講義を聴いて、すぐにそれに対するレポートを提出する。何か、大学のゼミの授業のような緊張した内容だった。久し振りに”勉強”したなぁという充実感を味わった。
 などと書いておきながら、大学のゼミって、出席率が悪かったからか、あんまり記憶に残っていないのが正直なところなのである。(4716)
 

僕にも年度末


 年度末なのである。
 いつも不思議に思うのだが、なぜ、カレンダーは1月~12月なのに、年度は4月スタートなのだろう。でもまぁ、会社や団体によっては、必ずしも4月からではないところもあるが、肝心要の行政機関や学校が4月~3月なので、それに合わせている場合が圧倒的に多い。そのため、3月末になると、世の中は異様に忙しなくなってくる。
 ネットで調べてみた。諸説あるらしい。何にせよ源は国(政府)のようだ。県や市町村は当然国に倣うだろうし、企業や団体は国と取引をする必要から、学校は国からお金をもらうために年度を合わせたとも書いてあった。
 いずれにしても、年金暮らしの前期高齢者には、直接の関係はない。でも、周りが騒いでいると、何となくこちらまで落ち着きがなくなる。年度末だから、何か清算しなくてはなどという殊勝な気持ちが芽生えてくる。
 昨日、滞納していた介護保険料を納めにいった。恥ずかしながら、忙しさにかまけて、2月末期限の分を払い忘れていたのである。督促状が届いて気が付いた。
 実は、昨日は体調が最悪だった。蓄積していたであろう疲れが一度に噴出した。歩く気力もなく、午前中は予定をキャンセルして布団の中にいた。保険料も、疲れがとれてから払えばいいかなとも考えていた。
 が、カレンダーを見ると、30日が土曜日、31日は日曜日ではないか。別に銀行の休日の翌営業日である4月1日でも変わりはないんだろうけど、そこは”年度末”の魔力である。なんとなく納めなければ悪いような気がして、疲れたからだに鞭を打って徒歩5分の銀行まで、車に乗って行ってきた。
 今日は今日とて、借りていたものを返しに行った。と言ってもお金ではない。図書館の本である。返却期限は4月10日なので、何も今日の必要は全くないのだが、やはり”年度末”という言葉には弱い。慌てて読み終えて返してきた。最後の方は斜め読みに近かった。
 もっとも、返す刀で(?)また2冊借りてきてしまったのだから、借本は年度を跨いでしまうことになる。思えば我ながら随分と無駄なことをしたものだ。
 さて、弘前市立図書館では、1年でリクエスト(館に無い本を購入してもらうこと)出来るのは、一人14冊までとなっている。今年度僕は、いつの間にか使い果たしていた。でも、明後日からは新年度だ。またリクエストができる。そう思って手帳に書き溜めている本がもう数冊になっている。来年度も限度額(?)一杯まで使い切ってしまいそうだ。(5822)
 
 
 
 

あれから1年


 去年の今日、すなわち3月29日。僕は議長宛に辞職願いを提出し、16年間勤めた市議会議員生活にピリオドを打った。
 それから1年。長いと言えば長い、短いと言えば短い時間が過ぎていった。特に定職につくでもなく、何かに没頭するわけでもなく、流されるままに生きてきたようにも思う。
 いや、のんべんだらりと過ごしてきたわけではない。議員時代から就いていた役職、町会やペンクラブ・読書人倶楽部等がいくつかあって、新たに(厳密に言えば昨年の2月からなのだが)保護猫の会も加わった。先月には映画の上映会のお手伝いやカダレ劇場の協賛集めもさせていただいた。「月刊弘前」には2回ほど原稿を書かせていただき、他にも友人の挨拶文やレポートの代筆もしたりした。
 ある人からは、「今泉さん、議員の時より忙しそうだね」と言われた。決してそんなことはないと思う。議員時代は主たる仕事が一本決まっていた。あとの活動は、それを軸に優先順位に従って行なっていたので、ある意味系統立てて整然とこなしていたような気がする。
 でも今は、手当たり次第、目先のことに追われている。だから、傍から見れば、忙しそうに思われるかもしれない。
 だけど、実際に、バタバタなのである。自分自身のキャパシティーを遙かに超えている。毎日、何かに追われている。何で自分は、こんなに色々なことに手を出すのだろう? 出来ないことは出来ないとはっきりと断ればいいのに・・・。
 その理由について、最近ふと分かったことがある。それは一種の自己防衛のためなのではないかということだ。
 睡眠障害が解消されたことは、もう何度もこのブログで報告した。寝られなくて悶々とするどころか、ここ2~3ケ月は、眠くて眠くてしょうがないくらいなのだ。布団に入ればすぐに眠りに落ちてしまう。
 そして夢を見る。その夢というのが、死んだ女房のことや父や母のこと。疎遠になっている友人のこと、振られた彼女のこと(?)。あるいは遠い昔の思い出ばかりだ。そう、過去に逃避しているのである。
 逃避だけならまだいい。その後は、後悔と反省の連続だ。もっと親孝行をしておけばよかった。何であの時あういう決断をしたんだろう・・・。朝目覚めれば、大きなため息が口をついて出てくる。
 日中、何かで忙しく走り回っていれば、決してそんな感傷的になることはない。ところが、一人で何もしないでいると、そんな憂鬱が頭をもたげてくる。言い換えれば、僕は鬱病にならないために、あれやこれやと仕事を引き受けてしまっている節もあるのだ。
 でも、そんなことにも、そろそろケリをつけなければならない。議員を辞めて1年。僕は、何に向かって生きていくのか。これからの自分の人生について真剣に考える時が来たようだ。(10103)
 
  

大所帯の難しさ 昨日の議会報告会から


 今日の主な活動は、津軽厚志会に係わる仕事。日中は、津軽家に縁の深い寺社に、期末の祭祀料を届けに周り、夜は役員会を開催した。
 ただ、役員会は、総会の日程を決める程度のごく普通の会議だし、祭祀料お届けは、いわば年中行事のようなもので、これまでも何度もこのブログに書いてきた。だから、話題性に乏しい。
 そこで今日は、「その日の出来事を書く」という原則を曲げて、昨日行なわれた、弘前市議会会派「創和・公明」の議会報告会のことを書こう。
 「創和・公明」は、昨年4月の改選後に新しく誕生した、弘前市議会で最も大きな会派である。自民党と公明党、それにどちらかと言えば保守系の議員10人で構成されている。僕も議員時代には、その前身とも言える創和会のメンバーとは親しくさせていただいていた。一緒に監査委員条例の修正案を提出したこともある。
 その会派「創和・公明」が議会報告会を行なうという情報を前日に知って、僕は万難を排して駆け付けた。僕自身は議員時代、毎定例会ごとに報告会を開催し、また会派「さくら未来」でも、個人とは別に行なってきた。そしてことあるごとに、有権者に議会の活動を報告するのは、最低限の責任だと主張してきたが、何せ1人もしくは3~4人である。それと比べれば、10人の最大会派が行なう議会報告会は、やはりまた違った意義があると思ったからだ。
 ただ、気がかりな点もあった。例えば会派「さくら未来」で以前行なっていた報告会では、1人10~15分くらいの自身の報告をし、残りの時間を質疑応答にあてていた。それでも1時間でお釣りがきた。1時間半時間をとれば、来場者とかなり深い意見交換も可能だった。
 ところが、10人の報告会ともなると大変だ。全員が行なうとすれば1人10分でも100分かかってしまう。かといって5分程度だと、充分に意を尽くすことは難しい。
 それをどう処理するのだろうと思っていたら、具体的に報告に立ったのは4人だけだった。確かにそういう方法もある。色々と考えたの末のことだったのであろう。でも、会場に詰め掛けたあとの6人の支持者の中には、物足りなさを感じた人もいるのではないかと、ふと心配になった。その代り、フロアからの質問には、報告をしなかった議員が答弁に立っていた。その辺の役割分担はきちんと出来ていたのだろう。
 報告の内容には感心した。素晴らしかった。僕もさくら未来も、議場で質問したこととそれに対する市側の答弁を中心に話していた。が、昨日は、渡された資料に議員ごとにQRコードを添付し、そこからインターネット中継の録画に入っていけるようにしていた。そうしておいて、報告者は、この1年間に視察や研修で学んできた全国の先進事例について具体的に話をした。
 このやり方は素晴らしいと思った。議員の活動は議場の中だけではないということを、まず分かってもらえる。そして、とかく議員の視察については”物見遊山”ではないかという誤解もあるようだが、それを払拭するといった意味でも、昨日の報告会は大きな意味があったと思う。
 今日もある政治に関心のある女性と話していたら、まさしく「議員の視察って観光でしょ」と言われた。「そうではないよ」と強く否定をしてきたのだが、全ての議員、全ての会派が視察報告を真面目にやっていけば、そのように揶揄されることは無くなっていくと思うのだが・・・。(7827)
  

猫とパソコン


 先日のブログでお騒がせした、弘前読書人俱楽部のパソコンのことである。お陰様で、無事に解決した。
 改めてかいつまんで書くと、先週の中ごろ、突然フリーズを繰り返すようになって、購入した量販店に持っていったところ、新しいのを買った方がいいと勧められた。だけど、恥ずかしながら、読書人俱楽部には、新規購入するほどの経済的ゆとりがない。さて困った。どうしようといった内容のブログだった。
 そうしたら、8年ほど使ったのでもいいなら、パソコンを寄付してもいいという人が現れた。俱楽部の会員でもあるN君である。有難く頂戴することにした。
 N君は、僕や、クラブ幹事のTa君と同期の青年会議所仲間である。それぞれ理事長を務め、その苦労や喜びも理解しあえる仲だ。今回の件もTa君から声をかけていただいた。
 さて、パソコンをいただいたのはいいけれど、今まで使っていたものとOSが違う。使えるようにセットアップをしなければならない(らしい?)。僕にはさっぱりわからない。
 そこで、力になってくれたのがM君である。M君も青年会議所時代の友人だ。長らく弘前を離れ、某大手家電量販店でパソコンのインストラクター(?)をしていた。昨年弘前に帰って、10数年ぶりの再会を果たしたことは、多分ブログにも書いたような気がする。
 今は、となりのH市に住んでいるのだが、事情を話して、助っ人を依頼した。彼は二つ返事で来てくれた。時間は少々かかったが、おかげで、取り敢えずはほぼ従来通り、使えるようになった。
 そんなわけで、N君とM君には感謝してもしきれない。持つべきは若い頃に苦楽を共にした友人である。このブログの読者で、20代30代の若い人がいれば、今からでも遅くはない。青年会議所に入会することをお勧めしたい。
 と、ドタバタしたパソコン問題だが、不思議なことに、もう直せないから買い換えた方がいいと言われたパソコンが、今週になってから、何もしないうちに治ったのである。 フリーズもしなくなった。ただただ首をひねるばかりだ。
 猫は、ついさっきまで無視していたかと思うと、急に甘えてきたりする。とても気まぐれな生き物だ。パソコンも猫に劣らず気まぐれなものだということを、今初めて知った次第だ。
 (5879)
記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

昌ちゃん

今泉昌一の本棚


QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ