今日は、弘前読書人倶楽部の例会・ブックトークの日。今月の講話者は、M新報文化部長のMさんだった。Mさんのことは、彼がまだ駆け出しの記者だった頃から知っている。僕もまだ若手(?)書店経営者だった時だ。何度も、僕の会社に訪ねてに来ていた。
その頃もてっきり文化部所属だったと思っていた。今泉本店ギャラリーで行っていた各種催事の取材のために来ていたんだろうと今日確認したら、実は報道部だったのだそうだ。じゃぁ、一体何しに来ていたのかと重ねて尋ねたら、商店街の活性化事業などのこととのこと。
そういえば、あの頃は、古いアーケードを撤去して、明るく開放感あふれる街にしようと取り組んでいた時期だ。僕も、青年部長として販売促進イベントの旗振り役となったり、専務理事として街路整備の計画策定や、組合員間の調整に動き回っていた。
商店街のイベント等では、新聞紙上で大々的に報道していただき、告知という面でとても助けられた。今でも深く感謝している。
文化部長となられた今でも、いろいろとお世話になっている。文化関連のことで、記事にしてもらいたいことがあれば彼を頼っているし、僕が今M紙に連載させていただいている「文芸時評」も彼が担当だ。僕の相変わらずの誤字・脱字・誤変換に閉口しながらも、しっかりと校正していただいているものと思っている。
そんなM部長のブックトーク。昭和30年代にM新報社で出版した「わがふるさと・新津軽風土記」や、同じく「つがるの夜明け」などを紹介しながら、それに感銘を受けた少年時代に、津軽一円の城巡りをした思い出などをお話いただいた。昨今、御城印集めなど、城を巡り歩くのが流行っているようだが、その最先端を行っていたみたいだ。
あまり行動的ではなかった少年が、自分で自転車を漕ぎながら、津軽各地を城跡を探して動き回るようになった。自分の殻を破るきっかけになった。それが”本”の力だと、最後にまとめていただいた。
M新報社は、今は、出版事業を行っていない。でも、かつてそういった名著を出していた歴史を思えば、地方新聞社ならではの出版に、また取り組んでもらいたいと思った次第だ。
弘前市で広く読まれている地元新聞としては、もう1つT日報紙がある。こちらは全県紙で、ページ数も多い。政治・社会・経済等の分野では、情報量も多く内容も濃い。
でも、少なくとも、津軽・弘前の”文化”という面では、M新報は決してT紙にひけを」とるものではない。むしろ地域に密着した取材姿勢とその記事は、他紙を凌駕していると言っても、決して過言では無いと言いきることができる。文化情報の発信の要として弘前に無くてはならない新聞だと、ここにもはっきりと書いておきたいと思う。(6961)
札幌から来たというご婦人は、展示ケースを覗いて、僕に話かけてきた。「ここは藤田さんのお宅ですよね?」 どうしましたかと聞くと、ケース内にある金木の津島家からの電報の宛先が「フツ゛タトヨサブロ」になっている。これはおそらく、パソコンはおろかファクシミリも無かった当時、「富士山の”フ" 人力車の"ジ” 田んぼの”タ”・・・」などと電話で電文を伝えていた際に、”ジ”がなまっていたので、交換手が”ツ゛”と聞き間違えたのであろうと、二人で大笑いをした。
何と、事故の翌日見た時には、ほとんど消えかかった横断歩道の白線が、白くはっきりと引かれていたのだ。そこから10メートル先の横断歩道も真新しくなっていた。