今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年07月

虻と蜂と


 7月は散々な月であった。ギックリ腰、風邪、怪我・・・。まだどれも完治していない。腰痛も咳も頭痛も残っている。
 いきおい、日常活動をだいぶ怠ってしまった。だから、毎日のブログに書く話題に乏しく、苦労をした。それでも読んで下さっている皆様に、改めて感謝を申し上げたい。
 ところが、今日は違う。地元紙2紙共に、面白い記事が載っていたからだ。弘南鉄道大鰐線に関する動きについてだ。M紙に至っては写真付きで報じていた。
 それによると、大鰐線の存続について、黒石市、平川市の市長が難色を示したのだそうだ。沿線5市町村で協調して支援しようという枠組みに綻びが生じたようだ。
 弘南鉄道には、弘南線(黒石線)と大鰐線の2路線がある。そのうち大鰐線は慢性的(?)な赤字で、その赤字を弘前市が税金で補填しているような状況だ。
 2020年に定めた当初の支援計画では、2023年度末の経営状況を見て、26年度以降の存廃を判断するというものだった。その23年度末の決算は、約1億3000万円の営業赤字。本来であれば、廃止という方向で議論が進むような状態であった。
 ところが弘前市長は「市民の足を護る」といった金科玉条を掲げ、判断を先送りにしようとしているらしい。コロナ禍もあった。脱線事故もあった。点検不備による休業もあった、だから情状酌量しようと主旨らしい。
 それに対し両市長が異論を疑義を唱えたというのが記事の内容だった。記事によると両市町の言い分は「2路線を存続させるのは難しい」「コロナがなければ黒字だったのか」といった論法だ。僕にはもっとものように思える。
 そもそも「市民の足」に拘泥する理由は何か。いったい何人の市民の足のことを言っているのか。定期券の客が仮に20万人だったとする。でも、基本的に定期の客は行きと帰りと一日に2回利用する。だから実質的には10万人だ。しかも通学や通勤だと、年間200日以上は利用するはずだ。すると一日あたりは500人となる。まぁ随分と荒っぽい計算だが、甘くみても1000人には満たないのではないか。
 他に、通院や買い物でときたま乗っている人もいるだろうが、同じ人が反復利用しているケースが多いように思われる。少なくとも”不特定多数”というのとは違うような気がする。
 その全市民の数パーセントの”市民”のために、市は、16万市民の血税を投入している。しかも、民間企業の赤字補填のために。
 選択と集中ということばがある。あれもこれも手を出すより、何か一つに集中して行なう方が、より大きな効果を生めるといった意味だろうか。いや、そんな難しい(?)言葉を持ち出すまでもなく、「二兎を追う者一兎の得ず」という分かりやすい諺があるではないか。黒石、平川の両市町とも、それを心配しているのだろうと思う。
 弘前の市長は,何か意地になっているようにも見える。くれぐれも「虻蜂取らず」といった結果にならないよう、賢明な判断を求めたい。
 何だかんだ言って、僕は、毎年、年間数回は乗っている。声高に存続を叫んでいる人たちは、一体、どれくらい利用しているんだろう?(5934)
  

ごまめの歯軋り


 選挙で落選するということは、すなわち有権者の支持が得られなかったということである。それは得票数に表れる。
 筆記試験(学科試験)で落第するということは、自分の学力が及ばなかったということである。どれくらいの点数がとれたのかは、自己採点してみればある程度わかる。
 実技試験で落とされるのは、自分の技術が他人より劣っているからに他ならない。これも、自分での実感や、他人の技術を見ているうちに、なんとなく落ちる理由に納得できる部分もある。  
 が、書類審査での落選はショックだ。何が駄目だったのか、にわかには納得できないことだってある。
 弘前市立図書館協議会委員の公募に申し込んだことは、以前のブログに書いた。今日、その通知が届いた。落選だった。
 実は、密かに自信は持っていた。何故ならば、書店の跡取りとして生まれて以来、本とは切っても切れない人生を送ってきている。それなりの知識は持っている(はずだ)。
 図書館もよく利用している。一番とは言わないが、利用数ベスト100くらいには入っているのではと思っている。
 全国の図書館も視て回った。議員時代には、色々な先進事例も調査し、時に提案もしてきた。
 それなのに落ちた。やっぱり、議員時代に、市政に対して批判的な質問をしたのが良くなかったのだろうか? それとも、しょっちゅう本の返却を延滞していたのが駄目だったのだろうか?
 唯一考えられるとすれば、応募用紙の中に、「図書館の運営に関する意見、提案」を記入する欄がある。いわば小論文テストのようなものだ。実は、そこにも密かな自信を持っていた。
 僕は、人生における読書の必要性を書き、本との出会いの場である図書館の充実を願っていることをまず述べた。その上で、次の3項目について列記した。
 ①開架率の低さ。全蔵書数に占める、常時閲覧可能な本の割合である。以前調べた時は、弘前は10%くらいしかなかった。あとの90%は、地下の書庫に眠っている。これを改善することを希望した。
 ②無断持ち出し、つまり万引きの多さである。今も図書館の閲覧室に入れば、注意を促すポスターが貼られてある。これはICタグを全蔵書に装着し、入り口に防犯ゲートを設置すれば、かなりの割合で防ぐことができる。またICタグは、自動貸し出し・返却システムの導入や、蔵書点検の効率化にも有効だ。
 ③子供の読書推進について。市内の全小学一年生に図書館カード(利用カード)を贈呈することを提案した。幼少期から本に親しむ習慣を身に着けてもらう一助となればと思うからだ。
 如何だろうか? 800字程度という条件があったため、この3項目だけしか書けなかったが、僕の図書館に対する思いは、まだまだたくさんある。
 まぁ、今更、選考をやり直せなどとは言わないけれど、純粋に読書と図書館を愛する者の立場として、今回、採用された人が、この「意見・提案」の欄にどんなことを書いていたのかは、是非教えてもらいたいものだと思う。そして、それが素晴らしいことであれば、及ばずながら協力を惜しむものではない。(6842)
 

病み上がりの難行


 何度も書くようで恐縮だが、7月は病気や怪我が相次いだ。体力は相当消耗している。そんな訳で、先週は、ほとんど静養に当てていた。 外出と言えば、日々の食料品の買い出しと、病院3ヶ所と、読書人倶楽部へ二度行ったくらいだ。おかげで、心も体もすっかり鈍ってしまった。
 が、いつまでもそう言ってもいられない。尻に火がついた仕事もある。今日は、敬老会の案内状を持って、町内の対象者の家庭を訪問した。 
 我が町会では、毎年敬老の日に、敬老会を開催している。町内に集会所などが無いために、近場のホテルなどの会場を借りて、昼食を摂りながら歓談する程度の催しだ。
 が、これの準備は面倒臭い。というのも、極めてセンシブルな要素も孕んでいるからだ。
 例えば、総会にしても、資源ゴミリサイクルやバーベキュー大会などにしても、町会で行なっている他の行事であれば、回覧板でことが足りる。ところが、敬老会は、75歳以上の方だけが対象である。その方にピンポイントで案内状を手渡さなければならない。下手に回覧板に名簿でも載せて案内しようなどとすれば、年齢という個人情報が町内に知れわたることになり、問題になってしまいそうだ。そこで、お一人お一人のお名前を記した案内状を作り、一軒一軒持参して回ることとなる。
 しかも、敬老会は、そもそも、市の社会福祉協議会の事業である。町会主催でないため、町会に加入していない世帯の高齢者も対象となる。だから、渡された名簿の住所を見て、普段、訪ねることのない家を探して、そこへも案内状を持って行く必要がある。
 確かに社会福祉協議会からは、敬老会参加者の会費及び不参加者への記念品購入に対して補助金が支払われる。でも、非町会員にも案内をしたり記念品を配ったりしている町会の事務作業に対しての、何らかの助成があってもいいのではないかと、今年初めて考えたりもした。
 我が町会の場合、町会加入世帯数51に対し、敬老会対象者は29名。内4名が町会未加入の人だ。今日も、午後の蒸し暑い中、汗だくになりながら町内を回った。
 未加入の方は全てアパートにお住まいだ。ドアに表札がついていればいいが、単に部屋番号しか表示がないのがほとんどだ。それに1階ばかりでない。2階もある。ギックリ腰の後遺症か、階段の上り下りは難儀をする。
 いいこともあった。日頃、町会活動にあまり熱心でない方の家を訪ねた時だ。僕の姿を見て哀れに思ったのか、「熱中症にならないように」と言って、冷たいペットボトルの水とクッキーを差し入れしてくれた。その人と、ものすごく近しくなれたような気がして嬉しくなった。
 小さな町会とはいえ、そうして各家庭を訪問して帰ってくれば、スマホにダウンロードした万歩計では、ざっと3000歩近く歩いたことになっている。病み上がりの身には辛い。また頭痛が激しくなってきた。
 鏡を見る。疲れ切っている。今日お会いした75歳以上のご高齢者の誰よりも、自分の顔が老けて見えてしまった。(2380)
 
 
 

スポーツの力


 今日も、オリンピックのことを書く。
 テレビは、朝から日本勢最初の金メダルの話題で持ちきりだった。女子柔道48キロ級の角田夏美選手の快挙だ。
 僕は昨日の夕方、準々決勝でフランスの選手に、鮮やかな巴投げで一本勝ちをしたところまでテレビで視ていた。ところが昨日も書いたように、準決勝以降は、夜中の放送となる。今は、寝不足をしてまで応援する体力も気力もないので、いつものとおり22時過ぎには眠ってしまった。
 その代り、今朝目覚めてからは、何度も何度も決勝で勝利を決めたシーンを視た。表彰台での彼女の涙に、不覚にももらい泣きをしそうになった。
 実は、角田選手は、このオリンピックで最も注目していた選手の一人だった。ルックスも悪くない。笑顔がチャーミングだ。
 そんなことより、関節技が得意というのに惹かれていた。まるでプロレスラーのようだと、試合を観るのを楽しみにしていた。
 期待に違わず、初戦・二戦目と、腕ひしぎ十字固めで一本を取った。この技は、アントニオ猪木も得意にしていた。極真空手のウィリー・ウィリアムスとの異種格闘技戦で、場外で極めていたのもこの技だった。きっと彼女は、プロレスの技も研究し練習していたんだろうと、勝手に連想して独りごちをしている。
 さっき、表彰台での涙のことを書いた。日の丸が揚がるのを見て、「君が代」が聞こえてきたら、思わず涙が出たと彼女は言う。この日のために血の滲むような努力を重ねてきたアスリートたちにとって、そういった感情の昂ぶりは当然のことだろうと察する。その涙は美しい。
 一方、日本時間で今日の夕方から行なわれた女子柔道52キロ級では、金メダル候補と言われた阿部詩が二回戦で敗れた。彼女は誰に憚ることなく声を挙げて泣いた。泣き崩れた。それだけ、日の丸にかける思いが強かったのだろう。その涙もまた美しかった。
 いや、アスリートたちだけでない。茶の間で気楽に応援しているテレビ桟敷の僕らだって、日の丸が揚がり「君が代」が流れれば、誇らしく思う。嬉しくなる。国歌・国旗にはそのような力がある。
 反対に日本人選手が敗れ表彰台に上がれければ、悔しいし悲しい。君が代を聴きたいし日の丸を見たい。
 中には、特定の政治信条を持っているためか、国旗・国歌を否定する人もいる。高校時代、「日の丸を掲揚するなら俺は卒業式に出ない」と僕ら生徒の前で啖呵を切った教師がいた。
 でも、そういう人たちも、日本人選手の活躍に声援を送り、日の丸や君が代に素直に涙しているものと信じたい。オリンピックの期間だけは、誰もがみんな愛国者になる。
 オリンピックには限らない。WBCで日本が優勝した時には誰もが狂喜したし、海の向こうから大谷のホームランのニュースが飛び込んでくれば、我がことのように喜び合う。サッカーのワールドカップで日本が外国チームに勝った日は、まさにお祭り騒ぎだ。スポーツには眠っていた愛国心を呼び覚ます魅力がある。(2578)


オリンピックが始まった


 オリンピックが始まった。僕は朝から開会式の模様をテレビで視ていた。
 スタジアム内を徒歩ではなく、セーヌ川を船で行進というのは斬新だった。随所で行われている歌やダンス等のパフォーマンスも面白かった。エッフェル塔の光のイリュージョンも見事だった。聖火台が宙に浮いたのには驚かされた。そのままあの気球がエッフェル塔の頭上まで飛んで行って静止すればもっと素晴らしかった。  
 選手たちは雨に濡れて気の毒だった。もっとも鍛え抜かれたアスリートたちだ。僕のようにすぐに風邪をひいて寝込んだりはしないのだろう。
 ともかく、これから一ヶ月近くは、テレビに釘付けになる時間が増えそうだ。なんだかんだ言ってもスポーツ観戦は面白い。日本勢が活躍すればなお興奮する。
 ただ残念なのは時差である。日本時間のいわゆるゴールデンタイムに放送されるのは、各種目とも予選が多い。決勝はたいがい夜中過ぎのようだ。
 僕はもう若くないし、今は体調を崩している。それに、そこまでの熱心なオリンピックファンでもないので、早く寝て翌日のダイジェストで結果を知ることになりそうだ。  
 楽しみにしている競技は、柔道とレスリング。一対一の格闘技は、勝敗がはっきりわかって応援しやすい。バスケット・バレーにもメダルの期待がかかる。
 反対に、ブレイキンとかスケボーとかサーフィンなどはよくわからない。どこで優劣をつけるのか、何が高く評価されるのかが、素人目には判断が難しい。結局、審査員の主観や情実に左右されるのではないかという不信も抱いている。やっぱり、タイムだとか得点だとか勝ち負けがはっきりしている競技の方に身が入ってしまう。
 実は、明後日に掲載予定のM新報「文芸時評」には、オリンピックのことを書いた。昨今のオリンピックに対する僕なりの考え(批判)をまとめたつもりだ。  
 その中で、何の本を紹介しようかと迷った。候補は2冊あった。
 一冊は「オリンピックの身代金」。
著者 : 奥田英朗
角川グループパブリッシング
発売日 : 2008-11-28

 だいぶ前に読んだ本だが面白かった。でも、今から60年前の東京オリンピックの話だ。それに、せっかくお祭り気分で皆が浮かれているときに、ミステリーというかサスペンスを紹介するのも躊躇われたのでやめた。
 では、文芸時評で採り上げた本とは・・・? それは明後日のM新報を読んでもらいたい。定期購読されていない方は、コンビニやM新報社本社窓口でも販売している。
 こうして営業にも協力する理由はただ一つ。できるだけ長く書き続けたい。途中で連載打ち切りになりたくないからに他ならない。売れない物書きはそこまでしなければならないのである。(4676)
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