今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年08月

今時試験模様


 今日は、シルバー人材センターからの仕事、危険物取扱者試験の会場案内誘導業務だった。今年に入って3回目。少しは慣れてきたせいか、周囲のことが気になったり、あれこれ考え事をする余裕が出てきた。
 明け方からすごい雨だった。準備のために試験開始の2時間15分前に会場入りした時には小降りになっていたが、そろそろ受験生がやってくる頃になると、また一層激しく降り始めた。みるみる駐車場は水たまりになり、車は水しぶきをあげてやってくる。一緒に誘導係をしていてSさんと、「こりゃぁ、今日は来ない受験生もたくさんいるかもしれないな」と話をしていた。
 ところが来るわ来るわ。170余名の受験生のうち、約9割は豪雨の中をやってきた。皆、たいしたものだ。根性が皆無の僕だったら、朝、雨音で目覚めた段階で、試験に行かないことを決めていただろう。  
 が、中には、不注意な人もいる。受験票の真ん中に、大きく顔写真を添付する欄があるにもかかわらず、それをしないで来た受験生がいた。受験票に写真がないと試験を受けることができない。  
 そうしたらその受験生は、写真を撮ってくると、どしゃ降りの雨の中を外へ飛びだした。しかも自転車でだ。試験会場への入場締め切り時間まで30分もない。僕らはハラハラして彼の帰りを待った。  
 タイムリミット寸前で、なんとか間に合った。彼は多分、メロスの心境であっただろう。たいしたものだ。
 僕だったら、「受験票に写真が貼ってないと中にはいれません」と断られた段階で、諦めて帰っていたに違いない。「写真1枚で人生が左右されるわけでもあるまいし」と、変に開き直るのが、僕の69年間培ってきた人生訓なのだ。  
 試験会場は弘前工業高校だった。ここは、2棟の並列する3階建の校舎の両端に、やはり3階建の渡り廊下があって回廊のようになっている。
 試験が始まって30分くらいした頃だっただろうか。ドドドドと、集団で走り回る音が、2階のほうから聞こえてきた。どうやら、雨でグラウンドを使えなかった部活の生徒達が、回廊をランニングしているようだ。試験の行なわれている教室の真上ではなかったが、誘導員の僕らでさえ眉を顰めるような大きな音だった。受験生にはさぞかし迷惑だったろうと推察する。  
 こんな雨の日に、わざわざ校舎内でまで練習をしなくてもいいのに、と非体育系の僕は考える。僕だったら、率先して「今日は練習中止。帰ろう」と提案するところだ。まぁ、コーチに叱られて、間違ってもレギュラーには慣れなかったであろう。
 なんてことを考えながら就業時間が過ぎた。帰る頃には、雨はもうすっかり上がっていた。
 特に力仕事があるわけではないが、4時間ほぼ立ちっ放しの仕事なのでそれなりに疲れる。家に着いてからリポビタンDをグイッと飲んで、束の間の午睡をとった。(4723)

中三ショックその2


 今日も中三デパート閉店のことを書く。  
 今朝の地元紙は、2紙とも、一面で大きく採り上げていた。そして、社会面では、消費者・従業員・商業関係者の声を掲載。だいたい似たような紙面構成だった。  
 また、SNSでも、このことがたくさん発信されていた。僕宛にも、メールやLINEで、様々な意見や感想が寄せられた。それほど衝撃的な出来事だった。
 が、おかしな意見も多かった。「なぜ、事前告知をしないで、いきなり倒産・閉店なんだ⁉」「ヨーカドーは早くから告知しているのに、中三は顧客対応が悪い」「閉店セールをやればいいのに」etc
 チェーン店の中の不採算店舗を閉店するのと、破産して閉店することの大きな違いをこの人たちは何もわかっていない。僕は、半ば呆れてそういった意見をみていた。それも、社会経験を十分に積んでいるはずの年齢の人たちでもだ。
 破産を申し立てるということは、極秘裏に準備を進めなければならない。お客様はおろか、取引先にも従業員にも、ぎりぎりまで口外するべきものではない。
 遠い昔、僕が倒産をする数年前だったが、青森市にある文具販売店の経営が行き詰まり、弁護士に相談をした。ところが、その社長は、人がいいのか正直なのか、近々自己破産をすると外に洩らしたらしい。すると、その翌日から、取引先がわんさと押し寄せて、在庫していた商品や、営業用の什器備品等を、根こそぎ引き上げていってしまい、破産手続きどころではなくなった。
 ・・・という話を、僕が自己破産の準備をしているときに、申し立て弁護人の先生から聞いた。だから、従業員でも、本当に信頼のおける役員にだけ打ち明けた。他の幹部には前日、全従業員には当日の朝礼で伝えた。皆を騙しているようで申し訳なかった。
 破産すれば、財産を保全する義務を負う。仕入れていた商品といえども、管財人の指示なくしては販売することはできない。破産時に残っていた財産を処分し、そこで得たお金を債権者への配当金(債権額の一部の返済)にまわす。
 したがって、あまり早くから閉店を匂わすような売り出しなどをして、信用不安を煽ったりすれば、前記の文具販売店のような「取り立て騒ぎ」が起こってしまう。破産財産が0だと、管財人に払う弁護士費用も捻出できない。
 といったことを、よく理解もせず、「告知をしなかったから、中三はサービスが悪い」などという意見を見ると、僕は無性に腹が立つのである。  
 が、考えてみたら、僕が会社倒産を経験したから、そういったこともわかるのであって、普通に暮らしている人々は、倒産とも自己破産とも縁なく一生を終えるのであろう。その仕組みがわからなくても当然だ。とすれば、24年前、僕が、負債総額では今回の中三を上回る倒産を経験したのも、人生にとって全く意味がなかったことでもないような気もしないでもない。(5365)

中三ショック


 「やっぱり」と言うか、「ついに」と言うか、「とうとう」と言うべきか、中三弘前店が閉店することになった。土手町商店街唯一の百貨店として、集客の核となってきた店舗だ。商店街にとって、そのダメージは計り知れない。
 今年の4月、J堂書店が閉鎖したあたりから、薄々そういう空気は感じていた。「危ないんじゃないか」「いつまでもつんだろう」 口さがない人たちの噂も色々と聞こえてきていた。  
 僕が、それを予感したのは、6月下旬である。例年なら1階で大々的に展開する”お中元コーナー”が、今年は設けられていない。百貨店がお中元商戦に加わらないなんて、どう考えてもおかしい。
 地下のお菓子売場に行った。撤退しているテナントが多かった。営業を続けている店でも、ショーケースの中はスカスカだった。おそらく、商品の補充を控えていたのだろう。J堂が閉まって以来、2階より上のフロアーに行くことは全く無くなったので、衣料品や雑貨の売場の状況はわからないが、地下売場の衰退を見るかぎり、巷の噂もさもありなんと思えてきたりしていた。  
 今日の第一報は、N議員のLINEであった。ちょうど、読書人倶楽部から家に帰りついたタイミングだった。家から中三までは徒歩5分だ。すぐに踵を返して、商店街の表通りに向かった。と言っても、車でだったが・・・。  
 中三下土手町側の入り口には、「棚卸しのために臨時休業」という貼紙があるだけだった、どこにも”倒産”とか”閉店”とかの文字はない。そのせいもあってか、人だかりはできていなかった。店舗前には、NHKのクルーが陣取っていたので、かろうじて何かがあったことが感じられるだけだった。
 裏に回ってみた。商品搬入口、従業員通用口、地下売場入り口のシャッターは下ろされたままだった。
 家に帰ってからネットニュースで確認した。友人からも情報が送られてきた。改めて、商店街を牽引してきた百貨店の終焉を実感した。
 僕が中三で最後に買い物をしたのは、今週の月曜日。1階のパン屋で、調理パンを数個購入した。ポイントを溜めてゲットした500円のクーポンをその時に使ってしまえたのが、せめてもの救いだ。(7511)

 追伸
 商店街の今後のこと、会社倒産に関すること等々、今日の件については、書きたいこと、書かなければならないことが、まだまだたくさんある。いずれ折りをみて、言及していくことになると思う。

要望の分かれ目


 かつて、リゾート開発華やかかりし頃、弘前も乗り遅れてはいけないと、岩木山の中腹にスキー場を造ろうという計画があった。樹々をなぎ倒し、山肌を削り落として、ロープトーの建物や鉄塔を立て始めたが、途中でその事業は挫折した。一説には政争の具になったという噂も聞く。が、今となってはその真偽はわからない。  
 その荒らされた山地を、市が、なにやらかにやら込みで約6億円で買い上げた。そこに今度は、大型児童施設を建設するためだという。税金を、事業失敗で連帯保証の責務を負った当時の市長の後援者を救うために投じたと、市民の間から大きな批判の声が上がった。
 この問題が、ある年の市長選の争点となり、児童施設計画凍結を訴えた新人候補が当選した。新市長は、弘前大学等にも協力を仰ぎ検討委員会を起ち上げ、選挙2年後の2009年には、弥生スキー場跡地の利活用計画をまとめた。市長が変った2012年にも、市民懇談会等で出された意見を基に、具体的な利活用計画がまとめられた。
 が、その後、それらの計画は中に浮いたままである。その間にも、樹木や草花は順調に回復し、今ではまさしく「一切人の手をかけないで回復した自然の姿」を体験できる森となっている。
 僕も所属している”弥生ネット”は、当初は「スキー場開発反対」「大型児童施設反対」を目的とした団体であった。貴重な自然を護ろうという立場だった。が、紆余曲折を経て、無残な自然破壊にストップがかかってからは、むしろ、積極的にあの森を、市民のいこいの場、子どもたちの自然教育の場として活用しようという運動に変っている。
 今日も、市役所を訪れ、担当部長に要望書を手渡してきた。これで3回目だ。内容は、①活用策について、地域住民・専門家等による検討委員会を起ち上げること ②一部残されている危険物の撤去 ③来訪者にこの森の価値を伝えていく体制づくりとガイドの養成 ④これまで観察会を行なってきたエリアの刈り払い等の整備をして、一般公開をすること の4点だ。どれも、莫大な予算を要するものでもないし、自然を破壊するものでもない。
 ところが、市側の返事は、4つとも消極的なものだった。4打数無安打だ。僕は「せめて一本だけボテボテの内野安打でもいいから出塁させてもらいたい」と懇願した。
 先日、ある政令指定都市の市議会議員と、たまたま懇談する機会を得た。その議員によると、「市民からの要望活動の場に、市長が出てくるとそれは実現する(実現させる要望の時しか市長は出てこない)。反対に、部長以下が対応する場合は、最初から実現させようとする気がない」と言っていた。
 確か、去年もその前も、時の部長が対応してくれた。だとすると、僕らが毎年行なっている要望活動は一向に実らないということか。
 いやいや、政令指定都市はいざ知らず、弘前市に限っては、誰が対応しようと、市民の声をしっかりと受け止め、少しずつでも実現に向かって前進させるような市政であって欲しい。(5829)
  

猫、恐るべし


 実のところ、5月に華々しく譲渡会を開催して以来というもの、弘前保護猫の会は、例会を開催できずにいた。イベント疲れとか、イベントで燃え尽きたとか、そういうことでもなく、スケジュールが合わなかったというのが一番の理由だ。
 実際に、6月は会長のE議員が、定例議会で忙しかった。7月は僕が、このブログで散々書き散らしてきたように、天中殺とも言える厄月で、とてもそれどころではなかった。
 が、いつまでもそうしてもいられない。そろそろ仕切り直しをしようということで、今日、E会長はじめ4人で、簡単な打ち合わせを行なった。取り敢えず、9月15日に、しばらく途絶えていた例会を再開し、今後の活動等について話し合うこととなった。
 もっとも、5月以来、全く 活動をしていなかったわけでもない。この間にも、僕のところへは、野良猫の相談が相次いだ。引き取れる時とそうでない時がある。その説明に毎回苦労をしている。 
 他所の家の猫のことばかりではない。我が家の猫のことでも一騒動あった。8月15日のブログでも紹介したように、5匹いる保護猫のうち2匹が脱走した。最初は庭先で遊んでいるだけで、すぐに帰ってきていたのだが、そのうち、とうとう1匹がどこかへ行ってしまった。5~6日は帰ってこなかっただろうか。半ば諦めかけていた。 
 それでも、猫は人ではなく場所に懐くという。ある日ひょっこり戻ってきた。感動の再会だった。
 ただ、帰ってきてくれたのは嬉しいが、外での生活を1週間近く続けていれば、どこかで悪い病気を貰ってきたかもしれない。医者に連れていって検査をしてもらおうと思った。我が家の猫は1匹を除いて、僕に懐いていない。抱っこしてキャリーバッグに入れることはできない。そこでMさんから捕獲箱を借りてきた。
 ところが、猫もさるもの。餌を仕掛けても、なかなか捕獲箱の中に入ろうとしない。そればかりか、上手に外から手を伸ばして食べてしまう。猫、恐るべし。頭がいい。ただ餌を盗られるだけで無為に数日が過ぎた。  
 捕獲箱昨日、ようやく、件の猫が捕まった。早速、動物病院に予約の電話を入れた。病院に行くために着替をした。診察券も確認した。準備万端、いざ出かけようとしたら、猫は捕獲箱の中にいなかった。わずか10分かそこらの間に、逃げ出していたのだ。それも、定規で測ったら、たった4㎝にも満たない隙間を抜けてだ。
 猫は、頭さえ通れば、どんなに狭い隙間でもくぐる抜けられるという。でも、どう考えても猫の頭は直径4㎝以上はあるように見える。
 勿論、最初からその隙間があったわけではない。猫にしてみれば、必死で隙間を作って、這いだしたんであろう。猫、おそるべし。身体の柔らかさもさることながら、その執念にただただ驚くばかりだ。
 それにしても、人間だったら、頭がくぐっても、肩が通らない。肩が通っても、間違いなく腹や尻がひっかかる。
 人間には自由に逃げ出せない原因が他にある。義理・恩・人情・未練・恐怖・不安等々、いわゆる”しがらみ”というやつだ。だから、いつまでも現実から逃避することができない。うーん、猫が羨ましい。(4657)
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