今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年11月

薄情けは禁物


 先日来、野良猫の相談を受けていた。親猫が仔猫3匹を連れて、近所の小屋に居着くようになったという。あまり可哀想なので餌を与えていたようだ。
 僕は、例によって、こちらの事情を説明した。僕らの会は、猫を捕獲して保護する団体ではないこと。会員の中に預かってもいいという人がいればいいが、基本的にはお断りをしていること。預かる場合は、避妊・去勢の手術代や、当面の餌代として5万円ほどちょうだいしたいこと等々だ。
 急いで会員のMさんに聞いてみたら、1~2匹くらいだったら預かる余裕はあるとのこと。でも仔猫3匹となると難しいという。その旨をまた、電話で折り返し連絡した。
 電話の向こうで相談者は悩んでいた。貰ってくれそうな心当たりはある。けど、それが確実かどうかわからない。そうこうしているうちに、どんどん寒くなってきた。取り敢えず捕まえて暖かい場所へ移したいという。
 そこで今日、捕獲箱を持って、その人の家を訪ねた。確かに3匹いた。だいたい生後6ヶ月くらいだろうか。
 どれも我が家の猫たちよりも大きく見えた。よっぽど良い物を喰わせていたのだろう。それとも我が家の食事が粗末だったのか。
 捕獲箱をセットしている間にも、一匹二匹と近づいてくる。これまた我が家の猫より人懐こい。まだ小さい時から餌を与えていたのだろう。
 野良右の写真は、捕獲箱を興味深そうに見つめる猫である。こういう姿や態度を見せられると、つい餌をやりたくなる気持ちはわからないでもない。
 僕だって最初は、裏の家の庭にいた猫の親子に餌をあげていた。ある雪の夜、あんまり可哀想に思い、縁側のガラス戸をちょっぴり開けておいたら、そこから皆、中に入ってきた。それが保護猫活動の始まりである。
 でも、その時に、先輩から言われた。本当に可哀想だと思ったら、手術をして、外に出さないようにして、最後まで責任を持って飼いなさいと。そうして現在に至っている。
 今日僕は、その先輩から言われた言葉を、そっくりそのまま相談者に伝えてきた。「可哀想だからと言って野良猫に餌を与え続けると、同じように可哀想な猫がどんどん増えていってしまうんですよ。自分で飼えないのであれば、可哀想な猫の連鎖を断ち切るためにも、薄情けは禁物ですよ」と付け加えるのも忘れなかった。
 今日の相談者は、貰い手を捜してみるという。どうしても見つからなければ、また連絡をいただけることになった。一応、捕獲箱と、捕まえた猫を入れておくためのケージは置いてきた。
 上手く捕まればいいが。そして貰い手が見つかればいいが・・・。(2679)

後のまつりと知りながら


 今日も弘南鉄道大鰐線のことを書く。
 昨日から、廃線を惜しむ声がたくさん聞こえてくる。そりゃぁそうだろう。何だってこれまであったものが無くなるというのは寂しいものだ。自慢じゃないが、今泉本店が店を閉めた時だって、「惜しい、残念だ」と言ってくれた人は少なからずいた(と思う)。
 一方で、「もっとあーすれば良かったのに」といった意見も、ここ数日、けっこう耳にした。死んだこの歳を数えるようなものだが、拝聴に値するものもたくさんあった。
 ①「運行時間を工夫すればよかったのに・・・」
 ある人は、午後6時からの鍛治町での会合に出席するのにちょうどいい電車が無かったとぼやいていた。早く着きすぎるか遅刻をしてしまうかなのだそうだ。そう言えば僕も、逆に西弘前に用があった時に電車を使ったのだが、あまり早く着きすぎて、1時間ほど時間を余したことがあった。これが夜なら適当に一杯呑ったのだが、夕方だったのでお店はどこも開いてなく、公園のベンチで本を読んで時間をつぶした。
 ②「石川や大鰐はJRの駅もあるのだから、何もそこまで行かなくてもいいじゃないか」
 これも良く聞く話だ。その人は\\「せいぜい中央弘前ー千年間くらいにして、その分、運行本数を増やせばよかったのに」とも言っていた。
 ③「そもそも、最初から計画性がなかったのでは・・・」
 例えば、首都圏の私鉄だと、線路を敷く、駅を造る、駅周辺を住宅地用に造成する、駅ビルや駅前生鮮食料や日用品も扱う商業施設を造る・・・といったことを計画的に行ない、鉄道利用客を増やす戦略を実行している。ところが大鰐線の場合は,野口五郎の「私鉄沿線」に歌われたような街は、西弘前くらいしか無い。仕事帰り、駅を出たところに、気の利いた(美人のママがいるでもいい)飲み屋があれば、車を使わず電車で通勤する人がきっと増えたに違いない。
 ④行政も沿線に公共施設や観光スポットを整備すれば良かったのに・・・
 これは今日の読書人倶楽部で出た話。弘前南高校を創る時、現在の交通の便が悪い大開方面では無く。文字通り市の南に位置する沿線の千年や小栗山あたりであったなら、利用客の減少ももっと緩やかになったのではないか。南高校を志望する学生ももっと多かったようにも思う。 
 と、死んだ子の歳を数えるような話で恐縮だが、それだけ皆が大鰐線に思い入れがあったのである。廃線となって喜んでいる人は1人もいない。(7246) 
 

弘南鉄道大鰐線廃線


 大鰐弘南鉄道大鰐線が休止となることが決まった。今朝の地元紙は2紙とも、一面で大きくこのニュースを報じていた。
 とうとうか。遅きに失した。と思う一方、長年親しまれてきた鉄道だけに、一抹の寂しさも感じざるを得ない。中三デパートの倒産とともに、間違いなく今年の弘前の十大ニュースの上位を占めるであろう。
 僕は、議員時代には、終始一貫して、大鰐線の赤字を、税金で補填することには反対してきた。廃線論者の急先鋒と思われていたかもしれない。  
 だけど、決して最初から廃線ありきで論じていたわけではない。企業を甘やかす遠因にもなりかねない赤字補填ではなく。もっと抜本的な経営改善を強く求めてきたのだ。
 例えば、上下分離方式等、市が積極的に経営に参画すること。身内や生え抜きではなく、外部から経営者を招請すること。物販や不動産収入等、運輸事業以外の収益を探ること・・・などだ。
 が、それらは一つも為されなかった。2013年に、当時の社長が廃止を発表し、沿線自治体が継続を求めて支援をすることになって以来、やったことと言えば、小手先でお茶を濁すことだけだったように、僕の眼には映っている。
 例をあげると、定期利用客を増やそうと、定期代を2割引きにするというキャンペーンをやったことがある。だけど、小学生の算数程度の計算をすればすぐにわかるが、料金を2割引いたら、利用客20%増えただけでは、売上はマイナスとなる。25%以上増やさなければ意味がない。果たして結果はどうだったんだろう?
 100円で乗り放題というイベントもやっていた。期間中の利用客が増えたと喜んでいた。ではその間の収益はどうだったんだろう? 
 要は、イベント気分だったと言われても仕方が無い。経営を立て直さなければならないという危機感が、ほとんど感じられなかったのが残念だ。
 と、過ぎたことを言い連ねてもしょうがない。問題はこれからのことだ。僕の試算だと数百人程度とはいえ、通勤通学に利用している人たちの移動手段をどうするか。さらに、中央弘前の駅舎や、中途半端に拡張整備した駅前広場を、どのように活用していくか。課題は山積みだ。(5059)
 
 

年賀状欠礼のご案内


 友人の経営する某会社から、「年賀状廃止のお知らせ」という葉書が届いた。それには、”昨今のデジタル環境の普及、儀礼簡略化及び環境保全の観点から、年賀状による新年の挨拶を控えさせていただく・・・」と書かれてある。  
 なるほどそれは納得できると頷く一方、とうとうそんな時代が来たんだと、ある種の感慨を覚えた次第だ。
 僕は、デジタルの普及も環境保全も関係なく、もう何十年も、こちらから年賀状を出すことはなかった。字に自信がないからである。字の下手さにはコンプレックスを持っている。  
 子どもの頃は、あまり気にしていなかった。思い思いの絵を描いて、クラスの友人達に出していた。酉年だというので烏の絵を描いて出したら、”酉”とは鶏のことだと教えられ恥をかいたこともある。まぁ、早い話が、皆が書くから僕も書こうといった気分だった。  
 長ずるにつれ、自分の字がいかに他人より劣っているかが如実にわかってきた。それと同時に、臍も旋毛も曲がってきて、皆がやることを皆と同じようにやることに反発心も芽生えてきた。  
 社会人になってから、たった1度だけ年賀状を出したのは、青年会議所の理事長を務めることになった年だけである。さすがに関係者には挨拶だけはしておいた方がいいかなと日和ってしまった。  
 それでも、毎年たくさんいただくのに、こちらから出さないことに、少しは引け目は感じていた。ところが議員になったら、そんな引け目すら吹っ飛ばすような有り難い法律があった。公職選挙法である。自筆のもの以外、年賀状を出すことが禁じられているのだ。
 原稿の公選法には、ちょっと堅苦しさも感じないわけではない。例えば、どんなにお世話になった恩人の葬儀にでも供花をすることは禁じられている。母校の周年事業に対する寄附もご法度だ。世間を狭くしかねない。が、この年賀状禁止を遵守することには、何の違和感も感じなかった。
 最近はもっぱらLINEである。70才にも手が届こうという高齢者が、可愛らしいスタンプをポチっと送ってそれで済ましている。便利な世の中になったものだとつくづく感心をしている。
 さて、冒頭に書いた葉書の件である。これからは益々、こういう企業や個人が増えてくるだろう。
 今こそ、翌日配達を止め、土日配達も止め、それでいて料金は大幅に値上げするといった郵便事業の度重なるサービス低下に対して、我々庶民も、せめて年賀状を出さないことで、抗議の意を示そうではないか。・・・などとアジって、自分が出さないことを正当化しようとしているだけの情けない話なのだ。
 というわけで、今年も年賀状は出しませんので、悪しからず。(5838) 
 

改めて彼我の差について 昨日・今日の商店街視察から


 昨日の続き、秋田視察のことである。彼我(秋田と弘前)の差は大きいと僕は書いた。勿論、県庁所在地の秋田市とそうではない弘前市、人口が30万近くもある秋田市と16万の弘前といった、前提となる(?)な差もあるが、それよりも、行政の中心商店街に対する考え方の差が大きいように思う。
 例えば、昨日現地を視察した「なかいちエリア(中通り一丁目地区)は、第一種市街地再開発という手法を使って整備したのだそうだ。ここには秋田県立美術館、秋田市立の賑わい交流館、商業施設、マンションが建ち並ぶ。県・市・民間が一体となって開発したエリアだ。
 更に、広小路を挟んで向い側にある千秋公園には、2000人規模の大ホールをはじめ3つのホールを持つ秋田芸術劇場ミルハスや文化創造館、図書館等文化施設が集中している。ここも、行政が、まちの賑わいを創るために整備したとのこと。
 秋田駅前駅前の変貌も著しい。駅改札フロアから、雨にも濡れず、信号を渡ることもなく、真っ直ぐ商店街に降りていけるつまり、通称大屋根通りがあって、それを挟むように商業施設が向かい合っている。ここもやはり再開発事業として整備されたと聞いた。
 再開発事業とは基本的には、総事業費の三分の一を国が、県と市で三分の一、残りの三分の一が事業者の負担となる。つまり中心商店街活性化のための積極的な投資が行なわれているということだ。
 一方、弘前市では、駅前のジュッパル以降、この再開発事業は行なわれていない。そこにもどかしさを感じている。
 その他にも、昨日視察した仲小路商店街は、市と連携して様々なソフト事業を行なっている。市が積極的に提案をして実現した事業もある。ハード・ソフト両面で、市との関係は極めて良好のようだ。こういった点は、弘前市においても、商店街・市役所とも、大いに手本としなければならない。
 もう一つ驚いたのは、商店街の真ん中に県立高校があったことだ。定時制高校なので、それほど生徒数は多くないが、街に若者が通ってくるということの効果は計り知れない。堀を挟んだ千秋公園内にも私立高校がある。僕らが視察したのがちょうど3時から4時の間だったためか、公園から商店街の方へ、たくさんの高校生が歩いて行っていた。
 弘前は、その逆だった。街の中にあった聖愛高校や、徒歩10分内にあった東奥義塾高校が、相次いで郊外へ移転していった。街から一気に賑わいが消えた。これから生徒数が益々減少していくことを考えれば、郊外の広大な敷地は必要でなくなるはずだ。近い将来、またどこかの高校が、街に進出してきてはくれないものだろうか。
 と、わずか1泊2日の駆け足ではあったが、色々と刺激を受けた視察であった。(12186)
 
 
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