今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2024年12月

一年の終わりに


 皆様、今年一年、このブログをご愛読下さいまして有難うございました。議員を辞めてから1年と8ヶ月が経過して、以前と違い、特筆するような話題も少なくなってきたのですが、それでも読み続けていただいたことに、心から感謝申し上げます。
 一年を振り返りますと、やはり心身共に歳を感じざるを得ません。”身”の方は、疲れがなかなか抜けなくなりました。夜、就寝する時間が早くなり、かと言って、起床の時間も早くなったわけではありません。睡眠時間は確実に長くなっています。でも、前日の疲れが残っていることが多くなりました。
 ”心”の方は相変わらずです。三日坊主と泥縄。もともとそうだったんですが、この一年はそれが益々ひどくなりました。元日から、家計費節約のため、生まれて初めてお小遣い帳をつけはじめたのですが、7月までしか続きませんでした。原稿は相変わらず締切り日当日ならいい方で、遅れて催促されたこともしばしばありました。
 生活のリズムも大きく変りました。”身”なのか”心”なのか、あるいはその両方なのか、外食・外飲みがぐっと減りました。決して節約のためだけではありません。夜、外出するのが面倒臭くなったのです。家で1人でテレビを視ながら呑むことに、楽しみと安らぎを感じるようになりました。
 勿論、全く出歩かないわけではありません。声をかけていただければ、ほいほいと付いていきます。皆さんのお誘いをお待ちしております。
 そんな中で、曲がりなりにも続けて来られたのが、このブログと朝晩の猫の世話(餌やりとトイレ掃除)です。来年もこの二つの継続だけは死守したいと思っています。議員でもないただの一老人のプライベートな日記を、どうぞ見捨てないでお読みいただければ幸甚です。
 皆様、よいお年を。(5173)
 

僕の今年の10大ニュース 下半期編


 昨日に引き続き、僕個人にとっての10大ニュースを発表する。それぞれに数行ずつコメントを付しておいたが、詳しく知りたい方は、当日のブログにリンクを貼っておいたので、そちらを参照していただけえばと思う。

 7月 三重苦
 いやはやひどい月だった。ギックリ腰、高熱、顔面の怪我と、一月の間に3度も傷病に襲われた。顔に怪我をした時なんて、あまりのみっともなさに、外出の際には、マスクで顔面を覆い、帽子を目深に被っていたくらいだ。お陰で、東北三田会総会、中活ビジョンに対する意見聴衆会、町会長研修会と、大切な会議を三つも欠席せざるを得なくなった。8月1日のねぷた運行にも声をかけていただいたが、それもお断りした。
 お陰様で、熱はすぐに下がり、顔の傷も癒えたが、腰はまだ時々痛む日がある。

 10月  逗子訪問
 弘前読書人倶楽部の顧問であるSeさんを、お住まいの逗子に訪ねた。理事のTaさんと一緒だ。以前は年に数回、弘前までお越しいただいていたのだが、この1年間は、昨年の総会にご出席いただいて以来お会いしていなかったので、挨拶も兼ねて訪問した次第だ。
 体調が優れないと聞いていたが、とてもお元気そうだった。安心した。港を見下ろすレストランで昼食をご馳走になった。孫娘さんの書いた本まで頂戴した。来年は是非、お孫さんと一緒に弘前へお越し下さいとお願いした。

 10月 長谷川町子記念館
 逗子訪問の翌日、新幹線の発車時刻までの間、足を伸ばして、長谷川町子記念館に行ってきた。今年は、サザエさんに凝ってしまったのだ。庶民の戦後史を知るには、最高のテキストと言ってもいい。ほとんど駆け足と言ってもいいくらいの強行スケジュールだったが、充分に堪能することができた。
 館内の売店で、「お宝さざえさん」という本を見つけた。そこでは買わずに、弘前に帰ってきてから、地元の本屋さんに注文した。

 12月 親友の死
 Sa君が亡くなった。高校時代からの親友だった。放課後、仲間たちと一緒に、同じように道草をして遊んでいるのに彼だけは成績優秀だった。大学は一橋。学生時代も、よく一緒に遊んだ。競馬場に行き、新宿や渋谷で呑んだ。病に犯されたのは数年前。癌だった。先進医療も受け、食べ物や飲み物にも気を使っていて、昨年の4月には、桜を観に弘前に帰ってきていた。千葉に住む、やはり高校時代からの親友Na君から訃報を聞いたときは、思わず言葉を失ってしまった。

 12月 中心商店街再生への道
 ごく最近の話題である。ご記憶の方も多いだろう。弘前市議会が、議員全員の連名で、市長に対し「中心市街地再生への積極的な取り組み」を求める要望書を提出した。僕は、その前段に、少々係わっていた。商店街理事長名で請願書を出していたのだ。が、「商店街からの請願より、議員全員の要望書の方が、意味が重い」という複数の議員からの助言で、その請願書を取り下げた。そういう経緯もあるので、今回の要望書を受けた市が、来年、どのような中心商店街に関する施策を打ち出すのか、期待をもって見守りたいと思う。

 尚、10月の長谷川町子記念館訪問と、12月の親友の訃報は、諸事情があって、その日のブログには書くことができなかった。(4784)

  

僕の今年の10大ニュース 上半期編


 恒例(?)の、今年の10大ニュースを書こう。一般的には、元日の能登半島沖地震だとか、自公が過半数割れした総選挙だとか、あるいは大谷の50-50がピックアップされるのだろうが、これから書くのは、あくまで僕の身の周りの10大ニュースである。そこはご理解願いたい。
 それともう一つ。ニュースに順位を付けるのは止めた。どの出来事も、僕にとっては、甲乙付けがたい意味を持っているからだ。
 そこで、今年は、上半期と下半期に分けて、2日に渡って発表する。先ずは上半期編。

 3月 愛猫の死
 猫を6匹保護していた。親猫とその仔5匹である。その親猫が3月に旅立った。仔猫が先に病気になって、その看病にかかりきりになっているうちに、病状が悪化したのだ。
 病院で「長くない」と宣告された日の夜から、僕の寝室に入れた。同じ布団の中で寝た。3日目の朝、足元で冷たくなっていた。

 3月 「じょっぱり」上映会成功
 弘前読書人倶楽部の会員でもあるKさんがプロデュースした映画「じょっぱり」の上映会が行なわれた。青森県において看護の礎を築いたと言われる花田ミキさんを描いた作品だ。僕は、市内における告知やチケット販売、当日の運営等でお手伝いをさせていただいた。お陰様で、たくさんの人に会場まで足を運んでいただき、監督にもKさんにも喜んでいただけたようだった。

 4月 ジュンク堂閉店
 世間的には、8月の中三倒産の方がビッグニュースだったろうが、僕にとっては、その前の中三6階にあったジュンク堂閉店の方が印象が強い。何故なら、いくつかの報道機関から取材を受けたりして、にわか書店評論家のようになったからだ。NHKのローカルニュース番組「アップルワイド」にも出させていただいた。その時取材に来た女性記者には、それがご縁で、弘前読書人倶楽部のブックトークでも講話をいただくことができた。

 4月 「文芸時評」連載開始
 M新報社の「文芸時評」欄を担当することになった。3月に前任者のSM先生から突然電話が来て「次を頼む」と言われた。SM先生は、元高校国語の教師で、郷土文学の研究者でもある。その後を引き受けるのは、かなり敷居が高かったのだが、幸い時間的な余裕は多少あったので、4月分から書き始めた。今のところ、なんとか締め切りに遅れずに、連載は続いている。

 5月 保護猫譲渡会の成功
 一昨年から「保護猫の会」を設立して活動をしている。保護猫活動をしている人たちの情報交換や意見集約が目的だったが、やはり、それだけでは満足出来ず、それぞれが保護している猫の譲渡会を開催した。僕らの会だけでは猫が集らず、青森や黒石の保護猫グループの助けもいただいて、どうにか漕ぎ着けたが、当日は300人を超す来場者があり、大盛況の裡に無事に終了した。

 
 

読書を阻むもの

 
 今年も市立図書館にはお世話になった。無い本をリクエストして購入してもらったり、他館から借りてきてもらったりもした。
 先日、ロビーで館長に会ったら、「いつもご利用有難うございます」と挨拶された。いつも返却が遅れているのがばれでもしたのだろうか・・・。
 今日は、その図書館納めの日。12月15日のブログで紹介した、日本経済新聞出版社のプロレス小説2冊を返却しに行ってきた。簡単に感想を述べれば、面白かった。プロレスの本質をよく弁えた小説だった。ファン必読と言ってもいい。
 話を本題に戻す。弘前市立図書館は、明日から1月3日までの6日間、年末年始の休館日となる。そのせいか、いつになく混み合っていた。
 地下の駐車場からして満車に近かった。僕の定位置と言ってもいい駐車スペースは、3本ある通路の真ん中の、地上に出るエレベーターの真ん前辺り。出し入れしやすいのと、あまり歩かなくて済むからだ。  
 が、その一帯も今日は全て埋まっていて、結局ぐるっと一周して、エレベーターから遠い位置に漸く空きスペースを見つけて駐めることができた。
 中も勿論、たくさんの人がいた。何冊も借りていっている親子連れもいる。本を抱えて楽しそうにしている子どもの姿を見ると、僕も嬉しくなる。どうぞ、この子どもたちが、大人になっても本好きでいてくれますようにと、祈りたい気分だ。  
 当然、僕も、返しっ放しということはない。借りたら返す、返したらまた借りる。零細企業の資金繰りのようだ。
 今日、年末年始用に借りたのは、次の2冊。いわゆるシリーズ物で、最近発行された最新作も図書館にあったのだが、それは借りてこなかった。何故なら、今の僕の読書力では、2冊が精一杯だからだ。
 12月17日のブログで僕は、読書時間を創るためにはテレビを視ないことだと書いたが、読書を阻む大敵がもう一つあった。雪だ。特にここ数日は、朝の雪かき疲れで、夜は布団に入るとバタンキューだし、朝も、布団の中で読もうにも、雪が待っていると思えば、のんびり本を開いていられない。
 あーあ、この雪はいつまで降り続くのだろう。借りてきた2冊以外にも、買ったはいいがまだ手を付けていない本もあれば、1月のM新報「文芸時評」に掲載するために読もうと思っている本もある。
 今日の2冊、返却延滞、新年第1号になったりして・・・(5322)
 
 

入札は大変だ


 価格転嫁が難しい発注元のベスト3に”地方公務”が入っているとの話を聞いた。人件費や原材料費、仕入原価、その他諸経費が軒並み上がっていっても、役所に納品するときには、それを転嫁できていないということらしい。
 そこで僕はある機関紙に、「価格の安さだけを求める入札制度に問題があるのおではないか」と書いた。そうしたところ、別の会員から異論が出たという。
 その”異論”の内容を聞いているわけではない。従って、決して頭から反論するということではないが、僕の入札に対する考え方は、商売をやっていた経験からきているものだ。
 かつて書店で仕事をしていた頃、ある県立の施設の入札に参加したことがあった。記憶はあいまいだが、確か2000万円くらいの図書購入だったと思う。書店にしてみれば、かなり高額のビジネスチャンスだったのだ。
 ところが、相手は、天下のK國屋であったりM善だ。同じ本でも、そもそも仕入原価が 違うのである。とても太刀打ちできるものではない。結局、苦渋を舐めるはめになった。  
 勝ったこともある。でも、利益はほとんど残らない。配送経費なども考えれば、赤字ギリギリだあったろう。  
 思い出すのは、弘前に帰ってきて、父の経営する書店に入って間もない頃のことである。国立H大学の図書館長から呼び出された。K國屋もM善も一緒だった。その館長は、仙台から異動できたばかりで、開口一番「各地の大学を回ってきたが、値引きをしていないのは弘前だけだ」と切り出した。
 その時以降、入札が始まり、僕の店は、図書館には納めることができなくなった。
 その一件で感じたのは、公務員(館長も)にとっては、業者を叩いて、出来るだけ安く買うことが正義なんだろうなぁということ。粗利益率等、商売の仕組みも理解せず、とにかく安くすることを是としているように見えた。  
 図書の世界ばかりではない。聞いた話なので、いささか大袈裟に伝わってきているのかもしれないが、秋田県では、地元の事務機器屋はもう役所に納品できなくなっているという。メーカー直営の販売会社に価格で負けてしまうというのだ。
 そうして、その土地で、小さいながらもコツコツと営業をしてきた地場の企業が、どんどん淘汰されていく。それを後押ししている一つが、現行の入札制度ではないかと書いたのだ。
 中には、不当に高い価格で納めようという不届きな輩もないわけではないだろう。贈収賄ぎりぎりの手を使っている業者もいるかもしれない。
 が、可能な限りコストを切り詰め、実績を作るため原価割れも覚悟で札を入れている事業者だっている。むしろそっちの方が多いであろう。そういう業者にとって、昨今の賃上げや物価高騰で膨らんだ経費を転嫁するのは、決して簡単にできることではない。
 解決方法の一つとして、建設事業で行なわれている”総合評価方式”を物品購入にも導入すると言う「手が考えられる。価格の安さだけでなく、地域への貢献や、これまでの実績も含めて評価する方法だ。言うまでもないことだが、地元で賄えるものは地元の業者からが大原則だ。
 冒頭の異論を述べた人とも、一度、話し合う場を設けてもらうよう提案した。今日の話なので、まだ返事は来ていない。(4963)
 
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