レターパックが届いた。中には文庫本が入っていた。
著者は差出人のようだが、その名前に心当たりはない。巻末の著者プロフィールを見ると、どうやら小・中・高校の2年後輩のようだ。が、先輩にしろ後輩にしろ、同級生とは違い、顔と名前を一致して覚えているということはよっぽどでなければ無いに等しい。
この一年、M新報に文芸時評を連載しているから、ひょっとしてファンレターを兼ねた書評の依頼かなと、一瞬自惚れそうになった。うーん、それは困る。僕は書評を書くのが苦手なのだ。が、当然のことながら、そういったことは無かった。
本とは別に1通の手紙も入っていた。それでようやく少しわかった。
最初に、僕のこのブログの読者だということが書かれてあった。時々、コメントも寄せてくれている方だ。そうなると、襟を正して読まなければならない。
ふむふむ、以前、ある勉強会で遭遇したことがあること。僕のブログの中にイニシャルで登場する人物のこと。逆に本の中にイニシャルで書かれているA君は、僕もよく知っている人であることなどが、親しみやすい文章で綴られていた。
それでも、どうして突然僕に本を贈ってくれたのかは、今一つわからない。ヒントになりそうなのは、同封されていた青森近代文学館で以前開催された「石坂洋次郎」展のパンフレットのコピー。そこには出品物提供者として、僕の父の名前が書かれてある。
もう1枚の資料は、石坂洋次郎のお孫さんが国際生物学賞を受賞した時の挨拶文のコピー・・・どうやら、本の寄贈してもらったのは、石坂洋次郎が関係しているらしい。
そう気がついて、目次を見る。「石坂洋次郎への極私的オマージュ」という章があった。「あとがき」には、石坂洋次郎の作品が”不当に評価されている”とあり、石坂文学を現代人に馴染んでもらうには、漫画にすればいいのではないかと書いてある。以前、弘前ペンクラブでは、石坂文学の復権のために、三浦雅士の講演会と映画上映会を行なったこともあったが、”漫画”ということまでは考えつかなかった。
僕もかねがね石坂洋次郎の作品が消えてしまったことに寂しさを感じている。いま、「青い山脈」なり「若い人」を読もうと思えば、古書店を探すか、図書館から全集を借りてくるしかない。新潮文庫に多数の作品がラインナップされている太宰治とは大変な違いだ。(ちなみに、弘前読書人倶楽部には、わずかではあるが「石坂洋次郎コーナー」がある」
著者の思いに大いに共鳴し、さっそく読破した、と書ければいいのだが、実は今朝、またまたギックリ腰をやってしまった。今度のはひどかった。立ってもも座っていても寝ていても痛い。どても読書どころではない。
ということで、ちゃんと読むのは明日以降になるけれど、取り敢えずHaさん、有難うございました。(3114)