今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2025年04月

ここにも豪雪の爪痕が


 今日は、高照神社運営検討委員会の会議。4月12日のブログにも書いたように、拝殿修繕費用を調達するためのクラウドファンディングについての打ち合わせだ。
 っこの委員会の会議は、高照神社内にあり町会集会所で行なうことが多い。てっきり今日もそうだと思って、会議開始5分前にはそこに到着した。  
 が、駐車場に駐まっている車の数は少なく、集会所の鍵もかかったままだ。日時を間違えたかと心配になって委員長に電話をしたら、会場が違っていた、市役所岩木庁舎だという。あわてて引き返したが、10分強の遅刻となってしまった。反省。  
 奥の院遅れて会議室に入くなり、「せっかく高照神社まで行ったのなら、これを見てくればよかったのに」と、写真を差し出された。なんと、この冬の豪雪で、奥の院の門や木柵が倒壊していたのである。弘前公園の桜の木や櫓の被害は全国ニュースで大きく採り上げられたが、人知れぬ山裾の重要文化財にも雪害があったのだ。  
 数年前の豪雪では、市の指定文化財である「高照神社文庫」と呼ばれる建物が倒壊した。やはり、境内の多くの文化財は著しく老朽化し、早急に修繕しなければならない現実を突きつけられた思いだ。  
 悲しいことに、奥の院の改修は、今回のクラウドファンディングの予算には含まれていない。別途、資金調達の方法を考えなければならないかもしれない。  
 さて、今日の会議だが、クラウドファンディングの開始を7月1日に設定した。その前に何やら審査を受けなければならないみたいで、それに要する期間も勘案すれば、6月始めまでには、きちっとした形が整っていないといけないらしい。
 ところが、今の段階では、寄付額の一口をいくらにするといったコース設定や、それに対する返礼品の選定等は決まっていない。告知の方法も充分に練られていないような気もした。  
 まぁ、企画立案や運営にはプロが付いているのだから、僕が心配する必要はないのだろうが、明日からの1ヶ月はとても忙しくなりそうだ。また、何回か会議が開かれるかもしれないが、今度は、間違わず遅刻をしないように行かなくっちゃ。(4601)

出過ぎた言い分


 4月22日のブログで、「市役所内でのパワハラ」と一言だけ書いた。そうしたら早速、ある人からコメントをいただいた。そのことについては後で触れる。
 僕がその情報を得たのは、 ブログを書いた前日だった。が、もはや議員でもない僕が聞いてもどうすることもできない。まさか、その部署に乗り込んで部長や課長に直談判しようとしても、おそらく相手にされないだろう。
 そこで、元同僚のTa議員に相談したところ、早速動いてくれた。今日は、Ta議員と一緒に、情報提供者から直に話を聞く機会を持つに至った。
 先述の、寄せられたコメントへの返信にも書いたのだが、今日聞いた話も含め、まだ調査中の案件なので、ここで詳細を記すわけにはいかない。僕が不確定なことを書いたことで、情報提供者が不利益を被らないとは言えないし、兵庫県庁のように、内部通報者が自殺に追い込まれるなんて事態が絶対に起こらないとは言い切れない。
 ただ、言えることは、俗に言う”怪文書”のような無責任でいい加減なものではないということだ。議員の前で、顔と本名を晒して告発することに、どれだけの勇気がいることか。僕はそれだけで、充分に信頼のおける情報だと確信している。
 パワハラの実態とは別に、ここで僕が感じたことを少しだけ書く。市役所という組織の体質についてだ。
 いまだに横並びの思想が蔓延しているのではないか。組織の中で誰かが突出することは、なかなか許されない。上司は、自分より優秀な人材を疎ましく思い、自分に従順な部下だけを可愛がる。その結果、秀でた技能や知見・資格を持った職員が、充分にその能力を発揮できないなんてことになれば、組織にとっても、いや弘前市にとっても、大きな損失ではないか。
 話は逸れるが、僕は以前、一定の年齢を超したら、専門分野に専念すべきではないかと主張したことがある。僕がまだ商店街の役員をやっていた頃だ。当時の都市計画課長と街路整備について、入念な協議を続けていた。ところがある年の人事異動で、課長が交代した。新しく来た課長は、全く畑違いのB書から移ってきて、しかも都市計画分野は初めてという。僕らは一から説明をしなければならなくなった。
 今でも、それに近いことが行なわれてはいないだろうか。長年勤めてきた職員の経験が活かされないような人事にはなっていないだろうか。ただ単に、定められたルーティーンだけを大過なくこなせばいいというのであれば、それでもいいだろう。でも、新しい施策を打ち出したり、従来の制度をより深めていこうとする時に、幹部にその能力がなければ、結局、何も前進しない。
 まぁ、さっきも言ったように、今の僕が口を挟むようなことではない。出過ぎたことを書いてしまったような気もする。僕はただ、パワハラの情報提供者が、その能力を充分に活かせるような、明るく活き活きとした職場になってもらいたいと願うばかりである。(6349)
 

Cat-Hunter奮戦記


 ある町会に・・・誓って言うが我が町会ではない・・・、野良猫に餌をやっていたご婦人がいた。毎日、その時間になると、町内中から野良猫が集ってきて餌を漁り、食事が終るとまた散っていく。そして、そこかしこで排泄をしたり鳴き叫んだりするので、あちこちから苦情が出ていた。町会の役員も、何度かそのご婦人に注意をしたらしいが、聞き届けてもらえなかったらしい。 
 今年の1月、僕と、保護猫の会の会長のEさんは、町会の役員と一緒に、そのご婦人の家を訪ねた。そして、町内から苦情が出ていることを改めて伝え、餌をやらないでほしいとお願いをした。「そんな可哀想なことはできない」と返された。だったら家の中で飼うか、せめて去勢・避妊手術を受けさせてくれと重ねて頼んだ。数匹の猫が可哀想だといって、手術をしないままに野放しにしていれば、可哀想な猫がどんどん増えていくだけだと説明をしたのだが、残念ながら通じなかった。僕らも、それ以上話しても埒があかないと諦め、それっきりにしていた。  
 それが数日前、その方の子どもという人から電話をいただいた。お母様が入院したという。自分たちとしても、猫のことでは困っているので、どうにかならないかという相談であった。  
 もう一度、餌をやらないことをお願いした。その上で、一匹ずつでも捕まえて、新しい飼い主に届けることにした。  
 そして今日、捕獲箱を持って、その方の家を再び訪ねた。捕獲箱を使うのは久し振りだ。
 玄関や物置の前には、5~6匹の猫がいた。どの猫も、野良猫の割りには人懐っこい。僕が近寄っても、少し後ずさりをするくらいで、まっしぐらに逃げたりはしない。我が家の猫とは大違いだ。入院したご婦人が愛情を持って接していたからだろう。
 捕獲箱をセットした。中に吊されている餌を食べようと、猫が踏み板に足を乗せて体重をかければ、バタンと出入り口が閉じるというしかけだ。これまで何度もこの箱で猫を捕まえてきている。ぬかりはないはずだ。
 ところが、ここの猫たちは頭がいい。まるで保護猫の仕組みを知っているかのように、代わる代わる中に入っては、踏み板を踏まないように、上手に首を伸ばして餌を食べる。2度3度と失敗して、とうとう最後に、一番小さい黒猫が捕まった。まぁ、なんとか保護猫ハンターの面目を保てたといった感じだ。
 捕まえた猫は、まっすぐ保護猫の会の会員さんの家へさっそく連れていった。何十匹も猫を保護しているベテランだ。風邪を引いているので、取り敢えずは他の猫から隔離して、餌と一緒に薬を飲ませてみるという。新しいケージにおさまるのを見届けて帰ってきた。
 が、これで安心はしていられない。件の家にはまだまだたくさんの猫が集ってくる。また、保護してくれる人を見つけてから、捕まえにいかなければならない。
 でも、猫だって学習する。何度も何度も、仲間が捕獲箱で捕まるのをみているうちに、段々と近寄らなくなっていく。同じ間違いを何度も繰り返す人間・・・少なくても僕よりは賢い動物なのだ。心してかからなくては・・・。(5928)
 

舞台は中三 失われた店たちへのオマージュ


 一揆「おでかけ短編エンゲキ祭2025 奥羽本線できた」に行ってきた。主催している劇団一揆の星が、土手町を舞台にした劇を上演するからと、旧知のIさんから誘われたからだ。”土手町”と聞けば、行かないわけにはいかない。
 場所は、スペースデネガ。100人も入れば満席といった客席には、びっしりとお客様が座っていた。
 舞台も狭い。3つの劇団が次々と芝居を行なうので、大がかりな舞台背景や大道具はない。一揆の星の芝居では、いくつかのビールケースを、移動したり重ねたりしながら、場面の様子を表現していた。
 内容は、倒産した中三デパートの中で、不思議なお祭りが行なわれているという噂を、Webライターが取材に来たという設定で始まる。親切な老婆(?)に導かれて中に入ってみると、何やら怪しげな住人がいる。各フロアは全て、居住スペースや宿泊フロア、温泉、レストラン、アスレチック施設等で使われていて、8階の、僕らにはお馴染みのスペースアストロは、やはりイベント会場となっている。あるフロアには工場があって、そこでは不思議なリンゴが生産されていた・・・といった感じだ。
 この後、5月には青森市でも上演があるので、これ以上書くとネタバレになってしまうので、ここで留めておくが、まぁ、よくできたスプラスティックコメディーだった。
 登場人物の台詞の中に、「今泉本店」が出てきた。劇中ではビル一棟がまるまる本屋だったと説明されていたが、それはちょっと違う。売場は1階と2階、3階にはギャラリーがあって、4階は事務室、5階は倉庫だった。まぁ、知っていてわざとにオーバーに表現してくれたんだろう。
 その他にも、紀伊国屋、肉の富田、開雲堂等々、今は無き土手町の店の名前もたくさん出た。土手町ではないが、イトーヨーカドー、さと長等も出てきた。失われた弘前の店たちへの、一種のオマージュのようにも感じた。
 ただ、気になったのは、それを理解できる人ばかりではないということだ。僕はいたって無頓着なので、却って名前が出たことを喜んでいたりしているんだが、倒産や廃業をした当事者の中には、こういう状況で名前を呼ばれることに、複雑な思いを抱く人もいるかもしれない。まぁもっとも、のこのこと観劇に出かけるような倒産経験者は僕くらいのものだろうが・・・。  
 6月にも、今度は、劇団演人が、やはり中三デパートを舞台にした劇を上演するという。閉店したデパートと、衰退しつつある商店街が、何か地元の演劇界ではブームになっているみたいだ。それもこれも、土手町に対する懐かしさと期待が入り交じった気持ちが、まだまだ市民の中には根強くある証なのではなかろうか。
 6月の劇団演人の芝居には、僕も、取材協力という形で係わっている。勿論、観に行こうと思っている。(4542)

代打の神様登場


 弘前読書人倶楽部では、原則として毎月、地域の色々なジャンルで活躍されている人をお招きして、”本”に関するお話しを聞かせていただくという、「ブックトーク」という例会を開催している。これまで、政治家・医師・弁護士・教育関係者・僧侶・翻訳家・会社経営者・主婦等々、たくさんの人に講師をお願いしてきて、かれこれもう125回をこえた。
 今日の講師は、弘前れんが倉庫美術館の副館長Koさんを予定していた。美術館創設時から運営に携わってこられた人だ。今日は”本”に絡めて、知られざる美術館の裏話なども聞かせてもらえるのではないかと期待をしていた。
 ところが、2日前のことである。実家で不幸があって、北海道に帰らなければならなくなったとKoさんから電話が入った。あまりにも急な話で、一瞬、言葉を失ったが、冠婚葬祭が理由であれば無理強いをするわけにもいかない。
 さて、困った。もう懇親会の弁当は発注済みだし、今から案内序を出し直すには時間がない。  
 途方にくれていたら、読書人倶楽部のチャーターメンバーで幹事のTa君が、代わりにやってもいいよと手を挙げてくれた。「地獄に仏」とはこのことなんであろう。Ta君の頭上に後光が差しているようにも見えた。
 実は僕も、いざとなったら、出番があるかなと思い、本を数冊持参していった。昨年4月からM新報”で連載を始めた文芸時評で紹介した本について、詳しく語りたいと思っていたのだ。
 が、それは幻で終った。Ta君がほぼ、トークに割当てられた時間を使い切ってくれたのである。「残念」と思う気持ちもまいわけではないが、「助かった」という気持ちの方が正直なところではある。
 Ta君には、以前にも急遽講話をお願いしたことがある。あの時も確か、自ら買ってでてくれたと記憶している。それだけ読書の幅が広いということだ。
 かつて、阪急ブレーブスには、高井というスラッガーがいた。確か代打ホームランの日本記録を持っている。代打専門としてオールスターゲームに選ばれたこともある。阪神タイガースにも川藤という、代打の大打者がいた。
 彼らは「代打の神様」と呼ばれた。それと同じで、Ta君はまさしく、読書人倶楽部の代打の神様と言っても差し支えないだろう。これからも、何か不測の事態が起こったときのTa君頼みが常態化しそうだ。
 でも、僕にも少しは欲がある。
 来月は、絵本セラピストのHaさんを講師に予定している。先日、直接お会いして日程の確認をしてきた。が、万が一、Haさんのご都合が悪くなったりしたら、今度は僕が、今日話すつもりだった本の紹介をしてみようかなとも思う。
 まぁ、そんな”不測の事態”やら”万が一”なんてことが、そうそう起こらないにこしたことはないのだけれど・・・。(5461)

























































































記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

昌ちゃん

今泉昌一の本棚


QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ