今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2025年08月

最後の総会


 今年度も、随分とたくさんの総会に係わった。ただ出席するだけの総会ではない。自分で決算を担当する側の総会の話だ。
 まずは町会。町会の場合は、会計担当がちゃんといて、僕は帳簿や通帳、ましてや決算書作成には直接係わることはない。が町会長として責任は一身に背負う。今年の総会は、5月8日のブログでも少し触れたように、監査をパスするのに苦労をした。我が町会の監査役は、弘前市の監査にも携わっているセミプロだ。駄目出しを2度食らって、3度目でようやく通してもらった。 
 これも以前にブログでも紹介した、某財団法人の総会では、決算に苦労をした。現職の理事長が、昨年度後半、病気で出てこられなくなり、決算を任せられたのだ。が、僕が通帳を預かった10月以降のお金の出入りはわかるが、それ以前のことは理事長でなければわからない。そこで、通帳と理事長の記憶を頼りに、税理士さんと打ち合わせを重ね、ようやく決算をし総会に漕ぎ着けることができた。
 総会とは関係ないが、太宰治まなびの家の決算も行なった。こちらは至って簡単だ。収入も支払いも、全て通帳を通じて行なっている。全て通帳に記録が残っているからだ。
 僕も係わっている市民団体の決算も楽だった。何と言ってもお金が動かない。収入は会員からの年会費。支出は0。毎年繰越金だけが増えていく。
 そして今日、おそらく僕にとっては、今年度最後の決算総会が行なわれた。弘前読書人倶楽部の総会だ。
 いざ、資料を印刷しようとした段階で、プリンターのトナーが切れるなど、いくつかのトラブルはあったが、大過なく無事に終了した。決算は、前年度より、単年度収支を改善させることが出来た。
 正直言って、ほっとした。肩の荷が一気に下りた。
 総会後のブックトークは、シードル研究家のA女史。久々に超満員空席無しの大盛況だった。Aさんは、りんご酒やシードルの歴史を、本を紹介しながら繙いて話をしてくれた。
 懇親会の乾杯は、Aさんが持ってきてくれた出来たてのシードル。総会を終え、緊張感から開放された僕は、いつになく酔いが早くまわってしまった。2次会で盛り上がる仲間たちを残して、一足早く帰路についた。(7800)
 

長老気分でBBQ


 今日は、「徳田町の集い」。町会恒例のバーベキュー大会の日だ。まぁ、”恒例”といってもまだ5回目ではある。
 このイベントは、僕が町会長になってから始められた。と言えば聞こえはいいが、実際には、僕の発案ではない。僕が町会長になったときに任命した、若い副会長さんたちの強い要望がことの始まりだ。町会内の親睦を図ろう、互いに声を掛け合えるような町会を創ろうという狙いだった。
 最初は、弘前市の町会活性化支援事業を使って行なった。5万円まで助成金が出るという制度だ。
 何せ初めてだったので、勝手がわからず、けっこう大がかりなものになった。工事現場用の簡易トイレを置いてみたり、子どもが楽しめるような手作りの射的ゲームを行なってみたり・・・。が、トイレを使う人はいなかった。
 2回目も市の助成制度を使わせていただいた。ただ1回目と何か違うことを採り入れるという条件があったので、バーベキューの前に、町内の危険箇所をチェックするという事業を付け加えた。  
 1回目、2回目とも好評だったので、さぁ3回目と張り切っていたところを、コロナ禍に襲われた。しばらくの間、やむなく中止を余儀なくされた。  
 それが復活したのが1昨年。ちょうど僕が議員を辞めた年だ。心機一転、場所も変えて、副会長宅の広い前庭を借りて行なった。久し振りだったせいか、老若男女、大勢の人が集った。  
 去年からは、市の助成金を使わずに行なっている。コロナ禍の間、あまり活動をしなかった分、けっこう余剰金が貯まっていた。それを切り崩しての開催だ。 一昨年に比べて、若干人数は少なかった。
 そして今年。残念ながら、参加人数は、今までの中で一番少なかった。いささか寂しい思いは禁じ得ない。
 ただこれは、原因がはっきりしている。これまで参加されていた高齢の町会員が、入院をしたり、体調を崩されたり、歩行が困難になったりして、来られなくなってしまったのだ。
 確かに、考えてみれば、第1回目の時は、僕もまだ、若手とまでは言わないが、年齢的には中堅どころといった位置づけだった。それが、いつのまにか、今年は最長老だ。恐ろしい。
 でも、お陰で、買い出しも、会場設営も、肉を焼くのも、全て若い人達任せにし、僕はひたすら食べて呑むことに専念できた。お陰で食べ過ぎた。呑み過ぎた。昨日、大学病院で反省したことが、もうどこかへすっ飛んで行ってしまった。
 いや、実際に、若い人達は、本当によくやってくれた。ただただ感謝するのみである。この調子だと、僕が町会長を引退する年も近い。(5194)
  
 

時には夫婦のように


 僕と糖尿病との付き合いは長い。もう40年ほどになる。
 初めての出会いは、結婚する前に人間ドックに入った時だ。境界型糖尿病だと言われた。「境界型? まだ糖尿ではないのかな」と勝手に思いこみ、ほったらかしにしておいた。会社経営や青年会議所活動などで、最中忙しかった時期だ。夜の会合も毎日のようにあった。いつの間にかすっかり忘れていた。
 次の出会いは、40歳になったばかりの頃である。左膝半月板を削除することになって、整形外科で高名な病院に入院した。その初日、「血糖値が高過ぎるので、一定水準に下げるまでは手術できません」と言われた。で、当初、1週間ほどで退院できるはずが、3週間も病院の中で暮らすことになった。  
 3度目は、議員になってからである。定例議会終了後、同僚議員たちと打ち上げを行っていた。と、突然、激しい腹痛に襲われ、救急車で市立病院に運ばれた。そこで応急に調べたところ、痛みは消化器からではなく心臓からきているのかもしれないと診断され、今度はやはり救急車で大学病院に転送された。一晩で2度も救急車に乗ったなんて、滅多にある経験ではない。  
 で、大学病院のICUで一晩過ごし、翌日は一般病棟に移ってもう1泊した。心臓の方は大したことはなかったが、その時、血糖値の高さを指摘され、通院するようにと厳命されてしまった。  
 それ以来、欠かさず1~2ケ月に1回、大学病院に通っている。今日は、その糖尿の定期健診の日だった。
 いやぁ、ひどかった。今年最悪の数値だった。医師も首を傾げていた。
 思い当たる節は山ほどある。
 とにかく暑かったのだ。毎日のようにアイスクリームを食べた。疲れた時には甘いものがいいと、ケーキやクッキーも頬張った。
 熱中症を警戒し、なるべく外を歩かないようにした。移動するときはちょっとの距離でも車だった。
 それでいて、食欲は全く落ちなかった。そればかりか、夏バテ防止に、とにかく食べなきゃいけないと、毎日腹いっぱい食っていた。
 高校の同期会、大学の同期会、いろいろな団体の打ち合わせだと、外で飲む機会も多かった。
 そういったことの一つ一つが、今日も結果につながった。かの野村克也は「負けに不思議の負け無し」と言ったそうだが、まさしくその通りだと思った。
 だけど考えてみれば、40年もお付き合いをしていれば、長年連れ添った夫婦のように、ついつい甘えがでてしまうのと同じだ。わがままを言ったり、ぞんざいに扱ったり・・・。
 でも、奥さんは、許してくれても、自分のからだは許してくれない。今に大きなしっぺ返しをくらうかもしれない。次回の検診までには、しっかりと節制しよう・・・やっぱり無理かな?(3556)

 追伸
 今日のタイトルは、黒沢年男の「時には娼婦のように」をもじったものだ。あの頃は、”娼婦”なんて歌詞が、平気でテレビから流れていた。今は死語かもしれない。

自信喪失 今日の国政調査員説明会から


 7月29日のブログにも書いたように、かねてからの念願だった国勢調査の調査員をやることになった。 僕ももう70歳。やりたいことは、できるだけ早いうちにやっておきたい。特に、国勢調査の調査員となると、今年を逃すと次は5年後。もう後期高齢者になってしまっている。 
 今日は、その説明会が、岩木中央公民館で行われた。行ってみてビックリ。机の上には、小山のように、説明資料やら必要書類やらが積まれてあった。
 それらについて、約2時間かけて、市の担当者が説明をしてくれた。とても分かりやすい説明であった。
 が、何せ僕は初めてなのである。古希を迎えた高齢者なのである。どんなに懇切丁寧とはいえ、2時間にも及ぶ説明を、1度聞いただけでは憶えきれるものではない。
 僕が勘違いしていた面もあった。
 単純に調査票を配って回収するだけの仕事だと思っていたら、かなり緻密な事務センス(正確性と几帳面さ)が要求される仕事だった。僕の最も苦手とする分野の一つだ。 
 それと、今日配られた、調査員が携行するバッグだ。重いのなんのって、高校に入ってすぐ、山岳部の新入生歓迎山行で背負わされたリュックサックのようだ。これを持って、アパートの2階まで上り下りするとなると、けっこうな肉体労働とも言える。僕の最も苦手とする分野のもう一つだ。
 さらに、面倒なルールがある。例えばオートロックのマンションに入るときは、一回一回インターフォンを押して、各室の住民の了解を得てから入らなければならない。仮に50戸のマンションなら、それを50回繰り返す。神戸の事件のように、若い女性住民のすぐ後ろをついて中に入って、全部済ませてしまうというわけにはいかないらしい。まぁ、そんなことをすれば、警察に通報されるかもしれない。
 それやこれやで、実は、すっかり自信を失くして帰ってきた。はたして僕にできるだろうか? 途中で投げ出してはしまわないだろうか・・・。
 でも、乗りかかった船である。「やりたい」と言ってこちらから志願した手前もある。僕にも、ほんの僅かだが”責任感”や”使命感”は残っているのだ。それにちょっぴりだけど”見栄”も”プライド”もある。最後まで頑張ろう。
 そのためにも、実際に動くき始めるまでに書類の書き方や手順を、何度もおさらいしておかなくてはならない。9月も忙しくなりそうだ。
 ちなみに僕の担当区域は、城東中央の一部である。その近所にお住いの皆さん。僕が調査に行っても、邪険にしないでくださいね。(2925)
 
 
 

対戦成績 一勝一敗


 昨夜から今朝にかけては、とても混乱していた。ブログを書きかけのまま更新してしまい寝落ちしてしまった。友人のTa君からのLINEでそれを知らされ、朝の布団の中でスマホを使って慌てて書き足した。そんなわけで、改行や段落も目茶苦茶なおかしな文章になった。  
 理由は、疲れからくる酒酔いだ。灼熱の関東地方2泊3日の旅の疲れもあるが、やはり一番の原因は猫との格闘だ。そのことは昨日・・・いや今朝のブログに詳しくかいているのでお読みいただきたい。
 さて、今日も猫の話だ。5匹いる我が家の猫の中で、唯一懐いている白猫の背中に小さな傷を発見したのは、10日ほど前のことであった。他の猫とじゃれ合って爪でも立てられたのだろう。そのうち直に治るだろうと高をくくっていた。
 ところが、一向に良くならない。そればかりか、段々と傷が大きくなっていく。旅行から帰ってきたら病院に連れて行こうと思っていたのだが、昨日は、昨日のブログのような猫騒動もあったし、読書人倶楽部の監査会の準備もあって、その時間を連れて行くことが叶わなかった。そこで、今日、万全を期して、病院に行くこととした。
 朝、かかりつけの動物病院に予約の電話を入れた。混んでいるので11時近くに来てくれと言われた。  10時半頃、件の猫を抱き上げた。さっきも書いたが、この猫だけが、抱っこもさせてくれるのである。
 僕の腕の中で安心したようにしている。それで油断をした。キャリーケースの中にそっと置いたとたん、それまでの寛いだ態度が一変して、もの凄い勢いで逃げ出したのである。脱兎の如くという言葉があるが、まさしく脱猫そのものであった。  
 再度、掴まえようとしたが、テーブルの下に身を潜めて出て来ない。猫じゃらしでおびき出そうとしたが駄目だった。  
 しばらくほっといたら、縁側の定位置に戻ってきた。今度は念をいれて、洗濯ネットを被せてからキャリーケースに入れようと思った。が、ネットを見ると、抱き上げるまでも至らないまま、また逃げ去っていった。
 以前、ネットにくるんでキャリーケースに入れて病院に連れていかれたことを憶えているのだろうか? 僕より記憶力がいい。
 そんなことを繰り返しているうちに、昨日に引き続き、ほとほと疲れてしまった。とうとう諦めて、至近距離から傷口の写真を撮って、一人で動物病院に行った。医師にそれを見てもらい、取り敢えず薬をもらってきた。
 2日続けて猫との格闘・・・いや騙しあい。昨日はどうにか勝てたが、今日は完敗だった(3762)
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