今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2025年11月

開高健との邂逅


 開高健という作家がいる。 1958年、「裸の王様」で芥川賞を受賞した。
 他にも「パニック」「日本三文オペラ」「オーパ!」「輝ける闇」等々、長く文壇の第一線で活躍していたので、お読みなられた方も多いだろう。
 今日は、読書人倶楽部の例会・ブックトークの日。今月の講師は、公益財団法人開高健記念会の実行委員を務めるNさんだった。「開高健と青森」という演題でお話をいただいた。
 大阪生まれで、晩年は神奈川県茅ケ崎市で過ごした開高健は、一見、青森県とは縁が無さそうだが、趣味の釣りで訪れたことがあるそうだ。「高原の鬼哭」という作品に描かれている。なんでも、青森県ではあまり釣れなかったそうだ。
 また、「新しい天体」は、全国を食べ歩いた記録で、いわば元祖「食レポ」だ。その中に十和田湖畔のホテルでの食体験が書かれている。他の場所ではけっこう辛口の批評も書いているようだが、十和田の味は、口に合ったようだ。
 本屋に生まれ、本屋の経営に長く携わっていると、毎日毎日、本の背表紙が目に入るものだから、何となく読んだ気になっている。ところが案外、読んでいないってことも多い。正直言って、開髙健はこれまで1冊も読んだことがなかった。
 が、今日の講話を聴いて、何か読んでみようと思った。僕は釣もやらないし、旅行という趣味も無い。すると結局、初期の頃の、例えば「パニック」あたりが面白そうだ。それとも、今日、紹介していただいた「開口一番」にも興味が惹かれる。
 こうして、読書人倶楽部のブックトークから、また新たな本との出会いが芽生える。読書の幅が拡がっていく。ものすごく地道な小さな運動だけど、市民の読書推進のために役に立てればと願っている。
 次回は、12月28日。「私の今年の1冊」と題して、参加者が銘々、今年読んだ本の中でこれはと感じた本を持って来て紹介するというイベントだ。10人参加者がいれば10冊の、15人いれば15冊の、新しい本を知るチャンスでもある。会員出ないか方も、是非、ご参加下さいまで。(3396)
 

市政あれこれ 昨日・今日の新聞から


 弘前市長選挙まで、あと4ヶ月あまり。そのせいでもあるまいが、俄に市政をめぐる動きが活発になってきた。昨日と今日の地方紙では、そんな動きのいくつかが報じられたいた。順不同でコメントを書いてみる。
 ①議員定数削減
 弘前市議会議会改革特別委員会は、次の統一地方選から、現行の定数28を26に削減する条例改正案を提出する方向でまとまったという。一部には反対する会派もあるらしい。
 一体、削減する2の根拠は何なのだろう? 青森市や八戸市が削減したので、それらとのバランスをとって、というのであれば、あまりに理由が薄弱だ。
 僕は、以前から、定数削減よりだったら報酬削減を唱えてきた。行き過ぎた定数の削減は、政党や労働組合、その他大きな組織を持った候補者、また有権者数の多い地区の候補者に有利に働く。多様な市声を声を反映出来にくくなる。単に議会経費の削減が目的ならば、定数を1割減らすより、報酬を1割下げた方がいい。
 ②12月議会で、市長の出馬表明がない?
 12月議会の一般質問で、与党(を勝手に名乗っている)会派の議員が、市長に続投を促すような質問をする。それに答えて市長が出馬を表明する・・・というのが、これまでよくみられていたパターンだ。が、公表された与党議員の質問通告の中にそれらしき項目が無い。これはどうしたことか? と昨日のM新報に載っていた。
 が、これは早計であろう。与党議員の通告には「健康都市弘前の実現に向けた環境づくりの取組みについて」とある。これは、現市長が先の選挙で、一番の目玉として上げた公約だ。それについて質問をしながら、最後は「さらに前に進めて欲しい。よって続投を望む」といった方向に進むのではないか、と僕は考える。
 ③オンブズパーソンが、ロマントピア休業について、市の責任を問う航海質問書を提出
 久し振りにオンブズパーソン(OP)の記事を見たような気がする。が、どうも焦点に違和感を覚える。ロマントピアの休業は、一にも二にも経営上の判断で、市の責任云々というものとも違うようにも思う、よしんば市に責任があったとしても、それをことさら堀下げるほどの大問題でもないようにも僕は考える。今の弘前市政や議会の中には、もっと採り上げるべき問題があるようにも思うのだが・・・。
 ④ふるさと納税を活用して地元大学に補助金を支出
 ふるさと納税のコースに「大学支援」というものを加えるのだろうか。これはいいことだと思う。
 ご承知の通り、弘前市の経済において、大学や大学生の存在は、大きな比重を占める。僕は、かなり前だが、市内に大学があることの重要性を、議会で訴えたこともある。
 今、県内外の多くの大学が経営難に陥っているという。たまたま今日のニュースで見たが、東北大学では、財政状況の悪化から、留学生の学費を1.7倍に値上げするという。天下の東北大学でもそうなのだ。
 ふるさと納税で、いかほどの金額が集るのかは不明だが、たとえ僅かであれ、市が、大学の経営に支援の手を差し伸べることは、今まさに必要なことと考える。
 
 以上、思いつくままに、市政とそれに関する記事についての所管を述べた。これでも、一応は元議員なので、たまには政治のことも書かなくっちゃと思った次第だ。(7504)
 
  

極真空手と僕


 毎日のように、いやほぼ毎日、いやいや間違いなく毎日、新聞やテレビでは熊のニュースが報じられている。山村だけででなく、秋田市や盛岡市・青森市など、県庁所在地の市街地にも出没しているようだ。
 毎月最終月曜日にM新報に連載している僕の「文芸時評」でも、今月は、熊と人間の闘いを描いた「とのぐい」という小説を採り上げた。 第170回直木賞受賞作だから、お読みになられた方も多いであろう。
 熊との闘いと言えば、僕は、真っ先にウィーリー・ウイリアムスを思い出す。元極真空手の選手で、熊殺しの異名をとった。実際に熊と戦った模様は映画にもなった。
 人間、究極まで鍛え上げれば、熊にも勝てるんだと、ある種の衝撃を受けた。極真空手最強のシンボル的存在でもあった。
 昭和55年、そのウィリーとアントニオ猪木が闘った。格闘技世界一決定戦と銘打たれたこの一戦は、極真が勝つか、新日本プロレスが勝つかと、格闘ファンを二分する大騒動となった。
 その頃僕は、浦和の書店で、研修生として働いていた。全国から本屋の跡取りを預かって、仕事のいろがを教えてくれる書店だ。現場の仕事の他に、朝には簿記会計や業界の仕組み等の座学もあった。
 これが大学生時代なら、僕は何をさておいても、試合会場に駆け付けた。何せ、学生の分際で、猪木対アリ戦を、1万円のチケットを買って観にいったくらいだ。
 が、研修生とは言え、社会人の端くれである。加えて、浦和から蔵前国技館までは遠い。それに、ここだけの話だが、研修生の給料よりも、親からの仕送りとバイト料のダブルインカムだった学生時代の方が裕福だった。  
 そんな訳で、この試合は、テレビで観戦した。ウィーリーのパンチ・キックの重そうなこと。これが一発顔面に当たったら、いかに猪木でも危ないと思った。また、せっかく猪木が寝技に持ち込んでも、ウィーリーの長い脚が頭をめがけて飛んでくる。「立ってウィーリー、組んで猪木」という下馬評も怪しくなってきた様相だった。
 そんな中、二人はもつれ合ってリング下に落ちた。ウィリーの方が上になっていた。するとウィーリー側のセコンドについた面々が、猪木を取り囲んで蹴りまくっている。なんて卑怯な奴らなんだ。猪木の反則勝ちだろう、と僕は叫んでいた。
 試合は再開されたが、再び両者はリング外へ。今度は、リング下で猪木ががっちりとうぃりーの腕を逆十字腕ひしぎ固めにとらえた。レフリーに促されてリングに上がった二人だが、猪木はわき腹に手をやり、ウィリーは肘のあたりをもう一方の手で押さえている。リングドクターが出てきて診察(?)をした結果、両者負傷による痛み分けという結果となった。
 僕は、ウィリーの強さに驚嘆したものの、あの卑怯なセコンド陣にわき腹を痛めつけられたことに無性に腹が立った。後味の悪い試合だった。
 そんな僕が、あの試合から45年と9ヶ月強経った今日、極真会館弘前道場の後援会の総会兼忘年会へ出席してきた。実は、数年前から毎年だ。
 最初は、友人の紹介でお招きをいただいた。それが面白かったので、毎年出ているうちに、いつの間にか会員になっていた。
 その度に、弘崎道場師範の、人柄に惹かれていった。姿勢がいい。眼光が鋭い。身体ががっしりしている。それでいて言葉使いは丁寧だ。礼儀正しい。周囲への心遣いが出来る・・・。  
 なんと言っても、一年を振り返って、何月にどんな大会があって、弘前道場からは何人が入賞したといったことを、原稿無しで、自分の言葉で、まっすぐ前を向いてスピーチができる。そのことに感嘆しているのだ。 
 これは、常に空手と自分の道場のことを考えていなければできないことだ。日頃から考えていることであれば、しどろもどろであれ、原稿なんか無くたって、きちんと言えるはずだ。質問する側も答弁する側も、原稿を棒読みすることしかできないどこかの市議会より、ずーっと真剣さが伝わってくる。  
 そんなわけで、今では僕は、すっかり極真空手ファンなのだ。もっとも、アントニオ猪木のことは、ファンを通り超して、むしろ信者といった方が、僕にピッタリなのである。(3439)

土手町フィールドワーク


 土手町(下土手町)の最盛期は、昭和40年代だったと思う。シンコウ・ナカニシ・中三・カネ長と次から次へと百貨店が進出し、紅屋も確か5階建だったかと思うが総合スーパーマーケットを開業した。今泉本店が当時としては東北最大級の書店ビルを建てたのもその頃である。
 僕が、浦和での修業を終えて、書店経営や商店街活動に携わるようになったのは昭和56年。だから、商人の立場では、その最盛期を知らない。
 ただ、当時は中高校生で、店の裏に住んでいたので、住人として、土手町の隆盛を目の当たりにしてきた。そのためか、最近、土手町について尋ねられることが多い。今月4日には、弘前大学で土手町の歴史や課題について講義(?)をさせていただいたし、今日は、某民放テレビ局の取材を受けた。
 実は、その局の記者とは、この2ヶ月くらい、何度も会って話をしていた。最初は、弘南鉄道大鰐線と土手町の関係についてが話題の中心だったが、話をしているうちに、土手町の興亡(?)や、今泉本店のことにも興味を示してくれるようになり、そのために僕は、家捜しをして、昔の写真や資料を提供したりしてきた。
 今日は、その総決算というべきか、実際に商店街に出てインタビューを受けた。目の前にはテレビカメラがこちらを凝視している。はにかみ屋で小心の(?)僕は、ものすごく緊張をした。
 主に話したことは、 かつて東奥義塾高校や聖愛高校が周辺にあった頃の土手町の賑わいのことである。うちの店の前には、学校帰りの学生の自転車が、歩道を塞いでしまうほど溢れかえっていた。新学期ともなると、教科書や参考書を求める学生さんでごった返したものだ。
 それは本屋だけに限ったことではない。学生(=若者)の賑わいは、商店街全体の元気にとって必要不可欠のものだと強調した。  
 記者と二人、一軒一軒思い出しながら歩いた。本屋とブティックの間に佃煮屋があったり、その向い側にはパン屋やカメラ屋があったり、雑多と言えば失礼だが、実に様々な業種が混在していた。
 その昔、パルコのお偉いさんの講演を聞いたことがある。その中で、パルコでは、業種や業態を勘案してテナントの配置を綿密に計算している。そこが商店街との違いだ、といったことを言っていた。 謂わば、ワンプレートに綺麗に並べられた洋食みたいなものらしい。
 でも、今日、昔を思い出して、しみじみと感じた。商店街は、謂わばごった煮のように、色んな業種が脈絡もなく並んでいるから面白かったのではないか。
 さらにまた、昔は商店主同士、その子ども同士、皆仲が良かった。何故なら、殆どが、店の裏や2階に住んでいたからだ。だから、自ずと相互扶助の精神が養われていっていたと思う。
 質問に答えているはずなのに、僕の方が、商店街活性化について、色々と教えられたような、今日のフィールドワーク(?)だった。(3474)

本家のあんさまの苦悩


 今日は珍しく一日の大半を自宅で過ごした。昼食も家でインスタントラーメンを食べて済ませた。  
 その直後、玄関チャイムが鳴った。宅急便屋さんである。千葉の親戚からの紙包みであった。
 いつものお歳暮かなと思って包を開けると、どうも様子が違う。高島屋の包装紙だが、色が薄いグレーだ。上熨斗がかけられていて「志」と薄墨で書かれている。
 まさか、いや、ひょっとして・・・直ぐにかけたかけた。  
 電話には奥様が出た。案の定、叔父さんは今年の5月に亡くなられたのだそうだ。そのちょっと前に電話を貰った時には、認知症になったと教えられていたが、それから何ヶ月も置かないで逝去されたと聞いた。
 「全く、存じ上げませんで、失礼しました」と僕。
 「いえいえ、誰にも知らせず、家族だけで葬儀を済ませたんですよ」  
 それにしても、その直後にでも教えていただいていれば、6月に友人の墓参りに行った足で、線香を上げに行けたのに・・・。と思うのは、僕の一方的な勝手でしかない。ご遺族にはご遺族のお考えがあってのことだ。
 親戚づきあいを大切にしていた人だった。今泉家に繋がることを誇りに思っていてくれた人だった。先祖にはこういう立派な人がいたんだと、いつも話してくれた。
 そういう関係なので、話を聞いて、「あ、そうですか」ではいかない。香典を送って済ませるのも失礼だ。何と言っても、これでも僕は本家のあんさまなのだ。
 思わず「そのうち、お線香を上げにお訪ねします」と口からついで出た。と、言ったはいいが、いつ行ったらいいんだろう? 
 本格的な降雪期の旅行は危険だ。いつどこで足止めを喰うかもしれない。去年の12月も帰省してきた娘が、奥羽線不通のため、新青森で余分な一泊をするはめになった。
 雪が溶けたあたりと、一応奥様にはそう伝えた。が、よく考えてみたら、来春は弘前市長選挙がある。僕もいささか市政に携わったことのある身として、全く無関係とはいかない。むしろ、弘前の発展のため、積極的に係わり合いたいと思っている。
 となると、12月上旬か。幸いにして「大人の休日倶楽部パス」の期間に間に合う。JR料金は格安だ。
 が、宿泊代が高い。東京はもとより、千葉辺りでも軒並み1万円以上なのだ。一晩、ただ寝るためだけに1万円というのは、どう考えても僕の勘定には合わない。
 というわけで、慣れないパソコンのキーを叩いて、安いホテルを探している。今日はもう遅いので、明日に持ち越しとしよう。誰か、千葉周辺で、安いホテルを知らないだろうか。(3971)
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