今泉昌一の 私事時事

前弘前市議会議員 今泉昌一の  私的なはなし、市的(?)なはなし

2026年04月

街は生きている


 2年前から、下土手町商店街振興組合の理事に復帰した。実に25年振りくらいである。復帰というより、新任と言った方が近いかもしれない。
 今日は、 その理事会。定時総会に諮る決算案と予算案、それに役員改選案審議した。それら自体は、ほぼ定型のものなので、別段、問題は無い。深刻なのは、設備の老朽化である。
 例えば、アーケードの代わりに設置した電動オーニング。これは僕が専務理事をやっていた時代に取り付けたものだが、故障や破損が増えて、現在は使われていない。
 それと、今日話題に上ったのは、歩道の融雪システム。歩道舗装に下に熱した油を循環させて雪を融けなく方式なのだが、近年はめっきりと融けなくなっている。蓬莱橋寄りの方は、ほとんど融けないとも聞いた。  
 これも、オーニングと同じ時期に、高度化資金を使って施した設備だ。もう30年近くは経過している。
 オーニングは使わなくても済むが、雪国の商店街としては、歩道の雪の始末は必須事項だ。ところが、百貨店も閉店し空き店舗の目立つ現状では、全面的に修繕することは、至難の業と言ってもいい。  
 先般の弘前市長選挙の前に、商店街として、現市長、当時は立候補予定者と意見交換会を行った。その際にも、設備の窮状について、切実な要望を伝えた。現市長は、熱心に耳を傾けてくれた。少なくとも、今後もこういった話し合いは継続しようと言ってくれた。  
 販促や誘客事業は、個々の商店や商店街という集まりで、工夫して行うことはできる。でも、ハード事業となれば、商店街だけの力だけでは出来ないことが多い。そのために、国でも、様々な補助制度を設けている。そしてそれらを利用するには、地方自治体の協力が不可欠だ。
 そういった意味でも、新市長には、商店街としても、大いに期待している次第だ。
 先に上げた電動オーニングにしても、歩道融雪システムにしても、当時としては、時代の最先端(?)をいくものだったはずだ。オーニングについては、静岡市や長野市、東京の浅草まで、先進地視察にも行って、実際に確かめた上で導入したものだ。  
 それが、今や、あちこちにガタがきている。時代にそぐわなくなってしまっている。時の流れは残酷なものである。
 いや、人間の身体だってそうだ。僕自身、30年前の僕ではない。膝も悪い、腰も痛い、前立腺もおかしくなっている、視力も低下した、読書力も落ちてしまった・・・街以上にガタガタだ。
 人間の場合、どんなに頑張っても、年齢相応に衰えていくだけだが、街は違う。大きな手術=再開発や街路整備等を行えば、再び甦ることだって可能だ。そこのところを、行政にも是非理解してもらいたい。(4174)

世界はプラスティックで出来ている


 今日は水曜日。我が町会はプラごみ回収の日だった。
 何のかんの言って、悪名高かったプラごみ分別も1か月を終える。最初の頃は、SNS等で、さんざん苦情が発せられていた。今は世間の評価はどうなんだろう?
 僕の場合、1週目は、4月1日のブログにも書いたように、商店の名前がプリントされたと透明なビニール袋に入れて出したところ、赤紙が貼られて、持って行ってもらえなかった。プリント部分以外は、正真正銘の透明袋だったにもかかわらずだ。
 2週目は、洗濯屋に出したワイシャツが入ってきた袋で出した。そうしたら今度は、透明で無いという理由で持って行かれなかった。
 どちらも、中身が見える袋で出しましょうという項目にチェックが入っていた。が、両方とも中身はよく見える。洗濯物が入ってくる袋が、中身が見えないような物だったら、誤配達が増えて困ってしまうだろう。
 3週目は、おとなしく、かつて町会連合会で斡旋していた、リアサイクル用の透明袋を使ってみた。そうしたら、ちゃんと持って行かれていた。そこで4週目もそのようにした。
 そして今日、5週目。今度は、スーツが入ってきた洗濯屋の袋にしてみたところ、やはり持って行ってくれていた。同じ洗濯屋の袋でも、ワイシャツとスーツでは透明度が若干違うことに気が付いた。こうして段々とコツがわかってきた。
  しかし、よく考えてみれば、このプラごみ分別で利益を得るのは誰なんだろう。市民は、税金を納め、その対価(?)としてごみを収集してもらっている。収集業者は、市から応分の委託料をもらっているとはいえ、別にプラごみに神経を使わなくてもいいはずだ。
 結局、集まったプラごみから新たなプラスチック製品を造り販売するリサイクル業者が、唯一、利潤を得ているのではないかと推測する。その他に、自治体から、なんらかの税金が投入されているかどうかはわからない。  
 だとすれば、本来、プラごみとそうでないごみとの仕分けや、洗浄や、ラベル剥がしは、その事業者の業務の一環なのではないか。ただ、それだとあまりにも煩雑になりすぎるので、ごみを出す市民に、協力をお願いするというのが本来の姿なのではないかと、ふと考えた次第だ。  
 ところが、現状は、完全な透明袋でないと持って行ってやんないぞ。洗ってから出せ。ラベルはできるだけ剥がせと、半ば強制のようになっているような気がしてならない。
 協力してくださいと言われれば、それを惜しむつもりはない。が、中身がみえないと持って行かないなどと上から目線で言われれば、少しカチンとくる。
 そこで、1ヶ月が経過して、一つの結論に達した。出来る範囲で協力はしよう。業者が望むような完全な透明袋がある時はそれに入れて出す。でも、わざわざお金を出して袋を買ってきてまでは出さない。袋が無いときは、従来通り緑の半透明の袋に入れて、燃やせるごみとして出す。
 と、こんな風に考えたのだが、如何だろうか? 皆さんのご意見をお聞かせ願えればと思う。
 それにしても、プラごみの多いこと多いこと。スーパーの肉や魚がはいっているトレーや、カップ麺の容器、各種商品の包装資材、それを入れて持ち帰るための手提げ袋等々。プラごみを分別するようになってから、燃やせるごみの量がぐんと減った。今は、燃やせるごみの回収が週に2度で、プラごみが1度だが、その逆でもいいくらいだ。
 つくづく思う。世界はプラスティックで出来ているんだなぁと・・・。(4031)

ここにも豪雪の被害が


 青森県動物愛護センターに行ってきた。保護猫の会を設立してからというもの、毎年一度は足を向けている。
 遠い。青森市の西のはずれの方にある。今日も、自宅から車で1時間半ほどかかった。
 鳴き声や匂い等、動物を扱う施設は、市街地に設置するのは難しいのだろうか。ましてや、殺処分も行われるとなれば、敬遠されるのも致し方ないのかもしれない。
 以前、弘前の保健所が現在地に移転して来る時でさえ、動物の鳴き声を理由に、近所の住民から、なんとか止めて欲しいという要望をいただいたことがある。一市議会議員が、県の施設についてどうのこうの言うことは出来ないので、やんわりと断った。
 今日の要件は、6月27日に開催予定の、ニャンちゃん譲渡会のことだ。昨年同様、譲渡会の前に、「正しい猫の飼い方」というテーマで研修会を行うが、その講師派遣を依頼するためだ。
 昨年、講師として来てくれた方がいたので、話は簡単に済んだ。今年も、快くお引き受けいただいた。
 そのついでに、直近の殺処分の状況について質問をした。そしたら、以前伺った時と同様、弘前保健所管内が群を抜いて多いという。地域猫制度のことや、無責任な餌やり禁止等、地道な啓発活動が大切だと、愛護センターの方もおっしゃっていた。
 次に、青森市内の保護猫活動のリーダーとも会ってきた。一昨年・昨年と、僕らの譲渡会にも協力をいただいている。今年もお願いしたら、 こちらも快くお引き受けいただいた。保護猫仲間は心が通じ合っているのだ。
 ただし、暑さ対策については、要望をいただいた。去年、バテた猫もいたという。6月下旬ともなれば、十分に暑い。その点は、十分に留意しなければならないと、こちらも考えていたところだ。
 コーヒーを飲みながら、しばし雑談をした。その人が言うには、毎年この時期になると、生まれたばかりの仔猫の保護についての相談が多いのだが、今年はそれがめっきりと少なくなったとのことだ。おそらくそれは、今年の豪雪のせいだろうという。寒さと雪で、生き延びられなかった猫たちが相当数いるのではないかという話だった。
 確かに、1月上旬までは、我が家の庭に出没していた黒猫も、さっぱり姿を見せなくなった。記録的な豪雪の被害は、人間だけではなく、野良猫社会にも及んでいたのだ。(3823) 

縄文の風


 北海道北東北縄文遺跡群が、世界文化遺産に登録されてから、今年がちょうど5年目にあたるのだそうだ。その節目の年に、遺跡群の一つ、弘前にある大森勝山遺跡に、ようやくガイダンス施設が完成した。今日、そのオープニングセレモニーが開催され、僕も代理だけれど、出席させていただいてきた。
 僕は、まだ議員だった頃、非公式の場ではあるが、ガイダンス施設の必要性を、担当課の職員に話をしたことがある。その意味では、4年越し、5年越しで、その希望が叶ったことになる。
 ただ、当初、違和感を覚えたのは、施設が、遺跡から車で10分ほど離れた、既存の建物内に設けられたことだった。遺跡の隣接地に新たに建てられるのが常套手段とばかり考えていたからだ。三内丸山遺跡もそうだが、施設と遺跡が一体となってこそ、その効果が十二分に発揮されるものと思っていた。
 が、今日の説明を聞いて得心をした。やはり、実際に行って話を聞いてみるものである。
 離れた場所に建てた理由、それは雪である。大森勝山遺跡は、岩木山の裾野の標高の高い場所にあり、冬場は積雪のため閉鎖をする。そこで、冬でも遺跡の雰囲気に触れてもらうことができるよう、今回の場所に設置したのだそうだ。
 実際に、中を案内していただいた。コンパクトながら、よくまとまっている。出土した石器などの他、200分の1のジオラマや、360度見渡せるモニター画面もあって、確かに行かなくても遺跡の全体像を感じ取ることが可能だ。
 時間がなくて鑑賞できなかったが、小さなビデオシアターもあって、そこでも遺跡の様子が上映されるらしい。けっこう工夫を凝らしたいい展示施設だと感じてきた。
 ガイダンス施設の他にもう一つ懸案事項があった。それは、ボランティアガイドさんたちの待機場所も兼ねた休憩施設だ。この必要性については、元同僚のTa議員が一般質問で採り上げていた。
 それも今般完成したとのことだ。こうして一つ一つ環境が整えられていくことは喜ばしい限りだ。
 実は、僕はこれまで2回しか行ったことがない。1度目は世界遺産に登録されてまだ間もない頃。その時は、アクセス道路ですら十分に整備されていなかった。2度目は、教育委員会の主催だったと思うが、地元の中学生たちも参加していたイベントの時だ。それ以来足が遠のいている。
 でも、ガイダンス施設も休憩室もできたので、今年あたりもう一度、縄文の風に吹かれにいってみようかとも思う。願わくは熊が出没しなければいいのだが・・・。(5716)

 

村上先生のこと


 今年は、村上善男先生の没後20年に当たるのだそうだ。その追悼展が、先生と縁のあった東北各地で開催されている。弘前では、5月2日から5日まで、百石町展示館で行われる。
 村上先生は、釘打ちシリーズで有名な現代美術家である。長く、弘前大学の教授として弘前にお住まいになられていた。確か、附属幼稚園の園長先生も務められたいたはずだ。
 僕が経営していた書店のお得意様でもあった。よく立ち読みをしていた。背が高いので、どこにいてもすぐにわかった。でも、会計カウンターに並んでいる姿は見たことがない。
 ある時、美術書のコーナーで、やはり立ち読みをしていた。僕が挨拶をすると、「お宅の美術書は充実しているねぇ」とおっしゃっていただいた。紀伊国屋さんが出店してきて苦しんでいた時期だけに、その言葉は、とても有難かった。
 が、 僕には、美的センスというものがまるでない。だから、村上先生の作品の良さがさっぱりわからない。代表作である釘打ちシリーズを見ても、その意味するところがてんで見当がつかないのである。それでも、友人のTa君が、先生を信奉していたので、何度かTa画廊に観に行ったことがある。
 今日は弘前読書人俱楽部の例会・ブックトークの日。今日の講師は、そのTa君だった。読書人俱楽部のチャーターメンバーにして、会計幹事を務めてくれている。  
 Ta君は、村上先生の生い立ちや功績、鷹山宇一や岡本太郎との交流などの話や、先生との会話の中で直接耳にした村上語録等、Ta君でなければ知りえないエピソード披露してくれた。講話の節々に、先生に対する愛情と尊崇の念が溢れていた。
 話は変わるが、今日のブックトークには、飛び入りのゲストが来場した。読書人俱楽部の看板を見て興味を抱いた若い女性が入ってきたのだ。まだ学生だという。
 彼女が入会するもしないも、今日のTa君の講演次第だ、とプレッシャーをかけておいたが、果たして彼女は入会するのだろうか? 今日のところは、入会申込書の用紙を持たせて帰ってもらった。(6153)

記事検索
月別アーカイブ
プロフィール

昌ちゃん

今泉昌一の本棚


QRコード
QRコード
  • ライブドアブログ