実は、昨日の、弥生スキー場跡地についてのブログを書いたあと、小・中・高校の同期、M君と夕食をともにした。読書人倶楽部の副代表のKさんも一緒だった。取り敢えず書くだけ書いといて、帰宅してから更新をクリックした。
 会食があまりに楽しかったので、つい2次会まで行ってしまった。おかげで今朝は、多少頭が重かった。
 M君は、この10月から、弘前市の理事として迎えられた。その前までは、日本を代表する超一流企業に勤めていたのだから、そこを辞して弘前に帰ってくることは、大きな決断だったろうと思う。
 さすがに、民間のトップ企業の第一線で働いてきただけあって、考え方が斬新だ。弘前の将来についても、独特の視点を持っている。大いに勉強になった。
 実は、M君とは、小学校1年から3年まで、同じクラスであった。大学の附属だったので、実験的試みなのだろうか、少人数校でもないのに、複式学級があった。1年生と2年生が、同じ教室で授業を受けるのだ。先生は1人である。一学年は、男子8名、女子8名の、たった16人。だから、女子はともかく、男子については、今でも名簿順に名前を挙げることができる。
 中でも、M君の家には、よく遊びに行った。附属なので学区はない。彼は、電車かバスで通学していた。
 一方の僕は、前にも書いたが、家から一番近い学校という理由で、親が附属に入れたくらいだ。街のど真ん中に住んでいたので、どこへ行くにも、徒歩で用が足りた。
 だから、彼の家に行く時、バスに乗ったり電車に乗ったりするのが、もの凄く楽しみだった。
 西弘前駅(今は駅名が変わったが)の周辺は、当時は何もなかった。線路を挟んで、広大な原っぱが広がっていたような記憶がある。街中育ちの僕には、そんな環境も、とても魅力的だった。
 何日か前のブログで、僕は、学区があるのは羨ましいと書いた、それは、学校が、町会や地域の共通のシンボルとして存在することに対する羨望でもあった。
 でも、附属には附属の別の素晴らしさがある。学区がないことで、子どもたちの行動範囲は広くなる。小中一貫なので、より深い交友が産まれる。思い出を多く共有することができる。
 黒石で校長先生をしているS君も、たまに帰省すると必ず連絡をくれるK君も、読書人俱楽部会員のMさんも、皆、附属からの友達だ。癌と闘っているK君も、今年のゴールデンウィークに突然読書人俱楽部を訪ねてくれたA君も、何冊も自著を出版しているFくんも、現在僕の主治医であるO君も、この間飲みに誘ったYさんも、クラスこそ違え、小学校で一緒だった。もう50年にも及ぶ知己である。成績も素行も、全て知られているような、そんな感じだ。
 皆、素晴らしい仲間なのである。

 今日から、読書人倶楽部のNさんが、長期の休暇に入った。1週間ほど、正午から僕が店番をすることになった。そうしたら、さっそく、Koさん、F君、T君、Kuさんらが、訪ねてきてくれた。読書人倶楽部の友達は、学校も年齢も交友年数も皆違う。
 これもまた、素晴らしい仲間なのである。