通夜でも葬式でもないのに、午前中に一つ、午後にも一つ、葬祭ホールを梯子した。ホール名と訪問目的は勘弁して欲しい。ただ、決して、伊達や酔狂で訪れたわけではない。 
 まず、驚くのは、建物の立派なこと、立派なこと。特に、午後に訪問したホールでは、そこで執り行われた葬儀には、これまでも何度か参列しているのだが、ご遺族の宿泊施設というところを、初めて拝見させていただいた。
 そこの会場は、式を行なうホールとは別棟になっている。そのこと事態が、とても贅沢な感じだ。中も、標準語では言い表せないくらい、あずましい。和室、リビング(というのだろうか?)、風呂、トイレ・・・どれも広めに作られており、まるで和風のリゾートホテルに来たみたいだ。
 その上、玄関の三和土にちょっと段差があるくらいで、あとはフラットになっている。高齢者への配慮が感じられる。
 午前中に訪ねたホールでも、以前、内覧会の時に、宿泊室を見せていただいた。こちらの方も、ちょっとしたビジネスホテルよりも、遙かに快適そうだった。
 はて、このような葬祭専門ホールというものは、いつ頃から出来たのだろう? 少なくとも、弘前には、僕が若い頃、そう今から30年くらい前には無かった。あったとしてもそれは、今のような大規模のものではなかったと思う。
 その頃は、通夜・葬式といえば、お寺で執り行うことが一般的であった。あるいは、公民館や町会の集会場等々・・・。
 どちらにしても、参列者は、入り口で靴を脱がなければならない。そこで、下足係が必要だった。青年会議所時代は、随分とそのお手伝いをさせられたものだ。
 あれはあれで、けっこう重労働でもあった。特に、式終了後は、次から次へと、下足の番号札と引き替えに、参列者の靴を、しゃがんで下に置く。そのたびに、膝の屈伸運動(スクワット)を行なうことになる。あるときなど、翌朝、太股の筋肉に痛みを覚えたくらいだ。今は、その仕事は不要だ。
 参列する場合だって、お寺だと、膝を折らねばならなかった。一番前に座ったりすると、式の間、ずっと正座をしなければならない気にもなって難儀した。冬場は、端っこだと寒いので、ストーブのそばの位置を確保するため、少し早めに行ったりもした。そんな心配も、今はしなくてもいい。
 つくづくと、時代の流れを感じる。でも、さっきも書いた通り、これらの変貌も、ここ30年足らずのことなのだ。
 ということは、僕が平均寿命まで生きるとして、鬼籍に入る頃には、葬儀の環境は、更に大きく変わっている可能性だってある。その行き着く先は想像もつかない。
 いったい、僕がお世話になる頃の葬儀はどのようになっているんだろう? ごく身内だけで執り行うのが普通になり、その模様は、インターネットで、親戚・縁者・友人・知人のもとへ配信されるようになる、なんていうのは、容易に想像できそうだ。その上、香典も全て電子マネーで決済・・・。
 なんて、そんな時代は見たくない。でも、どんな時代になろうとも、出来うる限り長生きはしたい。”生”に対する執着心だけは、人一倍強いのだ。(10126)