加藤謙一に興味を抱いている。弘前出身の名編集者だ。 
 旧制弘前中学校を卒業後、教員生活を経て、現在の講談社に入社した。講談社では、初代社長 野間清治に能力を見いだされ、25歳にして、「少年倶楽部」の編集長に抜擢された。そして、その期待に違わず、編集長就任当初は2万8000部だった発行部数を、12年間で70万部にまで延ばしている。
 講談社退社後は、独立して学童社を興し、伝説の雑誌「漫画少年」を発行。手塚治虫を始め、石ノ森章太郎、藤子不二雄、赤塚不二夫等々、多数の漫画家を世に送り出した。
 今、名前を挙げた漫画家は、いずれも一時代を画した、いわば大家(おおやではないよ)であり、現在活躍中の漫画家も、おそらく全て、多かれ少なかれ影響を受けているに違いない。つまり、加藤謙一こそが、戦後の日本漫画の産みの親であるといっても、決して過言では無い。
 それなのに、太宰治や石坂洋次郎ほどには、その名を知られていない。もっともっと、きちんと評価されるべき、偉大な郷土の先人だと思う。
 いや、かくいう僕も、以前、書店を経営していて、講談社とも取引があったので、名前くらいは知っていたが、それほど深い関心をもっているわけでもなかった。子どもの頃から漫画は大好きだったので、「漫画少年」という雑誌を舞台に、トキワ荘に集った漫画家志望の若達が、苦楽を共にしながら、夢を描いていったドラマは、いろいろな形で読んだ。だけど、その雑誌を創っていたのが、弘前の大先輩だと知ったのは、随分と後になってからだ。
 ここにきて、加藤健一を再評価しようという動きが高まっている。特に、弘前ペンクラブの会長は、加藤が、日本漫画史、日本アニメ史を彩る数々の漫画家の育ての親であることを称し、「弘前をアニメのメッカにしよう」を強く訴えている。
 僕も、その発想には賛同する。お城・りんご・桜・岩木山・白神・太宰・羯南・前川・船木等々といった弘前の財産の中に、加藤謙一の名前が加わるだけで、弘前の魅力が、更に厚みを増すことになる。弘前が、重層的な文化の街だということを、世界に対して発信することができ、交流人口の増大にも寄与できそうだ。
 それにはまず、僕自身が、もっと勉強しなければならない。加藤謙一のこと、「少年倶楽部」のこと、「漫画少年」のこと、たくさんたくさん学ぶべきことは多い。
 で、今日、読み終えたのが「少年倶楽部の笑い話」という本。勉強しようと一念発起して最初に手にしたのが”笑い話”なのだから、まぁ、僕のおつむの程度も知れようものだ。
 そして明日からは、「漫画少年物語」に取りかかる。著者は、加藤謙一の四男の方だ。
 さらに、その次は、「漫画少年」に連載されていたという手塚治虫の「ジャングル大帝」でも読もうか。いや、その前に、「少年倶楽部」で大人気となった「のらくろ」だったら、弘前読書人倶楽部にもあるぞ。・・・て、結局、最後は、漫画を読み漁ることになりそうだ。(12489)